第34話 けん玉の教え
「こんなのができるようになったよ」
四月に小学三年生になる沙穂は、学童でけん玉の技習得に夢中だ。けん玉にも級や段があるらしく、技のレベルアップを友達と競っているらしい。
沙穂の披露した技は『世界一周』という全ての皿に玉を乗せていき、最後にけん先に突き刺すという大技だった。
相当練習したのだろう、一度のトライで成功させた沙穂は、ちょっぴり誇らしげだった。
「すごいな、お父さんはけん玉を、本気でやったことがないからよく分からないが、やっぱりコツみたいなものがあるのかな」
「あるよ。この技だといつも穴が見えるように玉を乗せていくんだよ。学童に入った時に、けん玉をやるって決めたら、先輩が教えてくれるんだ。だから沙穂も一年生に技のコツを教えてる」
「そうか沙穂も教えているのか。それは大変だな」
「ううん、全然大変じゃないよ。教えてると新しいコツが見つかったりするし、沙穂は一番うまくはないけど、教え方は一番うまいって人気があるんだよ」
なんとなく学童運営がうまくいっている姿が目に浮かんだ。
一つの目標に向かって、先輩から後輩へ代々コツを伝えながら歩んでいく。その中にはお互いの距離を縮める効果があれば、新しい発見をする喜びもある。
単なる技量を競うだけでは、上下関係が生まれいじめに成ったりするが、教えるという違う角度の価値観がそれを防止する。単なる遊びとは思えない、チームビルディング的な一面に感心した。
「ただいま」
理央が帰って来た。去年第一希望の都立高校に入学したのも束の間、得意の英語を活かすために外語大を受験するんだと猛勉強中のため、部活が終わった後で塾に行くとほぼ毎日最後の帰宅となる。
「カレーが残っているよ」
言ってから、「昨日もカレーだった」と、沙穂に文句を言われたことを思い出し、身構えたが、理央は「分かった」とだけ言って着替えるために自分の部屋に入って行った。
最近の理央は、家では口数が少なく感情の変化も乏しい。淡々と食事、風呂、勉強とやるべきことを済ませて、「おやすみ」と言って寝てしまう。
手がかからないと言えば楽なのだが、文句も言われず悩みを打ち明けられるでもない生活は、何とも物足りなく寂しく感じる。忙しいせいか休日に親子で出かけることも年に一回といった感じだ。
気が付くと沙穂がソファにもたれて寝ていた。理央の変化も沙穂にとっては、気になることではないみたいだ。
――お前はいつまでも今のままでいろよ
心の中で念じながらも、きっとそのうち理央のようになるんだろうなと、あきらめの気持ちも芽生える。
ずっしりと重い沙穂を抱き上げることは最初からあきらめて、素直に起こしてベッドに向かわせる。腰を痛めたら一大事だ。今年四三才になることを思えば、娘たちが成長して離れていくことも仕方あるまいと自分に言い聞かせる。
それでも、理沙が亡くなって以来、無我夢中で子育てと仕事を両立させてきただけに、ぽっかりと穴が開いたような気がする。
一人でリビングに座ってコーヒーを飲みながら、何だか酒でも飲みたいなと思いながらキッチンへと向かった。
割るのもめんどくさかったので、氷を入れたグラスにウィスキーを注いで、ソファで飲み始める。
明日からフェリックスへのレクチャーが始まる。何をやったらいいかまだ整理がついてないが、まだ会ったこともないフェリックスのことを考えるは、めんどくさくなって思考を停めた。
テーブルに沙穂が置いていったけん玉が残っていた。何の気もなしに手に取ってみる。理央のお下がりだが、意外と綺麗で大事に使われてきたことが想像できる。
考えてみれば、これは理沙が理央に買ってやった形見の品の一つだった。
理央が小学二年生のとき、私と結婚して実家を出て、理央は転校先の小学校で学童に通うことに成った。友達がいなくて寂しがる理央のために、理沙が浅草まで行って購入したものだ。
四月がくれば、理沙が他界して九年経つことになる。ふとけん玉をやってみたくなって、立ち上がった。何回かトライしたが大皿に乗せることさえできない。
ダイニングテーブルでカレーを食べていた理央が、私のへっぴり腰な姿を見て噴き出したので、白けてしまってやめた。
沙穂はあんなに上手く成るのに、どれだけ練習したんだろうと思って、頭が下がる思いがした。
「たいしたものだな」
けん玉を見ながら思わずつぶやいた。
「思いがあるからね」
カレーを食べ終わった理央が、珍しく声を発した。
「思いって、どんな思いだ?」
「お母さんに対する思いにきまってるじゃん」
理央はどうして分からないのと、呆れたように私を見た。
「お母さんの形見だからか?」
「それもあるけど、それだけじゃないな」
「じゃあ、何だよ」
「お父さんは、お母さんが生きてた頃は、あんまり家にいなかったから知らないと思うけど、お母さん実はけん玉すごく上手かったんだよ。私はお母さんに教わって上手くなって、学童でも教えることで、馴染んだ感じかな。その話を沙穂にしたら、私もお母さんと同じくらい上手く成りたいって言いだしたんだよ」
「知らなかった」
「お父さんにお義母さんみたいにうまく成りたいって言っても、きっと知らないから無駄だよって言ったからだと思う」
「そうか……」
ガクッと来たが、事実知らなかったのだから仕方ない。
「バスケもそうだけど、技の切れとかプレイスタイルに憧れて練習するよりも、それをやる人に憧れていろいろ真似する方が上手くなる。結局こういう風に成りたいって思うのは、自分で作ってるみたいだけど、そうじゃなくて好きな人がいて、その人みたいに成りたいって思うことなんだよね」
「ふーん」
久しぶりに理央とたくさん話して嬉しかった。
理央の一月分ぐらいの会話を今したかもしれない。
「知らないことがいろいろあるなぁ」
感心して言うと、もう相手にしてくれなかった。
諦めて、また酒を飲む。
理央は皿を洗って、自分の部屋に戻ったので、リビングで一人になった。
理央の言った好きな人のようになりたいと思うと上達するという言葉が、頭に残った。
フェリックスも高倉家の誰かを好きだったらいいなと思った。
理央の好きな人と言った言葉が妙に生々しく思える。
今は理沙のことを言ったのは明らかだが、理央から好きな男の子の話を聞いたことは一度もなかった。もともと口数が少ないし、反抗期の頃はそんなことを訊いた日には、一月ぐらい口をきいてくれなそうな勢いだった。
でも理央も五月には十七才だ。好きな男の子がいなければおかしいような気がする。
母親だったらうまく聞き出せて、相談に乗ったりもできるんだろうなと思うと、やりきれなさが身を貫く。
そういえば最近鏡の前にいる時間が、とても長くなったような気がする。誰かを意識して鏡の前に立っているのかと想像すると、妙に落ち着けなくなった。
それから、悩んでたらどうしようとか、もし高校生で深い関係になってたらどうしようと、酒も手伝ってしたくない妄想が過る。
考えているうちにどっと疲れが出て来た。
明日は早いからもう寝ようと思った。
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