第31話 偉大なトップの下で
本社ビルの二一階には二百人を収容できる大ホールがある。今そこはTECGの本社ビル勤務の幹部社員で溢れている。私も他の幹部社員と同じように緊急招集を受けてここにいた。
TECGは今回の震災で、東北の半導体を始めとした有力工場を三つも失った。当然生産力は大幅にダウンし、今年の業績は一七期ぶりに赤字に転落することは必至であった。
社内はバブル崩壊後のリストラを思い起こし、職を失う不安に包まれていた。それは無理もなかった。あのときでさえ赤字転落はしていない。それでもリストラは断行された。今日の社長の緊急招集もそれを発表するためではないかと、社内の動揺はピークに達していた。
「皆さん、震災の立て直しで多忙を極める中、お集まりいただきありがとうございました。我が社はこの震災で三つの主力工場を失うという痛手を負いました。それに伴って大きな人員削減があるのではないかと噂する方も少なくないと聞いています。今日は高階社長から、皆さんに今後のTECGの進む道のことで、どうしても話したいことがある、と要請されお集まりいただきました。それでは高階社長、よろしくお願いします」
梅川の言葉で緊急集会は始まった。高階は壇上に登り、よく通る声で話し始めた。
「皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございました。自然の力は恐ろしいもので、我々が長年に亘って築き上げてきた主力三工場が、先日の地震であっけなく崩壊してしまいました。もちろんこれに屈することなく、我々は前に向かって進んでいきますが、無策では乗り切ることはできません。私はここ何日か、自分は今何を為すべきなのか、不眠不休で考えてみました。そしてついに一つの結論に達しましたので、それをここでお話しします」
高階の目に迷いや揺らぎはなかった。真っ直ぐにオーディエンスを見つめ、自分の信念を貫く決意を示していた。
噂通りリストラを断行するかもしれない、もしかしたら自分はその対象の一人なのかと言い知れない不安を感じた。
「私は自分の決意を語る前に、そこに至るまでに私の背を押してくれた一人の社員の話をしたい。その時間をもらうことを皆さんに許可して欲しい」
全員が早く結論を聞きたくて、その思いで会場は静けさを増した。そんな中で梅川が同意を示す拍手をし、それに釣られてほぼ全員が熱の籠らない拍手をした。
「今回の震災で我が社は貴重な人材を失いました。その人の名は人事部の大木勝矢君です。彼は営業本部の時代を担うべき人材だった。しかし会社は彼を人事部に送った。なぜなら今我が社に最も必要なことは、明日のTECGを担うリーダーを発掘・育成することだからです。事業活動の真っただ中で成果を上げてきた彼にとって、この異動は納得しにくいものだったと思う。それでも彼はちょうど震災が起こったあの日に、世界中のリーダー候補者を集めた素晴らしい研修を企画してくれました。まさに未来の可能性に気付かさせる研修だった。だが、彼は志半ばにして、その短い生涯を終えてしまいました。私はまず彼にそのミッションを与えた人間として、彼の意志を引き継ぎ、彼がやろうとしたことを果たさなければならないと考えました」
予想しなかった展開だった。高階がそれほどまでに大木に思いを託していたとは予想外だった。
「高倉三代は
そうだ。まさにあれは大木の思いを私と遥香が具現化したプログラムだった。
「私は今は亡き大木君の思いを組み、私自身が現場を回り有事のリーダーを見出し、しかるべきミッションを与えることで、この難局を乗り切りたいと考えています。だから皆さんには、私に対し率直に現場から見た意見書を送って欲しい。私はそれに対し必ず足を運んで実態を確かめることを約束する。そして私がこのポジションにある限り、リストラは絶対にしないと、ここに誓う。TECGの未来は人の力で切り開こう!」
高階の言葉に会場の参加者は割れんばかりの拍手を贈った。先ほどとは違い熱の籠った拍手だった。
その後も高階の話は続いた。その話には現状を正確に把握し、鋭い観察眼に基づいて導き出された、まさにこれがTECGの課題と言えるものに満ち溢れていた。そして高階はその解を現場に求めた。今こそ現場中心にリーダーシップを発揮する時だと熱弁した。
更に高階は全国の事業所を訪れることを約束した。リーダーを現場から発掘し、育てるための旅であった。
私は高階の言葉を聞きながら泣いてる自分に気が付いた。単純に感動したのだ。
――エックベルト、私は許される限りこの会社に残って頑張るよ
この事態にトップの資質を確かめたいと
――お前の死を無駄にしないようにしなくちゃな!
高階の話が終わり、閉会しても全員すぐには動かなかった。みんな今の感動を互いに語り合いたい衝動に駆られている風だった。
私も無性に誰かと語りたかった。高階の言葉が、偉大なリーダーの言葉が、私の心臓に突き刺さって、マグマのような熱い血を全身に送っている。
だが話し相手は、梅川ではない、遥香でもない、吉木でも佐々木でも早紀でも絵利華でもなかった。二七階に向かい人事部のある居室に入り、右目の端に沙織を捉えた。考えるよりも早く足が沙織の方に向かった。ホールでの高階の話しは社内イントラでライブ中継され、人事部はその話題で大騒ぎだった。その喧騒をすり抜け一直線に沙織に向かう。
「思いを継がなくちゃいけないな」
沙織の前で最初に出た言葉がそれだった。
「継ぎたいです。大木君がしようとしたことを私がやりたいです」
沙織の尖った顎の先から涙がしずくになって落ちて行く。
「君が八年間かけて積み上げたスキルと、大木のセンスが合体して作り上げた船で、高階社長はこの難局を乗り切っていくんだと宣言した。船頭を勤めるのは君しかいない」
「大木君が亡くなってから、初めて生きる力を高階社長にもらいました。私はこの仕事に自分の全てを捧げたいです」
二人の周りには、教育グループ長の菅原を始めとした人事部のメンバーが集まっていた。輪の外には人事部長の大島の顔も見える。
「やろうよ、森田さん。僕のできることは何でも協力するよ」
人事部の若手社員が、興奮して叫んでいた。
「私も協力する。こんな時に、人事部がリストラではなく、人を活かすことで力を発揮できるなんて思ってもみなかった」
普段冷静な労務課長の宮川までが、力強く協力を申し出た。その姿を見て、ああこの会社は強くなると思った。バブル崩壊の時とは違うという喜びが全身を包んだ。
「私たちの役割だって大きくなりますよ」
ふと気が付くと遥香が隣に来ていた。あの中継を見てホールから帰ってこない私の行く先を察してここに来たようだ。クールな彼女の目にも涙の痕が見て取れた。その顔は今まで私が見てきた中で、一番きれいに感じた顔だった。
私は梅川に誘われて、新宿の焼き肉屋に来ていた。普段は滅多に飲みに行かないが、今日は高階の与えた熱気が体に残っていたので、理央の許しをもらって久しぶりに上司に付き合うことにした。
梅川はビールも飲まずに、いきなり焼酎をロックで飲み始めた。私はとりあえず生ビールをジョッキで飲む。この個室で区切られた焼き肉屋に出る肉は、赤見に振られたさしの鮮やかさが、一種の芸術のように見えた。
「凄い人だな」
梅川が誰を差しているのかは聞かなくても分かる。
「俺はこれまでいろんな人を上司に仰いできたが、あんな人は見たことがない」
「梅川さんも私から見ると十分同類だと思いますが」
「どこがだ!」
そう言って、梅川は意外なことに悔しそうな顔をした。
「俺は今日、あの人に軽い嫉妬を覚えたよ」
意外だった。梅川は今日の高階の成功をもっと無条件に喜んでいると思った。
「どこに嫉妬したんですか?」
不躾だが聞いてみると、その言葉を待ってたかのように梅川の口が開いた。
「リストラではなく人の活用ぐらいは、俺でも思いつく。おそらく他の経営陣だってそう言いたいだろう。だが、今日その言葉の後に高階さんがあげた事業別地域別に必要とされる人材像は十じゃ下らなかった。そして、成功への信憑性も格段に高い話だった」
「それを強く感じられるのは、梅川さんにもそうした視点が備わってるからじゃないですか?」
「そうじゃないんだ。日本の話をしていた時は俺にも予想できる話だった。ところが、あの人は欧米から新興国まで、全てを把握して求める人材像を描いている。そんな真似ができる人間は俺が知る限り社内には一人もいない」
そういいながら、シャトーブリアンのスライス肉を、容赦なく口に詰め込む。
「何にしても、高階社長がいればうちが立ち直るのも間違いないな、という実感が湧いてきますね」
私の明るい口調にも、梅川はモグモグと肉を味わいながら、言葉を返さなかった。少し気まずい思いが過ったので、肉を一切れ口に入れた。噛みしめた途端、香ばしい焼けた肉の香りが鼻を突きさし、ジューシーな肉汁が口いっぱいに広がる。理央に食べさせてやりたいなと、瞬間的に思った。
「高階さんはそういう土台作りはやれるだろう。ただ、そうやって集めた人材を使いこなして、成果を積み上げるかどうかは、俺にもよく見えん」
意外な言葉だった。今日の高階の話に心を震わして働かない人間がいるのだろうか。
「少なくとも会場にいた人は、皆やる気になったと思いますよ」
「日本人はそうだろう」
そういって、梅川は二口目を口に運んだ。私は戸惑いながらも聞いた。
「外国人はそう感じないのですか?」
「日本人は会社の成長と個人の成長は一体だ。共に成長しながらより高みを目指す。だからこそ、今日の高階さんのように、必要とされる要件を明確に提示され合致してると認められることによって、経営に対する忠誠心も高まる」
「それはそうですね。私もどういう風に貢献できる人間に成るか、真剣に考えさせられました」
「それは日本人なら普通の反応だ。だが欧米人と中国人は違う」
「どういう意味ですか?」
「彼らは自分の能力と経験を最初から正確に把握している。そこを理解してミッションが与えられることは、彼らにしてみれば当り前のことだ。日本人の心を震わせた高階さんのスピーチも、外国人からすれば当り前のことだ。十分な成果を残すために、自分の価値を最大限に発揮できるポジションを与えられることは、逆に彼らが会社に要求することだ。そうでなければ、契約しない」
「雇用じゃなくて契約ですか?」
「リーダー人材はその傾向が強い。彼らは日本人的な楽して儲ける思想はない。ビジネスの場で、より高くて自分の能力をフルに発揮しないと達成できないミッションを、的確に与えるリーダーだけを信頼する」
「社長は違いますか?」
「高階さんは能力はあるがマインドが日本人だ。部下に情をかけ、その見返りに会社に対する忠誠心を期待する」
「外国のリーダーは違うんですか?」
「彼らはもっとドライな関係だ。頼んだミッションをやり遂げたら、次のより大きなミッションに対しては、より適した人材をゼロベースで探す。そこをドライに考えるから、会社に対する忠誠心は求めていない」
「何となく分かります。日本人はリーダー間の結びつきが家族的で、外国人は契約なんですね」
「そう、外国人は契約の履行が自分の社会的信用だから、そこへの拘りがモチベーションの源になる」
「日本人の働くモチベーションって何ですかね」
「尊敬できる会社、信頼できる会社、豊かな暮らしを齎してくれる会社、こういう形容詞で会社を認識してそこに帰属できる喜びかな。どちらが悪いとは言えないが、TECGは複雑な立ち位置にきているからな」
「どういうことですか?」
「半導体のテクノロジーが急上昇して、一部のパーツメーカーを除けば、ほとんどのメーカーは組み立て会社みたいなもんだ。製品だってパーツを組み合わせたプラモデルみたいになっている」
「製品開発はどこでもできるということですか」
「そうだ、これからは製品ではなく市場が優先される。マザーカントリーの意味が無くなるわけだ」
そこまで話して、二人は肉を食べることに専念した。深刻な話をしている割には食欲があった。スペシャルカルビを注文して、それを平らげてようやくお腹が落ち着いた。
「高階さんは後継者を外部に求めるかもしれないな」
梅川は再び話をTECGの経営に戻した。
「梅川さんじゃないんですか?」
「ある意味、俺は高階さんと同類だ。ただ能力が劣るだけだ」
外部に求めるか、私は社外の個性が様々な経営者の顔を思い浮かべてみたが、梅川の描いた人材像に合致する人間はいなかった。
「じゃあ、次の社長は外国人ですか?」
「高階さんならそうするかもしれないな」
TECGのトップの座に外国人が立つ。もしかしたら本社も日本じゃなくなるかもしれない。
「外国人社長が立った時に何を持ってTECGだと言えるかだな」
「分かります。会社の個性のようなものですよね」
「そうだ。世界で似たような事業展開をしている企業は無数にあるが、成功している会社は神話を持っている。それは製品神話ではなく、創業者精神だったり経営方針だったり、人事政策なんて時もある」
「うちは何になるんでしょうね」
「それを考えるのがこの会社に残された我々の存在価値かもしれないな」
梅川の見る世界は、私の見てる先のはるか遠くにあった。
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