第21話 怖い男がやってきた

 美鈴の母から電話を受けて五日が過ぎた。その間何度も電話したが、いつも留守電になってしまい、誤解を解こうにも話ができなかった。


「星野君、来てしまったよ」

 理央のことで鬱屈としているところに、また梅川がやって来た。

「誰が来たんですか?」

 先日と違って酷く慌てている。理央の濡れ衣が解決しない中で、更にめんどくさいことが起こりそうな予感がした。

「誰って、高倉源治が来たんだ」

「高倉源治って、前の専務ですか?」

「他にいないだろう」

 高倉源治は、前会長高倉将志の従兄弟だ。

 有永の前任者で、国内営業を牛耳ってた男だ。

 十年前に高倉將志が引退したときに専務職を退き、今ではOB会の会長として大きな影響力を持っている。

「源治さんがどうして来たんですか?」


「これを見てくれ」

 梅川が差し出したのは、労働組合の発行する新聞だった。

「何ですか?」

 差し出された新聞には、一面大見出しで『従業員の育成をグローバル化、日本人の優遇撤廃』とあった。

「えっ」

 その内容は先日私が梅川に語った人材育成論だった。

「どうだ、善は急げだ。あの後社長に掛け合って役員会に図ったんだ。私の責任においてという条件付きで可決された」

 まったくこの人は、相変わらずいいと思ったらすぐに動く。

「あの、梅川さんのやり方は欧米では当たり前でも、日本は根回しとかしとかないと回らない国ですよ」

「何を言ってるんだ。それがこの国を世界の中でもスピード感がない国にしたんだろう。どのみち、この内容で根回しのしようがないじゃないか」

――まったく、この人は!

 相変わらず、ゴールに向かって障害を避けることなく、真っ直ぐに進んで行く。

 呆れながらも、惹かれてしまう。

「ところで、これと源治さんとどう関係するんですか?」

 高倉源治は既得権益を阿るバランス型の男ではない。どちらかというと破壊者のイメージだ。事実有永を使って、祖父が作った高倉連合を時代に合わぬと潰した男だ。

「うーん、どうも今後の高倉イズムの担い手は、外国人や女性が体現する時代が来ると発言したことに立腹したらしい」

 怖い者なしに見える梅川だが、高倉源治は苦手のようだ。

 私の記憶にある高倉源治は、颯爽として男気があって細かいことをぐだぐだとあげつらうような男ではなかった。

「そういうことにこだわる人なんですねぇ。意外だなぁ」

 私は人ごとのように呟いた。

「最終的なターゲットは高階さんだろう。源治さんは高倉電機は高倉一族のもの、という思いが人一番強いから、今の高階体制は早く終わらせたいと考えている。現役時代も天運という言葉をよく口にしていた。高階さんは能力はあっても高倉一族の持つ天運はないと断言したこともある」

 それは当たらずも遠からずだ。高階さんは経営者としては申し分のない器だが、運に恵まれない人とも言える。就任した途端にリーマンショックが起きたり、直近では途轍もない為替レートによって、海外進出が遅れている。

「高倉一族に誰か社長に成れそうな人がいましたっけ?」

 先代高倉将司は自身に男子が生まれなかったこともあって、高倉家による高倉電機の社長の世襲をやめた。そして、それ以降高倉一族の高倉電機への入社を禁止した。今の経営陣には高倉家の人間はいないはずだ。

「いるんだよ。今年四九才で三倉銀行史上最年少執行役員になった男が……高倉貴志、源治さんの長男だ」

「あっ!」

 私は思わず声をあげた。そういうことか、とんでもないところに候補者がいた。

 もし高階を追い落とすようなことがあれば、高倉の血を引いて金融事情に明るい高倉貴志を、トップとして迎え入れやすくなる。さすがに営業の世界で切った張ったを繰り広げた源治らしいやり方だ。

「でも、高階社長を追い落とすには、このネタでは無理があるんじゃないですか?」

「忘れるな、源治さんのバックには一万人を超える高倉電機OBがついていることを」

「倉援会ですか?」

 私はなぜ倉援会にそんな力があるのか分からなかった。

「OB達は高倉家の『従業員は家族』の方針の下に、従業員持ち株会を通じて、高倉の株をしっかりと保有している。倉援会だけで、その総株数は発行株式全体の八パーセントを超える」

「でも高倉の筆頭株主は……ああ、三倉銀行だ!」

 高倉貴志の三倉銀行は、TECGのメインバンクであり、筆頭株主だ。倉援会が騒げば、いかに今業績好調と言えども、仲裁策として高倉貴志の社長就任を持ちかけて来る可能性はある。

「そうだ、危機感を共有してくれたか」

「たいへんですね。本当に梅川さんは苦労が絶えないと同情します」

 梅川が怪訝な顔をする。

 その表情に嫌な予感が頭を掠めた・

「何言ってるんだ。君も一緒に会うんだよ」

「私がですか」

「当たり前じゃないか、この施策は元々君の発案だ」

――出たよ!

 まったくこんなことをやっていたら家に帰れなくなる。


 高倉源治は午後二時に高階社長を訪ねてきた。相手の出方が分からないだけに、梅川が代わりに会った。もちろん私も同席だ。

 源治は引退前に比べると少しだけふっくらしていたが、にこやかな笑顔の裏に感じる凄味は相変わらずだった。

「私は社長に会いに来たんだが」

 源治の声は現役の頃と変わらず低くて響きがあった。梅川はその声に動じることなく、「ちょうど社長は経営的に重要で、外せない会議に入っています。貫禄不足で申し訳ありませんが、代わりに私が承ります」と言った。

 梅川の言葉に、源治は薄笑いを浮かべた。

「まあ、お前でもそう大差ないか。この会社は高倉の家の者以外は、所詮仕える者でしかないからな」

 言いいながら、ちらっと私の方に目をやった。

「彼は何者だ?」

「紹介が遅れました。社史編纂室長の星野です」

「社史編纂室長……ずいぶん若いな。まあいい」

 源治は私の同席には特に異存はないようだった。社史編纂室は高倉電機の歴史を整理する部署だが、歴代の高倉家当主の偉業を纏める部署とも言える。

 高倉一族の一人である源治には、その仕事を定年間際の者がやるよりも、若い私が担う方が好ましく感じるのだろう。

「ところでお前が労組に語った話だが、あれはどういう意味だ?」

 ついに本題に切り込んできた、先ほどとは違い梅川は冷静に応えた。

「今の時代、生き残りをかけるなら、リーダーに外国人や女性を避けて通るわけにはいきませんよ」

「こういう不透明な時代だからこそ、日本男子が奮い立つべきじゃないのか」

「その日本男児が振るわないんです。海外で苦労して来いと、有志を募っても手を上げるのは女性だけです。それに海外には高倉家の偉業に感銘を受けて、そのスピリットを体験したいという者がたくさんいる」

 梅川の言葉に部屋の空気が一、二度下がったように感じた。

 私は無性に喉が渇いた。

「まだお前も分かってないな」

 そう言って源治は溜息をついて首を横に振った。

「分かってないとは、何を分かってないとおっしゃられていますか?」

 梅川がぐいぐい責め立てているが、源治は特に応えた様子ではなかった。

「高倉という会社の本質だ」

 源治は諭すような口調で言い切った。

「それは、源治さんが在籍の頃におっしゃっていた『高倉という会社は高倉一族に従業員が忠誠を尽くすことで発展する』という高倉家中心主義ですか?」

「そうだ、分かってるじゃないか、梅川!」

 源治は梅川の言葉に満足そうに言った。私も源治の主張は聞いたことがある。驚くべきことに国内営業本部内では、高倉家の威光に圧倒されて納得する者も多かったのは事実だ。しかし梅川は違った。

「その考えはもう通用しません。今は世界六六ヵ国で事業を展開しています。外国人はそんな考えに価値を感じません」

 真っ向から否定する梅川に対し、源治はフフンと笑って反論した。

「何が六六ヵ国だ。まともに商売になってるのはアメリカと中国ぐらいで、内部留保金一兆円の源泉たる利益をあげてきたのは国内営業だ」

「それも限界に近づきつつあります。これからは昔の様な利益をあげることは難しい。今の時代何を作ったとしてもデジタル化の影響で、基本性能はそう変わることないプラモデルの様な製品ばかりです。大きな利益をあげるにはセンスとブランド力が無くてはならない。そして、これらは主として海外での成功に大きく影響される」

 梅川の言うことは正しい。失われた十年で、世界の開発リーダーは日本からアメリカに代わった。

 国内市場の拡大で何とか盛り返したものの、技術的には世界標準から大きく外れ、最近では頼みの綱の国内市場も、ブランド化した輸入品に食い荒らされるようになった。

「やっぱり分かってないな。高倉の家の者が導けば、事業的なつきも回って来る。少なくても三カ月で二千億も失うようなことは起こらない」

 為替損の話を持ち出してきた。何という勝手な主張だろう。そのときの源治は、理屈に合わない思い込みを、いたずらに主張する美鈴の母とダブるように感じられた。

「一つだけお伺いしてよろしいでしょうか?」

 私が質問の許可を求めると、源治は「何だ」と応じた。

「TECGの今後を考えたとき、高倉家の人間がリーダーであるべきというお考えは分かりました。こんなこと聞いてお前は馬鹿かと思われるかもしれませんが、TECGの発展、これはいったい誰のためにあると思われていますか?」

 我ながら質問が抽象的だと思った。でも今はこれしか思いつかなかった。

「誰のため・・・・・・」

 すぐにTECGで働く社員のためだと答えると思ったが、意に反して源治は考えるために一時の間を要した。

「もちろん、俺を始めとしたOBの誇りのためだ。俺達にとって高倉の発展こそ生きる糧なんだ。そうでなきゃ、こんなめんどくさいことするか!」

 綺麗事を言わず、素直に自分のためだと言った源治を私は見直した。そしてこれなら脈はあるかもしれないと思った。

「これ以上は、話しても平行線のようですから、今日のところはお引き取り頂いてもよろしいでしょうか?」

 梅川がもう勘弁してくれという風に、面談の終わりを促した。

「まあ、いいだろう。だが俺はまだ、今日来た真の目的を話してないがいいのか?」

 真の目的? 私の胸に少しだけ不安の影が忍び寄った。

「それでは、その真の目的をお話しいただいてもよろしいですか?」

 揺さぶるような源治の攻撃を梅川はよく凌いでいる。

「お前は前社長高倉将司が全株式の何パーセントを保有しているか知っているか?」

「前社長の株式は五千万株ですから、全株式二五億株の二パーセントになります」

「そうだ、さすがは秘書室長だな。では将司を除く高倉一族の保有株式を合わせると何パーセントになるか分かるか?」

 高倉一族の有力な株主は、ここにいる源治を筆頭に将司の二人の弟に、将司の伯父が二人いる。さすがにどのくらいの株数か調べないと分からなかった。

「高倉一族で全株式の六パーセントを持っているから、四パーセントだ。これがどういう数字か分かるか?」

「株主総会招集請求権か!」

 それまで堂々と相対していた、梅川の顔がさっと曇った。

「正解! 招集理由は高階の解任要求だ」

 源氏が薄ら笑いを浮かべる。

「あなたはそこまでして、高階社長を追い込みたいのか?」

「私はそんな個人の憎しみなど言っておらんぞ。あくまでも願うは高倉電機、おっと今はTECGか、TECGの健全経営だ」

 梅川が源治を燃えるような目で睨む。源治はその激しい視線を楽しむ様な顔をして、平然としている。

「だが高階が退陣するというなら穏便に進めてもいい。次どうするかについてのみ議題とする。どうだ時間の無駄は止めないか」

 源治はそう言い捨てて、帰っていった。

 私はよく事態が飲み込めなかったので、おずおずと梅川に聞いた。

「不勉強で申し訳ありません。何が起こるんでしょうか?」

「会社法では株主に対し、株主総会での議決権の他に少数株主権として、議決権の三パーセント以上を六か月前から保有する株主に、株主総会の開催を請求する権利を与えている。これを行使されると、会社は臨時株主総会を開かなくてはならなくなる」

「総会を開くとまずいことが起きるんですか?」

「考えてみろ、高倉源治のバックには八パーセントもの株式を保有するOB会がついている。さらには筆頭株主の三倉銀行も十五パーセントの株式を保有している」

 まだ分からない顔をしている私に、梅川は説明を続けた。

「彼らが連携して、源治の息子の高倉貴志を代表権のある取締役として、経営参加させるように要請してきたら、総会でどう転ぶか分からないぞ。運良く否決できたとしても、お家騒動として業績に影響が出て、いずれにしても高階社長は何らかの形で責任を取らなければならなくなる」

 私は驚いた。失敗とも言えないことで、TECGの経営がここまで揺さぶられるとは、思いもしなかった。

「それなら将司さんに頼ったらどうでしょうか? 同族経営を否定された将司さんがこちらに立てば、カリスマ性から言っても、うまく収まるんじゃないですか」

「そんなことができるか!」

 梅川は即座に否定した。

「なぜですか?」

「将司さんは、今はカリフォルニアで余生を楽しんでおられる。高階さんを信頼して後継者に指名したのに、こんなことでいちいち泣きついたら、その信頼も失って敵になる可能性もある」

――なんてめんどくさい世界なんだ。

 もう思いつくこともなく、私は黙ってしまった。

「だから、君に同席してもらった。この事態を打開するシナリオを君の手で書いて欲しい」

 思わず無理です、私は一介の社史編纂室長ですと、言おうとした時に梅川が続けた。

「私は信じてるぞ。きっと君が突破口を見つけてくれると」

「私にできると思えませんが……」

「いや、君ならできる」

 断言する梅川に私は言葉を失くした。梅川が真剣な顔で続ける。

「私は君からあの食堂でダイバーシティミーティングの資料を見せられた時、正直感動したよ。こういう手段を思いついて行動に移せる男が社内にいたんだと。君が営業部からの転出を願い出る前に、私は君を政策ブレーンとして秘書室に迎え入れようと、人事に依頼していた。そして君の条件を聞いて、今のポストで妥協したんだ。今こそ、私の期待に応えて欲しい」

 私は嘆息した。

「分かりました。何か詐欺にあったような気もしますが、今ここにいる以上、最善を尽くします」

「ありがとう。きっと君は高階社長を救うよ」

 梅川は会心の笑みで、私の肩を二度叩き、去っていった。

 それから退社する時間まで、私は一心不乱に考え続けた。

 相手が高倉源治となれば、普通に高倉家の歴代社長のエピソードを語っても、逆効果に成りそうだ。それに源治が主張するように、歴代の高倉家の当主は確かに運に恵まれた側面もあった。

 時間は容赦なく過ぎていき、すぐに定時になった。もう少し考えたい思いを押し殺して、私は帰宅することにした。

 今は沙穂のお迎えをする人間は自分しかいない。

 もう一つの責任を果たすために家路に急いだ。

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