第136話 虎城訪問②
「…………」
早歩きでこちらに向かって来るメイファンの手には一丁のピストルが握られていた。それを見たパトリックがすかさず腰に差した聖剣へと手を伸ばす。直後、黒い無数の糸が柄を握った彼の右手を瞬時に絡めとったのだ。
「ソレ抜イタラ手首落チルヨ。因ミニコノ糸、鋼鉄デアッテモ容易ニ斬リ裂クネ。嘘ト思ウナラ試シテミルヨ」
側近と思しき不気味な女が両手の袖から伸ばした謎の糸が手に巻き付いたパトリックは額に汗を滲ませ聖剣を抜けずにいた。
鋼鉄を斬り裂く。相手のその言動から察するに、こちらの加護をある程度把握していると推測出来たからだ。また、ここに来る前にデュランが口にした一言がパトリックの行動を制限させる誤解へと繋がってしまっていた。
〝お前らが会いたがっているマフィアの若頭はこのおっさんに勝ったらしいから行くなら覚悟しといた方がいいぞ〟
本来であればパトリックと凶星の間には圧倒的な戦力差のあるのだが、デュランとニワトリ仮面によって芽生えた疑念と生来の慎重な性格が災いし、奇しくも拮抗状態が生じてしまっていたのだ。
「おいメイファン、ちょっと待て。こいつらは話し合いに——」
一触即発な雰囲気を察したデュランは慌ててメイファンに静止を促そうとするも、その声は数発分の銃声によって掻き消された。
弾倉が空になるまで撃ち尽くしたメイファンは尚もカチカチとトリガーを引き続けている。虎皇会の子分たちも堪らずその場にしゃがみ込み、震えていた。銃を向けられていたミリアはと言えば、余裕を保ったままの笑みで真っ直ぐメイファンを見つめていた。
「どうも私らは歓迎されていないらしい」
「当たり前でしょ。こっちはあなたのトコの小娘にどれだけの損害を被ったと思っているのよ。殺しても殺し足りないくらいだわ」
これだけ激昂したメイファンも珍しい。その表情、雰囲気は怒らせた際の師リウロンに瓜二つで流石のデュランも口を噤むしか出来なかった。そう感じたのはデュランの他にももう一人。
「やはりリウロンの娘だな。その目、その表情。ヤツにそっくりだ」
敵から語られた父の名にもメイファンは動揺することなく新たなマガジンを銃へ装填し再度ミリアに向けて構える。
「アスガルド聖教女教皇。父の恩人だからと言って今回の一件の落とし前がチャラになるとは思わないことね。あなたたちの神とやらが許しても、この私は許さない」
確固たる決意が込められた女帝の瞳。
せいぜいミリアに許される発言はあと一言が限度だろうということは明白。それが辞世の句か、遺言か、はたまた神への祈りか。
そんなミリアがメイファンに向けて放った一言は実に意外なものだった。
「歯型の痣は、まだ残ってるのかい?」
不可解と言わんばかりの周りの表情とは裏腹に、一人だけ驚いた表情を見せているのは銃を手にしているメイファンだった。
「まさか……貴女が……」
かつて、リウロンの妻と娘を襲った身体中に発症する歯型の呪詛。母は助からなかったが、幼かった自分はアスガルド聖教の関係者二名の手によって命を救われたと父から聞かされたことがある。メイファンはミリアの言葉ですぐにその一人がこの女だと悟った。
即ち、こうして生きながらえているのも全ては今まさに殺そうと銃を向けているこの女のおかげである。皮肉な事実に気付かされたメイファンは突如大笑い。唖然とする周りには何が起こったのか全く理解出来なかったが、装填したマガジンを銃から取り外し手放したメイファンを見ると、何とか最悪の事態は去ったと見て良いようだ。
「もういいわ、凶星。彼の糸を解きなさい」
「
命令を受けた凶星は不服そうな表情のまま巻き付けていた夜蜘蛛糸をパトリックから回収した。
「ドウイウ心変ワリカ、姐御」
凶星の問いにメイファンは見開いていた両目を閉じて答える。
「別に大した話じゃないわ。落とし前を付けさせるのは筋違いだったってだけ。先に借りを作っていたのはこちらだったのよ」
ますます解らないといった表情を向ける凶星にそれ以上の説明はせず、銃撃で腰を抜かしていた二人の組員を睨み、メイファンは命令した。
「こんなことでいちいちビビるなんて情けない。あなたたち、ボサっとしてないで〝アレ〟を取って来なさい」
メイファンがそう言うと、組員二人はすぐさま立ち上がり、エレベーターで地下へと降りて行った。
「まったく、肝っ玉の小さい男って嫌いなのよね。あぁ、そうだデュラン。あなたのとこにも行こうと思っていたからちょうど良かったわ」
「あ? なんの話だよ?」
「約束のブツよ」
メイファンはそう言うと、一冊のノートを取り出してデュランに差し出した。
「父のレシピノート、欲しがっていたでしょ?」
トルメンタの死やマルグリットの件ですっかり失念していた。そもそもこれの為にわざわざ地下闘技場にエントリーしていたことに。
現物を前に嬉々として手を伸ばすかと思われたが、意外にもデュランは差し出されたノートを黙ったまま見つめているだけだった。
「どうしたの? あれだけ欲しがっていたじゃない」
「……いや、そうなんだけどよ。そもそも貰うのは優勝したらって約束だったし、俺途中で抜け出しちまったからそれを手にする資格があるのかって思っちまってな」
「律儀ねぇ。参加賞ってことにしてあげるから遠慮なく受け取りなさいよ」
しばらくノートを見つめた後、デュランはメイファンの目を見てこう言い放った。
「いや、やっぱいいわ」
「はぁ? なんでよ」
「おやっさんが心血を注いだレシピは娘であるお前が持っとく方がおやっさんもきっと喜ぶだろうよ。それにお前もアコギな商売ばっかしてねーで、花嫁修行と思ってちったァおやっさんの料理を勉強しろ」
そう言うとメイファンに背中を向けるデュラン。意外な答えに唖然としているメイファンに対し、側にいた凶星が話しかける。
「デュランノ旦那ニ言ワナイノカ? 姐御ノ腕ハ一流シェフ並ミデ、ノートノレシピハ全テ完璧ニ再現デキルッテ」
「そんな野暮な事は言わなくていいのよ、別に。男のプライドを傷付けないであげるのもイイ女の嗜みなのよ。貴女も覚えておきなさい、凶星」
「フラレタ姐御ニ言ワレテモ全ク響カナイネ」
「ヘーイ、そこの金髪イケメンナイトくーん。この女殺しちゃっていいわよー! って言うか今すぐ殺してー!」
メイファンがパトリックに凶星殺害をお願いしている最中、地下から戻って来たエレベーターの扉が開く。
中から現れたのは、高さ二メートル程の円柱型の水槽。中は茶色く濁った水で満たされており、それを台車に乗せた先程の組員二人が陰鬱そうな顔でエントランスまで運んで来た。
「なっ、なんだこのカプセル型の水槽は」
パトリックの疑問に対し、メイファンが笑顔で答える。
「あなたたちのお仲間よ」
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