背筋を伸ばして正座をする千代野につられて、ぼくも背筋を伸ばした。何本目になるか分からない煙草に火をつけて、心を落ち着かせてからやっと話しだす。


 「十年前……千代野がここに来る五年も前の話。交通事故だった。……仏壇には毎日欠かさす手も合わせるし、掃除もする。今日あった出来事を話しながら、たまに答えの出ない問いを何十遍となくするんだ」

 ゲホッゲホッと咳き込みながらまた烟を肺の中に入れて、そして吐く。あー、気管支はボロボロだろうな。苦しい。

「そっか……さくらくんの、大事な部屋だったんだね。勝手に開けてごめんなさい。ねぇ……昔の話、アタシにしてくれる?」

「いいけど……聞いても面白いことはないと思うよ? ……事故のことも話す、だろうし」

「いいよ。聞かせてほしい。さくらくんの奥さんと、娘さんの話も、今もつらくて苦しんでるさくらくんのことも」

 千代野が真っ直ぐに見つめてくるから、ちょっと気圧されながら、昔を思う。誰かに話すと思考が纏まるらしいしね。

「……昔、ぼくも都会に住んでいてね。二十代の頃だよ」

 


 妻――佳代と出会ったのも都会だった。

 ぼくは地方から出てきたばっかりの売れない小説家でさ。出版社に持ち込んでは追い返されてを繰り返す日々だった。

 当時借りていた安いアパートの近くにあったカフェで、原稿を書いていたんだけど、そこの店員の女性といつの間にか仲良くなってたんだ。それが、佳代。

 佳代は穏やかな女性で、ぼくは彼女のやわらかい笑顔が好きだった。何回かデートに誘ったよ。口下手なぼくにしては頑張った。ようやくデートまで漕ぎつけたけど、ぼくはまだ都会のことを何も知らなくて……馬鹿だと思うだろうけど、猫カフェに、デートしに行ったんだ。

 佳代は、楽しんでくれた。窓際で日向ぼっこしているのを眺めたり、膝に乗ってくる猫を優しくなでてあげたり。ああ、この人と結婚したいなって、思ったんだ。

 猛アタックしたよ……喜んでほしくて。彼女にプレゼントしたり、デートも重ねた。メッセージのやりとりもたくさんして……。クリスマスに、指輪を渡したんだ。どことは言わないけど、イルミネーションが綺麗なところ。彼女はちょっと泣いて、それから笑いながら受け取ってくれた。

 それから、ぼくらは子どもを授かった。天使のような女の子を。ふたりで相談して、「ふわり」という名前をつけた。ふわりは、可愛くて可愛くて仕方なかった。ぼくの小説もだんだん売れてきて、もう順風満帆だったんだよ。


 ……幸せ、だったなあ。



 その幸せは、突如消え去ってしまった。

 ふわりが3歳になったくらいの時。みんなでカフェに行って、その帰り道だ。ぼくはふたりの後ろを歩くのが好きだった。にこにこして、元気な姿を眺めていたかった。

 ふわりが横断歩道を白だけ踏んで渡っていく。両足ジャンプで。佳代がふわりの少し前にいて、転ばないようにねと言いながら先に進むように促す。半分くらい進んだところでその姿が突然消えた。キキーッと音がして、車の左角がぼくにぶつかった。バランスを崩してコンクリートの地面に思い切り倒れる。

 ……ぼくは彼女たちの後ろにいた。目の前を車が通った。つまり…………。

 ゴムの焼ける臭い、電柱にぶつかって凹んだ車、佳代とふわりの無残な姿。衝撃過ぎてその場で嘔吐してしまった。虚ろな目と、潰れた臓器、不自然に曲がった手足……一生、忘れる事はないだろう。

 ……人間が肉塊になる瞬間を。

 挽き肉みたいにぐちゃぐちゃになった佳代とふわりが、一瞬前までは同じ人間で、同じく生きていたなんて分からないほど……。


 街の喧騒と、野次馬のシャッター音。


 うるさいうるさいやめろやめろやめろ!!

 ぼくの妻と娘を、肉塊にされたこんな姿を写真に収めて、好き勝手書き込んで玩具にする気か!? これはエンターテイメントじゃないんだ!!! ふざけるな!!!!


 ……あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 


 事故を起こしたのは権力も金も持っている奴で、ぼくは何がなんだかわからないまま、書類を書かされ、数千万円を振り込まれた。慰謝料というものらしい。それで、事故を起こした奴は保釈金と警察への圧ですぐに出所したし、この事故はニュースにもならなかった。

 

「ぼくは嫌気が差して、地方に戻ってきたんだ。佳代とふわりを連れて。火葬は向こうでした……けど、墓はこっちに、入ってもらって……どうしてっ……ぼく、は……周りを見て……車が、近づいてきた時点で……あと一歩………」

「さくらくん……ごめん、ごめんね、つらい話させて……それから……あの………」

「いや、いいんだ。こっちこそ、いい歳の大人が情けないところを見せたね。……ふたりが死んでから、やるせなさとか、苛立ちとかを八つ当たりみたいに小説に書いたんだ。それが馬鹿みたいに売れるんだよ。……しんどかったなあ」

 ぼくの不幸で他人が喜んで、それを金に変えて飯を食ってるってのが嫌で仕方なかった。そしたら今度はスランプになって小説がしばらく書けなくなって……千代野と出会ってから、また書けるようになったんだ。

「さくらくんは、ずっと抱えて生きてきたんだね。つらいことを、たくさん、いっぱいいっぱい」

「そりゃあね、妻と娘のことだから、簡単には捨てられないでしょ。……いい事も悪いこともさ」

「愛してたんだね」

「今も愛してるさ。……佳代以外の誰かと、今後結ばれる気はないね」

 話したからか、スッキリしている。ふたりが死んだときは涙も出なかったんだ。ショックすぎて空っぽだった。

「……あの」

「さて、そろそろ夕食作ろう、チヨノスケ。一緒に。カレーとか。長話に付き合ってくれてありがとうね。今度から、ふたりに一緒に手を合わせてくれるかい?」

「もちろん! 手も合わせるしお線香もお掃除も一緒に! ……あ、カレールーないかも。シチューにしようよ」

「いいね、シチュー食べる」

 涙を拭って、ふたりで台所へ向かう。


 さて、シチューをつくろう!

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