第41話 大きな野望と小さな野望
久しぶりに長澤がオフィスに顔を出した。二人で話したいというので、目黒の居酒屋で飲むことにした。入社した頃目黒には研修センターが在り、新人研修の帰りによく飲みに行ったものだ。
まだ会社や組織に縛られることもなく、個人としてどちらが上か競い合ったものである。
青臭い主張を交わしてるときにも、同士的な感情でつながれた時期でもある。
「どうしたんだ。差しで飲みに行こうなんて珍しいじゃないか?」
私はどことなく暗い影を長澤の表情から感じ、わざと明るく聞いてみた。
「今年の株主総会で有永さんが退任する予定だ」
「その話は聞いている。今のグローバル体制の中から締め出された形になったな」
私の見解に対して長澤の表情が曇る。
「有永さん自身は、現体制の中で数少ない日本人役員として存在感を出すつもりでいたんだ」
「そうなのか、それは知らなかった。ではなぜ――」
「俺が引導を渡した」
そう言って長澤は私の顔をじっと見た。表情は暗いが目には闘志が宿っている。暗く見えるのは店の照明のせいかもしれない。
「お前が辞めろって言ったのか?」
「直接は言ってないが似たようなものかな」
「話が見えないが」
「国内営業は、今年の取締役会で全国六つの販社を統合してTECGジャパンとして分社する」
驚いて声が出なかった。もし実現すれば売上高二兆円の巨大な国内企業が誕生する。
「俺からフェリックスに提案書という形で直接上奏した」
「有川さんを抜かしてか?」
「そうだ、有川さんにはこれまで何度か話したが受け入れてもらえなかった。やむに已まれずといったところだ」
「なぜ分社しなければならない?」
そこが見えなかった。
「去年の経営会議でお前が発表したアジャイルの影響だ」
「……」
「あの場で正直、衝撃を受けたよ。俺たち国内営業は伝統的に現場の判断を尊重する。常に前を向いて勝機があれば素早く行動する。そういう歴史を受け継いできたと思っていた」
「その通りだ。だからあれだけの好業績をあげてきたし、だからこそあの場でも紹介させてもらった」
昨年遥香と一緒に作成した高倉将造を知る元従業員のインタビュービデオは、見方を変えれば国内営業の成り立ちとも言えた。
「だが、今はそれが消えつつある。重要な判断に直面すると経営陣を意識してグローバルな意向に合うかどうかを気にする。有永さんは、部門会議の中でグローバルを連呼しながら、新規案件を打ち出す部下を罵倒している」
「それは知らなかった」
「それに人材戦略も方向が違う」
「新卒採用か?」
「そうだ。ダイバーシティを疎かにするわけじゃない。でも今はやりすぎだ。俺は国内営業にはTECG一筋の人間が必要だと思っている。だが今の採用数では優秀者が採れん」
それは私も感じていた。新卒採用で社風に合い、組織に合ってリーダーが育つ確率は、どんなに採用方法や育成方法を変えてもそう変わるものじゃない。やはり良い人材を獲得するにはある程度母数が必要となる。
「それと、本体に留まってはSI事業に限界が来る」
「限界?」
「ああ、吉木の話では自社製品だけで顧客提案するにはコスト的に無理な顧客が出てくるらしい。市場を開拓するには自社製品以外も組み合わせて提案する必要がある。だから分社はやつの強い希望でもある」
「なるほど、分社の必要性は理解した。それで有永さんはなぜ新会社の社長にならないんだ?」
「有永さんには、以前無理言って踏みつけてきた販社と同格になるのが許せないようだ。プライド髙いからな」
「はあ~」
なんとつまらないプライドなんだと呆れて言葉が続かなかった。パイオニア精神の欠片も見いだせない。
「まあ、しかたないだろう。今まで経営の頂点に手が届く距離にいたんだ。だが、今は正直なところ有永さんが社長にならなくて良かったと思っている」
「それで退任か?」
「ああ、ただおとなしく退任するような気がしない。これはずっと有永さんの下にいたから感じる俺だけの考えだが、退任前に姑息なしかけをしてくると思う」
まったく人騒がせな人だ。プライドが高くてあきらめが悪い、そんな人間を補佐してこいつもたいへんだったなと思った。
「それで新会社の社長は誰がやるんだ?」
「下条さんがすることになった。フェリックスから自分の提案は責任を持って自分が果たせと直々に言われたが、俺はシンガポールに行く」
「下条さんか」
下条さんは我々の三年先輩にあたる。朗らかで逆境に強い性格で、国内営業の中でも信頼が厚い。
「俺は、まだ日本しかマーケットを知らない。俺自身が外国でも通用するか、自分でも分からない」
「どうして、営業本部長のポストを蹴って、シンガポールに行こうと思ったんだ?」
長澤は私の顔を見てフッと笑った。
「お前を見て分かったんだ」
「どういう意味だ?」
「お前は家族の事情で、一見今迄のキャリアとまったく関係ないポジションに行った。だが、今を見てみろ。しっかりとフェリックスの構想の一部に食い込んでいる」
「買い被りだ。部下が優秀なだけだ」
「いや、今後お前がどうなるかはどうでもいいんだ。ここからは生き方だろう? それよりも今のポジション迄たどり着いたことがアメージングだと思っている。だから俺も今までのキャリアが通用しないところで自分を磨いて戻って来る」
「戻って来るポジションが無いかもしれないぞ」
「誰がそのまま戻ってくると言った。国内営業はもうじり貧だ。市場的にもこれ以上の拡大は無理だろう。日本は電機会社が多すぎる。だからシンガポールで社長に成る。そして、東南アジア全域に規模を拡大して、すぐに中国、韓国にも手を伸ばす。アジアで大きな存在になって、日本も取り込む」
長澤の目はギラギラ光っていた。
「お前、ホントに凄いな。心から応援するよ」
私は心からそう思った。この大きな野望を持つ同期を誇らしいと思った。
「ありがとう。向こうに行く前にお前に頼みがある」
「なんだ」
「社史編纂室をつぶさないでくれ。この名を残して欲しいんだ。既に経営企画の一機能となっている中で難しいことを頼んでいることは、もちろん承知している。だが新会社にとっても、これからTECGに転職してくる人にとっても、絶対に必要な部署だと思う」
長澤の目は真剣だった。これに応えなくてはと強い衝動が生じた。
「もちろんイエスだ。言われるまでもない。絶対に潰さないとお前に誓うぞ」
長澤の張りつめた気がみるみる緩むのを感じる。私たちはようやく新人のときに戻って飲み始めた。
長澤はシンガポール行きの準備が忙しいようで、私たちは三時間で切り上げて家路についた。
家に戻ると、十時を過ぎているにも関わらず、沙穂はまだ起きて本を読んでいた。理央は相変わらず部屋に籠っている。
実用書やノンフィクションが好きな理央と対称的に、沙穂は物語が好きだった。本を読みながら自分を忘れ、物語の世界に引き込まれている。
二人の読書傾向は、行動特性に大きく影響している。
例えば街中でトラブルに合って困っている知り合いがいたとき、いち早くそれに気づくのは沙穂だ。街中を歩くときも常に周囲の人たちの物語を空想している沙穂には、通常と違う状況にいる人に気づく感性がある。
ところが、実際にその人のところに駆け寄って、支援の手を伸ばすのは理央だった。困っている人に気づかないが、そうと知ると自然に身体が動くのだ。
どちらも一長一短だが、実際に困っている人に感謝され評価されるのは、圧倒的に理央だ。別に意識してそうなるのではなく、自然とそうなるから不思議だ。
だが沙穂はそれでもいいのだ。困っている人が救われたことを単純に喜び、また次の物語を探し始める。
今日の長澤には圧倒された。なんとスケールの大きな野望なのかと思った。長澤だけではない。梅川や遥香も、私には思いもつかない大きな野望を持っている。
理央はどちらかと言うと、これらの人たちに近い。
それに比べて私は沙穂に近い。いつも甘っちょろい理想に心を躍らせながら、物語を紡いでいる。だがその物語を実現する人は、自分ではないことが多い。
私や沙穂はそれで幸せなのだ。典型的なサポーター体質と言える。
長澤は私を見て気づいたと言った。私の紡ぐ物語を見て、自分のすべき行動を決めた。
そのけた外れにスケールの大きな野望は、私の小さな物語の延長にあるのだ。そんな影響に満足する私の小さな野望。こんな生き方があってもいいのだと思う。
私が勝手に同類だと思う沙穂を見ながら、愛おしさで気持ちがいっぱいになる。
「何だよ、何を見てるんだよ」
私の熱い視線に気づいた沙穂が、迷惑そうに文句を言ってきた。
「ごめんな、あんまり沙穂が可愛いから、ついついじっと見ちゃった」
「気持ち悪いなぁ、見るなよ」
沙穂には同類としてのシンパシィは生じてないようだ。おまけに理央の影響を受けてか微妙に口が悪い。
私は今日もう一つ真理を得た。似た者同士が必ずしも相手に好意を持つわけではないと言うことを。
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