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第27話 グローバル研修

――大阪も寒いな。

 東京の寒さは早朝だからと思っていたが、九時の新大阪のホームはなお一層寒さが増したような感じがした。

 今日は高階社長の肝煎で始まったグローバルリーダー研修の講師として、はるばる大阪まで出張してきた。今回の研修は既存の国内研修と一線を画し、世界中のTECG拠点からダイレクタークラスを招き社内のグローバルネットワークを拡げることと、その中にグローバル経営を託せる逸材がいれば経営候補者としてリストアップするねらいがあった。

 この研修を大阪で行うのは、外国人に日本文化に触れてもらうのに、京都や奈良など日本屈指のコンテンツがあるからだ。


 講義は勿論英語で行うが、入社早々に渡米し四年間を過ごした経験から、多少のブランクはあるが苦手ではなかった。

 問題は言葉よりもむしろ多様なバックボーンを持つ人たちに、どのような話をすれば、経営の根底にある高倉の精神を伝えることができるかだった。

 オファーが来てから今日まで二週間、高倉の歴史に関係する写真や英語化した年表などの資料を見ながら、骨子となる話を選び抜くことに苦心した。

 今回も才媛長池遥香の存在は大きく、私がこれはと思い選んだ資料を、そのテイストを損なうことなく、僅か一週間で満足できる英文資料にしてくれた。


 時間に余裕があるので、久しぶりに梅田の地下街の雰囲気が味わいたくて、新幹線改札を抜けて御堂筋線に向かった。

 会場のウェスティンホテルは梅田から徒歩で約一○分の距離にある。梅田駅は相変わらずにぎやかだった。東京に負けない広い地下街は、東京の地下街とは異なり新橋駅前のようないかにもサラリーマンご用達、と言った感じの小さな飲み屋がごちょごちょと店を構えている。

 地上に登り新阪急ホテルに面した大通りを横切ると、グランフロントとインターコンチネンタルホテルがそびえ立つ。その間を抜けると梅田貨物駅跡の広大な敷地の下を通る地下道が姿を見せる。その前の現代的な都市風景と昭和の香りが漂うこの地下道とのギャップが、大阪という都市の性格を感じさせる。地下道を抜けると、すぐにウェスティンホテルが姿を現す。

 ウェスティンホテル大阪は、質感の高い家具が設置された洗練されたロビーと、ホテルを取り巻く緑が鮮やかなハイクラスなホテルで、TECGのグローバルリーダーのインセンティブを伴った育成の場に相応しい場所だ。

 残念ながら沙穂の迎えがあるので、午後からの講義を終えるとすぐに東京に帰らねばならないが、そのゴージャスな雰囲気に美穂子に託して泊まれば良かったと少し後悔した。

 会場は四階の沙羅の間で、一七○平米の広い床と五メートルの高い天井で構成される空間だ。そこに世界中から招かれた七○名のグローバルリーダーが、ゆったりと集う。


 出番は午後からなので、まだ二時間近く時間があった。今日の講義の最終チェックをしたいと思い、人事部が用意してくれた控室に入ることにする。

 控室までの案内は人事部の森田沙織がしてくれた。控室に入り持ってきた荷物の確認をしていると、傍に立っている沙織が聞いて来た。

「今日は元々仙台での講義が予定されていて、当部うちの大木が代わりに仙台に行くことになったんですよね」

 沙織と大木勝矢は人事部では珍しい入社して八年目の同期同士で、沙織が人事部の生え抜きであるのに比べ、大木は六年間営業に所属して昨年人事部に異動したばかりだ。

 営業時代の大木は私もよく知っており、とにかく粘り強く相手に食らいつくタフな印象がある。

「ええ、この話をいただいた時は、東北支店の支店長に依頼されて、取引先へ先代の話をする予定がありました。先方の社長からの依頼の上、三カ月も前から約束していたので、一度はスケジュール的に無理だと断ったんですよ」

「こちらが悪いんです。星野さんが英語も話せると大木君が言い出して、人事部長の鶴の一声でこのプログラムが決まったのですが、そのときは本番までもう二週間しかなくて、無理を言ってしまいました」

 沙織が申し訳なさそうに謝って来た。

「いえいえ、このイベントが大事なことは私も分かっていたのですが、東北の件も大事な取引先との話なので、二週間前にキャンセルはできないと悩んでいたんです。大木君が東北には自分が行くと言い出して、支店長とも話をつけてくれました。それからは資料を片手に猛特訓になって、大変だったと思う」

 私が申し訳なさそうな顔をすると、沙織はクスリと笑った。

「彼はそういう時に燃えるタイプですから。それに外国人は苦手だから、案外営業の古巣に行くのは楽しみだったのかも」


 沙織が昼食にと、今日用意した弁当を置いて出て行くと、早速今日話す内容の最終確認を始めた。

 私は講義の前に必ず話の舞台になる時代を想像することから始める。

 まずは時代の風景を思い浮かべ、その頃の街並みや建物の特徴を思い浮かべる。道を走る車のデザインや人々の服装・髪型、そして流行りの電化製品など、それらを通じてその時代の人の心と同化できれば、当時の高倉当主の考えにシンクロしやすくなる。

 そのためには、高倉に現存する資料以外の情報も重要になる。当時の世相を表した新聞・雑誌の類や写真などが入手できれば想像力を高める一助となる。

 最もこれらを集めていくうちに関連資料は膨大な量になるため、当日のこの儀式のために持参する資料は、最も効果的なものに絞られることになる。

 遥香は私からこの独特のプレゼン準備を最初に聞いたときは、珍しく驚きの表情を浮かべたがすぐに私以上に強い興味を示した。

 今では彼女独自の資料収集方法も編み出され、私の片腕としてこの儀式を支える大きな戦力となっている。


 今日の講義テーマは二代目高倉将治まさはるの偉業である。俗に高倉三代と呼ばれる歴代当主は、創業者将造しょうぞうの神懸った経営センスと、三代目將志まさしの型破りな改革精神がクローズアップされ、二代目将治は創業者の偉業を守り育てた地味な存在に思われがちだ。

 しかし戦後の混とんとした経済状況の中で、復員した社員を纏め、鉄の団結力で国内最強の営業部隊を作り、今日のTECGの原型となる総合電機メーカーとしての礎を作ったのは、他ならぬ二代目将治その人である。

 また将治は今日のグローバル化を予見し、三代目将司を支えた世界的視野で経営を支える人材を抜擢し、世界各地に送り出して育成したという、隠れた功績も併せ持つ人だった。

 今、私は将治が経営者として高倉を導いた、昭和四十年代から七十年代後半までの時代に意識を飛ばしている。それは正に戦後の復興から経済大国に成るまで、日本人が死に物狂いで働いた時代であり、貧しくても活気に溢れた時代だった。

 そういう時代に将治は欧米の生活水準の高さに憧れ、それに追いつき追い越すことを目標とし、家電事業を通して日本人の生活水準を引き上げることに半生を託したのである。

 遥香が用意してくれた写真の中で、私のお気に入りの一枚がある。一九七〇年の万博に際して、高倉館の出展を発表したインタビューのときに撮られた写真がそれで、世界に挑む心意気を映したような気迫溢れる表情が印象的な写真だ。


 その写真を横目で見ながら、沙織が置いていった弁当を開く。弁当はホテルが用意したもので、今日の参加者にも配るなかなか豪華なものだった。

 私は弁当を食べながら、再度高倉将治の万博当時の心境に思いを馳せる。考えている内に、将治のエネルギーが体内に流れ込んでくる感じがした。

 弁当を食べ終わって今度は目を瞑る。体内のエネルギーは今日の講義への活力に変わり、語りたくてたまらなくなってきた。早く伝えたい思いが十分に強まったところで、沙織が呼びに来た。いよいよ本番だ。


 会場には六〇ヵ国以上から選抜されたリーダーたちが、固唾を飲んで私の出番を待っていた。壇上に立つと欧米系、東洋系、アラブ系を様々な人種の顔が一望でき、日本人オンリーのいつもの公演とは雰囲気が違うと、強く意識させられる。

 いつもと違った雰囲気を生んでいるもう一つの要因は、全参加者に占める女性の割合が四割を超えていることにある。

 グローバル社会では女性のリーダーが多い。こうして参加者の前に立つと、それを強く実感させられる。対照的に日本人の参加者は全員男性で、これもある意味驚きだった。

 明日のプログラムは大阪・京都の日本文化に触れるツアーとなっており、最終日の午後一番の私の講義は、今回のイベントの実質的な締めの役割を負っている。それだけに責任重大だ。

 私の話はまず高倉電機の成り立ちから始まった。天才的な企業家である高倉将造のワールドワイドに通用するエピソードは、まるで映画の名シーンのように次々に紹介できる。

 しかしそれはオーディエンスにとっても聞きなれた話で、感心はするが今更驚きはしない。

 それでも将造自身が上げた成果は、凄まじく高い成果であるだけに、話の掴みとしては十分で、前段の話として会場内のウォーミングアップを行う役割としては、申し分なかった。

「さて皆さん、ここから二代目の話に入ります。実は今日の話のメインイベントは彼の隠れた業績の披露です。創業者の高倉将造は、アイディアの斬新さや突き進むためのバイタリティで映画に出て来る主人公のような男でしたが、二代目将治は映画の主人公としては派手さに欠けるきらいがあります」

 ここで会場内を一望しオーディエンスの反応を確認した。最初のウォームアップがうまく作用して、皆未知の話を聞く姿勢が見て取れる。

 一方主催者である人事部のスタッフは少しばかり戸惑い気味の表情をしている。ここまで話したところで、時間は一五分しか経っていない。プログラム上予定された一時間半という枠の中で、まさか創業者の話が一五分で終わるとは予想していなかったのだろう。

「高倉将治は偉大過ぎる父の業績を間近で見てきただけに、従業員の中に根付いた現システムへの信頼、依存心、さらには培われた常識といったものが、戦後の大変革期を乗り越える上で、大きな障壁となることを感じていました。まずは人々の心を変えなければならないと強く感じたのです。ところが偉大過ぎる先代の残したものは、容易に変わるものではないことも熟知していました」


 ここで一息ついて水を飲む。会場内に早く次を聞きたくて、自分を責めてくる雰囲気が漂っているように感じる。それは自ら望んだ反応だった。

「ここで彼が選択した打開策は対話でした。日本の経営者の意思伝達は、トップダウン型に進みます。しかし彼は最前線を自分の目で見て、問題点に対し最前線の者だけが持つ答えを引き出すという、ボトムアップ型変革を実施しようとしたのでした。驚くべきことに、彼はディブ・パッカード張りのMBWA、マネジメント・バイ・ウォーキング・アラウンドを、一部署につき最低二回、延べ六百四十四カ所の訪問を、三年という短期間で行っています」

 欧米系の参加者から感嘆の声が上がった。彼らはMBA取得者が他エリアに比べて抜群に多い。それだけにこの手法の有効性や、現実的な困難度もよく理解している。

「特筆すべきことはそれだけではありません。彼は現場を回る中で、経営の目指すところと現場の意識のずれを修正するだけではなく、現場に埋もれている逸材の発掘を同時に行ないました。事実この時期地方の支店から本社部門に引き抜かれた者が、史上最多の二〇〇名を超えています。しかもそのスカウトの手は、大きな業績を上げたハイパフォーマーだけではなく、まだ入社して二、三年目の若年層にまで及んでいます」

 この件については、日本人を除く全参加者に戸惑いの色を生んだ。それは当然だった。日本人以外の参加者には、ハイパフォーマー以外が重要ポジションに抜擢される人事など、体験したことがないからだ。

「ここに日本独特の採用面の特色があります。日本の採用形態は大部分が、長期雇用に裏付けされた新卒採用です。つまり、何の実績もない者を採用して、会社が適性を見極めて配置し育てていくしくみです。このしくみに対し、高倉将治は大きな不安を覚えました。なぜなら既存の仕組みの中で選ばれた人間は、今のしくみをスクラップ&ビルドする変革の旗手たる才能を見落としてしまう可能性が高いからです」

 会場全体に納得感が見えた。

「だからこそ高倉将治は、そうした才能の片鱗が見える者を自分の目で判断し、将来の変革者として手元に呼び寄せて鍛えたのです。そうした抜擢・育成の中で、後に三代目高倉將志の強力なブレーンとなる、水野正や氏家定男が発掘されたのです」

 欧米のリーダーシップ教育には、次世代育成は普遍的なテーマとして君臨する。その意味で将治の功績は参加者の胸に納得を生み出したようだ。

「驚くことはこれらは全て、高倉将治が誰かに教わったものではなく、彼自身が肌で感じ独自に生み出した手法なのです。どうですか皆さん。あまり露出のない二代目高倉将治が、実は高倉の歴史に大きく貢献した天才経営者であるとご理解いただけたでしょうか」

 会場の納得度合いは更に高まってきている。今回の参加者は全般的にオリジナリティを重視する者が多いからこそ、作ることができた合意形成と言える。

「最後に、この写真を見てください」

 スクリーンに映した写真は遥香が選んでくれた万博開催時に、高倉館の出展を発表する将治の写真だった。

「私は高倉将治の現存写真の中で、この写真に最も惹かれます。偉大過ぎる初代と比べられる二代目の試練に耐えて、未来に向かう会社のいしづえを築いた意志の強さが、現れた写真と言えませんか?」

 会場は大きな拍手で賛意を示した。

 最後に高倉將志と現社長高階の成果を紹介し話を終えた。

 静聴に感謝し頭を下げる私に、参加者は再び嵐のような拍手を送った。

 私が質疑に移ろうとした瞬間、会場全体に物理的な大きな衝撃が走った。私の目にはホテルの窓枠が、一瞬ぐにゃっと歪んだように見えた。

 外国人を中心に会場内は少しざわついたが、その後何も起こらなかったので、特に騒ぎとはならずQ&Aセッションを開始した。

 Q&Aは様々な角度から質問されたが、一番印象に残ったのはTECGUKのバイスプレジデントから聞かれた、「日本の社員はみんな今日の話をよく理解しているのか?」という質問だった。

 私自身今のポジションに就くまで知らなかったことなので、どう答えようか迷ったが、ふと高倉源治の顔を思い出して回答が思い浮かんだ。

「企業なので宗教のように、偶像崇拝的に高倉将冶を称えることはない。むしろ今の話は社員の習慣的な行動として根付いていると思う。なぜならTECGの社員であれば、現場確認は必須の行動であり、それは幹部社員から新入社員まで徹底されている。我々はそれを伝統的な行動として職場の中で身に付けるのだ」

 この回答に質問者は納得した表情を示した。何よりも英語を主言語としたために、これまで肩身が狭そうだった日本人の参加者達が、この話を契機に一様に胸を張っていた様子が嬉しかった。

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