第24話 和解

 いよいよ旧本社内覧の日を迎えた。

 OB会の有力者が続々と懐かしい社屋に集まって来る。

 その中に高倉源治の姿もあった。応援に来たキャリア採用の外国人たちが、OB達を手際よく講堂に案内する。

 やがて、黒塗りのレクサスが到着し、高階と有永が一緒にやって来た。来賓の席には高階を始めとした現役員と、源治を始めとしたOB会の役員が座る。

 前社長の高倉將志はシンガポールにいるため欠席した。

 オープニングは高階の挨拶で始まった。高階はスピーチがうまい。入社した時に過ごした旧本社の思い出から始まり、米国駐在を経て旧本社に戻った時の喜び、新本社竣工で旧本社に別れを告げるときの感慨など、オーディエンスそれぞれが持つ旧本社への思い出を呼び起こすようなスピーチだった。

 続いて、源治がOB会の会長として、スピーチに入る。源治にとっても旧本社は思い出深い存在であったのか、前回来社した時の毒は影を潜めていた。感慨深げに旧本社の思い出を語り、これも参加者の心を揺さぶる素晴らしいものだった。

 二人の後は、いよいよ私の出番だった。OB達は史上最も若い社史編纂室長に興味を示し、その話の始まりを期待を持って迎えた。

 私は、歴代の高倉電機の本部長以上の地位にいた者が、前列で勢ぞろいしているのを眼前にして、少しばかり目眩のような感覚に襲われた。

 ここが踏ん張りどころだと自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かす。

「このように高いところから、これまで高倉電機を支えてきた皆様を前にして話すことに、いささか恐縮しております。どうか若輩者が語る無礼を、この場だけは大目に見て、私の話を聞いてください」

 どんな話が始まるのか身構えていた雰囲気が、私の低姿勢で穏やかな雰囲気に、少しだけ打ち解けた様子が見えた。

「高倉電機は高倉商店として大正三年に創業し、電気配線に使う電線の問屋として現在の基盤を作りました。初代高倉将造は、これからは電気が産業の基盤になると信じ、電気機器をつなぐ電線の流通に貢献することこそ、日本の発展につながると信じ、その流通の整備に心血を注ぎました。やがて、配線の先にある電気器具も手掛けるようになり、電機会社としての体を作り上げます」

 OB達にとっては頭に刷り込まれた高倉電機の創業神話である。それにも関わらず会場内は誰もニヤつくことなく、真剣な顔で聞き入っていた。私はこの手あかのついた話を、この取り壊すことが決まった旧社屋を背景に語ることで、集まったOB達が現役時代に会社の発展を思って人生を捧げた日々を、思い起させることができたと確信した。

「こうして始まった高倉の歴史を振り返ると、大きなターニングポイントがいくつもあります。もちろん一番のターニングポイントは、もちろんここにお集まりいただいた皆さんの、血と汗を吸い込んだこの本社ビルを引き払い、新本社へ移転したことです」

 ここで私は一呼吸おいて、周りの反応を窺ったが、特に大きな変化はなかった。それを確認し、いよいよ本題に移った。

「本来ならばその話をするのが、最もこの場に相応しいということは分かっておりますが、高倉電機を支えた皆様のお顔を拝見するうちに、私の感謝の意を込めて、個人的に高倉で最も重要だったと思うエピソードを話したくなりました。よろしいでしょうか?」

 期せずして、会場内に拍手が湧いた。OB達は定番の話ではなく、この若い社史編纂室長の気持ちがこもった話が始まることに、誰もが期待して次の話を待った。

「昭和一四年、日中戦争が始まり、長い戦争に国が足を踏み入れ、人々の気持ちがそちらに大きく傾いた時、二代目高倉将治は明るい照明を自社で開発し人々に送り届けたいと思うようになりました。その思いはそれまで商社として成功を収めていた高倉商店を、電機メーカーとして生まれ変わらせることになります」

 私はここぞとばかりに全身に気合を込めて語った。会場内は真剣にそんな私に集中している。

「電機メーカーへの転進はそれ自体が苦難の道でありましたが、今日お話したいことはその話ではありません。この転進の中で驚くことに、照明機器の初代研究所長は女性だったのです。当時主だった研究者は全て軍部に招集されていました。つまり新事業を始めるための核となる戦力は、当時の人材市場に残っていない状態でした。それでも高倉将治は照明器具の開発を諦めることなく、当時異彩を放っていた京都大学の柴田梅子を迎え入れ、新しい照明器具の研究を任せたのです。それこそが現在の高倉電機の技術開発の礎を築いた決断でした」

 私は周囲のオーディエンスの表情を素早く見渡した。高倉源治でさえ、私の話に引き込まれているのを確認し、更に熱を込めて話を続けた。

「国内情勢はどんどん戦争に向かって突き進み、高倉電機も主要インフラである国内流通のしくみを軍部への協力として提供したため、事業転換に向けた資金調達がうまくいかず、柴田梅子は新商品の開発を成功できずに終わりました。しかし特筆すべきはここで高倉電機の研究開発体制が、今に近い状態に整備されたことです。柴田梅子は商品開発こそ期待する成果を上げられず残念な結果に終わりましたが、人材登用に関するマネジメントは巧みで、彼女が見出した研究者たちは戦後日本の復興期に、目覚ましい成果を上げました。今日の総合電機メーカーとしての高倉電機の形を彼女が作ったと言えます」

 私はここで話を止め、話の続きに対する周囲の期待の高まりを待った。

「柴田梅子の研究室は京都にありました。現在の京都研究所です。高倉将治はこの旧本社ビルで、柴田梅子に明日の高倉電機を託して、余計な口を挟むことなくひたすら待ちました。私は現職に就き、高倉の歴史を学ぶ中で、当時の高倉将治の度量と先見性に尊敬の念を抱かずにはいられません。一時の経理的な事情に惑わされることなく、高倉将治は未来に向かって突き進んだのです。今、我々は高倉将治が将来を夢見て、攻めの経営を行った同じ地にいます。せっかくですので、少しだけ目を瞑ってその時の高倉将治の気持ちになってみませんか」

 私はそこで目を瞑って、実際に高倉将治の気持ちを推し量ってみた。まるでその情熱が乗り移ってくるような感覚に、胸が熱くなって目を開けた。

 周囲はまだほとんどの人が目を閉じていた。あの高倉源治さえ……

 私はここで初めて、壇上に用意された水差しからコップに水を注ぎ、ガソリンを補給するように一息にそれを飲んだ。そのとき雲の合間から太陽が現れ、講堂の高窓から光が差しこんだ。

「その後、高倉電機はTECGと社名変更し、現高階社長は新本社で高倉史上最大の買収を行いました。それは高倉将治と同じで、目先の損得を考えない明日のTECGを形作るための大事な決断であり、今お話しした高倉将治の思いを受け継いだ行為と、私は考えます。高倉電気の歴代経営者のDNAは間違いなく高階社長にも引き継がれているのです。そして高倉のDNAは常に長期視点で最良の手を打ちます。私は旧本社を解体してもその精神は新本社に引き継がれ、皆さんと一緒に綴ってきた高倉の栄光の歴史は、今後も光り輝き続けると信じます」

 私の勝負を賭けた言葉を、周囲の人々は力強く頷き受け入れた。驚くべきことに高倉源治さえ、感動の色が混じった表情をしていた。それを見て、私はホッと肩の荷が下りたような気がした。

「さて、おまけにもう一つエピソードを紹介します。柴田梅子に代表されるように、高倉は存亡を掛けた大事な仕事を、男女の分け隔てなく本当にできる人に与えてきました。それは高倉の伝統として今も受け継がれています。今日このイベントの運営に携わっているスタッフの中にも、その伝統によって生まれたキャリアウーマンがいます。山口睦美さん、壇上にどうぞ」

 事前の打ち合わせ通り、睦美は輝くような笑顔を振り向けながら堂々と壇上に登った。

「山口さんは、長年先代高倉将司の秘書として会社に貢献してきました。將志さんを間近に見て身に着けた経営スキルや経営的な視点を、現社長高階は見逃すことなく、先代の引退と同時に、彼女を経営の中枢たる経営企画室に送り込みました。そして、グローバル化の嵐の中で、今や経営企画のエースとして大きな成果を上げています。山口さん、ぜひこの場で諸先輩方にご挨拶ください」

 睦美は笑顔から凛とした表情に切り替え、私に代わって演台のマイクの前に立った。

「過分なご紹介に預かりました山口です。偉大な諸先輩を前に恐縮ですが、皆様に育てて頂いたTECGを、世界のTECGとして皆様がいつまでも誇りに思えるような会社になるよう、微力ですが頑張りたいと思います」

 睦美の声は高く力強く会場に響き渡った。見栄えのよい睦が登場したことで、OB達は眩しそうな表情で彼女に拍手を送った。

「もう一つだけ皆様にお伝えしたいことがあります。現在もTECGは才能ある者に、活躍する場を与えることを惜しみません。この会場にも私の後輩が二人参っております。鈴川早紀さん、小川絵利華さん、どうぞ壇上にいらして皆さんにTECGの伝統が引き継がれていることを報告差し上げてください」

 二人は臆することなく颯爽と壇上に上がった。

「高階社長の秘書をしている鈴川です。私も高階社長の経営哲学をこの目でしっかりと焼き付けて、いつかは山口先輩のようにビジネスの場で勝負できるようになりたいと思っています」

「有永専務の秘書をしている小川です。周囲は結婚を進めたりもしますが、有永専務の活躍をこの目で見ている以上、家庭に納まるようなもったいないことはできません。私も山口先輩と同じように一生会社に貢献していく所存です」

 思いがけず三人の美女が次々と壇上に上がって、会社を盛り立てると宣言する様子を見た参加者は、その華やかさに拍手をする手に力がこもった。

「さらにもう一つ付け加えることがあります。今日この式典の手伝いに来た現役社員たちの中に、外国人が多く混ざっていることに、お気づきになられたでしょうか。彼らはTECGが大企業だから、入って来たわけではありません。ここに皆さんご存じの本があります。日経新聞の私の履歴書で前社長の高倉將志が取り上げられて本になったものです」

 私は一冊の本を右手に持って高く掲げた。

「この本は英訳されて、今は海外でも売られています。彼らはこの本を読んで、高倉に興味を覚えて、海を越えて入社して来たのです。そして今でも彼らは高倉のDNAを学ぶことに余念はありません。どうしてそう思うかと言うと、私が月に一度イントラネットで社内に紹介する高倉の歴史に、一番熱心にコメントを寄せてくれるのが彼らだからです」

 OB達は自分の傍にいる外国人に注目した。恐縮して頭を下げる者もいる。

「私はいつか彼らの中から高倉を支える人材が輩出されることを信じて疑いません。皆さん、このように我々は皆さんが半生をかけて盛り立てたTECGを、その伝統をしっかりと守りながら、更なる発展を期して頑張っていきます。その決意をここに宣言し、この旧本社とのお別れの言葉としたいと思います」

 美しい三人に対する賛辞と、健気な外国人への拍手はもう止まらなかった。とても平均年齢七四才の集まりとは思えぬ熱狂的な拍手は鳴り止まず、司会者は次の懇親会に移りたいと、申し訳なさそうに告げた。それを合図に私たちはステージから降りた。


 懇親会では数えきれないOBから感謝の言葉を贈られた。そして、今後のTECGに期待するから頑張れと背中を押された。

 この日のホスト役に選ばれたキャリア採用で入社した現役社員達も、高倉イズムに心頭している気持ちを、OB達にストレートに披露していた。

 その姿に、日頃高倉の歴史を知らない者が増えたと嘆いていたOB達も、新しい働き手に高倉の歴史が着実に受け継がれていると実感し、満足そうな表情を浮かべていた。

 木目張りの床と壁に囲われた旧本社講堂が、久しぶりに熱気と喧騒に包まれ、まるで本社として高倉の中心にあった時代を取り戻したかのようであった。


 営業出身のOBと話している最中に、背後から肩を叩く者がいた。誰だろうと振り向くと、高倉源治が立っていた。

 私が緊張して身構えると、源治の口から出た言葉は意外にも穏やかだった。

「今日は頑張ったな。この俺でさえ思わず熱くなったわ。やはり高倉の血かな」

 源治の目は気のせいか光っているように見えた。

「ありがとうございます。若輩者が出過ぎた真似をしたのではと、気が気ではなかったですが、ホッとしました」

 源治はふっと笑った。

「何を言ってやがる。堂々としたものだった。前回の訪問で言った株主総会の件は見送ってやる。今日来てくれたこいつらをネタにするのは、申し訳ないからな」

 私は目的を達成できたことに安堵した。

「ありがとうございます」

 大きな声で叫んだ後に、深々と頭を下げた。

「だが、俺も信念を捨てたわけではないぞ。お前がスピーチで話したように、高倉の血はこの会社には必要なものだ。今後少しでもそのDNAが受け継がれてない様子が見えたら、容赦なくやらしてもらうからな」

「肝に銘じておきます。梅川さんとは話されましたか?」

「今更あいつと話すことはないわ。株主総会の件はお前から伝えておけ」

 そう言って源治はOB会の副会長の方に向かった。その後姿に深々と礼をした。


 今の源治の言葉を急いで梅川に伝えようと姿を探したが、なかなか見つからなかった。歩いていると目の前に有永が立っていた。

「君は私が小川君に見合いを勧めていることを知っていたのかな?」

 開口一番、核心を触れてきた。

「いえ、まったく存じ上げませんでした。今回のスピーチを成功させることだけを考えていましたから」

 私がとぼけると、有永は何かを悟ったかのような顔をして言った。

「高倉源治の問題か。そういうことならしょうがないな。三倉銀行の介入阻止は経営的には一番の優先課題だからな」

 次期社長を目指している有永にとっても、今更高倉家に経営復帰されることは、遠慮して欲しい話のはずだ。

「申し訳ありませんでした」

 私は言い訳することなく素直に謝った。

「まあいい。今回ああいう風に宣言されては見合いを進めるわけにもいかん。まあ、OB達の前で私の株も少し上がったようだし、結果オーライとしておこう」

 そう言って有永も別のテーブルに向かった。


 ようやく梅川の姿を見つけた。社交的な梅川が珍しくOBの相手もせず、一人でワインを飲んでいた。私は近寄って耳元で、「源治さんは株主総会は招集しないと言ってました」と報告した。

 本来一番の吉報のはずだが、梅川はそれほど喜んだ様子でもなかった。

「どうかされましたか?」

 私が心配して尋ねると、梅川は苦笑して言った。

「君のスピーチが終わった時点で、源治さんがそれを撤回することは容易に予想できた。驚くことではないさ」

「あまり嬉しそうではありませんが……」

「そうだな。嬉しくないな。私は君に本気で経営スタッフへの転進を進めたいのだが、うちに異動した経緯から言って無理だよな」

「それは能力的に無理だと思います。今回の件は私が社史編纂室長だからこそできたことです。経営に直接関与するポジションでは難しかったと思います」

 梅川は私の言葉に、無理やり納得するように頷いた。

「まあ、今回はいい。最大の難関は突破したからな。でも君をいずれは経営側に引っ張る。私はそれがTECGの未来のためだと確信したよ」

 梅川はそう言ってニカっと笑った。

――やれやれ大変な人に見込まれちゃったよ

 私は梅川の執着に驚きながらも、そのぐらいでなければ、このポジションは務まらないのだと、無理やり納得した。

「まあ、その話は置いといて、今日は久しぶりに緩めの時間を楽しみましょう」

 テーブル席に梅川と共に向かった

 私自身、これからもいろいろありそうだが、今日は目標達成を心から感じて楽しもうと決めて、手に持ったワインを飲み干した。

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