第150話 アイラの受験勉強②

 香龍飯店より更に奥こそ、真のジェイルタウンと言ってもいい。何故ならそこにバングブラザーズ、噛み切りジョージ、チョップマンを始めとする殺しを生業にする凶悪犯共のアジトが密集しているからだ。


 大抵の者は入り口から先に足を踏み入れたが最期。だが稀に運良く——否、運悪くそこまで辿り着ける余所者は一定数はいる。しかし、彼らはどの道生きてこの街を出る事は叶わない。弁解の暇も与えられることなく無慈悲に所持品を、金品を、命を奪われることなどザラであり、そこで留まればまだマシな方である。遺体になったばかりの新鮮な臓器や血液なども抜き取られ、商品として何処ぞまで流される末路を辿る。人肉食カニバリズム趣味の者や屍体愛好家ネクロフィリアなどの正真正銘の異常者も住み着いており、屍肉や骨までも利用されることもしばしば。比喩でもなんでもなく〝骨の髄まで〟弄ばれることさえ起き得る。


 そんなこの世の地獄を、上品な身なりの白いフリルのワンピースを着た天使が勉強道具の詰まったバッグを持って一人歩いている。


 本来であれば、飢えた猛獣だらけのサファリパークを無防備に流離う一羽の子うさぎ。で、あるにも拘らずこの少女に手を出そうとする者は最早この街にはいない。始めこそ、彼女の保護者がこの街の支配者であるという理由であったが今は違う。悪逆非道と名高いジェイルタウンの住民は、誰しも彼女のことを自分らの仲間や親族のように慈しむようになっていた。


 なんのことはない。アイラという少女はこの街の住民全員から好かれ、可愛がられているのだ。


「よう、お嬢! 今日からお勉強ですかい? 頑張ってくだせぇ!」


「もし学校でイジめられたらいつでも俺らに言ってくださいよ! きっちりシメてやりますから!」


 道中、早速この辺りで最大勢力のバングブラザーズ一味を取り仕切る殺し屋兄弟、弟のココと兄のライガンが普段他所では絶対に見せないであろうにこやかな笑顔でアイラに手を振る。それに対し、アイラも無表情ながら手を振って答える。彼らは皆。否、この街自体がアイラの存在によって少しずつではあるが良い方向へと変わりつつある。それだけアイラはこの街の悪党たちにとって掛け替えのない存在となりつつあるのだ。尤も、本人たちは全く自覚していない様ではあるが。


 バング一味とすれ違い、進むこと約三分。

 廃墟群を抜けて拓けた場所に出た。ここはこの街がまだまともな都市として機能していた頃、広場として過去の住民たちの憩いの場所となっていた場所。中央にある噴水は既に枯れ果て雑草や苔が繁茂しており、一見すると誰ぞの墓標にも見えなくはない。


「おーい、アイラちゃん。こっちこっちー!」


 呼ばれた方へ顔を向けると、空き巣サマンサと爆弾魔のケリーが既に待っていた。そこには古ぼけた学校机と椅子、新品のホワイトボードが用意されていた。


「よく来たな、お嬢。ウィルやデュランの旦那から聞いていると思うが今日から二週間、俺が理科を。んで、サマンサが語学や数学を教えることになってる。よろしくな」


「よろしくお願いします、先生」


 アイラは悪党二人に対して丁寧なお辞儀で答えた。その後、純粋な質問を二人に尋ねた。


「あの、この机と椅子は?」


 アイラの質問に対し、ケリーが答える。


「あぁ、この先にある廃校から比較的キレイでマシなやつをワンセット拝借して来たのよ。本当はそこで授業しても良かったんだが、電気が通ってないから薄暗くてな。あんなとこで文字の読み書きなんてしてたら目が悪くなっちまう。ここ最近は涼しくて過ごしやすい気候になったし、秋晴れが続くらしいから青空教室にしようって昨夜サマンサと話てたんだよ。ちなみに、テキスト類とホワイトボードはサマンサが朝イチで買って来たばかりの新品さ。こいつが盗まず普通にレジに並んでる姿はマジで笑えたぜ」


「よっ、余計なことは言わなくていい! お嬢に盗品を使わせる訳にはいかないだろうが! コホン、それじゃあまず基本的な算数から始めよう。足し算、引き算、掛け算、割り算辺りは店でも使っていたからウィルから学んでいたんだろう。なら今日はそこから少し進んで分数にチャレンジしてみよう。まずはテキストの十五ページを開いてみて欲しい」


 サマンサの授業は懇切丁寧で非常に分かりやすかった。また、ホワイトボードに書き記した字もかなりの達筆でケリーも感心していたほどだ。ケンブリッジ大卒というのは嘘ではないらしい。どこぞの教育学部を出ていると言われてもおかしくないほど実に堂に入っていた。


「うん、お嬢は実に飲み込みが早い。語学、数学はこのペースなら試験は楽に通るだろう。週末は昨年の試験問題を盗ん——参考にした過去問で模擬試験に挑戦してみよう。それじゃあ、次は理科の授業だ。ケリー、頼んだぞ」


 講師のバトンがサマンサからケリーへと渡った。待ってましたと言わんばかりに噴水の縁に座っていたケリーは立ち上がると、ライターを取り出しロウソクを数本ずらりと机に並べた。


「よっしゃ、俺の授業は〝楽しく派手に〟をコンセプトにやっていくぜ。唐突だがお嬢、旦那が料理でよく使う炎の色って、何色だい?」


「赤か青」


「だよなぁ。そもそも火ってやつは酸素がなきゃ発生しないんだ。そしてロウソクの火は比較的温度が低く、煤なんかの炭素を含んで赤っぽい色になる。んで、コンロの火が青いのは効率よく燃焼させてるためガスを媒介にしている。だからロウソクなんかの火とは違い温度はより高く、青い炎になる。燃やす物が違えば炎の色は赤や青以外にもなるんだぜ? 見てな」


 ケリーはそう言うと、並べていたロウソク全てに火を灯す。するとロウソクの火は赤ではなく、色とりどりの火を放っていた。


「右から普通のロウソク、んでピンクっぽい火を放っているのが芯にカリウムを染み込ませてある。その隣の黄色いやつはナトリウム、オレンジがカルシウム、こっちの緑っぽいのが銅。燃やす物質によって火の色が変わる。これを炎色反応って言うんだが、これらの応用した火の芸術が花火だ。どうよ、面白いだろ?」


 得意げに説明するケリー。それに全く耳を傾けずじーっと色とりどりの火を放っているロウソクを見つめているアイラ。双方、実に楽しそうではある。


 そんなケリーに対し、サマンサは彼の肩をポンと叩いて告げた。


「ご満悦のところ悪いんだが、炎色反応は今回の入試にはまず出ないぞ」


 唖然としているケリーに対し、アイラは無表情ながら実に興味津々でロウソクの火を見つめ続けていた。

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