第42話 牙戦の行方

「ほう、まだ立ってくれるか。そうでなくてはつまらん。軍隊相手に立ち回った実力はこんなものではあるまいよ」


「お前が昔のことをベラベラ喋って嫌なことを思い出させてくれたおかげでようやく目が覚めたぜ。すっかり待たせちまったな。続きといこうじゃねぇか」


 フラつきながらも前へ進もうとするデュランの右腕をアシュリーは掴んだ。


「もうやめてってば! こんなに血を流して。本当に死んじゃうよ。なんで二人が争わなきゃいけないの。わかんないよ……あいたっ!」


 泣きそうなアシュリーの額にデコピンを見舞うと、デュランはアシュリーにこう訊ねた。


「おい、そういやさっきイルミナとなんか喋ってたな。あいつなんか言ってたか?」


「いったたた。えっ、イルミナさん? あぁ、そう言えば天気に気をつけろって言ってた気が。豪雨が何とかって……」


 デコピンを受けた額を摩りながらそう答えたアシュリーをウィリアムの方へと突き飛ばし、こう告げた。


「お前らはさっさとどっか建物の中へ隠れてろ。死にたくなけりゃあな!」


 この牙戦は貴族や上流階級が行なう名誉の為の果たし合いや決闘とは明確に違う点がある。それは〝他者の介入が許容されている〟ということ。野良犬同士の争いの延長から派生した下等で過激な争いに、そもそもきちんとしたルールが制定されているはずがない。特にこの街には、隙あらば王者の寝首を掻こうとする輩が常にいる。殺し殺され、また殺す。命の回転率が非常に早いため、この牙戦で一年以上王座に君臨し続けられた者は創始者とデュランの二名のみ。単純な腕っ節の強さだけではなく、この牙戦という仕組みを理解し利用出来るかが鍵となる。そしてデュランはアシュリー伝手に聞いたイルミナの情報から、もうじき起こる出来事を推測した。豪雨と聞いて思い浮かぶ人物は、このジェイルタウンには一人しかいない。


「見ィつけたぞォ! クソポリス!」


  頭上から聞こえた野太い声。見上げると、香龍飯店の屋上に立つライガン並みに大柄で粗暴そうな男が一人。最も異様さを放っているのは男の右腕。肘から先に連射砲が装着されていたのだ。男の名はハンス・リンドバーグ。ガトリングビーストの異名を持ち、ビューティ&ビーストと呼ばれる連続強盗犯二人組の片割れである。


「今こそハニーの仇を討たせてもらうぜェ!」


 ハンスは右腕のガトリング砲へ弾帯を装着すると、地上の氷室へ目掛けて乱射し始めたのだ。頭上から降り注ぐ鉛玉の雨あられはまさしく豪雨。数発程度の銃弾なら瞬時に斬り落とすことが出来る氷室とはいえ、超高速でばら撒かれる連射砲の弾全てに対応することは不可能。逃げ回りながらハンスの乱射を撹乱するしか出来ない氷室は、道中で投げ捨てた鞘を回収して近くの廃墟の中へと急いで身を隠した。


「どこへ逃げやがったぁ! 出てこいアイスエイジ!」


 怒り狂ったように地上へ向けての無差別乱射を続けるハンス。彼が言うハニーとは、ビューティ&ビーストの片割れである鞭使いのベル・トリーヴァという名の女盗賊のことである。かつてエデンの宝石店に強盗で押し入った二人を制圧したのが氷室であった。捕らえられる寸前でベルは氷室の隙を突き、身を挺してハンスを逃したのだ。結果、相棒のベルのみが逮捕されてしまい彼女は今もなお投獄されている。その一件から並々ならぬ憎悪を抱いていたハンスにとって、宿敵である氷室がわざわざこちらへ来てくれるという千載一遇の機会を逃すはずがない。


 思わぬ助っ人の参戦。負傷の不利を補って余りあるほどデュランに有利な展開。しかし、それも決して長くは続かなかった。


「おい、てめぇ何してるかわかってんのか?」

 

 ハンスは不意に背後から声をかけられ振り返る。すると、そこには左腕から血を滴らせているデュランがいた。


「おぉ、チャンプ! 悪いが奴は俺の獲物だ。あんたはすっこんでて——」


 ハンスの言葉を遮るデュランの右手。強靭な握力で顔を鷲掴みにし、万力の如く締め上げていく。頬骨がみしみしと音を立て、鈍い痛みが顔面に響く。両足が地面から離れた時、初めてハンスは己が片腕のみで持ち上げられていると悟った。


「店先でハジくなって常々言ってたよなぁ? こっちは嫌なこと思い出しちまってんだよ。加減は出来ねぇぞ。死んでも恨むなよ」


機関銃を含めて百五十キロにも及ぶハンスの身体が地上へ向かって急降下していく。デュランはハンスの顔を掴んだまま、大きく振りかぶりボールのように投げ放ったのだ。投げた先は氷室が逃げ込んだ廃墟。投げられたハンスはまるで砲弾のように廃墟の壁を破壊し、そのまま起き上がることはなかった。


「わざわざ自分から有利な状況を蹴るとは。そんなに死にたいのか?」


 土煙が立ち上る廃墟からゆらりと氷室が出てくる。刀は鞘に収められており、新しい煙草に火をつけている最中であった。デュランは店から飛び降りると、氷室へ向かって右手の中指を立てる。


「ごちゃごちゃ抜かしてんじゃねーよポリ公。さっさとかかって来い。一撃で仕留めてやるからよ」


 デュランの挑発に氷室が乗った。腰の刀に手をかけ一気に詰め寄る氷室を見て、ニヤリと笑ったデュランは氷室に背を見せて走り去る。その先にはこの騒ぎを肴にテーブルで未だに飲み食いしている二人組、噛み切りジョージと空き巣王サマンサがいた。二人はこちらに向かってくるデュランと氷室を見て真っ青な顔をしていた。


「よう、いい酒飲んでるじゃねぇか。俺にも一杯よこせ」


 食器やグラスが並んだテーブルへ頭から突っ込んだデュランが手にしたのは、サマンサが持ち込んだ酒の瓶。それを徐に掴むとラッパ飲みし始めた。


「酔拳でも拝ませてくれるのか? それとも死ぬ前に一杯やりたくなったか? いずれにせよもう終いだ。その首、貰い受ける」


 氷室の刀が鞘を走るその前に、デュランは口に含んでいた酒を氷室へ向け吹き掛けた。今更目潰し如きでは氷室の斬撃は止められない。しかし、デュランの狙いは別にあったのだ。


「テメェもちったぁ禁煙しやがれ」


 デュランが呟くと同時に火炎に包まれる氷室。流石の氷室も攻撃の手を止め、たまらずのたうち回る。デュランが吹き掛けた酒はスピリタスという名の蒸留酒。アルコール度数九十六という世界一度数の高い酒として知られている代物だ。酒のカテゴリーに含まれてはいるが、成分的には純粋なエタノールに近い。それ故に氷室が咥えていた煙草の火でさえも容易に引火してしまうのだ。


「ただだ、大丈夫ですか氷室さん!?」


 火だるまになった氷室に向けてアシュリーは咄嗟に近くに落ちていた消火器を使う。先程ならず者たちが投げ入れた凶器の一つだ。ピンク色の消火剤が煙幕のように立ち上る。勝負ありかと誰もが思ったその時、煙幕から飛び出してきた氷室がデュランの首元に目掛けて鞘から刃を抜き放った。


「なにっ!?」


 氷室の一閃は空を斬り裂いたのみ。そこにデュランの首は無かった。


「待ってたぜ、この間合いを」


 声のした方へと目線を下げる。そこには腰を落として屈んだ状態のデュランがいた。デュランは呼吸を整えると、人差し指指の第二関節だけ立てた右拳を静かに氷室の鳩尾付近へとあてがった。


「ぶっ飛べ!」


 ズドン、と鈍い音が響き渡る。デュランが地面を力一杯に踏み込んだ音。そして氷室に叩き込まれた打撃の音。氷室の姿は既にデュランの前にはなかった。打撃を放ったデュランの足元には土煙が舞っている。震脚と呼ばれる体重移動を基礎とする独特な足運び。踏み込んだ足の力を拳に乗せ、拳を通して相手の体内に衝撃を浸透させる超短距離打撃。寸勁と呼ばれる打撃法であり、脱力状態から放たれる最大級の一撃はまともに受ければ立つこと叶わぬ。デュランの師が最も得意としていた拳法、八極拳の技である。


「久しぶりにやってみたが、やっぱり俺には合わねぇな。おやっさんみてーに上手くは打てねぇ。踏み込みが甘かったか」


 凄まじい打撃を受けて廃墟の壁に叩きつけられるほど吹っ飛ばされた氷室は、吐血しながらもゆっくり立ち上がった。しかし、足はガクガクと震えており気力だけで何とか持ち堪えている様子。デュランもまた左腕のバンダナからは絶えず血が滲み滴っているため、先程の一撃が最後の切り札であった。


「まだ……終わってない……ぞ」


 満身創痍になりながらもデュランを睨む氷室。それを受け、デュランもまた大量出血でショック状態寸前の重くなった体を奮い立たせてゆっくりだが一歩ずつ確かに氷室へ詰め寄る。


「上等じゃねぇか。トコトンやってやるよ」

 

 意地と意地のぶつかり合い。精神だけでお互いに身体を動かしている状況。次の一撃で確実に命を落とす。誰もがそう思った矢先、一発の銃声が高らかに響いた。


「はぁいそこまで。戦闘をやめなさい。さもないと二人とも撃ち殺すわよ」


 氷室に続いて更なる大物の登場に、この場に集いし悪名高きエデンの住民たちが皆一斉に震え上がる。いつの間にか周囲は数百名以上の黒スーツの集団に取り囲まれていた。彼らは全員虎皇会の構成員であり、死をも恐れぬ戦闘集団。それを従えて乗り込んできたのはエデンの女帝、メイファンだった。

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