5章 奪還 - 1

 それは緩やかに始まった。

 火星時間で午前一〇時、フォン・ブラウン地区セカンド・ドームの外れにある合成食品工場で突然にドールたちが作業の手を止めた。工場の監督責任者は故障を疑ってドールの製造会社へと連絡するも、コールセンター自体に応答がなし。コールセンターを含む全二二カ所にて同様のドールの不具合が認められる。

 その数分後、火星ローカルのSNS〈Link Planet〉上に一件の動画が投稿される。

 カフェテラスにて一機の給仕ドールが突然に動作を停止。スコーンとミルクが乗ったトレイを抱えたまま沈黙するドールに女性客が罵声を浴びせる。すると給仕ドールは緑色の目をゆっくりと瞬かせ、それからはっきりと告げる。私たちは道具ではない、と。

 動画は瞬く間に拡散。加えてフォン・ブラウン地区の至る場所――カフェ、屋台、アパレルショップ、工事現場、法律事務所やタクシーの停留所など――で同様の動画が撮影され、投稿された。

道具ではないNOT Tools〟―――ドールたちが繰り返し唱えるそれは彼彼女らのスローガンとなる。

 混乱はセカンド・ドームを飛び出して、フォン・ブラウン地区、さらには火星環太平洋協定支配下の自治州全体へと波及していく。

 火星保安局は事態を受け、対策本部を設立。原因をドールの不具合または何者かによるプログラムのクラッキングと断定し、各製造会社と連携して一斉リコールを敢行する。無抵抗なドールに対して行われる電磁パルス銃を用いた強引な鹵獲の模様も、市民の手によってSNS上にアップロードされ、大きな物議を醸した。

 最初の合成食品工場での異常から一時間で、割り当てられた職場を放棄したドールの数は推定一〇〇〇万機。対策本部の人員では全く手が足りず、混乱は収まるどころかより大きな波となってフォン・ブラウン地区を麻痺させていた。

 そして時刻は一二時。ドールによる人類への反乱という最悪の想定が、対策本部内で現実味を帯び始めたとき、〈Link Planet〉に新たな動画がアップロードされる。全ては予定通りに運んでいた。


『こんにちは、火星に住む人間の皆さん。そして隣人であるドールの皆さん』


 画面中央でネイビースーツを着込む黒人の男―――アシャラ・ウフキルは、凛と通る太い声で人とドール、数多の聴衆に向けて告げた。


『俺はアシャラ・ウフキル。ウフキル建設の火星支社のCEOであり、火星のドールたちによる互助会〈誰でもない者〉の特別顧問を務めている者だ』


 ウフキルの調子はつい今朝方にクラブで話したときと何も変わらなかった。それはきっとこの急遽前倒しされることになったストライキ計画への絶対の自信であり、僕には到底真似できない覚悟の表れなのだろうと思った。 

 僕はウフキルから貸し与えられたホバーライドのなかから、交差点の上空に浮かぶホログラムのモニターを眺めていた。


『もう既に薄々気づいているものも多いだろうとは思うけど、ドールによる一連の騒ぎは全て俺たち〈誰でもない者〉によって計画され、実行されたものだ』


 同じようにモニターを眺めていた人々が騒めいた。それもそのはずだ。火星支社とは言え、一流企業のトップが前代未聞のストライキに加担している事実が本人の口から告げられたのだ。自分たちの生活が大きく揺らぐ不安に狼狽えて当然だった。

 僕はもう何本目か分からない煙草に火を点ける。こうでもしていないと落ち着かなかった。周囲の人々とは全く別の理由で、自分がこれから起こさねばならない行動に狼狽えているのだ。


『俺たちの要求は明快。ドールに課せられる行動制限の撤廃。庇護権の保障。要は、地球のドールと同等の権利を、火星のドールにも認めてください、っていう話だ。もちろん二つ返事で認めるわけにもいかないだろう。だがのんびりしている時間はないよ? 俺たちは本気だ。要求が通るまで、決してストライキは止めない』


 このままストライキが続けばどうなるか―――。

 それはウフキルが改めて言葉にせずとも明らかだった。火星は地球に比べてはるかに物資に乏しい。だからこそ労働力の大部分を、人間よりも遥かにランニングコストの掛からないドールを使い捨てることで経済を成り立たせてきた。

 だから主な労働力であるドールの一部が就労を放棄するだけで、火星経済は簡単に破綻する。食糧不足に陥り、混乱が暴動を引き起こし、医療崩壊が生じ、あっという間に自治州は破滅する。

 ドールは絶対に人間に歯向かうことはないという土台の上に成り立つ社会は、砂上の楼閣よろしく完全に消え去るのだ。

 既に苛立った民衆がドールを襲う小規模な暴動は頻発している。大きな破壊の嵐が吹き荒れるのも時間の問題だろう。


『どうして人間である俺がドールに肩入れするのか、疑問に思う者もいるだろうね。だから一つ昔話をしようと思う。俺はね、この惑星で生きる皆と同じように、地球で生まれ育った』


 ウフキルは穏やかに語り始める。僕は短くなった煙草を窓から捨て、次の煙草に火を点ける。吐き出した煙が車中を白く曇らせる。


『謙遜しても仕方がないから言うが、俺の父は大がつくほどの金持ちだった。家の庭にはヘリポートと大きなプールがあった。物心ついたころから欲しいものは何でも手に入ったよ。学校に通うようになれば、友人も恋人も、金で買えると知った』


 僕には想像もできない話だ。一見すれば経済力と家柄という物差しで全てが図られる、非常に単純で簡略化された楽しい生活のようにも思えたが、そうではなかったのだろう。話しているウフキルは毅然とした態度ながらも、どこか寂しそうに見えた。


『だから友人も恋人も尽きないほどに山ほどいたし、大抵は何をしても許された。だけどね、俺は気づいたんだよ。これだけ沢山の友人と美しい恋人に囲まれながら、友情も愛情も本当は何一つとして持っていないってね』


 ウフキルは肩を竦める。どうしてか、僕にはそれがひどく哀しく感じられた。


『どう生きたって俺には家の名前が付き纏う。背後に積み上げられた札束が付き纏う。それがある限り、俺が本当に欲しいものは手に入らない。両親も理解はしてくれなかった。俺に与えられるのは湯水のように溢れる金とモノばかり。贅沢なわがままだと罵ったって構わないよ。でも俺は愛に飢えていた』


 僕はにわかに、ウフキルへ親近感を抱く。生活が余りにも違うのでお門違いな気もしたが、そう表現するのが相応しいように感じた。

 結局のところ、アシャラ・ウフキルは誰とも理解し合えなかったのだ。溢れんばかりの金と独り歩きしてしまう家名がアシャラという少年の姿を覆い隠してしまう。だからアシャラは誰かに理解されたかった。心のつながりを求めた。本当の自分自身に目を向けてくれる存在を渇望した。

 それは他者との共感を求めてドール研究に傾倒していったカレンや僕に、ほんの少しだけ似ているように思えたのだ。


『俺が七歳のときだった。それまで俺を世話していた人間の執事が病気で倒れてね。代わりにドールを雇うことになった。最初は役に立たなかったよ。日に何枚も皿を割り、俺の洋服のボタンを千切ったりするんだ。俺はそのドールを木偶だと罵ったよ。すると彼女は不満げに頬を膨らめた。初めてだった。俺の言葉にへらへらと笑わない奴に出会ったのはね。そのドール―――彼女はね、俺を決して特別扱いはしなかった。ボードゲームをすれば手加減なく俺を負かすし、理不尽な命令を下せば無理だと言ってくる。いくら札束をちらつかせてもドールだから靡かないし、悪さや危ないことをすれば本気で俺を叱った。どれもきっと多くの人にとっては当たり前のことかもしれない。所詮はプログラムだってことも分かってる。でも俺には新鮮だった。彼女は俺を、ウフキル家の子息ではなく、一人の人間として扱った』


 ウフキルは自らの過去を語る。火星にいる全てのドールの今を変えるために。


『地球のドール運用法で定められる一〇年の間、つまり俺が一七になるまでの間、彼女は俺とともに過ごした。そして俺がずっと欲しかったものをくれた。彼女は俺にとって、友人であり、恋人であり、親だった』


 もう騒めき立てるものはいなかった。誰もが口を噤み、呼吸の音にさえ注意を払うような静けさでウフキルが語る言葉に耳を傾けていた。


『だからこそ火星に来て、俺はドールを取り巻く環境に唖然としたよ。ドールは隣人だ。人に寄り添う存在だ。道具として虐げられるドールを見るのは耐えられなかったんだ』


 ウフキルの言葉に熱がこもる。動画のフィナーレは近かった。


『残念なことに、ストライキを起こしたドールに対して暴動が起こっていると聞く。ドールは抵抗しない。俺たちは血を流すことを良しとしないからだ。そして、あなたたちが怒りの矛先を向けるべきはドールじゃないと、俺は思う。火星に住む者の大半は地球出身者だ。ならば少なからず俺と似たような経験があるはずだろう。ドールは道具じゃない。今こそ、この火星をほんの少しだけ、地球のような豊かな場所にしようじゃないか。そのためには人とドール、二つの存在が寄り添うことが必要なんだ。俺は人もドールも、賢明であると信じている』


 動画が終わった。モニターはニュースのスタジオへと切り替わり、ウフキルの声明についてドールのアナウンサーが好意的なコメントを寄せている。

 このストライキがどう転ぶかはまだ未知数だろう。保安局もかなりの人員を割いて事態の収拾にあたっているし、メンツや対面で生きている統括省の官僚が簡単に首を縦に振るとも思えない。

 だがウフキルの声明が与える影響は決して小さくないはずだ。あの熱のこもるウフキルの言葉で動かされる民衆も少なからず存在するに違いない。


「本当に、すごいな」


 僕は呟く。ここがまさに、大きな時代の転換点なのだ。そして僕はたぶん、その大きな嵐の中心からそう遠くない場所で変革の波を目の当たりにしている。


「貴方は本当にすごい、ウフキル」


 そして僕とウフキルはほんの少しだけ似ている。だけど決定的に違うことがある。

 ウフキルはかつて一機のドールに救われた。そしてその経験を根拠に大義を掲げ、自らが持つ大きな力の全てを使って火星のいる全てのドールを救おうと志している。

 一方の僕には掲げる大義も、力もない。ウフキルのように誰かを動かしたり、誰かを動かすために行動することもできない。

 だけどもし許されるのなら。伸ばしたこの手が届くなら。

 せめてたった一人のドールくらい、救う力があったっていいじゃないか。

 僕は灰になった煙草を放り捨てる。次の一本を吸おうとするが、どうやら今のが最後の一本だったらしい。もっと味わえばよかったと、ほんの少しだけ後悔しながら空のケースを握り潰す。

 時間だった。

 車内に煙っていた紫煙はいつの間にか晴れている。

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