第43話 プロポーズ

「ありがとう」

 珍しく遥香がお茶を入れてくれた。中身はハーブティーだった。

「相当疲れてますね。二日連続で飲まれたんですか?」

「ああ」

 遥香らしくそれ以上は追及することなく、会話は終わった。

 昨夜のロスとの飲み会はかなりディープだった。薬膳料理の効能か、元気を回復した私は、珍しく学生のようにロスと二人で夜の街に繰り出し、夜の蝶との会話を楽しんだ。若い頃に戻った気分がした。

 ところが、今朝は最悪だった。一昨日と違い、昨夜はちゃんとベッドで寝たが、スーツの香水の匂いが凄かった。寝室に何とも言えない甘い匂いが漂っていた。起こしに来た理央も愛想をつかしたかのように、何も忠告することなく無言で沙穂と出て行った。

 二人が出かけてから、昨日のロスの話を思い出した。受ける受けないは別にして、ロスが抜けた後の経営メンバーの一人に、自分を推薦したということ。そしてその打診が今日あると言うことを。

 出社して二時間経って、梅川から直接電話があった。社長室に至急来て欲しいというオーダーだった。

 社長室に入るとフェリックスと梅川が待っていた。

「急に呼び出して申し訳ない。ロスの話は梅川から聞いているね。今日はそれに関連した重要な話があってここに来てもらった」

 フェリックスも多少緊張して話している。

「実は慎一に、広報担当の執行役員として経営会議メンバーに入って欲しいんだ」

 フェリックスの横に座る梅川を見ると、断ることは許さないという目で、私を睨んでいる。その顔が予想通りなので、笑いが出るのを堪えて、必死で神妙な顔をした。

「私は妻の死が無ければここに来ることもなく、今でも国内営業の第一線で働いていたと思います。今、このお話に乗るのは、まるで妻の死を利用したみたいで心苦しい」

「それは私には理解できないメンタリティです」

 フェリックスはそう言い切った。

「私は多少理解できる。だが今のポジションでも、家庭と仕事の両立に君は十分苦しんだと思うが」

 梅川も今までにない真剣な顔だ。

「このまま私が固辞し続けても、平行線を辿るだけだと思います。少し時間をもらえませんか。今は経営会議の準備で頭がいっぱいです。五月の連休でゆっくりと考えて、結論を出したいと思います」

 梅川はここで結論を出したかったのか何か言いかけたが、フェリックスが押しとどめた。

「分かりました。あなたも考える時間が必要でしょう。いい返事を期待します」

 社長室を辞した直後の私の心は意外とすっきりしていた。自分でも珍しくこの難題に迷いがなかった。三○階の居室に戻りながら、これから取るべきアクションスケジュールに思いを巡らした。

 しかし私が考えることはこれだけでは終わらなかった。翌週その知らせは思いもかけない人物からもたらされた。

「高倉源治だが、元気でやってるか?」

 低くて貫禄のある声が電話口から流れてくる。

「私は変わりないですが、高倉家に何かありましたか?」

 思い寄らない相手からの電話に緊張が走った。

「今、水道橋に来ているんだが、少しだけ出て来れないか?」

 源治がノンアポでわざわざ水道橋まで来て、自分に面会を求めてくるとは、尋常ではない予感がする。すぐに承諾して指定された駅前の喫茶店に入った。

「お久しぶりです。こうしてお会いするのは、旧本社の内覧会以来ですね」

「そうだな。あの時はお前のスピーチに完全に一本取られた。ハハハ、あのぐらいきれいにやられると逆に気持ちいいもんだ」

「いえ、おっしゃるほどの働きはしていません。ところでわざわざこんなところまでお出でになったのはどうしてですか?」

 私の問いに、それまでのにこやかな表情が消えた。

「アレクサンダーロスがPearに引き抜かれる話で、美枝ばあさんが騒いでるんだよ」

「高倉美枝さんですか?」

「そうだ。前にフェリックスの社長就任の時に、和江さんが不快だと言ってぶんむくれたことを覚えているか?」

「はい、梅川さんから聞きました。でもあの時は特に大きな騒ぎにならず収まったように思いましたが」

「あの時は最終的に俺が宥めたんだ。あんな誤訳で騒ぐのも馬鹿らしい話だし、これだけグローバルに大きくなってしまっては、外人が舵取りするのも有りかと思ったのでな」

 なるほど、やはり源治は最終的には経営者の目を持っている。伊達に専務をしていたわけではない。

「和江さんの話と美枝さんの話がどう関係するんですか?」

「あの時、和江さんを煽ったのが美枝さんなんだよ。あのばあさんTECGには少し恨みがあるんだ」

「恨みですか?」

 初耳だった。

「ああ、あのばあさんの息子に孝一という息子がいるんだが、これのできが悪い。それだけにばあさんとしては何とか高倉電気に入れたかったんだが、将志さんが社長をしているときに、高倉家の子女は入社させない方針を出したんで、それもできなくなった」

「でも貴志さんは優秀だけど、高倉には入らなかったじゃないですか」

 貴志は源治の長男で、今は三倉銀行の執行役員をしている。

「ああ、貴志は縁続きの高倉より三倉が良かったと言っている。だが孝一は相当ばあさんに甘やかされたようで、性格が悪いんだ。だから今は自称コンサルタントと称して、碌に仕事もしないでブラブラしている毎日だ」

「それじゃあ仕方ないんじゃないですか。今のTECGに入ったとしても、仕事ができなければ例え高倉家でも出世はできない」

「そうだ。だが美枝はそう思ってない。自分達は高倉電気に世話になる権利があるくらいに思っている。だから孝一に世間的な肩書きを付けてやらないどころか、外国人に経営を引き渡したことを怒っているんだ」

「逆恨みですね」

「そうだ。もう業のようになってるかな。フェリックスの挨拶の件は誤訳で治まったが、ロスがたった一年で引き抜かれたのを見て、いい加減な外国人が会社を食い物にすると再び騒ぎ出した。それに今年の総会で貴志を社外取締役にしたじゃないか。それも美枝さん的には気に入らないんだ」

「でも源治さんと違って、倉援会がバックにあるわけじゃないし、大丈夫じゃないですか?」

「甘く見るな。ああ見えても本家筋の最長老だ。しかもたった一年でロスが退職することは客観的な事実だ。和江さんと二人で株主総会の席上で糾弾したら、結構な混乱になって否決されてもマスコミは騒ぐぜ」

「そうなるとTECGの経営がまとまってないように見られます」

「それだけじゃない。有永の馬鹿も一枚噛んでいるようだ」

「有永さんも! どうして分かったんですか?」

「有永が俺にばあさんの方に付くように言ってきた。あいつはこれが社長へのラストチャンスだと思っている」

 有永は源治が営業本部長をしていた時の腹心だ。応援要請をしても不思議じゃない。

「どう対処されたんですか?」

「俺の持ち株の価値を下げるつもりかと、怒鳴りつけてやったよ」

 確かにそうなれば株価への影響は大きい。

「それで私にどうしろと言うんですか?」

「お前に任すよ。今のTECGの中でこの問題に一番対応できるのはお前だけだと思う」

 源治はそう言ってニヤリと笑った。

「買いかぶりすぎです」

「いや、フェリックスは糾弾される当事者で、梅川はそっちよりだ。どっちが動いても美枝さんは納得しない。その点お前は高倉寄りだと思われている。社史編纂室がそのまま残ると聞いたとき、あまりにも実態とかけ離れているんで不思議に思ったが、こういう事態になるとなかなか先見の明があったということだな」

 そう言って源治はガハハと豪快に笑った。私はまったくそういう意図で組織名を残したわけではないのだが、結果的にそれが今回の火消し役が回ってくる原因となってしまった。

 かくして私は自身の問題に加え、もう一つ問題を抱えてしまった。


 源治と話して一週間が過ぎ、五月連休に入る直前に私は遥香を食事に誘った。いつもは気軽に話ができる居酒屋などで飲むのだが、今日は西新宿の高層階にある、パノラマビューで有名な全席カップルシートのイタリアンレストランを予約した。

 ロケーションに合わせて今日の遥香は珍しくフェミニンなフレアのスカートに、襟元が可愛いシャツを着ている。いつものキャリア風の装いも似合うが、こういう服も似合うんだと感心した。一方、遥香は思いもかけぬロケーションに最初から緊張気味だった。

「星野さんらしくないお店ですね。どうしたんですか?」

「いや、眺めのいいところで話がしたいと思って、吉木君に聞いて予約したんだ」

「私は星野さんと話ができるなら、居酒屋でいいんですけど」

 今日の遥香は歯切れが悪い。私からこういうところに誘われることに、調子が狂っているのかもしれない。

 食前酒のワインで乾杯して、私はしみじみと切り出した。

「長いもんだなぁ。長池さんがうちにやってきてからもう六年になる。社史編纂室に二人の正社員がいる状況に驚いたし、その後梅川さんが持ってくる特別ミッションにも戸惑った。こなしていけたのは、長池さんがいてくれたからだと思う。本当に感謝しているよ」

「まさか、異動の通知ですか?」

 勘の鋭い遥香は、私がそういう話をするためにわざわざ誘ったのではないかと警戒の色を滲ませる。

「相変わらず鋭いなぁ。君に回りくどい話し方をしても意味がないと思うので、正直に話すよ。君をCC部に新設される企業情報統括室長に推薦しようと思う。今の社史編纂室が持つ経営支援機能を、メンバーごと全部移そうと思っている」

「星野さんはどうするんですか?」

「私は、ここに残る」

「お断りします。私にはまだ早いです」

「君の最終目標は広報担当の執行役員になることだろう。それなら決して早くはない。それに君がそのキャリアパスとして社史編纂室に来た目的は、もう十分に果たせたんじゃないかな?」

「そんなことありません。まだ目的は全て達成していません」

「それでも、秘書室の鈴川早紀さんや小川絵利華さんが、今回の異動で新天地に動くように、君もそろそろ次のキャリアを経験しないと、最終目標に届かなくなってしまうと思うんだ」

 遥香が普段は涼しげな切れ長の眼を大きく見開いて、私を睨んでいる。その目はそういうことを論じているんじゃないと言っていた。

「私はまだここで仕事をすることを希望しています。どうか無理な異動をさせないでください。それとも私が邪魔ですか?」

 珍しく遥香が論理ではなく感情で話している。私はここまで来て綺麗ごとをいっても仕方がないと思い、本音を告げることにした。

「正直、この大きな所帯を苦痛に感じている。残りの会社人生はサポートに徹してのんびりとやっていきたい。それで――」

 そこまで言ったとき、遥香が泣いていることに気づいた。驚いてその後の言葉を言い損ねてしまった。

「私はまだ男の人とちゃんと交際したことがありません。つきあおうと言われてデートしたことは有りますが、どうしても好きになれないのでおかしいのかなと思っていました。それが二七才のときにここに異動になって、六年間一緒に仕事をして、人を好きになるってこういうことだと、初めて分かりました」

「でも君には大きな目標があるじゃないか」

 私は思わぬ方向に話が飛んだので、なんとか話を元に引き戻そうとした。

「だから初めて男の人を好きになったと言ったじゃないですか。友達が好きになると他のことはどうでもよくなる、って言ってたのがようやく分かりました。今はそんなことはどうでもいいんです」

 私は今日描いていたシナリオが完全に崩れたことを理解した。焦った私は、

「いやそれは困る」と言ってしまった。

「何が困るんですか。私が最近どんな気持ちで仕事をしていたか分かりますか。あのとき恥ずかしさで死にそうだったのに、思い切って話した五年後の話は一向に答えを貰えないし、ここで異動したら姿も見えなくなって、毎日不安でいっぱいになるじゃないですか。早紀さんや絵利香が転入してきて、いつも星野さんの心が二人のどちらかに惹かれてしまうんじゃないかと思って、心配で不安になって夜も眠れなくなって、二人が異動したときホッとしたんです。それで正直に自分の気持ちを言ったらそれは困るって……」

 私の拙い言葉に遥香は怒ってしまった。慌てて、

「違うんだ、まだ話は最後までしていない」と、落ち着かせようとしたが、

「聞きたくありません。また仕事の時のように私の気持ちをうまく丸めこめようとしているんだ」

 クールな遥香が珍しくむきになっている。どうしていいか分からなくなって、思考を止めた。

「婚約しよう、婚約して一緒に暮らし始めよう」

「えっ……」

 もうわけが分からず、理路整然と言い出すつもりだった言葉をいきなり言ってしまった。興奮していた遥香もわけが分からないみたいで、抗議が止まった。

「私も部署が別れて簡単に会えなくなったら寂しくて辛いから、婚約して一緒に暮らそう。結婚は下の沙穂がせめて中学生になるまで、待ってくれないか。今年十才になるから後三年だ。待ってもらう代わりに、今度は私が君だけのために公私共にサポートする」

 遥香の返事はなかった。断られるかなと嫌な予感がした。

「嫌です」

 リジェクトされた。確かに今年四四才になるバツイチ子持ち男に、初婚の遥香はもったいない。

「そんなプロポーズは嫌です。何か私のために結婚するみたいじゃないですか」

「そんなことはない。私が結婚したいと思ったんだ」

「でも、一度も好きだと言われてないのに婚約なんてできません」

 これは難問だった。五十に近い男が好きだと言うのはむちゃくちゃ恥ずかしい。

 それでも遥香は黙って、私の言葉を待っている。おそらく、好きだと言わない限り、今日は許してもらえないだろう。

「遥香さん、好きです、結婚してください」

 一度で済ませたくて、大きな声で依頼された言葉を全て言った。恥ずかしさで私の顔は真っ赤になったが、聞き終わった遥香の目から涙が零れた。

「お受けします。私をもらってください」

 遥香の涙を見て、私は強い衝動に突き動かされた。細い肩に優しく手を置いて、そっと唇を重ねた。店内だったが不思議と恥ずかしさはなかった。正面のパノラマウィンドウから周囲のビルの灯が優しい光で二人を祝福した。

 背後でウェイターが料理を持って近づいてくる気配がした。唇を離して正面に向き直ると、カッと恥ずかしさがこみ上げてきた。それは前菜だった。やっぱり素晴らしい店だ。私たちが何か大事な話で言い合ってるとみて、料理を出すのを控えてくれていたのだ。

「コングラチュレーション、と言ってもよろしいですよね」

 そう言って、そのウェイターはウィンクした。

 思わず、「ありがとうございます」と返していた。

 その後は、不思議と結婚の話をしなかった。二人の間には、仕事以外で共有しなければならないことがたくさんあった。家族、趣味、好きな食べ物、本や音楽の好み、もっともっと相手のことが知りたかった。

 あっという間に時間が経って、食事の時間が終わり会計を済ませて外に出た。送って行こうと申し出ると、近いから大丈夫だと言われた。きっと理央と沙穂に気を使っている。

 それなら週末に、指輪を選ぶためにもう一度会おうと、約束して別れた。


 自宅に着くと既に一一時を回っていた。沙穂はもうベッドに入っていたが、理央はまだ起きていて、自分の部屋で本を読んでいた。話があるんだけどいいかと声を掛けると、風呂に入ってからにしたらと言われた。

 風呂場でまだ気持ちがフワフワしていることを自覚し、シャワーの湯を思いっきり熱くして引き締めた。

 風呂から出ると、理央がコーヒーを淹れてくれていた。ダイニングテーブルで向かい合わせに座って、コーヒーを一口飲むと、急に何から話していいか、分からなくなった。理央は黙って座って、私の話が始まるのを待っている。

 意を決して口を開いた。

「父さん、婚約しようと思う」

 それだけ言うのが精いっぱいだった。

「そう」

 意外と静かな反応だった。

「いいのか?」

「いいよ。いつ結婚するの?」

「三年後」

「三年、長過ぎない。お父さん四七才になるよ」

「せめて、沙穂が中学生になってからと思って」

「沙穂か、確かに慣らしは必要だね」

 ちょっと待て、あまりにも話がスムースに進み過ぎる。おかしくないか、この家に他人が入って来るんだぞ。

「理央、お前平気なのか?」

 私の問いに理央は少しだけ間を空けた。

「その人、いくつなの?」

「今年三三才になる」

「初婚なの?」

「ああ」

「そうか、じゃあさすがにお母さんとは呼びにくいな。年の離れたお姉さんって感じかな。」

「そうじゃなくて、お前はどう思うのか聞きたいんだ」

 やや強い私の問いかけに、もう一度理央の言葉が途切れ、少しだけ沈黙の時間が訪れた。

「もう大丈夫」

「もう?」

「去年、沙穂が保育園を卒業したときに、 お祖母ちゃんに言われたんだ。お父さん、もしかしたら再婚するかもしれないよって」

「美穂子さんが……」

「お祖母ちゃんがね、お父さんはまだ素敵だし、沙穂が一番手がかかる時期が終わった以上、将来のことを考えると誰かと一緒になった方がいいって言ったんだ。考えなかったら考えさせなきゃいけないとも言ってた。そうでないと私や沙穂が自由にならないって言ってたよ」

「そんなことない。父さんは別に一人になっても大丈夫だよ。お前たちを頼ったりはしない」

「それは会社にいるうちだけだって。おじいちゃんも退職したら、一人だったら辛かったって言ってたって」

「お母さんのことが気にならないのか?」

「お祖母ちゃんとその話をするようになって最初は考えたよ。でもお祖母ちゃんに言われた。お母さんは死んだんだって。だからお父さんが再婚しても、裏切ったことにはならないよって。だって私たちがいるのに忘れられるわけないじゃん。忘れなきゃいいんだよ」

 言葉が出なかった。ドライというわけじゃない。でもドラマなんかで見る思春期の子とはだいぶ違うという気がした。

「沙穂も大丈夫だよ。元々沙穂はお母さんの記憶なんてほとんどないんだから、私とお父さんがお母さんも兼ねてるから」

「そういうものか?」

「今まで七年間、お母さんのことで寂しい思いをしないように、一生懸命やってきたでしょう。だから大丈夫。それよりも、家をリフォームしなきゃ」

「リフォーム?」

「そう、これもお祖母ちゃんと話したんだけど、私はともかく沙穂はまだ一人暮らしできないでしょう。だから私と沙穂と、お父さんが暮らす空間を少し独立させるの」

「そんな必要ないよ」

「お父さんは良くてもお嫁さんは気にするの。そういうところ気を使わないと、愛想尽かされるよ。それに私達だって、少し距離置ける空間がないとさすがに辛いし」

「そういうもんか――」

 少し寂しかった。

「じゃあいいね」

 この娘はそんな寂しさなど関係なく攻めてくる。何も言えないでいると、

「明日、リフォーム屋さんに相談に行こう。早く帰ってきて」

「えっ、明日は早くないか?」

「じゃあいつ行くのよ。こういうのは行ける時に行かないと、どんどん後回しになっちゃうの」

「でも結婚は三年後だし、お金だって用意しなきゃいけないし」

 そう言えば婚約したら一緒に住もうと言ったのだった。すっかり動揺している。

「婚約したら家に来るでしょう。いつも外で会うんじゃなくて、私達だって慣れなきゃいけないし。お金のことだって見積もり貰わないと、用意できないでしょう。それにお祖母ちゃんも貸してくれるって言ってたよ。元々国分寺に一緒に住もうって言ってた時のお金が、そのまま残ってるんだって」

 そんなことまで話してたのか。この時私は女という生き物は、ホントに現実を見て生きているんだと実感した。

「分かった。全て理央の言う通りにするけど、お金は自分で出すよ。後、今日プロポーズするときに婚約したら一緒に住もうと言ってしまった」

 これにはさすがの理央も少し呆れ気味に言った。

「そんな大事な話をして、何も考えてなかったんだ」

「すまん」

 謝る以外になかった。

「今度いつ会う予定?」

「今週の日曜日に指輪を買いに行く」

「指輪渡してないの!」

「いや断られるかもしれないし、指のサイズ知らないし」

「ホント、これだからおじさんは! よく婚約とか言うよね。まあいいか。それじゃあ、日曜日に私も会うから指輪買いに行く前に時間を作って」

「お前も会うのか?」

「当り前じゃない。初婚なんでしょう。時間が経つと漏れなくついて来るこぶのことが、どんどん気になってくるよ。早く会って、安心させた方がいいって」

 完全に理央のペースだった。話している内に理沙のことを思い出した。結婚する時もこんな感じで理沙のペースに合わせていたことを。その頃を思い出して、少し楽しくなった。

「分かった。じゃあその他のことは明日リフォーム屋に行ってから話そう。理央、ありがとう」

 理央は少し照れたようだった。

「いいよ。お父さんは愛想を尽かされないことだけを考えてね。他のことは私とお祖母ちゃんとで考えるから」

 私は笑って頷いた。

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