二章④



「大変でございますっ」

 もつこうしていたら、突如悲鳴が割って入った。

 勢いよく食堂のとびらが開いたかと思うと、庭師らしいかつこうの中年の男が真っ青な顔で告げる。

「サラ様がてんとうされ……っ。意識が……っ」

 むぎわらぼうを胸の前でぎゅっとく庭師の報告に、エドワードがまゆを寄せた。

「なぜ、サラが今ここに……?」

「マリア様がおっしゃるには、殿でんにお見せしたい花があったとか……」

 途端に、エドワードはわずかに口を開いたものの、そのまま動きを止める。

「……サラ様って……?」

 すぐそばのメイドにたずねると、おどおどしたように瞳をらした。

「殿下の従姉妹いとこ様で……。モーリスこうしやくのご息女です。殿下のお母上と、モーリス侯爵夫人マリア様がまいになられますので……」

 アイシャはうなずくと、口元をナプキンでぬぐい、立ち上がる。

「転んで、意識がないのね? 場所はどこ」

 どうしたものか、とおろおろする庭師に言葉を放つ。

「お庭ですっ」

「案内して」

 言うなり、スカート部分を左手でたくし上げる。ぎょっと庭師は目をむいたが、さりげなく顔をそむけ、「こちらです」と走り出した。

 その後を追い、ろうをヒールで駆けるアイシャだが、気づけばエドワードが並んでいた。ちらりと見やると、適切なきよを置いて、執事といくにんかのメイドもついてきている。

「サラ様って、何歳?」

 ガツガツとヒールを鳴らして走りながら、あごを上げて尋ねる。

「いくつだったか……。四歳だったか……?」

 答えながらも、どこか上の空だ。あの、さっきまでのとげとげしいふんさんし、その表情は、ただ、従姉妹を案じている。

「どうやって転んだの? あなた、見てた?」

 どうやら正面げんかんに向かって走っている庭師の背中に声を投げると、「はい」と、振り向かずに返事が来る。

「馬車から降りられ……。手に花をにぎって駆けてこられて……。マリア様が、危ないわよ、とお声をかけたので、多分、返事をなさろうとしたのだと思います……」

 途切れ途切れになるのは、いきぎをしているからだろう。がだんだん、ぜいぜい、言い始めたが、それでも庭師はけんめいに話した。

「馬車の方に首をめぐらせ……。それで、足元がお留守になったのでしょう。ドレスのすそに足をからませ、うつぶせに転ばれたのです」

「手はつかなかったのね? ごつん、と転んだ? 血は?」

「……手は、ついているように見えませんでした。血も出ていません」

 注意深く庭師は答え、そして右に折れる。

 広いロビーが見えてきた。簡単な来客であればここで済ませられるように、じゆうこうや丸テーブルがある。かざまどにはステンドグラスがはめ込まれ、ゆかも大理石だ。ひざをついて床をみがいているメイドが、なにごとかと顔を上げるそばを、駆けける。

(頭を……、打ったのかな)

 小さな子にはありがちだ。身体に対して頭が大きいので、転倒するとどうしても頭をごつり、とぶつける。意識がない、ということはのうしんとうだろうか。

 開け放ったままの扉を抜けたたん、女性の泣き声が一気に聞こえてきた。

叔母おばうえ!」

 エドワードが足を速めて、アイシャを追い抜く。

 彼が向かう先を、たどる。

 ちょうど、シャクヤクのしげみの側だ。

 そこには、座り込んでいる成人女性と、その女性のかたいておろおろしているじよらしき女性。それから、地面にあおけにころがる女児がいた。

「エド!!」

 ドレスを地面に広げ、泣いていた女性がさけぶ。

「サラが!」

 エドワードが、女児の側に片膝をつき、見下ろしている。アイシャも息を切らしながら彼の側に立ち、呼吸をなだめながら、女性に声をかけた。

「この位置で、転びましたか?」

 一気に走りすぎて、のどがひりひりする。顔をしかめてせきばらいすると、女児の側に座り込んだ。

「走っていて……。ここで……。今、仰向けにしたのだけど……。息が……」

 えつ交じりに答えるのは、エドワードが叔母と呼んだことから、女児の母であるマリアだろう。アイシャはうなずき、地面に手をわす。

 一方で、どうだにしない女児にも、視線を走らせた。

(おでこにも、頭にも……。はなさそうね……)

 頭を打ったわけではないのか、と思った矢先、指が固いものにれた。視線を向けると、地面にまっているとはいえ、小ぶりの石が先端をのぞかせている。

「サラ……。サラ」

 エドワードが微動だにしない従姉妹の白いほおを、軽くたたいているのが見える。

 膝立ちになり、様子を見ていたアイシャの前で、「ひうううう」と、サラがみような呼吸音をらした。

「……よかった……。息を……」

 マリアは口元を覆い、再び泣き始める。エドワードも目元にあんの色をかべた。

しきに運ぼう」

 サラにばしたうでを、がっつりとアイシャが握る。

ちがう。これ、呼吸じゃない。死線期呼吸ギヤスピングよ」

 エドワードの腕をつかんで動きをふうじると、アイシャは彼を押しのけた。

 サラのむなもとに耳を押し付け、アイシャは間近で彼女の表情を見る。

「いや……。息をしているではないか」

 エドワードがまどった声を発する間も、サラは下顎だけを動かし、小鼻を広げて、「ひうううう」とうめく。

「ううん。肺が、ほら。ふくらんでいないでしょう?」

 上半身を起こし、サラの胸を指さしてみせる。

 死線期呼吸とは、心停止直後に起こる、しゃくりあげるような音のことだ。呼吸音のように聞こえるが、実際には肺が動いていないので、身体からだに酸素は入ってこない。

「心臓のはくどうも感じられない。……ごめんね、サラちゃん!」

 言うなり、ごういんに彼女の胸元を広げる。ぶちぶちといくつかのボタンが飛び散り、周囲にいた庭師やしつなどの男性が、いつせいに背を向けた。

「転んで、胸を強く石にぶつけたんだと思う。見て、ぼくあとがある。そのしようげきで、心臓が止まった。心臓震盪の可能性が高い」

 むきだしになった胸の中央部には、確かに打ち身の跡のようなものがあった。

 胸部に強い衝撃を受け、しゆんかん的に心臓が止まってしまっているのだ。

 じやくねん層や乳幼児に多く、球技をしていてボールを胸部に受けた時に起こすことが多い。

 アイシャはサラの手首を取り、脈をるがれない。ついで、くびに指を這わせるが、こちらも脈を感じなかった。そくに胸骨あつぱくを行いながら、地面にうずくまって固まっているマリアに顔を向けた。

「手伝ってください。こちらに来て」

 だが、おびえて首を横にり、マリアは侍女に抱き着いている。

「お子さんの息が止まっているの!」

 とっさにりつけた。

「まだ、心臓が止まって間もないっ。心肺せいをすると助かるの! お願い! 手伝って!」

 膝立ちになり、圧迫を続けながら声をぶつける。アイシャの身体であればこれぐらいの運動量、なんともないのだろうが、このパドマの姿はつらい。宮中はくむすめともなると体力もそうそうないのだろう。額にあせが浮かび、腕がつらくなってきた。

「ど、どうすれば……」

 なみだを浮かべながらも、それでもマリアは近づいてきた。ひぃいっく、と大きくしゃっくりをひとつしたが、ひとみには力がある。

「今、圧迫することで、止まっている心臓の代わりに、身体に血流を送っています。お母さんは、お子さんの顎を上げて、喉と地面を平行にして。……そうです。それで、私が合図をしたら、お子さんの鼻をつまんで、口移しで胸に息をき込んでやってください。いいですか?」

 見やると、大きくひとつうなずく。

「お願いします!」

 言うやいなや、胸骨圧迫をやめる。同時に、マリアは水にもぐるようにひとつ大きく息を吸い、それから娘に息を吹き込んだ。

「うまい!」

 アイシャは額の汗をぬぐって思わず声に出す。きれいに呼吸が入った。サラの胸が上がる。

「もう一度!」

 アイシャのこえけに、がくがくと頭を縦に振り、再び息を吹き込む。

「結構です。はなれて……」

 もう一度胸骨圧迫を行おうと、膝立ちのままサラにいざる。

 げほり、と。

 目の前でサラが身体を丸めて、き込んだ。

 湿た重いせきをひとつした後、けんけん、と立て続けに咳き込み、かんだかい声で泣き始める。

「サラ!!」

 マリアは口元を手でおおって泣き出し、周囲のメイドや執事たちもかんの声を上げた。

(よかった……。ひとまず、これで安心ね……)

 アイシャも顔をほころばせる。

「部屋を用意しろ」

 ばさり、と布が空気をはらむ音がしたかと思うと、地面に寝そべったまま泣いているサラの身体に、エドワードが自分の上着ジヤケツトをかけてやっているところだった。

 あわただしく数人の使用人が走りだし、あらい息のアイシャの前で、エドワードが、泣いているサラに手を伸ばした。

「痛くないか? つらいところはもうないか?」

 頭をで、やさしく声をかけている。

 その表情やこわに、おや、とアイシャは目をまたたかせた。

 こんな顔ができたのか、と思うほど、気づかわし気で、そして、やわらかい。

「お、おにいちゃまに。お花を……」

 泣きじゃくりながら、差し出すのは、瑠璃唐草ネモフイラだ。ずっとにぎっていたからだろう。しおれた上に、つぶれてしまった青いその花を見て、一層顔をゆがめてサラは泣き出す。

「ありがとう。持ってきてくれたのだな」

 エドワードは口元にみをたたえたまま、うなずいた。

「お前から、その花を見にくるように言われていたのに……。行けなくて悪かった。あとで、ゆっくり話をしよう」

 泣き続けるサラに根気よくエドワードが話しかける。その姿は、さっきまで自分に見せていた無表情で敵意あふれる態度とは全く違った。

「準備が整いました」

 執事がエドワードに耳打ちをする。無言で立ち上がると、従僕のひとりがサラを抱き上げ、侍女と共に屋敷に向かう。

「瑠璃唐草が見ごろだから、どうしてもあなたに見せるのだ、と聞かなくて……」

 よろけながら地面から立ち上がるマリアは、エドワードに力なく言う。その腕を支えてやり、彼はまつせた。

「申し訳ありません。ぼうを言い訳にしていたために、このような……」

「いえ。わたくしがいけなかったの。陛下があのような状態にあって、あなたはいそがしいのに……。ついつい、娘を甘やかしてしまって……」

 声はかすれているが、しんはしっかりしている。目を赤くはらしたまま、彼女はアイシャに顔を向けた。

「助けていただいて、なんとお礼を申し上げればよろしいのか……。あなたがいてくれて、本当に感謝します。……キャベンディッシュ宮中伯のおじようさまかしら」

 アイシャはうなずき、顔を伝う汗をかたのあたりで拭った。拭ってから、しまった、と顔をしかめる。宮中伯のお嬢さんとやらは、ハンカチで汗をくんじゃないだろうか。

「女性なのに団に入ったと聞いたけれど。すごいわね」

 そう言われて、きょとんとする。一瞬意味がわからなかったが、すぐに、この当時、女性の医師がいなかったことを思いだした。

「あとで、またサラちゃんの様子を見に行きます。今はどうぞ、お母様がおそばに」

 つじつまの合わないことを言ってしんがられてはいけないと、アイシャは口早に伝える。マリアはドレスをつまみ、れいをしてしきへと歩き出した。

 ほ、と息をついた時。

 地面がふるえるような大きな音がした。

 おどろいたのはアイシャだけではない。マリアについて屋敷にもどり始めた使用人たちも目を見開いて音の方を見ている。

 どうやら、馬車に積んでいた荷物を運ぼうとして、いしだたみに落としたらしい。ぎよしやがしきりに頭を下げている姿が見えるのだが。

 その姿に、かぶさるように。

 ぶわり、と白いテント幕がひるがえる。

 二重写しを見ているように、庭の景色の上から広がるのは、頭を両腕でかかえて地面にうずくまるりよう従事者たちだ。

 どん、と地面をるがして音が鳴る。ばくおんだれもが一斉に地面に伏せ、ひたすら音がむのを待つ。自分もそうだ。お願い。早く止んで、と目を閉じて何度願ったことか。

 不意にきつけられるじゆうこう

 ざくざくとひびく荒い足音。

「……っ!」

 アイシャは目を固くつむり、うつむく。息が荒くなる。せわしなく呼吸が口かられ、とめどなく汗が額から流れ出した。

(……フラッシュバックだ……)

 大きな音に反応し、テロリストにおそわれた時の光景を脳がり返しているに過ぎない。だいじよう、大丈夫。ここはちがう。ここはもう、安全。大丈夫。何度もそう言い聞かせる。

「おい」

 ぐい、と肩をつかまれ、悲鳴を上げて振りはらった。ひように地面にしりもちをつき、したたかにこしを打つ。

「………ご、ごめんなさい……」

 荒い息をついたまま、汗だくの顔でエドワードを見上げる。地面にぎゅっとつめを立てるが、その手がまだ震えていた。

「……こっちこそ、すまん」

 不審そうに自分を見下ろしてはいるが、急に声をかけて驚かせたと思っているようだ。わずかにびると、かたひざをついて顔を寄せてくる。なんだろう、としばの葉がついた手であごを伝う汗を拭うと、エドワードは短く言った。

「お前に、てもらいたい患者ひとがいる」

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