第40話 史上最強のチーム

 フェリックスは経営方針会議の成功以来、TECGの経営改革を躊躇なく断行していった。人事部はシンガポールにプランニングの拠点を移した。経理は管理統制機能をロンドンに移した。一番驚いたのは開発本部長がアメリカ人に代わった。会社の中枢が外人に乗っ取られていく気がした。

 だがいいこともある。コストカットが平等になった。これまで、経営目標の達成のために、日本だけ多大なコストカットを強いられてきた現状があったが、海外も容赦なくコストカット目標を与えられた。今まで手をつけてないだけに、絶対額としては海外の方が多いくらいだ。

 あらゆる意味で、海外と日本が同じ条件で競っている。真のグローバル化とはこういうことかと思い知った気がした。

 フェリックスの社内プレゼン活動は、MBWA(歩き回る経営)の形で毎月行われた。日本の主要都市を、そして海外拠点を精力的に動き回る中で、私のチームは特別な存在となる。フェリックスの理想とする社内統治の姿を、日本人で固めた私のチームが最も良く理解し精巧に描き出し、訪問先の社員の理解と賛同を引き出した。

 その成果に対する報酬は抜擢の形で行われた。半年後、まず早紀が希望通り、人事部門のナンバー2として、シンガポールに異動となった。数年経てばグローバル人事部長になりそうな勢いだ。早紀はまだ三五才、これまでの日本の人事では、有り得ないことだった。

 そして年明けに絵利華が、ボストンのM&Aチームのヘッドとして出国した。ボストンはMITを中心に、産学一体となったベンチャー企業がひしめく土地だ。ここで成功を収めれば、ロスの後継者として絵利華の地位は確固たるものになる。

 思えば五年前に上司の持ち掛ける見合いを断れずに、私を頼ってきた二人が今や会社をけん引するキーマンに成長したのだ。

 例外もあった。遥香だけは本人の強い希望で異動を拒否している。彼女のキャリアプラン的にはそろそろ次のポジションに異動するべきだし、それに値する十分すぎる実績をあげている。

 しかし梅川も遥香の意志に同調して、そのままにしている。最近二人は妙に仲がいい。梅川にとっては、純粋な社史編纂室長に戻ろうとする私のコントローラーとして遥香は適任だと重宝しているのだろう。


 二人が抜けた私のチームには補充があった。入社五年目で国内営業としては驚異的な成果を上げた二七才の高木春馬と、国内代理店最大手の電報道から三一才の赤坂里香を迎え入れた。

 不思議なことに、私の強硬な希望が通って社史編纂室の名前はそのまま存続していた。梅川は反対を示していたが、フェリックスが許可した。ここに精鋭メンバー五名という史上最大にして最強の社史編纂室が誕生した。最も社内認知度はまだ知る人ぞ知るのレベルであるが。


 四月一一日、メンバー全員が初めて参集した日、青島が梅川に交渉して麻布十番で豪華な歓迎会が催された。参加者は社史編纂室メンバー五名+梅川だった。

 会場となった創作和食の店で、スポンサーが梅川であるだけに、青島はボトル四万円の黒龍石田屋を平然とオーダーした。最高級日本酒の持つ口当たりの良さと、それでいて奥底に潜む骨太い味わいに、参加者の舌も滑らかになってきた。

「それにしてもメンバー五名で取締役直下の社史編纂室って、普通有り得ませんよね」

 春馬は赤くなるたちなのか、大きな耳たぶを薄ピンク色に染めていた。

「高木君はここに異動になって不満なの?」

 小さな顔にショートカットで、ぽっちゃり唇がセクシーな里香が、横目で高木を見ながら絡み始めた。

「うーん、そうですねぇ」

 高木は急にはっきりしない口調になった。

「何よ、はっきり言いなさいよ」

 里香の追求は厳しかった。

「フェリックス社長になってから、国内営業があまり重要ポジションじゃないような感じで、今までよりも社内での格が落ちたというか……」

 確かにその感じはあった。TECGの収益は自分たちが稼ぎ出す、と言ったプライドと他部門からの認識が急激に低下している感は否めなかった。それは経営陣が国内営業を、米国や欧州と同じ一リージョンとして扱うことが原因だった。

「その気持ちは分かるな。以前は法務や知財を除くと、本社の人材はみんな営業出身者だったし、現に私も星野君も長池さんも営業出身だしな」

 梅川がしみじみとした口調で同調した。

「でも今は本社の営業出身者の比率はどんどん少なくなって来ています。キャリア採用者がどんどん増えて、ここだって青島さんと赤坂さんはそうだし」

「高木君、そんなに嫌わんといてーな」

 青島が冗談っぽく場を茶化した。しかし高木の真剣な顔は変わらない。

「いえ、青島さんも赤坂さんも尊敬してます。ただ、何となく高階社長の頃は本社や営業の人間という前に、まずTECGの社員だという意識が強かったのですが、今はそのカラーのようなものが消えたような気がして寂しいです」

「そうか、社史編纂室はその変化の最たるものだからな。違和感も大きいな。だから私は名前を変えようと言ったのだが」

 何となく梅川が自分を批判していることは分かったが、私の頭の中は別の思考でいっぱいになって反応しなかった。


――本当にTECGとしてのアイデンティは社員の中から消えてしまったのか?

 これこそ今の私にとって最も大きな命題だった。会社にとっての個性、それも伝統によって培われた個性を失ってはグローバルには一流企業には成れない。MBAではこれを企業DNAと呼んでるらしい。

 確かにもう新卒を採って、ローテーションして、最適な職種を探すような育成は無くなるだろう。フェリックスやロスは新卒採用自体に否定的だ。昔よく言われたTECGの社員らしさなど失われていくのかもしれない。

「今こそ私たちの部署が必要なんじゃないですか」

 それまで沈黙していた遥香が口を開き、私は現実に引き戻された。

「キャリア採用者の比率が高まろうと、組織編成が変わろうと、私たちはTECGとして一人ひとりが共通的な特徴を持ちながら、その上で個性を発揮することを求められています。だってICBもPEARもそれはちゃんとできてるじゃないですか」

「遥香さんの意見に賛同するわ。私がわざわざこの部署に転職したのも、グローバル化に揺れる企業が、企業特性を保ちながらどうやって変化するのか、この目で見たいと思ったからだもの」

 遥香と里香、女性二人はしっかりとこの場所で自分の立ち位置を認識し、納得しているようだ。しかし私はそこまで明確に言い切れないでいた。

「星野さんはどう思ってるんですか? これまで何度も社史をもって問題解決をしてきた星野さんの意見が聞きたいです」

 遥香が挑むように聞いて来た。全員の注目が自分に集まっている。さすがに沈黙を続けるわけにはいかなかった。

「まだ明確に使命感は感じないんだ。こんなリーダーで申し訳ないんだが――ただ、社史を調べていく内に突然強く反応する時がある。血が騒ぐような。おそらくTECGで働いていて自然と培われてきた何かがあって、過去と共鳴するんだと思う。そんな時、『ああ、これはみんなに伝えなきゃいけない』と強く思うんだ。それをいろいろな機会を持って社員に伝えていけば、TECGらしさを保つことはそんなに難しくはないような気がする。楽観的だけど」

 全員が真剣に聞いている。あの梅川までも――

「そして、今はそれを伝えるために十分なスキルを持つメンバーが揃ったと思う。去年の経営会議の時に青島さんがいてくれて、本当に伝えたいことがうまく表現されたと思う。だから今年は新メンバーが入って、もっとそれがスケールアップしそうな可能性を感じる」

「やりましょう。吹っ切れました。私は精いっぱいがんばります」

 高木が感激して頑張る宣言をした。クールな外見とは違って意外と情熱的だ。他のメンバーもその姿を見て嬉しそうな顔になっている。中でも遥香が今日一番の笑顔になっていた。

「よし、今日はとことん行くぞ!」

 梅川の言葉で、酒宴は更に盛り上がっていった。


 家に着いたら、既に一時を回っていた。当然ながら娘は二人共、最近新しく買ったベッドの中だ。キッチンでグラスに水を入れ、リビングのソファに座り、半分ほど一気に喉に流し込む。焼けつくような喉の渇きはそのぐらいでは治まらず、更にもう一口飲むと、今度は胸焼けが始まった。


 水道橋の駅で里香と一緒になった。ひざ丈のグレーのタイトスカートに白のトップスが、できる女感を引き出している。前髪を揃えたロングヘア―と、肩から下げたデカバッグがカジュアル感を出して、柔軟な頭脳をアピールしている。

 ハーフのような彫りの深い顔立ちの里香と一緒に歩くと、通勤中のサラリーマンが思わず目を止めるので、何だか恥ずかしい。

 彼女のようなタイプは、日常的にこういう視線に晒されているから、きっと気も強くなって度胸も据わるんだろうなと、妙なところに感心する。

「星野さんはお酒は残ってないですか?」

「朝方少し残っていたが、今はなんとか回復している。君は大丈夫か?」

「私はテキーラ―連続一気で鍛えられた口ですから、まああの程度なら大丈夫です」

 昨日の飲み会で里香から何度か、「私もこれ、ぐっといきますから付き合ってください」と言って飲まされたことを思い出し、次から断ろうと反省した。


 社史編纂室は昨年の経営方針会議の後で、役員フロアのある四二階から、経営企画室と同じ三○階に引越した。私は役員フロアの片隅に、倉庫然として放置されていた環境が気に入っていたのだが、上司になる梅川が役員就任を機に経営企画室長専任になった上、増員もあったので止むを得ず承諾した。

 新しい居室スペースは、広い視野と先入観に捉われない思考を促すようにと、部署ごとに区切る壁のないオープンスペースで、解放感は抜群だった。ミーティングスペースも会議室のようなオーソドックスなものから、囲いのない机と椅子だけが置かれたものまで、多様な品揃えだ。

 設置されてる家具も、ハイカウンター、ハイチェアのスタンディングスタイルから、ファミレスのようなソファ仕立てのもの、自宅のような木製のダイニングテーブルにチェアの組み合わせなど、その日の気分と討議する内容に合わせて、多様な選択を可能にしている。

 グローバル企業であることを強く意識するのは、フロア内三カ所に設置されている世界時計だ。東京、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドン、シンガポール、上海の時刻を一望できる。最初は単なるインテリアに思えたが、やがてこれが大事なアイテムであることを思い知らされる。電話をしても相手がいない時間では話にならない。モバイルに連絡するなら更に配慮が必要だ。特にメールで何かを依頼する時に回答納期を切るには、送った時点で相手にどの程度作業時間があるのか常に気を回す必要がある。

 最も慣れないのはフリーアドレスだ。私物は全てモバイルロッカーと呼ばれる、小さな個人キャビネで保管し、ビル内のどこで仕事をしてもいい仕組みだ。文書の電子化が進むと、こんなこともできるのかと感心した。残念ながら社史編纂室は、膨大な紙の資料を管理しているため、働く場所は限られてしまうが。


 里香と二人で出社して社史編纂室のスペースに着くと、既に遥香と春馬が出社していた。二人共国内営業育ちのせいか、出社時間は抜群に早い。特に遥香はやるべきことは午前中に済ませてしまうスタイルだ。

「高木君、今日は休むのかと思ったけど、早いね」

 里香が感心したように声をかける。

「いえ、全然平気です。営業で鍛えてますから」

 笑って答えているが、顔色は真っ青だ。相当きついことは見て取れた。

「別に急ぎの仕事がなかったら休んだっていいのよ。出勤状態よりも成果だから」

 自分の言うべきことを、里香に先行されて言われてしまった。

「自分は上司から、ビジネスチャンスは予告なしに来るものだと教えられました」

 春馬は小柄な体を大きく見せるかのように胸を張って答えた。

「青島さんから本日体調不良のため、午後出社すると連絡がありました」

 遥香が無表情で報告する。「そうか」と答える間に、里香が春馬に近づいて囁く。

「青島さんとあなたって対局ね。あなたが今のスタイルを貫くか、影響されるか、とっても興味あるわ」

 里香はそれ以上春馬に絡まず、自分の仕事を始めた。

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