第35話 青い目の新社長

――さて今日はフェリックスに何の話をしようか。

 昨日は梅川の勢いに押されて引き受けてしまったが、何を話せばいいか、まったく思いつかなかった。

「君ならフェリックスに何の話をする?」

 忙しく資料を整理している遥香に、悪いと思ったがつい声を掛けてしまった。

「私なら最初に高倉三代の誰が好きか訊きます」

「好きかって聞かれても、誰とも会ったことはないんじゃないか?」

「そうですねぇ」

 遥香は立ち上がってキャビネットからてきぱきと資料のピックアップを始めた。

「これは高倉家についての説明資料です。家系図と三代それぞれの業績を説明するものを用意しました。この説明でTECGの成り立ちも説明できるはずです」

 それは昨年私が遥香に手伝ってもらって作った、キャリア採用者の研修会用の資料をリメークしたものだった。もちろん日本語を英語に翻訳してある。

「こちらが歴代当主の特徴を説明するための資料です。将造しょうぞう将治まさはる將志まさしは、彼らの業績に基づいてそれぞれ、『事業の錬金術師』、『日本復興の父』、『経済界の革命児』と呼ばれています。そのイメージに基づいて、説明を組み立て直してあります」

 それは数々の私の講演のスピーチ用原稿を、三つのキーワードに沿って再構成し、英語でプレゼンできるようにリメークされていた。

「最後はフェリックスのお好きな方をお聞きして、星野さんのその方への思いを話されればいいと思います」

 星野は即座に遥香が自分に何を語らせたいか分かった。これなら感情移入して話せる。

 どの資料を見ても、今日になって付け焼刃で作った資料ではない。きっとこの日が来ることを予期しながら、時間をかけて作ったものだと分かる。遥香の先見性と抜群のセンスに感謝して心から礼を言った。

 遥香は特に表情を変えることなく通常業務を再開した。まったく、このクールさはここに異動してきてから五年間、変わることはない。

 彼女のおかげで話す内容はだいたい決まった。私は時間が来るまで集中して、資料をおさらいした。


 私の白いデスクの上には、五センチ四方の黒いケースに白い文字盤の安っぽい目覚まし時計が置かれている。このクォーツ時計の秒針が、一秒ずつ正確に時を刻みながら動く様子を見ていると、集中力が次第に増してきてゆっくりと周囲が白くなる。やがて資料に書かれた世界が頭の中に広がっていき、研ぎ澄まされた想像力が文字になってないことを次々に補完して、頭の中の世界が完成されていく。それは一般的な史実とは異なるもう一つの高倉の世界であった。

 私はその世界を感じ、そこから生まれた感情を、今度は頭からゆっくりと手足の指先まで、血液が流れるかのように巡らせ、体の中にしまい込んでいく。その世界を人に伝える時は、体の隅々に行き渡った感情を頭の中に運んで、言葉に組み変えていく。

 だから私のプレゼンは英語でも日本語でもあまり大きくブレることはない。伝えることは私の感情であり、共感、同意、懐疑、畏怖、反発、相手が感情的な反応を示したとき、初めて相手の中に高倉史観が生まれるのだ。

 私のプレゼンは基本的に原稿を必要としない。相手に渡す資料は自分の感情を、相手の心に届けるための触媒に過ぎないからだ。


 フェリックスに説明する時間が来たので、遥香に「行って来る」と一声かけて、ゆっくりと自室を出る。社史編纂室は役員フロアの端に在るので、フェリックスの部屋までエレベーターホールと秘書室の横を抜けて、廊下を間直ぐに進むだけだ。

 同じ役員フロアでも、社史編纂室のある一角は社歴資料を収める倉庫があることから、昔ながらの木目調の重厚さを感じさせる作りだが、秘書室を境に役員の個室が並ぶエリアは、社長が高階に代わって以来、オーナー会社の息苦しさから解放するかのように、ドアを全てガラス張りにして、明るくてオープンな雰囲気を形作っている。

 フェリックスの部屋は、ブラインドをオープンにした窓から差し込む陽の光が、白い壁に明るく反射して、この部屋の持ち主の輝く未来を祝福してるかのように感じさせた。

 祝福の対象であるフェリックスは、アメリカ人にしては小柄で、一七五センチの私とほぼ同じ背丈だった。

 それでも向こうのエグゼクティブらしく、ジムで鍛えた体は腹が引き締まり熱い胸板を誇っていた。ただ、これもアメリカ人にしては珍しい短い脚が、ユーモラスな雰囲気を漂わせて、威圧的な印象で初対面の人間を委縮させることを防いでいた。

 五一才の年齢相応にやや薄くなった髪の毛は栗色で短く刈られ、理知的な広い額を強調している。特徴的なのは太い眉と鋭い目で、どちらもやや上がり気味で意志の強さを示していた。

「ようこそホシノサン、私はあなたに会えて嬉しい。あなたの話を聞くのをとても楽しみにしていた。今日は、私がタカクラケの人々と友好的に過ごせるように、あなたのレクチャーから何かを得たい」

 ボストン育ちのフェリックスは、きれいなキングズイングリッシュだった。ビジネスでは東南アジア系の癖のある英語を聞く機会が多かっただけに、それは新鮮に聞こえた。

「私の話がどこまであなたの期待に応えられるか心配だが、今日は何かヒントになることを伝えられるように、全力を尽くします」

 私の言葉にフェリックスは頷きながら、向かいのソファを進めた。

「まず、TECGの前身の高倉電機の歴史から話します。まさに高倉家三代の歴史と言えますが、面白いことに高倉三代のそれぞれの役割は、企業が生まれて成長していく過程を表わすかのようです。すなわち初代は正に典型的なアントレプレナーであり、そのために必要な能力に満ちていました。独創的なビジネスモデルを考え、それに適合する市場を開拓し、思い切った投資を次々に行いました」

 MBAではアントレプレナーの研究はスタンダードなので、フェリックスも尊敬を込めながら高倉将造の人物像を思い描いてる様子だった。

「二代目は世間的には知名度が低いですが、彼こそ拡大路線を上手に指揮するコンダクターと言えます。初代のような事業的センスは乏しい代わりに、経理と人事に関して人並み優れたセンスは持ち、拡大する事業への金の配分とリーダーの抜擢はそのほとんどが成功を治め、企業の骨組みを強固にしました。何よりも彼の時代は、日本が太平洋戦争に突入し、敗戦という激動に晒されています」

 フェリックス自身が開拓されたばかりの中国市場を、安定・拡大に向けて送り込まれた経験を持つだけに、その難しさについてはよく理解しているようで、先ほどと違い柔らかな表情が険しくなった。

「そして三代目は破壊と創造の革命家と言えます。事業寿命は一般的に二十年と言いますが、電機業界はもっとサイクルが短い。その中で寿命の来たビジネスモデルを次々に破壊して、造り替えていきました」

「では、そうした高倉家の三代の当主に対し、タカシナサンはどういう位置づけだと思いますか?」

 フェリックスは自分を抜擢した高階の負った役割が気になるようだ。それは自分が引き継ぐべき役割、あるいは自分がこれから作り出す役割につながっていく。

「三代目将司は革命家としての役割を終えようとした時に、その先にあるものに気が付きました」

「その先にあるもの?」

「はい。市場が世界に広がると、我々の生み出す製品へのニーズは、多種多様になっていきます。必ずしもハイテクノロジーばかり求められるわけではなく、レガシーソリューションを求める国だって存在する。それに適応するリーダーに一番必要な資質は、ダイバーシティマネジメントです。そしてそのために一番必要なことが、日本が価値観の全てになる、言い換えれば高倉家主導の経営に、終止符を打つことだと考えました。ですから高階さんはダイバーシティを根底に置く会社作りを最重要課題とし、未来に可能性の残る経営を目指しました」

「それで究極のダイバーシティの象徴として、私を社長に指名すると続くわけだ」

 そう言ったフェリックスの顔には少しばかり失望の色が現れた。それには構わず私は続けた。

「高階社長は自分の使命を人に託したりはしません。ダイバーシティの浸透は高階社長自身が既に達成されたと思います」

「なぜそう思う?」

 フェリックスはなぜ、私がこうも自信を持って言い切れるのか分からなくて、不審そうな顔で尋ねた。

「当社の年間採用者に対するキャリア採用者の比率はご存知ですか?」

「いや知らない」

 それはそうだろう。新卒採用という採用のしくみがない国で育ったフェリックスには、そういう数字に興味があるはずがない。

「約七〇パーセントです」

「それは特別な意味のある数字なのか?」

「日本は昔から新卒を採って育てることが、人材活用の基本となっています。つまり与えられた職種で成果が出なくても、適した職種や組織が見つかるまで、ある程度我慢して使い続けます」

「それでは会社のパフォーマンスが落ちるのではないか?」

「それは否定できません。ただ、この採用形態が一般的なため、日本人でポテンシャルのある人材を獲得するためには、この方法を取らなけらばなりません」

「非効率な感じがするが」

「ただ、日本は転職があまりいい行動だと思われてなかったので、自然いい人材が一度入った会社をなかなか離れません。ですから転職者をとることはリスクがありました」

「では、この七〇パーセントの人間は、あまり質がよくないのか?」

「日本も少しだけ時代が変わりました。一つは社会全体で生活水準が上がって、少しばかり自分の個性に忠実になる余裕が生まれました。簡単に言うと親が金持ちになりました。次に情報化が進み、昔は知らなかった他社の情報を容易に手に入れることが可能になりました。そして、バブル崩壊と共に終身雇用制が崩壊し、我慢して一つの会社にいても得るものが少なくなったのです」

「フーム」

 私の言葉で、フェリックスの思考が活発になってきたように見えた。

「七〇パーセントは凄い数字だと言えます。新卒比率の高い製造部門を除くと、採用者の九五パーセントが外部企業からの転職者だと言えます。そして、その半分は外国人です」

「つまりタカシナサンは組織的には、ダイバーシティを定着させたわけだな」

 さすがに飲み込みが早い。

「はい、他にもそれを裏付ける数字はたくさんあります。私のスタッフがまとめた資料があるので、後でご確認ください」

「それが私の社長就任と関係するのか?」

「大いにあります。高階社長はあなたに、第二の創業者になって欲しいのだと思います」

「第二の創業者?」

「そうです。高倉家の経営方針は常に拡大の攻めの経営です。それをこれからも貫いていくには市場を世界に求めていくしかない。しかし世界の電機業界は、パーツ事業以外はどんどん市場中心の事業スタイルになってきている。つまり現地のニーズに合う製品やソリューションを、現地で開発して現地に合う営業を行わなければ勝てない。だからこそ、日本を中心に見立て、日本の事業スタイルを世界に拡大する、旧高倉の経営スタイルはいったん壊してしまう必要がありました」

「つまりタカシナサンはスクラップビルドをしたかったんだね」

「その通りです。しかし高階さんは入社した時から高倉電機でいろいろなしがらみがあり、ついに最終的な目標に到達することはできなかった」

「最終的な目標?」

「そうです。ダイバーシティは手段に過ぎない。それはキャリア採用比率が示す通り既に浸透している。しかし、今のTECGはグローバル企業とは言えない。所詮は日本の技術を日本のやり方で営業し、市場だけを世界に見据えて売っていく、八十年代の日本の手法と何も変わらないものなのです」

「もう少し具体的に話してくれ」

 フェリックスの目は獰猛な肉食獣のそれになっていた。

「最大のチャンスは昨年の震災直後に来ました。日本の製造拠点が三つも壊滅したのです」

 私がそれを言ったとき、梅川の顔がピクリと動いた。

「そのとき高階さんはリストラを断念し日本人社員の心を揺さぶり、年功序列を崩壊させるような斬新な人材登用を行って危機を乗り切りました。だけど心の中にはもう一つの腹案があって、不眠不休でそれと葛藤しながら結局できなかった」

「腹案とは?」

「製造拠点の海外移転です。それも人件費の安さで世界中から進出されてる中国ではなく、欧州や北米への進出です」

「米国は逆に中国への生産委託にシフトしているが」

 フェリックスは自国と逆行する考え方に戸惑いを見せた。

「そうですね。EMS的に考えれば組み立て工場などの製造自体はアジアで行うのかもしれない。高階さんの腹案は研究本部と製造本部をペアで海外に移すということだったと推測します」

「ほう、開発と製造の中心を市場に近いところに移すと言うことか」

 フェリックスには私の言いたいことが分かったようだ。

「そうです。それに伴い製品開発に携わる人材も外国人が主流に成る」

「斬新だな。なぜそうしなければならない。日本はマーケティングは弱いが、開発製造は日本のバリューチェーンの象徴たる存在だろう」

「そうです。だが電機業界は自動車や化学と違って市場とのマッチングが最重要課題です。いたずらに自国の製品開発を優先した結果、日本の電機業界はグローバルには存在感が薄くなっています」

「詰まるところは人材か。そうした時に日本には何が残る」

「ハイテクパーツの開発・製造を残します。欧州や米国がインハウスのEMS拠点となるのです、もちろん市場に合わせてかなり自由度の高い拠点ですが」

「面白いなぁ。高階はそういうことを考えていたわけだ」

「だと思います。想像ですが」

「なぜできなかった?」

「日本人だからです」

「なるほど」

 フェリックスはしばし考え、少し面白くなさそうな顔をして私に聞いた。

「では君の言う第二の創業者とは高階の実行できなかった腹案の実行者ということか?」

「違います」

 即答だった。

「違う、なぜ」

 フェリックスの両目が妖しく光る。

「それは震災直後しかできなかったと思いいます。だが高階さんは日本人のモチベーションを最優先し、既にその路線が定着してしまった。今やってもあの時ほどの効果は期待できない」

「ふーん」

 フェリックスはだんだんと少年のような顔に変わっていった。

「あくまでも想像ですが、高階さんは日本の地に在りながら、米国企業のような変身をして欲しいのではないかと思います。そのためには経営会議メンバーの大半を外国人に変えて、主要部門のヘッドは軒並み外国人が占有し、各本社機能は常に日本にあるわけでなく、最も変化の激しい地域に移ってゆく。つまり今年は米国、二年後はシンがポール、更にその先は欧州と、必要に応じて柔軟に場所を変えるような組織です」

「面白いな私は日本において、米国以上に変動の激しい企業の創始者となるわけだ」

 フェリックスはこれ以上面白いことはないという顔を見せた。

 いつも私の話を愉快そうに聞く梅川が、珍しく緊張で顔を引きつらせている。無理もない。今ここで権力も責任もない社史編纂室長が、とんでもないことを新社長に吹き込んでいるのだ。普通なら大声でやめろと制止してもおかしくない。

 ところがフェリックスの表情が一転した。

「それは高倉家の本意に沿うのか?」

 今日の話の目的は高倉家対策であるのに、外国人に経営会議を乗っ取られたら、大きな反感を買いそうである。

「ぴったりと合います。なぜなら高倉の家訓は『常に前を向け、立ち止まるな』ですから」

 突然フェリックスは大声で「ハハハハ」と笑い出した。涙が出るのではと笑った後で、改めて私に握手を求めてきた。

「具体的には何をすればいい?」

「高倉一族に高倉源治という高倉將志の従妹で元専務をしていた方がいます。その方の長男がメインバンクである三倉銀行の常務取締役をしています。非常にシャープな頭脳を持った方なので、社外取締役として迎えてはいかがでしょうか?」

 これは以前、社史編纂室で二代目将治の業績を纏めていた時に、遥香から例え話として持ち出されたアイディアだ。将治の最大の改革は、それまでボードメンバーをほぼ一族で固めていた体制を、外部の気骨のある経営経験者と内部の優秀な人材で入れ替え、企業が硬直化しそうな時期に柔軟で活力のある経営に変えたことだ。

 その話を纏めている最中に遥香は、いったんは外部に締め出した創業家から、社外取締役を迎えれば、もっと大胆な改革への布石が打てるのではないかと言い出したのだ。

「二代目将治の精神か」

 フェリックスの心に響いたように見えた。

「あなたの話は面白かった。実は社長に就任することが決まってから、私は少し晴れない気持ちを持て余していた」

 フェリックスが初めて自分の心情を話し始めた。

「なぜ外国人の私に託すのか、私のやり方でこの会社の多くのスタッフに受け入れられるのか、最大の悩みは大きな株主である創業家は私をどう思うのか、だった」

 フェリックスはそこで、もう一度「ハハハ」と大きく笑った。

「ところがどうだ。君と話していると、私が自分の信念に従って思うがままにやることこそ、創業家に求められることと一致し、それを円滑に進めるための高度な人材戦略が、歴史研究家である君の口から出て来るとは」

「経営に何の責任もない私だからとも言えます。それにこの話は歴史から推察することであって、純粋な経営戦略とは異質なものです」

 私は慌てて経営スタッフと自分の立場の違いを強調した。この流れだと下手すると事業現場に引きずり出されかねない。やりすぎたかと少し後悔した。

 フェリックスが何か言いかけたとき、時間が来たのか早紀がフェリックスを呼びに来た。これから梅川と一緒に経団連に向かうらしい。「サンキュー」と一声かけて、フェリックスは出かけて行った。

 私も自室に戻る。遥香は私の顔を見ても何も言わない。「フゥー」っと息を吐いて、「良かったのかなぁ」と独り言のように言って座る。

「もう話したのだから考えても仕方ないですよ。今日の話が私の想像してる内容なら、フェリックスにとっては良かったはずですから」

 そう言って遥香は再び仕事を再開する。その姿を見ながら、自分はどうも腹が座っていないなと苦笑する。気が付くと三月の夕日が、窓から差し込んで来ている。遥香がブラインドを閉めるために立ち上がった。

 相変わらずきれいな脚だなと思いながら、そろそろ家に帰る用意をしなければと、ぼんやりと考えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る