第43話 奇縁

 幾百の視線、殺気、そして銃口が二人の人間に向けられている。デュランと氷室の背中を伝う寒気という名の死の直感。それが実感に変わるのは、二人の前に立つ女の気分一つであるということはアシュリーとアイラ以外のこの場に集う全ての人間は理解していた。


 こうなると悪党たちは皆、口を噤んで二匹の獣に願うしか出来ない。「どうか女帝の気分を害してくれるな」と。メイファンはいつものようにニコニコと微笑んではいるが、明らかに雰囲気が殺気立っていた。そうでなければ、兵隊を総動員してジェイルタウンを包囲する筈がない。明確にモメる意思があるということを示している。だからこそ、願うしかないのだ。標的となっている二匹の獣の言動次第では、傍観する側にも女帝の気まぐれが降り掛かる可能性も決してゼロではないのだから。


「すっこんでろ女狐。貴様には関係ない。男の戦いに女が割り込むな」


「悪いがメイファン。その点に関しては俺もポリ公と同意見だ。邪魔するならテメェから先にぶっ倒させてもらう」


 嗚呼、死んだ。もう終わった。


 氷室とデュランが女帝についた悪態に対して、集った悪党たちは皆一様に二人の死を確信した。あとは賭けである。挽肉が二人分で済むか、それ以上か。しかし、悪党たちの憂慮とは裏腹にメイファンの返答は実に意外なものだった。


「あっそ。だったらいいわ。私があなたたち二人に牙戦を申し込むわ。あなたたち、後はよろしくね」


 メイファンが指を鳴らすと、横に控えていた筋骨隆々の大男が一歩前へ出た。メイファンの右腕、ジェイク・ハワード。武闘派の虎皇会において、歴代二番目に喧嘩が強いとされている。その所以は、彼が元は軍人であり戦闘のプロフェッショナルだからである。戦場で培った胆力と実戦で磨かれた軍用近接格闘術を用い、凡ゆる局面をその拳で打開してきた経緯はデュランと類似している。


「アンタとはいずれ闘り合う予感はしていたが、まさかこんなとこで叶うとは思わなかったよ。良い機会だ。拳で語り合おうぜ」


「今の貴様になら負けはしない。悪いことは言わん。退け」


 満身創痍ながらも闘志を向けてくるデュランに対し、ジェイクは冷淡にそう告げた。直後、デュランはジェイクに向かって爆ぜるように飛び掛かる。出血を伴う深傷を負っている為、長期戦は不可能。全体重を乗せた拳を叩き込み、一撃で倒すしかデュランに手は無かった。デュランの拳はもうジェイクの鼻先にまで迫っている。しかし、ジェイクは避ける素振りも構える素振りも見せない。デュランの拳骨がジェイクに触れる直前で、一発の銃声が響く。


 デュランの右大腿部を貫いた二十二ロングライフル弾。配備していた虎皇会のスナイパーによる超遠距離からの援護射撃が的確にデュランへ命中。空中で体勢を崩したデュランは、ジェイクの足元に倒れて撃たれた太腿を押さえていた。


「今度は俺が相手だデカブツ。銃弾ごとブッタ斬ってやる」


 軋む身体に鞭を打ち、氷室はジェイクへ向かって間合いを詰める。握った柄を引くと同時に鞘を走る刃。初速は充分。刃が完全に鞘から出れば、ジェイクの分厚い筋肉、太い骨をまるで豆腐同然に斬り捨てられる。それほど理想的な居合いの動作に入った氷室とジェイクの間に突然割り込んで来たのは、黒装束の薄気味悪い不気味な女。メイファンの側近の一人、凶星であった。


 勢いが付いた刀はもう止められない。氷室は躊躇うことなくそのまま凶星へ向けて斬りかかった。肉を斬り裂く感触と骨を絶つ感触。人を斬ったという鮮明な感触が刀越しに氷室に伝わった。速すぎる斬撃の後に続くように、ボトリと重たい物が地面に落ちた音と勢いよく血飛沫が上がる音が聞こえた。氷室が斬り落としたのは、凶星の右腕だった。凄惨な光景に思わずアシュリーは目を背けて、ウィリアムは咄嗟にアイラの目を塞ぐ。しかし、斬られた凶星本人は異様な反応を示していた。


「アァ……モット……モット痛ミヲ……モット傷ヲ」


 恍惚の表情、荒く艶しい吐息。落ちた腕を一瞥もせず、ただ氷室を見つめていた。


「不気味な女め。そんなに斬られたければ、お望み通りいくらでも斬り刻んでやる」


 氷室が鞘に収めた刀を再度抜こうとしたその時、ある違和感を覚えた。深傷を追った凶星を援護するどころか、ジェイクは凶星を置いて退がっていったのだ。まるで、この場にいることを避けるかのように。その刹那、氷室は周囲に漂う甘い香りに気づいた。むせ返るような媚薬にも似た雌の匂い。その香りは斬られて興奮しているマゾヒストの女の身体から放たれていると悟った時にはもう手遅れ。氷室の視界は霞み、意識は朦朧とし、遂には立っていられなくなり刀から二撃目を放つ前に倒れてしまったのだった。


「凶星の一族は代々暗殺を生業にしているの。一族に産まれた女児は幼少の頃より定期的に少量の毒を与え続けられ、成長の過程で体内に猛毒を宿す。彼女の体液はそのまま毒液であり、興奮時に身体から放たれる芳香は毒ガスと同じ。特に異性には強烈に効くわよ。あの程度ならせいぜい一時的な麻痺で体の自由を奪う程度の毒性だから安心して寝てなさいな。毒性は彼女の興奮の度合いに比例して強くなるから、あのままもっと攻撃を加えていたら流石に死んじゃってたかもね。彼女、病的なまでのマゾヒストだから」


 メイファンは依然ニコニコしながら説明するが、肝心の氷室には聞こえていない。デュランの放った寸勁を受けて動けたことが既に奇跡なのだ。毒の追撃を受けて再び立ち上がる余力などあるはずもない。


 しかし、まだ立ち上がる者はいた。


「まだ……まだだ……俺は……まだ闘える」


 左腕と右足に風穴二つ。血は依然と流れつづけており、顔面は既に蒼白。呼吸も浅く小刻みに行なっていた。紛れもなく、出血性ショックの症状である。


「来いよ、全員まとめて相手してやる。俺はまだ死んじゃいねぇぞ」


 命の危険性で言えば、氷室よりもデュランの方が重症である。血を流していた時間が違うのだ。それにも拘らず、依然と立ち上がりまだ拳を握らんとしている。弱々しく既に死に体であったデュランだが、その金色の瞳に宿す闘志は反比例するかのように爛々と強い輝きを放っていた。


「デュランノ旦那、マダヤル気ネ。チョット寝カセテ来ルヨ」


「待ちなさい凶星、あなたは下がってて」


 メイファンはそう言うと、一人でデュランの前へと歩み寄った。


「ねぇ、デュラン。牙戦の由来、知ってる?」


 メイファンはデュランの頬を柔らかい両手で優しく包み込んだ。まるで、愛しい男に口づけをするかのように。しかしその直前、優し気な雰囲気とは打って変わってメイファンはいきなりデュランの口を力一杯に無理矢理こじ開けたのだ。


「勝者は負けた相手の八重歯を。つまり、牙をへし折るの。二度と勝者に歯向かう。牙を剥くことの無いようにという意味でね。その風習は創始者の代以降は廃れて牙戦の名前だけ残ったらしいけど……あなた、歯医者好き?」


 デュランの犬歯にゴツリと重く固い感触と冷たい鉄の味が染み渡る。銃口が口内へと押し当てられていた。引き金が引かれれば、歯医者だけで済む筈がない。殺意が宿ったメイファンの瞳にデュランはある男の面影を重ねていた。デュランは銃を持つメイファンの手を掴むと、口から引き離して己の額にあてがわせた。


「……お前のその目、本当にそっくりだな。殺れよ。このクソダサい名前が付いた争いの歴史はお前で終わらせるのが筋だ。お前が王座を継ぐのが本来あるべき形なんだからよ。おやっさんはそれを望んでいないかも知れないけどな」


 デュランが言うようにこの争いの歴史と虎皇会。もとい、メイファンには深い縁があった。そしてその縁とは、奇しくもデュラン本人とも繋がっている。


 牙戦の歴史を伝える上で、まずは劉龍リウロンという男について語る必要がある。そして、この男の経歴はジェイルタウンの歴史そのものと言っても過言ではないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る