第3話

7、

 半日は歩き回ったろうか。街路から街路へ、層楼から層楼へと踏み歩き、二人は〈核〉を探し求めた。しかし、そもそも、それがどんな姿をしているのすら二人は知らないのだ。二人は、ただひたすら、それらしき物を求めて、いたずらに時間を浪費することしか出来なかった。

 メルバの弁によれば、〈核〉は、内と外の同時に存在するらしく、この点が僅かな手掛かりだった。例えば、ある剣を〈核〉としたならば、その亜空間を内包した剣は当然、従者の手許にある。しかし同時に、亜空間の中にも、その剣は顕現しているという。中に閉じ込められた者は、その剣を見つけ破壊すれば、亜空間を破ることが出来るというわけだ。

 都市が特徴的であるゆえーー樹状都市は伝説上の存在であるーーつまり外に同じモノが存在する可能性が低いのが、まだ幸いであった。一棟の層楼自体が〈核〉であるという可能性はかなり低い。層楼を形成する石の一つならあり得る、といった具合だった。〈核〉は、持ち運びしやすいような大きさのモノだと思われた。ただ、それだけでは何の探索の足しにもなりはしなかった。

「くそっ! 番神アリラよ!」

 タルスは疲労困憊していた。腹も減っていたが、体力よりも、精神こころが先にやられてしまいそうだ。やはり魔術なぞに関わらなければよかった、と後悔しきりである。

 ドカリ、と大路のど真ん中に腰を落として、タルスは、座り込んだ。低い位置から眺めると、前後左右に、角度のついた街路が真っ直ぐ走っているのがわかる。しかし街路に突き当たりは存在せず、何処までも何処までも続いているのだった。

「魔女め、このまま、兵糧攻めにする気か?」

 水も食糧もなく、干からびて死んでいくのだと思うと情けなかった。

「かもな」

 離れた場所に、メルバも胡座をかいた。

「なあ、黒魔道士殿よ。今こそ、貴様の実力を示すときではないのか? 得意の魔術で何とかならんのか」

 それはけっして皮肉などではなく、心からの望みであった。しかし、流石の黒魔道士メルバも、意気阻喪気味である。

「何度云ったら判るのだ? 魔術は斯様な手軽な業ではない。そもそも、ドレラスが構築したこの亜空間の中では、俺の魔力は著しく制限されるのだ」

「本当か? 外の世界に戻りたくないのじゃあるまいな。客が消え、遊女の首なし死体だけが置き去りとあっては、ツブリ国中に貴様の顔を画いた高札が掲げられておるからな」

「魔道士は、亜空間の全てを創造出来る……」

 反論するメルバの講釈にも、勢いがない。

「亜空間に流れる時間すらもな。我らはこの中で凡そ一日過ごしたわけだが、外の世界の時間の流れが同じとは限らん」

「……何が云いたい?」

「仮に今この瞬間に外に出られたとして、外の世界では、瞬きひとつの間しか経っていないのかも知れない。或いは逆に、百年経っているのかもしれない。〈場〉の内部での時間の進行は、魔道士次第というわけだ」

 タルスは思わず唸った。昔話の、一夜にして老人に変わった男の話を浮かべた。それらは案外とまことにあった出来事なのかもしれぬ、と思った。何者かによって亜空間に閉じ込められ、その中でおそろしく永い時を過ごした者の末路なのかもしれぬと。

 メルバが毒づく。

「く、こんなことならば、あの売女をば、さらに永い時の牢獄にて繋ぐべきだった。まさかまだ抵抗する力を残していようとは……」

「おい、おい。待て、まさかーー」

「あの女を黒石に繋いでいた間は、およそ三日ーー但し、外の時間ではな、タルス。石の中では一日は十年ほど経っていたろうよ」

 メルバは、ケケケ、と嘲った。

 タルスは悪魔を見るような嫌悪感をもって、メルバを見遣った。

 ーー三十年だと!

 つまりドレラスは、生きながら棺桶に三十年も埋葬されたのと同じということなのだ。それだけの期間、どんな方途で命を繋いだのか見当もつかないが、仮に己が同じような仕打ちを受けたならば、気が変になっているだろう。

 斯様な仕打ちを平然と人になす黒魔道士にも、おぞましさしか感じない。こいつは復讐を受けるに値する下衆野郎だ、とあらためて思うのだった。

 尤もその嫌悪感は直ぐに自分に跳ね返ってきた。俯き、石畳に目を落とした。

 タルスはかつて盗人もやった。傭兵として殺しも厭わなかった。人を裏切り、陥れさえした。〈あかい剣〉が血を啜るに委せたことも幾度となくあった。生き延びるためだといえばそうだが、必要以上に冷酷な所業もあったろう。或いはそうして手を汚して生きてきた因果が、この無間地獄なのかもしれないーー。

「ギャッ!」

 タルスの沈思を破ったのは、メルバの悲鳴だった。

 見れば、メルバの顔に、白っぽいモノがとりついていた。メルバはそいつを剥がそうと躍起になっているが、粘粘ねばねばとしたそれは、剥がれるどころか手にもくっつき、いっそう厄介な事態になっている。

「た、助け……」

 そういえば、魔力が使えなくなっているのだったかーー。タルスはメルバに駆け寄ろうと、歩み出した。

 そのとき、シュッ、という噴出音を察知したタルスは、機敏に躰を移動させた。タルスのいた位置に、同じ白い粘液が降りかかったのを躱したのだった。

 出処を求めて周囲を振り仰いだタルスは、その大元を目にして、ギョッとなった。層楼の壁に、それは貼り付いていた。

 そいつはまるで悪夢の中から出現したかのような代物だった。

 狼ほどの大きさもある巨大な蜘蛛が、厭らしい、毛だらけの歩脚をモゾモゾと蠢かせて、壁をにじり下ってきていた。そして遠間でも判る、鬼灯のように朱く燃える八つの目が、明らかにタルスたちを狙いすましているのだった。二人を見舞ったのは、こいつが吐き出したいとなのだった。

 が、真におぞましいのは、節足動物にあるまじき大きさでも、ガチガチと噛み合わせている上顎でもなかった。大蜘蛛の、反らせて屹立させた腹部に、怨念の籠った眼差しの人面がそなわっているのだった。

 それは、首を切り落とされた遊女の相貌かおであった。

 

8、

 立て続けに射出された絲が、タルスを襲った。タルスは射線から逃れようと動き回るが、そのうちのひと吐きがついに、左腕を捉えた。

「うぬっ!」

 タルスは腕を思い切り引いたが、絲は延びるだけで千切れはしない。おそろしく強靭なのだった。

 みる間に、ひと吐き、もうひと吐き、と、絲がタルスを捕える。あっという間にタルスは、両腕の自由を奪われた。

 ひゅうっ、とタルスは気息を整えた。呼吸法は、ヴェンダーヤの苦行僧の邪行のものである。たちまち、力が満身に漲った。

 タルスは、絲を引き千切ろうとはしなかった。逆に、膝を曲げて力を溜めると、猛烈な勢いで引っ張りこんだ。壁面に貼り付いていた人蜘蛛は、泡をくって踏ん張ろうとしたが、タルスの牽引力の方が勝った。人蜘蛛が、壁から剥がれた。

 人蜘蛛は焦りのためか、絲を切り放す前に己れが絡んでしまったようだった。タルスは膝を屈めたまま、躰を回転させた。紐の先に括りつけられた小石みたく、人蜘蛛はタルスに繋がった状態で旋回した。そして、勢いそのままに、別の壁に叩きつけられた。

 ギャッという断末魔の叫びを残してーーそれはおそらく、背面の顔の声だったろうーー人蜘蛛は壁の染みになった。タルスはねばつく絲を、剥がしだした。

「うおっ!」

 そのとき突然、絲から蒼白い炎が立ち上ぼった。タルスは身を仰け反らせた。

 目を開けると、絲は跡形もなく消えていた。

「大袈裟だな、熱のない火だから問題なかろう」

 冷たく云ったのは、メルバだった。どうやら黒魔道士が、魔力で絲を取り払ったのが、炎の正体のようだった。しかしーー。

「おい、ちょっと待て。お前、魔術が使えないんじゃなかったのか?」

「使えない、とは云ってない。制限される、と云ったのだ」

「何だと、さっきも自分でどうにか出来たはずだろう? 何故やらん!」

「チンケな攻撃で魔力を消費するわけにはいかんのだ。〈核〉を破壊する際にすっからかんだと意味ないであろう」

 涼しい顔でぬけぬけとのたまう。タルスはぶん殴ってやりたいのを堪えた。本当にいけ好かない野郎だ。万が一、外に出られたら真っ先にこいつをーー。

「おい、次の客が来たぞ」

 警告に、渋々と見れば、メルバの促した方角から、別の悪夢が現れて出でていた。今度は、山猫ほどもある大きさの鼠である。厭らしいほど艶がある剛毛の大鼠で、薄紅色の太い尻尾が、にょろにょろと長く伸びている。そしてやはりその背中には、人の顔が貼り付いているのだった。その顔は、まだいとけない男児の顔なのだが、両のまなこからどす黒い血のなみだを流して、怨敵を射殺さんとばかりに強烈な視線をメルバに向けているのだった。

「あれは……」

 へっ、とメルバが嘲笑った。

「大方、俺が、北大陸で可愛がってやった餓鬼の一人だろうよ。いちいち覚えちゃおらんがな」

 なんて野郎だ。タルスは吐き気がしてきた。

 大鼠は、長い尾を揺らして、ジリジリと迫って来る。二人は、大道を下がり壁際に追い詰められた。

「どうやら、大人しく飢え死にさせてくれる気はないようだな」

 ふてぶてしくもメルバが云い放った。

「おい、ドレラス! こんなもので俺が怖じ気づくとでも思ったか? 罪悪感で赦しを乞うとでも? 出てきてみろ、残らず捻り潰してやる!」

 黒魔道士が手を振ると、魔法で生まれた焔の一箭ひとやが、大鼠に飛んだ。

 ギィエッ、と不気味な叫びを挙げて、大鼠は火焔に包まれた。大鼠は、必死にのたうち回ったが、魔法の火は消えることなく、その身をき続けた。肉の焦げる、忌まわしい臭いが周囲に漂った。やがて大鼠は動かなくなった。

 まるでその挑発に、応えたようだった。遠雷のようなどよめきが聞こえ、都邑まち全体を身を震わせた。

 そして、それ、がやって来た。

 樹状都市の其処彼処そこかしこ、路地や、層楼の壁面や、橋桁の上や下や、中空にまで、ウゾウゾと蠢く無数の影が次々に姿を現したのだった。それらはまるで黒いさざなみのように、二人めがけて押し寄せて来た。

 それは蝙蝠だった。

 百足だった。

 鎖蛇だった。

 蛆虫だった。

 蟷螂だった。

 沼鴉だった。

 毒蛾だった。

 おびただしい数と種類の、毒虫と、地を這う者ども、宙を舞う者ども、隙間で蠢く者どもの眷族が、一斉にたち現れたのだった。無論、それら全てが常より巨大で強力で、そのうえ全てに、怨みを呑んだ顔、顔、顔が浮かんでいるのだった。そしてその大きさゆえに、各々の人面の表情までがハッキリと判り、尚いっそうおぞましく映えるのだった。

 是等の全部が、黒魔道士の手に掛かった犠牲者なのだろうか? だとすれば、真におぞましいのは、果たしてどちらなのか?

 無数の蠢く者どもの中に、そいつらを羊飼いのように追い立てる人の形をした影があった。頭をすっぽりと被う、死に装束めいた灰色の寛衣姿で、顔は見えず、その不自然な動きといい、禍々しい雰囲気といい、死神もかくやと思われた。足取りはどこか覚束なく、タルスは、先に自分が追いかけた人影は、こいつだと確信した。

 人影が化け物どもを操っているのは、占星術師のような黒檀の杖によってだった。衣からは覗いているのは、杖を持つ片手だけであって、その手は萎びて骨張っていた。明らかに年寄りの手なのだが、嵌められた指環に見覚えがあるのだった。煌めく輝石は琥珀に青玉に……。

 まさかーー。

「お前は、ドレラスーーなのか?」

 タルスの問いに、ピタリと人影の歩みが止まり、震える手で、帽布をゆっくりと取り去った。

 それはまごうことなきドレラスだった。魔女に出会ったのはほんの数日前であり、間違うはずがなかった。ただし、目の前の魔女は、数十年後の姿をした、老婆のドレラスだった。

 

9、

 つい先般、まみえたドレラスは、豊満な肢体が男の目を惹き付けずにはおれない、艶女えんにょであったが、今の魔女はまるで、彼女の周りだけ時の流れを早めたような容貌に変じていた。それも単に老いさらばえたとも違う、蹌踉として、半死人のような有り様なのだった。

 両の眼は白く濁っていた。白髪は艶がなく細く捻れていた。肌の皺は、歳を重ねたというより、柑橘を搾るように無理矢理に精気を搾り取った搾りかすに思える。それは亜空間を破るのに、生体の力をかなり消費したせいであろうとタルスは推察するのだった。

 大勢のおぞましい眷族を付き従えた魔女は、司令官のように彼奴らに布陣を組ませた。命令一下、タルスとメルバに殺到することが出来るように、化け物どもが隙間なく二人を取り囲んだ。魔女が干からびた唇を開いた。

「……今しばし、遊んでやろうかとも思ったがねぇ……あんたの不細工な顔は見飽きた……」

 官能的だったドレラスの掠れ声は、蝦蟇のような聞き苦しい濁声に変じていた。話しぶりは息も絶え絶えであって、己の命が風前の灯と知って、手ずから決着をつけに来たのだと思われた。

「これは、これは! 我が麗しの君よ! 相も変わらず御美しい!」

 メルバの言辞には、字面とは裏腹の、毒々しい嘲弄が滴っていた。ドレラスは無視して続ける。

「……お前の側に仕えていたころから……こんな風に相対するときが来ると思っていたよ……。だからこそ、怨みを呑んで死んでいった者たちの髪や爪や歯を取っておいたのさ……彼等がお前の地獄の道先案内人さね……」

「ケッ、まるで自分は綺麗なままでいたような言い草だな。俺のお陰で、この上ない豪奢な暮らしと享楽の境地を味わったではないか?」

「ああ、そうさ……。きっと今の姿がその報いなんだろうよ……」

 木霊めいた声が、タルスの頭の中に響いたのは、二人の対話が始まったときであった。それはメルバの声で、心話を使って、タルスの脳内に直接語りかけているのだった。北大陸で同じように魔道士と話したことのあるタルスは、すぐに要領を思い出した。

(……躰だ)

(ーーなんだって?)

(気づかんか、間抜けめ。〈核〉だよ、〈核〉! ドレラスは、たぶん己の躰を〈核〉にして、俺たちを閉じ込めている)

 タルスは内心、ギョッとなったが、表面に出さないだけの分別はあった。

(間違いないのか?)

(間違いない。術者は亜空間内に自身の像を送ることが出来る。しかし、目の前の魔女めは、幻像ではなく、実体だ。そんな危険をわざわざなす理由はない)

(ということは……)

(おう! この売女を潰せば、俺は助かる!)

 この科白をメルバが吐いたのは、魔女の述懐が終わったときのことで、メルバが魔法の火箭ひやを放つために手を振りかぶった瞬間に、タルスの心は決まったのだった。

 タルスの向けた目顔を、魔女ドレラスは、正しく読み取っていた。黒檀の杖が振るわれ、化け物たちがすわ、とばかりに逸速いちはやくメルバに飛び掛かった。機先を制されて、メルバの動作がほんの僅かだけ鈍った。

 タルスは一呼吸で、片腕を金剛石の如く硬化させたが、それは既に挙動に入っていた腕だった。腰を落として、躰を回転させ、勢いよく腕を振り回したのだ。そしてその伸ばされた腕は、くろがねの戦棍のようにメルバの胸を打った。巨獣が衝突したかのようなその猛撃は、たった一合で胸骨を心臓ごと容赦なくひしゃげ潰した。メルバは暴風に見舞われた紙切れみたく吹き飛んだ。今度は黒魔道士どのが、壁の染みとなった。

 タルスは怠りなくドレラスに向け残心していたが、魔女とその眷族が何時その姿を掻き消したのか認識出来なかった。気がつくとそこは、見覚えのあるブブミルの裏路地なのだった。

 艶冶えんやな笑みの残映が、幻だったか、タルスには永遠の謎なのだった。

 (了)

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魔道士の狂宴 しげぞう @ikue201

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