第3話例えばBさんの場合

~届かない一音~




ぼくは、生まれつき、耳が、聞こえない。

それでも、なんとか生きてきて、生活してきて、働いて、生きている。


趣味は、読書。

本の中だったら、聞こえない音も、聞こえる気がする。


ある日、たまたまパソコンを弄っていたら、変なページが、出てきた。

ページの名前は、「誕生日登録」。

画面の中で、ゆらゆら揺らめいているオレンジ色の炎は、とても、綺麗だった。

誕生日と、名前を登録するだけの、単純なサイト。ぼくは、空いているそこへ、数字と名前を、入力した。


ある雨の日、ぼくは、傘を忘れたまま、出掛けてしまった。

そこで、ぼくは、彼女に肩を、叩かれた。


「ーーーーーーー(寄っていかない?)」


彼女の口は、何かを、伝えてはいたけど、ぼくの耳には、届かない。ぼくは、両手を耳にあて、その後で、胸の前でバツを、作った。それだけで、彼女はぼくの事情を、察してくれた。

彼女は、笑顔で、店を、指差した。

寄っていけ、ということらしい。

ぼくは、頷いた。


彼女の手に、引かれて、入った店の中は暗く、たくさんの人が、いた。彼女は、一つのイスを、ぼくに、用意した。そして、ぼくを指差した後で、イスを、指差した。

ゆっくりとした、動作だった。


ここに座れ、ということらしい。


おとなしく座っていると、急に、周りが、明るくなった。

周りの人たちは、立ち上がって、腕を振り上げたり、ジャンプしたり、なぜか、タオルを振り回したりしていた。


ステージの上では、彼女が、楽器を持った数人と、一緒に立ち、本当に楽しそうに、マイクを、握っていた。

本当に、本当に、楽しそうで、幸せそうで、嬉しそうな、彼女の笑顔に、ぼくは、一目惚れした。


雨が上がって、入ったときと同じように、彼女の手に、引かれて、店の外に出て、「ーーー(じゃあね)」、と手を振られた後も、ぼくの胸は、ずっと、ドキドキ、していた。


その後、何度も何度も、同じ店を、ぼくは、訪れた。彼女に会える時もあれば、会えないときも、あった。二回目に、目が逢った時には、彼女は、すごく、驚いていた。でも、笑顔で、手を握りに、ぼくの側に、来てくれた。


いつの間にか、ぼくたちは、連絡先を、交換していた。声という、音で、伝え合うことが、できないことも、文という、言葉だったら、伝え合えた。

たくさんのことを、伝え合った。

たくさんの言葉を、送り合った。


でも、彼女の声だけは、ぼくに、届くことは、なかった。それだけが、

少しだけ、寂しかった。


ある日、ぼくは、彼女に一通のメッセージを、送った。


「好きです」


その日から、しばらく、ぼくは、店に、行けなかった。彼女の、返事も、来なかった。


数日後、ぼくの部屋に、箱が、置いてあった。

小さな箱。可愛く、ラッピングされたそれは、誰かからの、贈り物だった。

その日は、ぼくの誕生日だった。

ぼくは、その、小さな箱を、開いた。

何も、入っていなかった。

いや、一枚のメッセージカードが、入っていた。

メッセージカードには、今日の日付と、ぼくの名前。そして、短い、メッセージ。


「誕生日、おめでとう!

箱を耳にあててごらん?」


耳に?ぼくは、使われないはずの、その器官を、箱に充てた。すると、何かが、耳に届くではないか。

耳の中を風が通り過ぎ、中にある膜をそれは振動させた。


心が、震え動いた。


これが、「きこえる」ということ。


初めての音にぼくは興奮した。そして、何より。その聞こえた音にぼくは歓喜した。

箱は音を発した。


「好きなの」


高く、囀ずるように可憐な音。

なぜか、ぼくは彼女に会いたくなった。あのステージの上で幸せそうに笑う彼女の笑顔に、会いたくなった。

今日はいつもあの店に行っていた曜日だった。


ぼくは部屋を飛び出した。きっと、彼女もあの店にいるのだろう。

彼女に会おう。

そして、彼女に直接言うんだ。自分の声で、伝えるんだ。

「好きです」って。





小さな箱に入っていたのは、ぼくには決して聞くことができないはずの愛しい人の声。

人生でたった一回だけ贈られてきた不思議なプレゼントの中には奇跡が入っていた。




今、ぼくと彼女は同じソファに腰掛け手を繋いでいる。互いの指にリングを嵌めて、隣に座って寄り添っている。

ぼくは彼女のために詞を書くようになった。そして、彼女はその詞に合わせて口を動かす。ぼくの耳には届かないけれど、きっと、歌っているのだろう。あの誕生日に聞いた小鳥のような声で。

♪Happy birthday for me , and thank you stranger.

素敵な素敵な誕生日の贈り物をありがとう。

人生でたった一回だけ利用できるサイトからのプレゼントは、人生でたった一回。ぼくが聴くことの出来た音だった。





☆対価は貴方の耳に届かなかった音たちです☆







ぼくの聴覚は戻らない。何の音も、ぼくには届くことがない。

それでも。ぼくは後悔していない。


ぼくは忘れないだろう。

あの誕生日に耳へ、心へ届いたあの音を。

彼女の「好き」という、素敵な音を。




誕生日、ありがとう。

たった一回のプレゼントは、ぼくに一生の笑顔を届けてくれた。

今日も彼女は、ぼくの、隣で、笑っている。

歌っている。

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