第45話 龍が繋いだもの

 ミリアはすぐに娘の奇病の正体が呪詛の類と見抜いた。


 無数の噛み跡のような黒い痣の正体は、かつてリウロンが牙戦と称して行ってきた惨虐極まる行いによって歯をへし折られた者たちの怨恨によるもの。それらに加えてリウロン個人や虎皇会そのものに恨みを持った者たちの憎しみや恨みを媒介とした呪術がかけられていると説明した。


『アジアの術式か。大方、金で雇われた呪術を生業にする者の仕業だろう』


 ミリアはそう結論付け、一人の女性修道女を礼拝堂へ呼んだ。


『あの目つきの悪いガキのついでに、もう一人面倒を見てやってくれ。ミレーヌ』


 ミリアが連れてきたシスターは幼児の容態を見るとすぐに聖水と聖書、十字架を用意して約六時間にも及ぶ悪魔祓いを応用した呪詛返しの儀を執り行った。この呪詛が華南の少数民族〝巫蠱フコ〟の一族によるものと判明するのは、呪詛返しにより呪いの逆流を受けて死んだ兄の復讐の為、後にリウロンの娘が立ち上げた虎皇会東欧支部へ単身乗り込んできた一族の末裔である凶星の口から語られる事となってからである。


 娘の命を救ってくれた恩人と神の奇跡を目の当たりにしたリウロンは道教からアスガルド聖教へ改宗し、一人娘は祖父であるワンフーの元へ預けてアスガルド聖教本部のあるノルウェーへ渡航。高い戦闘能力を買われ、ミリアから獅子十字隊への入隊推薦を受けるもこれを辞退。これまで人を傷つけることに用いてきた手を人を導くために使いたいとの意志を汲み、アスガルド聖騎士団給仕部隊隊長——つまり、聖騎士団の料理長として後進の育成に尽くした。後に彼の元へやってくる〝目つきの悪いガキ〟に拳法と料理のいろはを文字通り叩き込むこととなる。


 暴龍は拳聖と呼ばれ、食を通じて厳しくも優しく若者を導く存在として、病に倒れるまで晩年厨房に立ち続けた。


 その間、リウロンが去ったことで蔓延る悪を取り纏める支配者を失った再開発地区の治安は悪化。また、アルメニアが中東内紛の飛び火や国内のデモやクーデターに疲弊したことで計画自体が頓挫してしまうこととなる。その繁栄が過去の物になってしまった現在。荒廃した街の外観が、かつて中国国内最大規模のスラム街であった九龍城砦に酷似しているのはその為である。


 父の意志と拳を継いだ男に銃を突き付けながら、メイファンは初めてこの男と出会った日のことを思い出していた。


 今から二年前。当時のメイファンは二十七歳。既に父の後を継ぎ、暴龍の悲願だったアルメニア統治を成し遂げるマフィアのボスとなっていた。アスガルド聖教から引き渡された父リウロンの遺体は中国へ返還され、楊家の墓へ埋葬された。しかし、メイファンには父の夢の跡となったジェイルタウンこそが父の墓標であると考えていた。母と出会った街であり、父が龍ではなく一人の人間として生まれ変わった土地。魂の眠る場所なればこそ、不可侵であるべきである。そんな考えから、メイファンはアルメニアを統治したにも拘らずジェイルタウンへは一切干渉しなかったのだ。しかし、そんなジェイルタウンに野獣のように強い男が住み着いたと噂を聞きつけた。


 メイファンはこれに激昂し、虎皇会東欧支部の総力を上げてジェイルタウンへ侵攻した。それは奇しくも現在の状況と非常によく似ていた。違うところがあるとすれば、当時はたった一人の男によって大半の組員がやられたということ。今とは違い、万全な状態のデュランが放つ拳法にメイファンは確かに父の面影を見た。呆気に取られたメイファン率いる虎皇会の面々に対し、デュランはこう言い放った。


『お前ら腹減ってないか? ちょうど今店に並べるメニューの開発をしていたとこだ。本場チャイニーズの感想が聞きてえ。全品味見してくれ。断ったら更にボコる。んで、無理矢理口に詰め込む』


 店という言葉を聞き、メイファンは初めてその小さくボロボロの廃墟が店であることに気づく。確かにそこには屋号を記した看板があったのだ。


『店名? ああ、俺の恩師から一文字取ってんだよ。龍ってアンタらの言葉でドラゴンって意味なんだろ? 生前この辺に住んでたって言ってたからな。恩返しってガラじゃねーんだけどよ。せめておやっさんの味はおやっさんが好きだった街で広めてぇって思ってな。娘がいるって言ってたんだが、いずれはそいつにも食わせてやりてぇなぁ』


 メイファンはこの街が嫌いだった。


 この街の空気に触れる度に次々と思い出してくるからだ。父の思い出や、二年前にこの男と出会った日の思い出。その全てがどうしても嫌いになれないことが嫌いだった。


 初めからわかっていたことだが、やっぱり自分には出来ない。それを確認しただけで終わることさえも悔しいと思えた。自分でも気付いているのだ。この傷だらけの父の面影を重ねる男を殺す事など出来ない、その理由を。


 ただ単に認めたくないだけ。もう夢見るお姫様を気取る歳ではないし、そんなウブな少女は蛇の道を歩む決意をした日にとうに死んだのだ。


 その結果、四捨五入を憎むほどにまで歳を重ねた今も尚、婚期を逃し続けている自分がいるという事実。それもすべて目の前にいる男のせいだと再確認出来た。許し難い事実ではあるが、事実は事実以外の何物でもない。


「……お腹すいたわ」

 

「あ?」


「お腹すいたって言ってるの! あなた料理人なんでしょ。今すぐ何か食べさせなさい!」


「いや、そうしてやりてぇのは山々なんだが。今ちょっと鍋振れそうになくてだな……」


「じゃあいいわ。アレもらうから」


「いや、それ俺の食べかけ……」


 メイファンは奇跡的に無事だったデュランたちが座っていたテーブルへと向かい、デュランが座っていた席へ座る。テーブルには賄いで作った昼飯の食べかけ。すっかり冷めており、騒動の際に舞った砂埃も入っている。とてもまともに食べられる代物ではない事は誰の目にも一目瞭然。しかし、メイファンはスプーンを手にしてそれを徐ろに口へと運ぶ。


好吃おいしい。小さい頃、よく食べた懐かしい味。子供の私が喜ぶからと、ちょっとだけ砂糖を多めにいれた甘めの味付け。砂糖を加えた卵って焦げやすいけど、見事な焼き色に仕上げている。トマトも水分が出過ぎず丁度良いわ。父の教えをキチンと守っているようね。ねぇ、デュラン。あなたやっぱりエデンにいらっしゃいな。こんな店じゃなくて、私の持ってる一流レストランをいくらでもあなたにプレゼントするわよ」


「ふざけろ。俺がいなくなったらこの街の連中が腹空かすだろうが。それにそんなデカい店の管理なんか俺には無理だ。今の店で手一杯なんだよ」


「そうね。あなたにはそもそも料理人が似合わないのよ。いっそマフィアになりなさいな。あなたなら楊家の跡取りとしてお祖父様に口利きしてあげるわよ?」


 この場に集う全ての人間が仰天した。女帝自ら遠回しにデュランを楊家に迎え入れても良いと申し出たのだ。それ即ち、求婚の意以外の何物でもない。しかし、それに気づいていないのは幼いアイラとデュラン本人だった。


「おいコラ。コックを馬鹿にしてんのか! 料理人ってのは人を幸せにする誇らしい仕事なんだぞ!」


「はぁ……馬鹿はあなたよ。女一人幸せに出来ないクセに偉そうに……」


「あ? 聞こえねーよ。言いたいことがあるならもっとでけぇ声で言——痛てぇぇえ!!」


 突如デュランを襲う左腕の痛み。メイファンは先程まで手にしていた銃をデュランの刀傷に目掛けて思い切り投げぶつけたのだ。


「ジェイク。私帰るから怪我人の治療を手配してちょうだい。闇医者グレッグにいくら払っても構わないわ。凶星、あなたも残って腕の縫合をしてもらいなさい」


 メイファンはそれだけ伝えると残りの部下を引き連れて不機嫌そうな面を下げてそそくさと撤退してしまった。


「姉御、フラレタネ」


「余計なこと言うとお前も帰ったら殺されるぞ。おい、デュラン。立てるか?」


 面白そうにクスクス笑う凶星を咎めつつ、ジェイクはデュランに肩を貸す。


「痛っててて、お前らンとこのボス、感情の起伏激し過ぎるだろ。カルシウム足りてねーんじゃねぇのか?」


「お前にだけだ。普段は穏やかで聡明な人さ。それより、何故否定しなかった?」


「なんのことだよ?」


「あの刑事が言っていたことだ。俺は当時、第一師団に所属していた。あの日、現場には居なかったが事故の詳細は全て聞いている。兵器が暴走した事故だと何故真実を語らない」


 肩を貸しながらジェイクはデュランに問う。デュランは少しだけ鼻で笑うとこう答えた。


「言ったら何かが変わるのかよ。一個人の発言なんざアンクル・サムの前では妄言同然。身内だったってんなら、そこんとこは俺なんかよりよく知ってるだろうが。だからアンタもマフィアなんかに堕ちたんじゃねぇのか? なんかバカみてーに生真面目そうだもんな」


「フッ……そうかもしれんな」


 虎皇会の介入にて、ジェイルタウンでの騒動は一応の収拾がつくこととなった。

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