第39話 成功の後で

 定刻が近づくと、参加者が続々と大ホールに詰め掛けて来る。用意された席が満席になると、司会を務める梅川が青島のキューで開始を宣言する。会場が暗くなりスポットライトに照らされた先にフェリックスが現れ、ウォークインミュージックの軽快なリズムに乗って壇上に立った。会場は大きな拍手に包まれる。

 私はフェリックスの姿が現れた時、会場の参加者から通常の社内会議にはない、異様に興奮した雰囲気を感じた。

 考えてみれば、フェリックスは落下傘が降下するようにして現れた。ゆえに今日の参加者たちにとって、共に働いたこともなければ、業績も人となりも社長就任時の経歴紹介を除けば、全てが未知の人物だ。

 今までの社長と違って、この場こそ新社長を感じる唯一の機会なのだ。その意味では私には過剰に思えるこの演出も、フェリックスにとっては社内の人心掌握のための必要な手段なのだと気づく。

 オーディエンスの熱狂を目のあたりにして、欧米のように経営者が他の企業からヘッドハンティングされる社会では、こうしたプレゼンスタイルは極一般的なものであるのだと気づいた。

 自分を除くチームメンバーは、全員それを理解して今日の会議の準備をしてきたことを思うと、自らの不明が少しばかり恥ずかしくなった。


「皆さん、今日初めてお目にかかる人も多いと思いますが、私がフェリックス・ベアードです。四月よりTECGの舵取りを高階会長より譲り受けました」

 ベアードの自己紹介は、深々と腰を曲げる日本式のお礼ではなく、胸を張って自分の顔を見せるアメリカンスタイルだった。この瞬間スクリーンの映像は、フェリックスの顔のアップに切り替わった。配信されている映像も同じように切り替わったはずだ。

 会場内は再び拍手に包まれ、その余韻を確かめるようにフェリックスはゆっくりと右から左に見渡す。

「さあ、それでは我々を真のグローバル企業への航海に導く、希望と繁栄を指し示した羅針盤を紹介しよう」

 フェリックスの言葉が終わると共に、スクリーンには三つのキーワドが、フラッシュしながら現れた。

「この羅針盤が導く未来を、これを見ている全員に共有して欲しい」


 スクリーン上では三つのキーワードが消え、新たに世界地図が映し出され、色の異なった様々なニーズの文字が地図上を駆け巡った。

「世界は文化や価値観の異なる多様な人々が、我々の提供する製品やサービスを待ち望んでいる。我々はその全てに対応可能な強力な組織を必要としている」

 スクリーンには「ストレングス」の文字が力強く光彩を帯びて光っている。そして、各国の最高幹部の映像が続き、強力な体制構築に向けた決意を語っている。

「だが我々は傲慢であってはならない。常に顧客のニーズに最適のソリューションに組み替えて、提供し続けねばならない」

 画面には「フレキシビリティ」の文字が現れ、続いてTECGが実績として世界に提供し続けたベストプラクティスが、それぞれの顧客の感謝の声と共に流れている。

「我々は常に顧客に寄り添い、顧客も気づかない真のニーズを見つけだし、迅速に現実の形にしなければならない」

 「アジャイル」の文字が、それまでの演出を一際上回るゴージャスさで、スクリーンに登場した。その後に高倉将造の写真が映し出され消えていき、満を持して私が遥香と共に集めた高倉将造を知る老人たちのインタビュー映像が、貴重な当時の写真と共に場内に映し出された。


「我々はアジャイルに始めて直面したわけではない。アジャイルの精神は、創業者である高倉将造の偉大な人間性が実現した創業から続く基本精神であり、大企業化する中で見えにくくなった大切な姿勢なのだ。それは言葉では表せないがこの映像に映っている証人たちが語る姿から伝わってくるはずだ。もう一度創業時の原点に戻り、我々が働く精神の拠り所にしようではないか」

 この遥香の苦心の傑作は、会場の気持ちを確かに捉えたようで、フェリックスの言葉が終わるや否や、参加者はスタンディングして拍手を送った。そしてこの場内の熱気を、なんと同通者が英語版配信音声に感動的な状況説明として送り込んでいた。

 レシーバーでそれを聞いたとき、絵利華が自ら同通者として英語音声を担っていたことを知った。普通の通訳では、場内の様子など説明しない。世界中にこの熱気が伝わっていくことを確信し、私の心は感動に揺さぶられた。


「さて、最後にこれらの経営方針を考え、形にした三人のキーマンを紹介する。彼らには今後もビジョン実現に向けて、多大な協力を仰ぐつもりだ」

 まず梅川の写真が映し出された。新取締役として今後の社内の体制づくりが、ミッションとして与えられることがテロップとして流れる。

 次にロスがその華々しい経歴と共に紹介された。そのミッションはグローバルに展開される多様性との適合である。

 最後に私が登場した。自分の紹介は何度見ても恥ずかしいから辞めて欲しかったが、チームスタッフの総意として辞退は受け入れられなかった。私はTECGの歴史からアジャイルの精神を伝導するキーパーソンとして紹介された。


 そこまでは、昨日のリハーサル通りの予定された映像だったが、次の瞬間予期してない映像が流れた。なんと理央と沙穂の写真が映し出されたのだ。私は狼狽した。

 スクリーンには突然の妻の死にも挫けず、職種を変えて会社に貢献する私の姿勢を称賛し、マスターオブTECGスピリッツと表された。

 これが遥香と青島が仕掛けた爆弾だと気づき、恥ずかしさで逃げ出したくなった。

「これこそ、私が目指すTECGで働く人々に求める姿です。私は経営改革の言葉の中に、皆さんが想像するような無意味なコストカットやレイオフは全く考えていません。彼のように、それぞれの事情に合わせてベストを尽くす人間を尊敬し共に働くことを喜びとします」

 再び会場は拍手に包まれた。遥香と青島の狙いにフェリックスもアドリブを効かせ、特別な効果を上げたようだ。フェリックスは壇上で片手を上げて、拍手に応えている。その姿は特別なオーラに覆われているように見えた。

 私はついに全身の力が抜け、考えることを止めてただフェリックスの姿を呆然と見ていた。


 私は打ち上げ会場に移動した後、何かを忘れたいかのように酒を煽った。誰かに先ほどの会議について、話しかけられることも自ら語ることも避けたかった。不思議なことにそういう時は誰も寄って来なかった。知り合いが少ないことに感謝しながら、微妙にフェリックスとロスの場所と反対方向に位置をずらし続けた。

 青島が今日のアクセス数を発表した。何と一万を超えていた。会議は欧州との時差を考慮して一七時から始めている。欧州とアジアの多くの社員に自分のプライベートが見られたと思うと、また気持ちが萎えて行った。後四時間もすれば、オンデマンドで米国の社員も視聴する。

 会議の成功に胸を張る青島を見ながら、ふと早紀や絵利華そして遥香を見ると、みんな如才なく対応している。

 今日の打ち上げはフェリックスと梅川など経営会議のメンバーと、プロジェクトに関わったメンバーだけなので周囲の関心は美しいこの三人に向いている。今度はできるだけ三人から遠ざかる場所を意識しながら動いていたが、避ける人間が多すぎてついに動けなくなった。


「なぜ、みんなと話さない!」

 背後から怒ったような声がした。振り向くとロスがいた。何となく気まずくてやり過ごそうとすると、今度は前に回り込んできた。

「慎一、私は君をリスペクトしてるんだよ」

 ロスは更にたたみ掛けて来る。

「すまない。こういう会議もパーティも普通の日本人は苦手なんだ」

 自分で言い訳して冴えない言葉だと、ますます自己嫌悪に陥った。

「それならば慣れろ!」

 ロスの追及は厳しかった。

「私はいささか失望している。有永を始め日本人のトップマネジメントは、みんなこのパーティに誘われても断っている。携わってないからだと、だからこそここで食い込まなければならないのではないか」

 怒りがそのことだとは考えもしなかった。私にはロスの青い目が、本当に怒りで燃えているように見えた。

「そして、功労者である君自身も卑屈な態度を取るのか? 我々の仕事を馬鹿にしているのか?」

「そんなことはない。ただプライベートが晒されて恥ずかしいだけだ」

 ロスの怒りが思いのほか激しくて、本音で答えてしまった。

「それがおかしい、君の人生に恥ずべきところは何もないはずだ!」

 そう言いながら、ロスは一段と激しく怒っている。不思議と反論する気になれなかった。


「ロス、そんなに責めないで」

 突然、ロスとの会話に入って来た声がした。

「おお、遥香か。今日の成功は君にある。こんなに聡明な女性が、極東にいるとは想像さえもしていなかった。マイハニーがいなければ、私は十秒と置かずにプロポーズするよ」

 遥香の顔を見てロスの機嫌が良くなった。相当気に入っているらしい。

「それは無理ね。私は私のボスに貰って欲しいと希望してるの」

 この言葉はロスの勢いを削いだ。

「そんな悲しい現実があったのか。私は今この時の不幸を嘆くよ。それなら早紀に慰めてもらおう」

 ロスは大げさにそう言って、早紀の話している方向に去って行った。

「助かったよ」

 私は素直に頭を下げた。

「気持ちは分かりますから。でもロスはかなり好意的ですよ。家族でもなければ、こういう場であんな風に助言するアメリカ人はそんなにいません」

「分かるけど、妻を亡くしてから家族のことが前面に出るのは初めてなので」

 私は軽い気持ちで言い訳した。

「まだ駄目なんですね。私青島さんからこの企画を聞いた時、少しだけ期待したんだけど」

 いつもクールな遥香の表情が少しだけ感情的に見えた、私は何といっていいか分からず、遥香の美しい顔を阿保のようにぼんやりと見ていた。

「前に話したこと、まだ本気ですよ」

 そう言って遥香はフェリックスの方に去って行った。前に話したこと、忘れもしない、遥香が自分を結婚のパートナーとしてみていること。普段一切そうした素振りが見えないので、単なる酒の席の話と言い聞かせてきたが、改めて言われると心がざわめく。

 周囲のざわめきがますます大きくなる中で、会場の壁時計が十時を指している。欧米人のパーティは締めという概念がないからやっかいだ。会場の照明や食べ物が無くなってきてやっと参加者が帰り始める。それでも、そろそろお開きだ――そう思いながら、早く帰って子供たちに会いたいと思った。

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