千代野に話して心が軽くなったのは事実だ。そして、話をしたあと、千代野がぼくに何か言おうとしていた事には気づいていた。でもぼくは臆病で、彼女の口から出る言葉が怖くて、遮ってしまった。……ダメな大人だ、ぼくは。

「さくらくーん! 紫陽花取ってきたよ〜」

「雨ン中悪いね。じゃあ花瓶に」

「はーい。やっぱり季節感あったほうがいいね! 夏はひまわりとか供えてたの?」

 ぼくはちょっと目を逸らした。季節感か……あんまり考えたことがなかった。余裕がなかった、のは、言い訳だな。佳代は何の花が好きだったかな。

「……いや、花屋から買ってきて……菊とか……綺麗だと思った花とか……。たまに、散歩に出かけたときに春はツクシとか、秋はどんぐりとか……ふわりが、喜ぶかなくらいしか……」

「さくらくんなりに考えてるんだね〜」

「いや……チヨノスケのほうがそういうのは上手そうだ。女心とか、ぼくには分からないから……」

 ふたりが死んでからしばらく捲っていないアルバムを開いて記憶を辿る。花を生けた千代野がひょこっと覗き込んで少し切ない表情をした。ああ、そんな表情もできるのか、千代野は。

「佳代さん、美人だね」

「うん、美人だ。猫が好きで……猫カフェには何十回となく行ったよ」

「猫カフェ! いいね」

「こっちは田舎だから無いけど……少し遠出して、猫カフェに行っても良いかもしれないな。猫カフェも、普通のカフェも楽しかったよ。甘いものも……辛いのは苦手だったな、佳代は」

 懐かしさで胸がいっぱいだった。もう、佳代とは行けないけど……思い出の欠片を集めに、都会に少しだけ戻るのはありだ。一週間くらいなら……。

「ふわりちゃんは何が好きだったの?」

「キラキラしてるもの……。虹を捕まえようとしてた事もあったな。ビー玉とかオモチャの指輪とか飲み込まないように見てるのが大変だった」

 たぶん、遺品の中にあるはずだ。ふわりの宝箱に、たくさん仕舞っていたオモチャたち。キラキラの、ふわりだけの宝物だった。たまに見せに来て、拙く自慢して、それが可愛くて可愛くて……。


 そんなこんなをしているうちに、時間はあっという間に流れてしまった。執筆しないとやばいな……締め切りいつまでだっけ……。

「チヨノスケ、お茶だしてくれる?」

「いいよー、お菓子も! アタシも一緒に食べてもいい?」

「いいけど……そうだ、推敲手伝ってもらおうかな。読みにくいところあったら言って」

「やったね! アタシ、ゆーのーなアシスタントだからバッチリ! 任せて」

「そうだねー、有能だねー」

 ここに来た時の千代野はまだ十五歳だった。でも今月……それも、あと一週間そこらで、二十歳になる。感慨深いなぁとか。


 千代野に手伝ってもらいながら推敲作業を勧めて、ある程度まとめる。何日かに分けて作業をするのだ。読み返して気づけばそこも直そう。

「さくらくん……あのね」

 新しくお茶を持ってきてくれた千代野が、俯きながらぼくに話す。

「あの、さ……やっぱり、ちゃんと話そうと思って……」

「…………改まって、どうしたの?」

「あのね………さくらくんは……ううん、桜さんは何も悪くないんだよ。……魘されてた、でしょ。でも、佳代さんもふわりちゃんも、桜さんのこと、何も恨んでないよ。幸せになってほしいって願ってると思うんだ」

 桜さん、と千代野に呼ばれたことなんかなかった。自責の念に囚われているぼくを、千代野は見透かしている。

 それから、距離があるな、と思った。真摯に向き合うための距離。千代野は、何を言おうとしているんだろう。

 ………いや、ぼくは分かっている。ぼくは、知っている。

「いつか、言わなきゃって思ってた。……ごめんね」

 顔を上げた千代野の表情は、大人っぽかった。何も知らない存ぜない子どもでは居られなかったのだ。生きるものは、成長し、老いる。ぼくも千代野も。

「……………アタシが、桜さんの奥さんと娘さんを……アナタから奪いました」

 長い沈黙があって、雨の音がこだましていた。耳の奥でキーンと耳鳴りがして、ぼくはため息をついた。静かに、静かに。


 ぼくは、そう、それを……。


「うん。――……知ってた」

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