二章②



「お部屋は二階にご用意させていただいています」

 みがき上げられたろうを、執事の後について歩く。

 こつこつと鳴るのはヒールで、なんだかそのこと自体も、しんせんだ。難民キャンプにけんされて七カ月。ずっとあんぜんぐついて過ごしていた。

「ご実家よりお送りいただいた品はすべて収めておりますので、一度ごかくにんを」

 せん階段を上るのに、ドレスの裾が非常にじやだ。どこまでたくし上げていいのかわからず、四苦八苦しながら足を動かしていたら、執事がつつましく説明をしてくれる。

「……荷物……」

 えや生活ひつじゆ品だろう、とアイシャは予想をつけた。これからしばらく、ここで暮らすのだ。そういったものも必要だろう。

(……もっと、動きやすい服を探して着替えよう)

 顔をしかめ、ため息をついた。あと、手に入れたいものと言えば、パドマの書類だ。

 エドワードの病気についてなんらかの異変に気付いているのなら、カルテのようなものがあるかもしれない。

(それを見つけて、りよう方針を立てれば……)

 エドワードの生存率が、ぐっと上がる。

「こちらが、殿下のしんしつで」

 チョコレートの板を張り付けたような扉をさし示して執事は言い、そのとなりの部屋で足を止めた。

「こちらが、お使いいただくお部屋でございます」

 かちゃり、と金属音を立てて扉が開かれる。

「………すごい………」

 思わず声がれた。

 かなりの広さだ。

 扉と向かい合う形に、大きく取られた窓からはおだやかな日差しが差し込み、全体的に丸みを帯びた家具は、一様に愛らしい。

 こつり、と一歩室内にみ入る。

 北側はてんがい付きのベッドがあり、かべはウォークインクローゼットになっているらしい。

 南は、と見ると、こちらは全面ほんだなだ。

 着替えを探すのも忘れ、アイシャは本棚にけ寄る。

 あごを上げ、順に背表紙をながめていった。いずれも、医学関連書であるように見える。

「何かございましたら、お声がけくださいませ」

 おのお手本のように頭を下げ、しつが出ていく。アイシャは、ただただ、ぽかんと、大量の蔵書を眺めた。

(……全部読みたい……)

 古書のこう本まで、新品同様に並んでいて、本当に自分は〝過去〟にいるのだとみような実感がわいた。

「……いや、そんなことよりも、あれよ。カルテ」

 パドマが勉強熱心で、しかもかなりの読書家だということは、わかった。彼女の知識の源流をさぐるのも楽しそうだが、今は、カルテを見つけなくては。

 室内を見回し、木目を生かした可愛かわいらしいづくえを見つける。机の上には何も出てはいないが、引き出しが三段ほどついていて、いかにも書類がありそうだ。

 人目がないのをいいことに、さっさとヒールをぐと、あしで近づく。

 上から順番に引き出しを開けた。

 一段目は便びんせんと羽根ペン。銀のペーパーナイフに、インクつぼらしきものがある。二段目は紙束をつづったものが数冊あったので、「これか」と意気込んで引き出したものの、医学の覚え書きらしい。薬草の効果についてていねいな文字で書かれていた。

 紙束をそっともどし、三段目を引き出す。上の二段よりも深くなっていて、期待はしていたのだが、使い込まれた辞書に、聖書。ふうろう用の判子とけた蝋。それに、ちようつがいのついた木箱が入っているだけだ。

(……本棚の、どこかかな……)

 自分だったら、絶対デスクに置くんだけどなぁ、と息をつき、それから何気なく木箱を見やる。薔薇ばらつたしようほどこされた、愛らしい箱だ。いかにも、十代の女の子が持っていそうなその箱を持ち上げ、開いてみる。

 ふわり、と鼻先を甘いこうすいただよう。

 箱の中に収められていたものに、思わず顔がほころんだ。

 ももいろの桜貝に、丁寧に施された押し花のしおり。なんだかちゆうはんな長さのリボンと、いびつだけれど、んでれいな緑色をした石。

 旅先で拾ったのか、あるいはなんらかの思い出のあるものなのか。

 宮中はくむすめで、しかも王太子のこんやく者ともあろう人物が持つには、あまりにもまつなそれは、だけど、同時に思春期の少女がいかにも大切にしていそうな品々にも思えた。

(女の子らしいなぁ。かわいい)

 そういえば、自分もパドマぐらいのねんれいころ、どうしても捨てられなかったビー玉があったな、と苦笑いする。ただのガラス玉なのに、ヒビが入っている関係で、日にかすととてもきれいだったのだ。

「そんなことより……、カルテを」

 ふう、とひとつ息をいて、ぱたんと木箱を閉じる。

 引き出しに戻そうとして、ふとかんに気づいた。

 両手で持ち、目の高さで眺める。再び、ふたを開いた。中を見る。

「……底が、浅い……?」

 木箱の高さに対して、底があまりに浅い気がする。アイシャは机の上に中身をせ、一段目の引き出しからペーパーナイフを取り出した。天鵞絨ビロードらしい布が張ってある木箱の底にを当て、軽くゆする。

「……やっぱり……」

 木箱は、二重底になっていたらしい。

 天鵞絨の張られた板がめくれると、そこには封書の束が入っていた。

「……カルテ、には見えないけど……」

 他人の手紙をぬすみ見る罪悪感はあるのだが、アイシャは周囲を改めて見回し、とりあえず一番上の封書を手にした。表書きにも裏にも、差出人はない。封蝋はされているが、もんの印はなかった。中身を引き出し、読む。

『パドマ。君に会えない日が続くが、おもいは変わらない。初めて出会った時よりも、深く愛している』

「うぎゃっ」

 思わず声を上げ、あわててふうとうに手紙を戻す。ばくばくと心臓が高鳴った。

(こ……。これ、こいぶみかなんか……?)

 頭にかんだのは、あのぶつちようづらのエドワードだ。だが。

(……えー……? いや、そりゃないでしょ……)

 なんだかまゆが寄る。

 さっきのあの自分に対する態度からは、考えられない文面だ。愛している、という相手をなんきんするだろうか。

「ごめんねー……。パドマ」

 なんとなく謝り、違和感に押されるように、次々に封書を開ける。

『昨日会ったばかりなのに、もう恋しい。この手に君をけないなんて』『君のことが忘れられない。あの日、確かに恋に落ちた』

 八通ほどある中の六通には甘い言葉がつらつらと並んでいる。

 二重底に押し込まれ、かくされていたということは、『他人に見られたくない』ものだろう。

 もしこれが、エドワードからの手紙であったら、もっと堂々と置いてあるのではないだろうか。いや、そもそも、あの男がパドマに対してこのような甘い言葉を吐くとは信じられない。

(……ひょっとして、パドマ……。エドワード以外から、もらったの……?)

 封筒に便箋を戻しながら、ううむ、とうなる。

(……まぁ、政略結婚なんだろうし……)

 エドワードがパドマをきらうように、パドマもエドワードとの結婚は本意ではなかったのかもしれない。実際、このような手紙をやり取りする相手がいたのだから。

 だけど。

『エドワード王太子を守れるのは、ぼくたちキャベンディッシュ家しかない』

 馬車の中でトマスが口にした言葉がよみがえる。

 王太子を守るため。

 そんな大義のために、彼女はとついできたのだろうか。そう思うと、物悲しい。

(こっちは……。なんだか、業務れんらくみたいね……)

 残りの二通は、短冊に切った便箋に、短い文字が書かれているだけ。

『例の件、よしなに』『順調そうで何より』

 順調そうで、と書かれた便箋には、なんだかからびた植物も入っている。さっきの押し花とはだんちがいのあくなものだ。ただ、干されただけに見える。

(何かしら)

 指でつまみ上げたたん、ぐらり、と視界がれた。

 同時に、周囲がやみに包まれる。おどろいて首を左右に揺らすと、長いくろかみが周囲に漂った。


(……え?)

 無造作に自分の髪をつかむ。黒色。アイシャの黒髪。息を?み、自分の服を見る。白衣。真っ暗な闇の中でもはっきりわかるドクターコートだ。ご丁寧に首にはちようしんまで下げている。

(……どういう……)

 アイシャに、戻ったのだろうか。自分自身に。まどうまま、何もない暗闇を手探りで進む。

「……パドマ……?」

 いったい、どっちが上で、どっちが下なのか。まるで宇宙空間のようだ、と彷徨さまようアイシャは、ぽかり、と宙に浮かぶ少女を見つけた。

 あわい桃色のワンピースを着、たいのようにひざかかえて丸まっているいろの髪の少女。

「パドマ……っ」

 水中をあがくように、アイシャは駆けた。きなれたあんぜんぐつで一歩一歩彼女に向かって踏み出す。

「どうなってるの!? ねえ! 私、あなたになっちゃってるんだけど! あなたは今どこにいるのよ! ここ、何!? どこよっ!」

 手をばして〝パドマ〟を掴もうとするのだが、いくらちようやくしても彼女に届かない。ふわふわと、まるで月のように浮かんだ彼女は無反応で、はくせきほおは死者にさえ見える。

「私と交代してよ!」

 必死に地面らしきものをって飛び上がり、声をかけ続けるが、返事はない。

 今、目の前で膝を抱え、宙に浮かぶ〝パドマ〟は、完全にせつしよくきよしている。からに閉じこもり、他者のかんけていた。

「パドマ!」

 胸に空気をめ、大声でさけんだが、それでさえ反応がない。

(どうなってんの……?)

 こんわくしながらも、暗闇に視線をさまよわせた。うすぼんやりと明るいのは自分たちの周りだけで、遠くは完全に闇に?まれていた。

 時折、ふわりととうえいされたように静止画が浮かぶ。アイシャは目をらし、それを見た。

 若いが、トマスだ。まだ幼いパドマを抱え、楽しそうに笑っている。

 次に闇に浮かんだ静止画は、どうやらはまらしい。トマスとふたり、すなはまに座り込み、桜貝を見つけてうれしそうに微笑ほほえむ姿だった。

 あの桜貝、見覚えがある。木箱に大事に収められていたものだ。では、周囲に浮かんでは消えるこのいくつもの画は、彼女の過去のおくなのか。

(ここ……。パドマの頭の中……、というか心の中? なんでここに閉じこもってんの)

 ぼうぜんと、宙に浮かぶ〝パドマ〟を見上げていたら。

 耳元で、やけに大きくドアノックの音がひびいた。


 はっ、と息を?んでまばたきをする。

 急に、色が、景色が、音が戻ってきた。

 こうずいのように情報が押し寄せてきて、アイシャは軽いめまいを起こすが、額を押さえる手にうでけいはなく、首には聴診器ではなく、しんじゆのネックレスが巻かれている。

(……戻ってきた……?)

 眩暈めまいから来る吐き気をこらえ、アイシャはとびらを見る。気づけばもう、日はだいぶんかたむき、室内がうすぐらい。

「お食事の時間となりました。ご用意を」

「……はい」

 扉の向こうからしつの声が聞こえ、夕飯が近いのだと知る。アイシャは小さく返事をした。

(パドマが、いる)

 扉の前から遠ざかる足音を聞きながら、アイシャはふるえる手を自分の胸に押し当てる。

(この、中に。心の、中にいる)

 どこかに行ってしまったわけではない。この身体からだの中にいるのだ。

 かたくなに接触を拒否し、閉じこもってしまっている。

 そしてどうしたわけか、アイシャの意識が、彼女の身体に入ってしまっているのだ。

(……精神に強いしようげきを加えられたら、退行行動を取ることがあるけど……)

 だけど、アイシャのように他人のたましいが入ってしまうなど聞いたことがない。

(そもそも、なんで私は過去ここにいるの?)

 アイシャは両手で頭を抱える。どうして、こんなことに。

(そういえば……)

 テロリストにじゆうたれた時、少女の声を聞いた。

だれか助けて! このままじゃ……っ!』

 あれは、ひょっとして、〝パドマ〟か。

〝パドマ〟が、自分を呼んだのだろうか。この時代に引き寄せたのだろうか。

(だとしたら、なんのために……?)

 答えの出ない問いをり返していると、再度ノックの音が室内に響く。

「ご準備は、できましたでしょうか?」

「ああ、ごめんなさい……」

 アイシャはようやく、のろのろと扉へと近づいた。

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