第38話 新チームの力

 六月の株主総会は、特に波乱もなく終わった。心配していた高倉家の人たちは特に異論を唱えることはしなかった。新社長フェリックス・ベアードの誕生だ。そして新社長は七月に自分の経営姿勢を社内に伝えるためにイベントを催した。

 その日は水道橋の二一階大ホールに、TECGの幹部が二百人招集された。それだけではなく、会議の模様はWEB配信で日本国内のみならず、全世界八一ヵ国に向けて配信される。ライブ配信だけではなく、録画された映像はその時間に視聴できなかった社員のために、オンデマンドでも配信される徹底ぶりだ。

 一体いくら掛かってるんだろう。会議の成功は資料の質とスピーカーの力量だと決めつけていた私たちは、社内における伝達方法はせいぜいイントラ文書を公開するぐらいしか知らない。

 社内会議に最新のAV機器と配信技術をフル活用する欧米経営者の手法は、驚きと共に費用が心配になってしまう。

 しかも今回は自分も主催者側の一人として関わっているだけに、社内会議に大金をつぎ込む姿勢を誰かから避難されるのではないかと、妙に気が小さくなってしまう。


 今度の仕事を引き受ける前に、私は二人の娘と家族会議を開いた。

 私が忙しくなって帰りが遅く成れば、理央はさておき甘えん坊の沙穂はきっと嫌がるはずだと思っていた。

 案の定、理央はいいんじゃないと、決められない私を相談するのが見当違いだと、言わんばかりの顔をした。

 私は沙穂の反応が気に成って顔を向けると、姉に倣っていいんじゃないと言われた。

 驚いて、本当にいいのか、帰りが遅くなって一緒にいる時間が短くなるぞと言うと、お姉ちゃんがいるから大丈夫だと言われた。

 予想外の言葉に私は狼狽して、うちはお母さんがいないんだからと、言ってはいけない言葉を口走ってしまった。

 理央が反応してきっと睨む。私が失敗したと後悔すると、沙穂が理央がくれたハンカチを出して言った。

「お母さんはいるよ。星に成っていつもつながってるんだよ。お父さんは忘れたの?」

 私はもちろん覚えてるよと、答えざるをえなかった。

 結局私は家族の賛成の下にこのプロジェクトに携わることになったのだ。


 頼みの家族にも後押しされてしまい、梅川のオファーに応えることにしたが、その際に一つの条件をつけた。それは本務は社史編纂室長として、新チームの長は兼務とすることだった。

 その条件に対して梅川はなんと新チームの設置は断念し、社史編纂室を経営企画室の傘下に組み替え、他のメンバーをそこに異動させたのだ。もちろん新ミッション付きでだ。

 四月から始まったこのプロジェクトの初期において、私は梅川と共に新しい経営方針の骨子づくりに精力を傾けることになった。


 フェリックスは経営方針の柱となるキーワードを三つあげた――ストレングス、フレキシビリティ、アジャイルがそれにあたる。

 ストレングスは製品開発力、営業力、製造力の三つのビジネスプロセスにおける突出的な強さに加え、資金調達力やコスト低減力などの財務的能力、さらには人材調達力や製品や企業イメージを高める宣伝力なども含み、全ビジネスプロセスの強化を意味する。

 梅川が経営企画室長として、各ファンクションのヘッドの意見をまとめ、ストレングスに関わる施策作りを行った。


 フレキシビリティは国内だけではなく、世界という多様なマーケットに適合するために、製品オリエンテッドな事業戦略を取りやめ、各国・地域の事情に合わせた、言い換えれば各マーケットに存在する人に焦点を定めて事業を推進しようということだった。


 これを担当したのが、四月にフェリックスが直々にスカウトして連れて来た、アレクサンダーロスだった。ロスはネットワーク機器業界のガリバーである、シスコネットの欧州統括部長として、政界から財界まで至る幅広いロビー活動を介して、多くのM&A実績をあげた経歴を持つ。フェリックスはTECGのグローバル戦略の原動力として、彼を年棒十億円でスカウトした。

 こうした凄味のある経歴に似合わず、ロスは気さくなアメリカンで、梅川や私と意気投合してオンタイムだけではなくオフタイムでも酒を介した日本的な交流があった。

 今回私が担う一番重要な役割は、ロスの戦略を高倉流の成功体験と照らして、TECGの戦略として正当性や継続性を与えるというものだった。

 ロスはこの作業が非常に大事で省略できないものだと言い、その効果は日本だけではなく、むしろ海外において大きく影響すると言った。海外においてTECGは製品的な知名度はあっても、企業としての信用力は低い。

 顧客のニーズを把握してインテグレートする事業は、企業の持つ信用こそ最大の武器になる。そのために戦略とレジェンドの関係性を明確にして、長い歴史の中で培ってきたノウハウであることのアピールが一番の宣伝材料なのだと説明してくれた。

 ロスはM&A担当の執行役員から、六月の株主総会で梅川と共に取締役に就任した。


 アジャイル、このソフトウェア開発から来たキーワードが、チームメンバーの頭を最も悩ませた。

 ソフトウェアにおけるアジャイル開発とは、ウォータホールと呼ばれる緻密な計画の下に、巨大なプログラムを流れに沿って作る手法ではなく、基本となる機能を小分けして実際に動くプログラムを一つずつ作って結合する手法である。

 最初に全てを設計して製造に入ると、変更に弱く製造物も複雑でエラーへの対処が難しいが、小分けした機能を一つずつ設計、製造、テスト、完成を繰り返すやり方なら、製造期間も短くでき、何よりも顧客が実際の運用を小規模で試すことができるので、運用や保守にかかる人手やお金を最初化することができる。

 しかもパーツ毎に独立しているので、顧客のニーズに合わせてカスタマイズしやすい。

 半面開発者一人一人に全体を見る目が求められる。特に開発チーム全体の意思疎通は必須で、個々のコミュニケーションは特別なスキルが必要だ。そうでないと、完成したときに、各パーツの機能重複が生じたりして、製造コストが予想以上に大きくなってしまうリスクが生じる。


 フェリックスは企業活動全体にこのアジャイル開発の考え方が必要だと考えている。単にスピードや顧客適合性を求めるわけではなく、アジャイル開発に適した人材の資質がこれからのTECGの核となる人材的資質だと考えたのだ。

 特に日本ではリーダー間でも優劣を強く意識し、最終的に頂点に立つ者の判断に行動を委ねる傾向が強い。各ファンクションがそれぞれ対等な関係に慣れていない中で、アジャイルな行動が馴染みにくいのは事実である。


 多分に精神論的な意味合いも大きいので、これをどう表現して伝えるか私たち三人は大いに悩んだ。パフォーマンスの内容で判断することは難しく、プロセスに価値のあるものなので、分かりやすいモデルを提示するしかない。


 問題なのは、ここで引用するモデルがTECGの過去事例でない限り、他社のモノマネだと考えられる恐れがある。そうなると海外の従業員からは軽視されMBA的に優秀な彼らは手抜きするリスクがある。


 行き詰った会議の中で梅川とロスは口を揃えて私に言った。

「これは、君が解決すべき問題だ」

 暴風雨のようなプレッシャーに必死で耐えて、ひたすら高倉家の歴史の中の使える事例を探し求めた。

 そして遥香の献身的な協力もあって一つの結論を見いだした。創業者である高倉将造は開発オリエンテッドな経営者ではなかった。創業時の電線事業も決して電線技術に明るい男が導くものではなかった。世の中のニーズを拠り所に、素早い投資決断と体制作りが彼の持ち味であった。


 では彼の具体的な武器とは何だったのか。それはどんな資料をひっくり返しても理解できなかった。つまり文字にはできない力が彼の周りに働いていたとしか思えなかった。

 これを解明するために、私は遥香と共に将造と同じ時代を過ごし今も生存している技術者を、精力的に訪問しインタビューをとった。それには高倉源治も進んで協力してくれた。その結果何人かから有力な証言を得た。遥香はその模様をつぶさにビデオに撮って、英語の字幕付きでロスや梅川に披露した。

 こうしてTECGのアジャイルは伝統的な経営方針の上に成り立つ施策として、プッシュできる背景を手に入れた。


 今、この経営方針会議の場で、三か月間に及ぶ成果がフェリックスの手によって発表されようとしている。

 ここでもう一つ驚かされる。私の個人的なイメージでは、それは質素で厳粛な雰囲気の中で、重々しく発表されるものだった。

 しかし現実には、社内会議とは思えないショーアップされたものだった。リハーサルではフェリックスの登場時にウォークインミュージックが流れ、しかも選曲されたのは派手なアメリカンロックだった。

――果たしてこの会議に参加した日本人幹部たちは、これを受け止めきれるのか?

 私の脳内には疑問符が溢れ返り、心臓は今にも爆発しそうに早い鼓動を繰り返している。

「大丈夫かな?」

 私が疑問を口にすると、すぐ側に立つ遥香が、

「何がですか?」と不思議そうに聞いてくる。

 私の戸惑いとは裏腹に、早紀、絵利華、遥香の三人はロックのリズムに乗ってこれまで見せたことがない、イキイキとした顔でこのイベントを楽しんでいた。

 早紀は社長秘書で得た幅広い人脈を最大限に活用し、国内外の有力者から新しい経営方針に賛同するコメントを、映像で撮り続けてきた。最後の二週間は世界を一周しながら勢力的に活動し、上司である私もその行動力に敬服した。

 東京外語大卒の絵利華は、その類まれな語学能力を存分に発揮する機会を得て、経営方針と高倉ヒストリーの英訳チェックと、国内幹部のコメントで外国人に理解しにくい部分のテロップ作成に、ここ三カ月の全ての時間を投げ打った。

 そして遥香は入社して初めて披露する広報的なセンスで、会議シナリオから会全体の運営を担当し、リハーサル時にフェリックスから「エクセレント」と称賛された。


 しかし、最もこの会議に貢献したのは、中途入社で新しく私の部下となった青島だった。青島壮太はテレビ局の下請けの映像会社をスタートに、海外の広告制作会社、旅行代理店と十社以上を経て、今年TECGの広報に転がり込んできた男だ。

 四月に梅川が広報から私のチームに引き抜いたのだが、その風貌は社内でまずお目にかかることのない、アーティスティックな雰囲気だった。今年三八才になる青島はロン毛で髭面、普段はオープンした胸元から浅黒い肌が覗く。

 流石に今日はスーツを着てネクタイもしているが、幅広で柄が目立つ派手なネクタイだった。だが腕は確かだ。

 海外配信の技術的なとりまとめから、映像コンテンツの監修、会場設営、そして私が驚いたウォークインミュージックの選曲まで、演出の全てを取り仕切る男としてその存在感は日に日に大きくなっていった。


 その青島が私に近づいてくる。

「今日はフェリックスのデビュー戦ですが、ボスにとっても大きな機会ですね」

 青島は普段英語で話しかけて来る。私のチームは遥香の提案で、会議での言葉は全て英語で行っている。そのせいか日常会話も英語が使われることが多い。

「俺は関係ないよ。単なるプランナーに過ぎない」

 この会議でこれ以上主催者サイドとして目立つのは避けたかった。

「いえいえ、今日のテーマにボスの存在は欠かせません。効果が最大限に現れるように、遥香さんの提案で昨日のリハーサルの後、ビデオを少しいじってますから」

 そう言って、青島はいたずらっ子のような表情でウィンクして、持ち場である会議ディレクターの席に戻っていく。後に残された私は、いったい何を仕込んだのか予想がつかない恐怖から、更に大きな不安に包まれて、逃げ出したい気分になった。


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