二章①
馬車で
トマスに連れてこられたのは、王太子エドワードの
なんとか状況を
気づけば過去にタイムスリップしてしまい、なぜだかわからないまま、パドマを演じている。
なぜ自分が王太子の屋敷に連れてこられているのか。その部分もあいまいではあったが、話の内容から、どうやら、パドマが医師でもあるトマスに、
『王太子に病の兆候がある。心配なので屋敷に住み込んで様子を見たい』
と、申し出たようだ。この件は
「さて。それでは」
ぱん、と
「なんだ。
低い声がかかった。
アイシャはまばたきをして、
「
目じりに深い
彼と
「まだ、十六の
深く、エドワードに対して頭を下げた。その姿を見ると、胸が痛む。
(ごめんなさい……。私、あなたの本当の娘じゃないのに……)
言い出せないもどかしさと、申し訳なさに、ぎゅ、とドレスのスカート部分を握る。
「ああ。わかった」
エドワードからの返事は素っ気ないものだったが、十分だと思ったのだろう。トマスは姿勢を正すと、今度はアイシャの方を見ずに、そのまま部屋を出て行ってしまった。
ぱたり、と音を立てて
見やると、青年が立ち上がっていた。
つややかな
(エドワード・ルイ・ダブリー……)
アイシャは注意深く彼を見る。
白いシャツに、
だが、
(……
首を
彼との
(エドワードを死なせない)
これが最大の目標だ。幸いなことに、自分には医学の知識と、〝今後歴史がどう動くのか〟がわかる。このふたつを利用して、なんとかこの時代に適応しなければ。
とにかく、挨拶の仕方や
(……だけど、どこが悪いのかな……)
アイシャはまじまじとエドワードを見つめる。
その視線が
彼の紺色の
だが。
目が合ったのは、数秒だった。
視線は不意に外され、エドワードは、アイシャに背を向けて歩き出す。
こつこつと鳴るのは、彼の乗馬用
アイシャの目の前で、彼は部屋の北側に
(……え、っと……)
アイシャは、彼と、テーブルの上の茶器を
さっきメイドが
ぽつん、と。
アイシャは椅子に座っていた。
特にエドワードから、「ゆっくりして」とか「お茶を飲んでて」とか、「こっちは勝手に仕事してるから」とか言われてはいない。
かりかりと紙の表面をペン先が
「あ、あの……」
おそるおそる、事務作業をしているエドワードに、
「お茶、飲まないんですか……?」
王太子なる身分の人間に話しかけたことなどないアイシャは、とりあえず
「………私、ここに座ってても……?」
ならば、と自分がどうすべきかを尋ねてみる。
だが、返事はない。無言だ。
まるで部屋には
(………なんか私、
おかしい。確か、ふたりは婚約して二年が経っているはず。よそよそしいならまだしも、なんだか険しいではないか。
(このふたりの関係って、どうだったわけ……? 体調変化に気づくぐらいは親しくやってたんじゃないの? え? 実は仲悪いの?)
ひょっとして、
いつものパドマと違う、と
それとも、
いや、トマスの前では違った。
父と
「あのー……。で、
「うるさい」
私、なんかやらかしましたか。続けようとした口は、彼の一言で
「
エドワードは顔も上げずに言い放つ。さすがに、アイシャは
現在アイシャは十六歳の少女に見えるだろうが、中身は二十四歳だ。たかだか、十九、二十歳の男に暴言を
「じゃあ、執事さんがいらっしゃるまで、その辺、散歩してきていいですか?」
すっくと立ちあがる。ふたりでここにいても、息が
着なれないドレスの
「わたしの
「はぁ!?」
思わず
「屋敷内をなんのために歩き回るつもりだ」
ぱくぱくと口を開閉させていたら、
「なんの、って……。え。私、しばらくここで暮らすんですよね? ちょっと見学というかなんというか……」
「必要ない。部屋にいろ」
返事は早く、短い。命じられて、アイシャは確信を持つ。
だめだこれ。
理由はわからないが、パドマという少女は、
(
うんざりだ、と無言で首を振る。
「用があればこっちから呼ぶ。動くな」
また、この命令口調が腹立つ、とアイシャは彼を
「……じゃあ、
「はぁ?」
だが、
「いやだ」
「あのねぇ」
にべもなく言われ、大声を張り上げた。
「どっか、悪いんでしょう!? だから、私、来たんでしょうっ」
「悪いのはわたしではない。お前の頭と性格だろう」
断じられ、アイシャは目を見開いたまま、間近にあるエドワードの顔を見た。
なんとも
いや。
パドマを、見ている。
「わたしはこの通り、健康だ」
エドワードは頬杖をついたまま、無表情にアイシャを見据える。
「お前だけが、なぜわたしの
「……それは……」
わからない。
今のところ、自分にはわからない。エドワードが言う通り、本当に彼は健康そうに見えるのだ。なぜ、約一年後、彼は死ぬのだ。
アイシャは
「わからない」
正直に答えた。
「だけどね。あなたに、死んでもらったら困るの」
そう。
彼に生きて、そしてパドマを大事にしてもらわないといけないのだ。
本物の〝パドマ〟がどこでどうなっているのかわからないが、このままでは、パドマの身体ごとアイシャが死んでしまう。
そして、この国も、いずれ戦乱に
「……お願いだから、私の診察を受けて」
「何度でも言うが、
執務机を
「入れ」
エドワードが短く応じると、ひとりの男性が顔を
「お時間でしょうか、殿下」
初老の男だ。
(執事……、さん、かしら……)
その服装や態度からアイシャは判断する。
「ちょうどよい時間だった。話は終わった。そいつを部屋に連れていけ」
言うなり、エドワードは再びペンを取り上げ、なにごとかを書き記していく。
「それでは、どうぞ。お部屋にご案内させていただきます」
執事がアイシャに対して深く頭を下げる。
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