一章



 タブレット端末にかんじや情報を入力していると、看護師のリタが「あら」と不思議そうにつぶやいた。アイシャは目を上げ、彼女に首をかしげてみせる。

「もう、患者がいないってことはないですよね」

 さっき、流行性せんえんの女児をしんさつしてから、数分はっている。だんであれば、三十秒も経たずに、難民キャンプの患者が、この医療用テントに入ってくるはずだった。

「おかしいわね……」

 リタが布製のとびらをまくるようにして出ていく。アイシャも左手首を見た。腕時計は、午前十時三十二分。この難民キャンプにけんが決まった時に急ぎこうにゆうした、タフが売りの時計だ。

先生ドクターみたいな人が、この難民キャンプに来てくれてよかった』

 さっきの患者の声が耳によみがえる。

 たんに、ちりり、と胸が痛むのは。

 自分の腕が未熟だからだ。感謝されても、申し訳なさが先に立つ。

 医大を卒業してまだ一年目。指導医から、『海外派遣に応じてみるか?』と声をかけられたのは、腕を見込まれてではない。ていのいいひとくうだった。

『うちの系列の一員として医師が参加した、っていう実績が欲しいんだ。医師めんきよを持っていればだれでもいい。実力は問わない』

 ようするに、病院としては熟練の医師は残し、未熟な者を差し出したい、ということだろう。

 だが、アイシャは一も二もなくそれに応じ、マルゴット共和国に来た。

 もともと、医師になろうと思ったきっかけは、この国の難民キャンプの様子を、ドキュメンタリー番組でたことだった。

 ただ、〝生きる〟ということが困難な様子に、どうしようもなくしようそうかんを覚えたのだ。

 なんとしても、彼らの力になりたい。

 そう思って、アイシャは必死に医師となり、そしてようやくここにやってきた。

 医薬品も、食料も。人も、水さえ満足にないキャンプで、どうりようの男性医師に交じり、日々せいいつぱい診療を行っている。

 栄養治療食バーさえあれば、あと数日生きられた児童。きれいな水を飲んでいれば、病にかからなかった幼児。こうせいぶつしつさえあれば、手がしなかった十代の女の子。

 ここで働く医師にとって、性差やこくせき、人種などは関係なかった。難民キャンプにいる住民を死なせてなるものか、とただ必死だった。生きたい。生物なら誰もがじゆんすいに願う思いを、かなえてやりたかった。

 くうばくの音におびえながらも診療を続け、間近にしゆりゆうだんの爆発音を聞いた時は、同僚たちといつしよゆかいつくばった。

 それでも、アイシャはここからげなかった。いや、医師たちは、誰も逃げなかった。

 そんな自分に、患者たちは、心から感謝してくれる。

(……私の方が、彼らに謝らないといけない……)

 もっと、自国で研修を受けておけばよかった。もっと私に的技術があればよかった。もっと私に、時間と金があればよかった。

 気づけば、ぼんやりと腕時計をながめて、そんなことを考える。

「ドクター! 逃げて!」

 落ち込みかけた思考をち切ったのは、リタの悲鳴。そのあとに続くのは、にわか雨のような音と、らいめいに似た不協和音。

 アイシャは反射的に立ち上がる。回転きしみながら地面をすべり、デスクに当たって止まる。

(……ゲリラ……?)

 まさか、と思うのに、身体はおこりのように震える。

 そのアイシャの眼前で、テントがまくりあげられた。ぶわり、とき込むかわいた風に目を細める。ぎゅっとかたをこわばらせた。

 いきなり飛び込んできた男たちは、自動小銃の銃口を向ける。

 にびいろに光る銃身から顔をそむけ、アイシャは固く目を閉じた。

 パラパラ、と。雨だれに似た音を聞いた。

 ばりばり、と。かみなりに似た音を聞いた。

 アイシャは、静かに死をかくする。

 もうだめだ、と息を止めた。

 そして。

 やんだ。

 自分の手からこぼれ落ちたいくつもの命のことを。

 つなぎとめられなかった、未来のことを。

 もっと、自分にはやれたのではないか。

 もっと、努力できたのではないか。

 自分は、もっと……。

 誰かのために、役に立てたのではないか。

 アイシャは、震えながら、立ちくす。

 自分の命をうばう痛みを想像し、歯を食いしばる。

(このまま、死にたくない!!)

 つうれつな思いをのどおくこらえた時。

『誰か助けて! このままじゃ……っ!』

 不意に、んだソプラノの声がまくをなぞった。

(……え?)

 聞き覚えのないその声に、全身のこわばりを解いた途端。


 がくり、と上半身が右に傾いだ。


 こめかみを何かにぶつけ、アイシャは声を上げる。

だいじようか、パドマ」

 声をかけられ、はじかれたように目を開く。

 ちがう。さっき聞いたソプラノの声じゃない。あれは、少女特有の音声域があった。

 真向かいにいるのは、四十代半ばの男性だ。この男のものではない。

(……だ、誰……!?)

 おどろきのあまり、背をのけぞらせると、がつん、とかたいものにぶつかる。

 せわしなく視線を動かし、思わず声をらした。

「え……。えええ……?」

 こうちよくした姿勢のまま、ぐるり、と首をめぐらせる。

 四角い、箱のような場所だった。

 内面は布張りで、中年の男と向かい合って座っている。

 がたがたとひっきりなしにれているのは、この〝箱〟が移動しているからだ。

 揺れにえようと、布張りのつめを立てるが。

 その手を見て、ぎょっとする。絹の、白いぶくろをはめていた。いつものりよう用ディスポ手袋ではない。

 そればかりではない。見たこともない水色のドレスを着ているではないか。

(な、なにこれ……)

 とっさに考えたのは、「自分はテロリストにたれ、されたのではないか」ということだ。その途中で、なぜだかわからないが、ひどくごうそうなドレスにえさせられた。

(そうだ……。傷……)

 じゆうそう、と布手袋をはめた手で、きつくめあげられたどうまわりをさわるが、痛みも血のよごれも見あたらない。

(どういうこと)

 ふ、と視線を横に移動させる。

 単純に、日がかげったから、目線を動かしたにすぎない。

 せんさいなレース地のカーテンが取り付けられた窓。

 鏡面化し、室内の様子を映したそこには。

「………えええええ、ええ?」

 口を半開きにし、驚きに目を見開いた、見知らぬ少女がいた。

 いろの長いかみけるような白いはだ。目はとびいろで、こうさいにごりもない。くちびるつやめいており、ほおは健康そうなももいろだ。

「……パドマ・キャベンディッシュ……」

 思わずつぶやく。

 そうだ。これは、医学史には必ず登場する女性。パドマ・キャベンディッシュだ。

(か、彼女が生きてたのは……。え……と。今から、よ、四百年前……?)

 男性しか医師になれない時代に、初めて女性でありながら、医師としてかつやくした人物。

 アイシャも、おおざつにしか覚えていないが、その人生はかなりすうな運命をたどっている。

 彼女は有力貴族キャベンディッシュ家の一人ひとりむすめであり、父親は団の医師だった。そのえいきようもあり、医学を学ぶようになる。

 ちょうど、ダブリー王朝しゆうえんの時代だ。

 国内勢力は、大きくふたつに分かれていた。

 辺境はくを中心としたごうの貴族たちを味方につけた王太子エドワード派と、その異母弟ハリソン派。ハリソンの後ろには、貿易で得た豊かな財力を使ってのしあがってきたマルゴット家がどっしりと構えていた。

 マルゴット家は貴族でありながら金の持つ力をよくわかっていた。

 領地やめいには目もくれず、船団や旅団を作り、諸外国と独自の貿易を開始。そうやって得た財や情報、人脈を使って、自分の娘を当時の王、オーウェンの第二に送り込んだ。

 そうして生まれたのが、ハリソンだ。

 マルゴット家はしんせきえんじやを王宮内にたくみにもぐり込ませ、じよじよに王家から権力を奪いつつあった。

 そんな中、パドマは、王太子エドワード・ルイ・ダブリーとこんやくする。十四歳の時だ。

 父親のキャベンディッシュ宮中伯が王太子派のきゆうせんぽうであり、王城内での発言権もあった。

『従来の貴族たちは、すべからく王太子および王家に忠誠を尽くす』

 そういう意味を込めたこんいんでもあった。

 その後、王太子について王城内に出入りする彼女は、女性で初めて侍医団に入る。

 婚約して三年目。パドマが十七歳の時、エドワードが二十歳はたちの若さでびようぼつ

 代わりにハリソンが王太子にき、パドマを王太子妃として指名。この時はまだ、周囲もパドマがマルゴット家と従来勢力のけ橋になるのでは、という期待もあったことだろう。

 しかし、それはあっさり裏切られた。

 びようしようにあった国王オーウェンに代わってハリソンは、がっちりと実権をにぎる。同時に、マルゴット家が、大手をって権勢をふるい始めるのだ。

 ハリソンはその後、東のりんごくラシアと手を組んで領土拡張戦争を開始。

 パドマが十九歳の時に隣国シザーランド皇国にめ込み、有名なケラリアンせんえきぼつぱつ。パドマは医療団を指揮し、戦場で医療活動を行う。その姿は「戦場の天使」としようされ、すうはいの対象にさえなっていた。

「ここは悪路が続くから、馬車が揺れたね。こぶでもできたかい?」

 目を細め、体調をづかうように声をかけてくるこの男性はだれだ。まるで、時代さくな服を着ている。

(なにこれなにこれなにこれなにこれ、だれこれだれこれだれこれ)

 ぱくぱくと口を開閉しているが、声にはならない。

 改めて窓の外を見る。

 一面、青麦が揺れていた。時折見えるくわを持った男や女の姿にもぜんとする。まるで、中世の風景画だ。

(……電柱、どこ……。え……。自動車は……? ってか、道がアスファルトじゃないっ!)

 見知ったものを探そうとするのに、窓の外にはそれがひとつもない。きようの対象でしかなかった軍用ヘリすら空にはなく、のどかにとんびがえがいていた。

「王太子のしきまであと少しだが……。きゆうけいが必要かい?」

 男はずいぶんと親身に心配してくれる。アイシャはふるえながら、窓と男の顔をこうに見た。そのしぐさを勝手にかいしやくしてくれたようだ。

「もう、うちの領地は見えなくなったね」

(うちの領地……っ!!)

 なんだそれは、とがくぜんと目を見開きつつも、ゆっくりとじようしてきた仮説が頭に染みわたる。

(まさか、と思うけど……。私、中世の……。パドマの時代にタイムスリップしてる……?)

 そう思ったものの、いや、おかしい、と否定する。

 どうして、〝アイシャ〟ではないのだ。

 つう、タイムスリップというのは、自分の身体からだごと過去に行くのではないのか。

 どうして自分は〝パドマ〟の姿かたちをしているのだ。

「生まれ育った屋敷をはなれることは、さぞかし、心細いことだろう」

 椅子の背から上半身を起こし、そっとアイシャの手を握ってくれた。

「セイラがくなった後、男手ひとつで育てた君を、こうやって送り出す……。ぼくも心底さびしいよ」

 育てた、ということは、彼はパドマの父親か。

 確か、侍医団に所属している医師だ。おまけに、宮中伯のしようごうがあったのではなかったか。

「周囲から、トマスに育てられるものか、と何度言われたことか……」

 トマス。これがこの男の名前だろうか、とまじまじと見つめる。

「だがね、パドマ」

 ぎゅ、と強く手を握られる。

(や、やっぱり、私、〝パドマ〟なの……? どうなってるの。じゃあ、本物の〝パドマ〟はどこ!?)

 名前を呼ばれ、混乱する頭のまま、なんとか首を縦に振った。やわらかく微笑ほほえまれ、ほんの少し心が落ち着く。

「今、エドワード王太子を守れるのは、ぼくたちキャベンディッシュ家しかない」

(いや、そんな大層なことを言われてもっ! なに、王太子って!)

 ごくり、と息を?み込むと、決意の表れだとでも思ったのか、何度もうなずき、手を放した。

「つい先日、君が侍医団に見習い医師として入ったのは、神のさいはいだよ」

 言ってから、あわてたようにトマスは微笑んだ。

「もちろん、君の努力がちゃんと実っての結果だというのは知っている。女性でありながら、侍医団に入るなんて快挙だよ。その後も勉強を続けているからこそ、君は殿でんの体調異変に気付いたんだろう?」

 まばたきをひとつした後、トマスはにゆうな表情を改め、口角に力をこめる。

「正直なところ、今の侍医団は、あまり信用ができない。殿下を守れるのは、われわれしかいない。殿下と共に暮らし、その異変の原因をぜひ、き止めてくれ」

(た、体調の異変……? 王太子って、病気なの……?)

 額に冷やあせをにじませながら、アイシャはめまぐるしく考える。

「陛下がたおれられて以降、殿下はひとりで政策を進めておられる。多分、無理しておられるんだろう」

 ほう、とトマスは深い息をき、大きな手で顔をでた。

「殿下のお母上がご存命なら、後ろだてとなってくださっただろうが……。キャベンディッシュ家ともえんが深かったからね」

 苦い笑いをかべたトマスに、アイシャはおずおずとうなずいてみせた。

「それに、生きてさえいれば、第二妃ごときのマルゴット家にこれほど大きな顔をさせなかったにちがいない。ハリソン王子にも」

 にくにくし気に吐き捨てる様子を見ながら、アイシャは徐々に自分の指から熱がうばわれてゆくのを感じた。

(……マルゴット家……。マルゴット共和国の母体を作った一族……)

 じゆうほうけむりに包まれたあの国。

 その争いの種を振りまいたハリソンという男。あれは、マルゴット家出身だ。

 そして。

(パドマも、その男のせいで、しよけいされるんじゃなかったっけ……?)

 そうだ。確か、処刑されるのだ。

 戦場でりよう活動をしていて敵にばくされ、引き渡しこうしようのもつれのすえ、シザーランド皇国でざんしゆではなかったか。

 きようねん二十だ。

 その死の真相や、なぜ、男性優位社会であった時代に侍医団に入り込むことができたのか、という多くのなぞを残した人物ではあるが、彼女が女性の地位を向上させ、医療を改善させたことは確かだ。死後数十年ってから、教会により、聖女にも認定されていて、彼女の名をかんした女子修道院も現存している。

 ぞわり、とはだが総毛った。

 を撫でるのは、さっき味わった死への恐怖だ。じんに、ざんこくに、いともたやすく自分の命を握りつぶされそうになった、あの体験。

(……二度と、あんな思いはいや……)

 胸をあつぱくされたような苦しさに、まゆを寄せた。は、は、と口から速い呼吸がれて、アイシャは両手で口元をおおう。急に現れた体調の変化に、自分自身まどった。

「やはり、体調が悪いんじゃないのか?」

 トマスが顔を寄せてくるから、慌てて首を横に振る。意識して呼吸を深くする。ぜんめいは聞こえないし、ゆっくりと息を吸い込むことで、指先に熱が回ってきた。

「あの……。ちょっと、きんちようして……」

 ぎこちなく微笑むと、トマスもかたの力をいた。

だいじようだよ。君は、十六歳になったたん、本当にれいになって……。王太子殿下も、きっと大事にしてくださる。自信を持ちなさい」

 十六。

 ごくり、とアイシャは息を?む。

(パドマは、二十歳はたちで処刑されている。ということは……、あと、四年?)

 自分に残された時間を想像した途端、時計の針が動く音を聞いた気がした。

「本来であれば、こんやく者同士とはいえ、結婚前のむすめを、男といつしよに住まわせるのはどうかと思うのだけど……」

 トマスは、ほんの少しまゆを下げた。

「お前のたっての願いだし。殿下のお身体も心配だしね。心をなぐさめてあげておくれ。ここが、ん張りどころだ。なんとしても、マルゴット家の勢いを止めねば」

 窓の外をいちべつし、トマスは吐き捨てる。

「殿下も我々も目を光らせているが、かげでやりたい放題だ。特に外交筋なんて……」

「マルゴット家は……。貿易で……、財を成してましたもんね……」

 つぶやくと、はぁ、と盛大にため息を吐かれた。

「海外で何をやっているのか考えるだにおそろしい。いろんなことが、今まで不備すぎた。急ぎ、殿下と法案を作っているところだよ」

 小さく舌打ちしたトマスの視線は、窓の外にえられたままだ。

「あいつらは、この国を見ていない。他国にばかり、ぎらぎらした目を向けて、つめいでいるが……」

 わしわしと、乱雑に頭をいた。

「自分たちの爪ときばを過信しすぎている。他国も我々をねらっているのだ、ということをわかっていない」

 そうだ、領土拡張政策だ、とアイシャは思い出す。

 ハリソンが。いや、トマスの口ぶりでは、彼個人ではなく、マルゴット家全体がし進めようとしているのだろう。

「他国を……。この国の領土としてへいごうしようとしている……?」

 おそるおそるたずねると、はん、と鼻を鳴らされた。

「そんなにうまくいくものかね。かもだって、殺される時は必死でていこうする。その首を噛み切るほどの牙があいつらにあるものか」

 だが、彼等は、「ある」と思っているのだ。そして、そのマルゴット家を止める力が、準備が、まだ王太子にはできていない。

「いいかい、パドマ」

 トマスはうれいを帯びたひとみを向ける。

「我々が王家のいしずえとなり、殿下を、お守りするんだ」

 だが、彼は死ぬ。

 エドワードが二十歳でびようぼつし、後を追うように父王がぼつしたことにより、王位は異母弟ハリソンに移行するのだ。そして、エドワードの婚約者であったパドマは、ハリソンの婚約者に収まり、新時代が幕を開こうとしたかに見えた。

 しかし、そうはならない。ハリソンが、東のりんごくラシアと共に推し進めた領土拡張政策という名の戦争によって、パドマは二十歳で敵国シザーランド皇国にらえられ、斬首される。

 その後ハリソンは、ダブリー王朝をはいし、マルゴット王朝をおこすのだが、それは常に血と戦火にいろどられた時代だった。ラシア国との同盟はあっけなくたんせんりよう地として支配したシザーランド皇国の根強い抵抗。

 それらは、国を富ませるどころか、すい退たいさせていくばかりだった。

 ハリソンから数えて三代目の時、クーデターがぼつぱつ。王制を廃し、共和国制度を採り入れた新たな国づくりが始まった。だが、争いは常につきまとう。

 数百年前のハリソンがもたらした領土拡張問題が、現在まで近隣国にこんを残し、くすぶる火種となってマルゴット共和国の発展をはばんでいる。

(すべての混乱は、ハリソンに端をはつしてる。パドマも、彼に殺されたようなもんだわ)

 交渉に応じず、当時、絶大な人気を博していたであろう彼女を、あっさり見捨てたのだ。

 いや。

 ハリソンが、ではない。

 トマスの話を聞く限りでは、今現在の、ダブリー王家はひんだ。数年後など、もっとけいがい化している。王朝を実質動かしていたのは、マルゴット家。

 で、あるならば。

 パドマを殺したのは、マルゴット家であり、ハリソンである、ということになる。

 それはそうだ。パドマの父親がこんなに公然とマルゴット家に敵意を示しているのだ。交渉に応じ、彼女を取りもどしたとしても、やつかいな荷物にしかならない。そのまま敵国で処刑してもらった方が楽だ。

(……だったらなんで、パドマを王太子になんて……?)

 眉根を寄せる。

 エドワードが没したのち、ハリソンが、パドマを王太子妃に指名するのだ。

 この段階で、さっさと手を切ればよかったのに。

(ん……。ちょっと待って、ちょっと待ってよ。……だとしたら)

 ふと、てんけいに似たひらめきがアイシャに降りた。

(エドワードとかいう王太子を生かしておけば、パドマは、生き残るんじゃ……)

 そうだ。ハリソンの婚約者におさまってしまうから、パドマは死ぬのだ。

 だったら、エドワードを生かせばいい。ハリソンが王位をげないようにしてしまえばいいのだ。

 今現在、本物の〝パドマ〟がどうなっているのかわからないが、彼女がまた戻ってくるまで、このじようきようを切り抜けねばならない。ひょっとしたら、彼女がこの身体からだに戻ることで、アイシャも未来の世界に帰れるかもしれない。

 今後、戦争は起こるかもしれない。パドマはまた、医療団を組織し、戦地に行くかもしれない。そこでまた、りよとなるだろう。

 だが。次にこうしようしてくれるのは、ダブリー王家のエドワードだ。マルゴット家のハリソンではない。

 エドワードに愛され、大事にされたならば。

 きっと、彼はパドマを救い出してくれるだろう。

 そう。

 エドワードが、生きてさえ、いれば。

(そうすれば、歴史も変わるかもしれない)

 ぎゅ、と固くこぶしにぎる。

 アイシャが活動していた難民キャンプ。あの風景が胸をよぎる。

 あそこで日々起こるふんそうは、マルゴット王朝が設立されたところから始まった。

(あの難民キャンプの人たちの未来も、変わるかも)

 エドワードが死なず、王となってダブリー王家を継いだ世界。

 そこには、ひょっとして現代まで長引く戦争も、内乱も、紛争もないのではないか。

 平和な、未来がおとずれているのではないか。

 アイシャはぐい、とあごを上げた。

殿でんを。お守りします」

 力強く、そう宣言した。

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