第20話 新たな問題

 美穂子は、私が異動してから半年経ったところで、国立の家に帰った。居なくなった日はさすがに寂しさを感じたが、すぐに三人で生活する忙しさで感じなくなった。

 今でも、アップアップしながらも子供達と三人の日々を送っているが、こと子育てに関しては異動したことが大きく貢献した。

 毎日定時に帰れるし、沙穂が病気に成れば、私が異動する前年に導入された在宅勤務制度をフル活用して、家で仕事をした。

 私はこの制度のヘビーユーザーに成ってしまったので、制度を浸透させたい人事部からインタビューの依頼が来るほどだった。

 もちろん特殊な職場だと言うことでお断りしたが。


 この三年間で一番変わったのは理央かもしれない。

 理央は今年六年生になって、ますます理沙に似てきた。

 ミニバスチームのキャプテンに成り、日夜チーム運営で悩んでいるようだ。

 責任感も強く成り、忙しい中で沙穂の面倒もよく見てくれるが、全てがいい方に変わったわけではない。

 少なくとも私にとっては……いよいよ恐れていた反抗期が始まったのだ。


 最近、私に対する風当たりが妙に強い。

 先週も、沙穂と一緒に風呂から出てきて、裸のままで沙穂の身体に保湿クリームを塗っていたら、だらしないと怒鳴られてしまった。

 沙穂は乾燥肌で、クリームを塗ってやらないと身体を掻きむしって傷だらけになるのだが、彼女も四才に成って動きが速いから、裸のうちに捕まえて塗らないと、後から塗るのは一苦労だ。

 そうは言っても思春期の娘の前で軽率だったと、以後気を付けているのだが、今度は理央が風呂から出て裸のままリビングで電話している。

 流石に見るに見かねて電話が終わったタイミングで、パンツぐらい履きなさいと言うと、うるさいなーと反撃された。

 万事がこの調子で、今はただ早く反抗期が終わってくれるのを待つばかりだ。

 

「今日はなんだかイキイキした感じがしますね」

 保育園で沙穂の担任の下田亜紀が、いつもの癒しの笑顔を見せながら話しかけてきた。

「そうですか? いつもと違います?」

 確かに今日は梅川の悩みに即答できたので気分がいいかもしれない。

「ごめんなさい。私子供たちの相手ばかりしてるからよく分からなくて。でも、星野さんはいつも迎えに来てても、何だか顔に元気がないような気がしてたんで、心配してたんです。今日は少し違う気がして」

「そんなに違いますか?」

 私は意外な亜紀の言葉に、思わず聞き返した。

「うーん、うまく言えないですけど、朝はともかくお迎えのときって、特にお父さんですが、仕事の雰囲気がどことなく残ってるんです。だからお子さんに会っても浮かない顔だったりするんです。でも今日は楽しそうだから、他の子供たちも楽しそうにしてますよ」

 そう言われると、いつもより他の子供たちが私の方を見てにこにこしてる気がする。

「子供達って、そういうお父さんが大好きなんですよ。仕事で疲れてるときって、やっぱりエネルギーが違うのかな。ほら沙穂ちゃんも笑ってる」

 沙穂はおしゃべりなので、いつもと変わらないようにみえるが、確かにいつもよりも会話が弾んでいるかもしれない。

「うーん、気をつけないといけないですね。あんまり疲れた感じだと子供の心を傷つけるかもしれないし」

 少し衝撃だった。


 家に帰ると理央が待っていて、顔を見るなり「お腹空いた」と言った。

 最近理央はよく食べるので、間食用のパンを買い置きしてるのだが、今日は切れていたようだ。

「悪い、すぐご飯作るから」

 私が鼻歌を歌いながら、服を着替えていると、理央が気味が悪そうに私の顔を見ている。

「お父さん、何かいいことあったの?」

 ここでも言われたと思ったが、何もないよと笑顔で答えて、食事の支度にとりかかった。

「お父さん、今日ね、面白いことが有ったんだよ」

 珍しく、食事中に理央が話しかけてきた。沙穂はテレビを夢中で見ている。

「えっ、どんな話かな?」

 理央の積極的な様子に、私も箸の動きを止めて聞いた?

「六月にアメリカ人の男の子が転校して来たの。名前はノア君。理央は女の子なんであんまり話したことがないけど、今日最後の学活でみんなを怒ったんだよ!」

「みんなを怒った?」

「川上先生って優しいけど、声が小さいでしょう。みんな先生の話聞かないで、おしゃべりばかりするんだ」

 川上先生は理央のクラスの副担任だ。四十才ぐらいの女の先生で、去年学級崩壊で精神的に参って半年間休んでいた。

 今年に入って復職して理央のクラスを受け持つことになったのだが、見るからに生徒になめられそうなタイプで、大丈夫かと危ぶんでいた。

「それは良くないな」

 私は慌てた。また休まれては、理央達も学級崩壊と言われてしまう。

「うん、分かっているけどみんな楽しいからしゃべっちゃうんだ」

 理央はあまり悪びれた様子はない。

「それでも、間違ったことはやってはいけないよ」

「そう、そう思った」

 今日は機嫌がいいのか、理央は注意されてもあっけらかんとしている。

「なぜ、そう思たんだ」

「ノアがね、みんなはソンケーとカンシャが足りないって言うの?」

「尊敬と感謝?」

 よく意味が分からないので、思わず理央に訊き返した。

「ノアが言うにはね、先生はみんなに教えることができるんだから、尊敬しなければならないし、教えてくれる時間は感謝しなければならないって言うの。他人に礼を欠いた人間は、今は楽しくても同じことを人にされるようになると言ったよ。かっこよかったー」

 礼などと、小学生なのになかなか難しい言葉を使う。さすが六年生か。

「それでみんなはどうしたんだ?」

 子供だけにそんな簡単には変わらないだろうと思って、結果を聞いてみた。

「もちろんみんなおしゃべりを止めたよ。ノア君の言うとおりだと思ったし。静かにして先生の話聴いてみると、いっぱい楽しい話があったよ。先生もなんだか嬉しそうで、声もだんだん大きくなっていった」

 小学生でも、やはりアメリカ人なのかと思った。こういう場面で、正しくても日本人はサイレントに成りがちだ。

「お父さんもノア君の言うとおりにしてみるよ」

「大人なのにおかしい」

 私の言葉に理央は笑った。

 だが私は存外本気だった。

 川上先生が楽しそうにして、理央たちが先生の話を面白く聞いたというのは、先生の方もノア君の言葉に気づきがあったのではないかと思う。

 聞き手を尊重して、聞いてくれることに感謝する気持ちを持てば、楽しい話し方もできるし、声も大きくなりそうだ。


 そんなことを考えていると、リビングの電話がけたたましく鳴った。携帯電話が普及してから家の電話が鳴ることは珍しい。

 私が出ると、少し甲高いトーンの声が聞こえた。

「私、理央さんと同じクラスの原島美鈴の母ですが、今日はお願いがあって電話しました」

「どんなご用件でしょうか?」

 私が用件を訊くと、美鈴の母は堰を切ったように話し始めた。

「お宅の理央ちゃんに、うちの美鈴をいじめるのを止めさせて欲しいんですけど。もう何年も我慢してます。このまま続くようなら、中学校も一緒に成ることですし、小学校、中学校にも被害を伝えたいと考えています。美鈴は傷ついてボロボロなんです」

 一方的にまくし立てられて、少しばかり焦った。

「ちょっ、ちょっと待ってください。理央がどんないじめをしたんですか?」

 理央がいじめ? そういうことから縁遠そうな子だと言いたかったが、そう言ってしまっては話が進まない。

 とりあえずどんな事実があるのか知りたかった。

「もう耐えられないんです。いつも美鈴の悪口を言ってるんです」

「どうして理央がお宅のお嬢さんの悪口を言っていると分かるんですか?」

「そりゃ分かりますよ。美鈴の方を見ながら側にいる人に悪口を言って笑って、美鈴はとても傷ついているんですよ!」

「どうして悪口を言っていると思うんですか?」

 私が質問ばかりして謝らないのが気に障ったのか、声のトーンが一層高くなった。

「先週の土曜日に中学校で学区内の小学生との交流会があったので、美鈴も行ったんです。そこでも理央ちゃんは、他の小学校の友達と美鈴の方を見て、笑いながら話してたんです。きっと悪口を言ってます」

「悪口を直接聞いたわけではないんですね?」

 本音は誤解じゃないですかと言いたかった。

「言ったに決まってます。直接言われたこともあるんです」

「えっ、どんなことを言われたんですか?」

 誤解かと思ったのに直接言われたと聞いてびっくりした。

「昨年九月のセカンドスクールで、美鈴は宿舎で調子が悪くなって別室で寝てたんですが、心配して様子を見に来た友達に、『ばいきんが移るから早く行こう』って言ったんですよ」

「えー」

「まだあります。二年生の時にクラスの写真を撮ることがあって、理央ちゃんの近くに行ったら、『あっちに行け』って言われたんです」

「そうなんですか。驚きました。理央に確認しますが、他には何かありますか」

「直接言われたことは、すぐに思い出せないですけど、事実いいお友達に成れそうな人が、理央ちゃんのせいで次々に離れていくんです」

「そうですか。お恥ずかしいですが、この件について私は何も知らないので、これから理央に聞いてみます。いったん電話を切らせてもらっていいですか?」

「うちの子を二度といじめないように、言ってくださいね!」


 美鈴の母は強い口調で訴えると、また一方的に電話を切った。私はリビングで沙穂とテレビを見ている理央を食卓に呼んだ。

「今、同じクラスの原島美鈴さんのお母さんから電話があった。話を聞いてお父さんはびっくりしたんだが、一方からの話だけでは何も判断できない。理央からも話を聞きたい。正直に話してくれ」

 そう言って美鈴の母との会話の一部始終を話した。話している間中、理央は目玉が飛び出るくらい見開いて聞いていたが、特に口を挟むことはなかった。そして話し終えると、怒りを堪えてるのが分かる口調で話し始めた。

「驚いたよ。そんな風に思ってたんだ。美鈴のお母さん時々学校や帰り道で会うんだけど、その時に私を凄い目で睨みつけるからおかしいなと思ってたんだ」

 理央は怒ってはいたが、思ったよりも落ち着いていた。

 その落ち着きをどうとっていいか分からず、とりあえず一番聞きたいことを聞いた。

「まず、理央は美鈴さんのお母さんが言ってたように、ホントに美鈴さんをいじめたのか?」

「そんなわけ無いでしょう。美鈴とは一年に二、三回しか話さないし、美鈴の話を友達とすることもまずないよ」

 即座に否定された。それもかなり強い口調で。

 ほっとして思わず力が抜けた。

「じゃあ、誤解なんだな。美鈴さんのお母さんが言ってた、三つの話はどうなんだ?」

「ああ、一つ目の中学校の話は、幼稚園のとき仲が良かったのに、小学校は別々になった美恵ちゃんがいたので話しただけだよ。久しぶりに会ったのに、美鈴の話なんかするはずないじゃん。言っても学校違うから分からないし」

 確かにそれもそうだ。理にかなっている。

「二つ目の『ばい菌が移るよ』って話は、同じ班の薫って子が病気の子が寝てる部屋に行って帰ってこないんで、今日のまとめを書いてもらわないと困るから呼びに行っただけだよ、私班長だったから。確かに『移るよ』って言ったけど、『ばい菌』なんて言ってないし、美鈴が寝ていたことも外にいたから分からなかったよ」

 なるほど、これも誤解か・・・・・・

「最後の『あっちに行け』って話、その時は班毎に写真撮ったから、美鈴は違う班なんで『あっちだよ』って言ってあげたんだよ」

 なるほど、それならば意味が分かるな。

「じゃあ、どうして美鈴さんは理央にいじめられたって言うんだろう?」

「こっちが聞きたいくらいだよ」

 そう言って、理央は少し怒った顔をした。

「美鈴さんってどういう子なんだ?」

「分からない。あんまり学校来ないもん」

「学校に来ない?」

「そうだよ。二年生の頃、学校に行く途中に家があるんで、一緒に行こうって言われたんだけど、いつも遅れて来ないんで美鈴の家まで行ってたの。でもお母さんも『ちょっと待ってて』って言ってなかなか出て来ないんで、いつも遅刻しそうになるじゃない。だから行かなくなったんだ」

「それは困るな」

「そうでしょう。同じように智美や麻紀も一緒に行ってって、頼まれたんだけど行かなくなっちゃったみたいだし」

「一緒に行ってって誰が頼んだんだ?」

「美鈴のお母さんが、智美や麻紀のお母さんに頼むの。凄く嫌だって、本人から聞いたことがある」

 もしかしたらそういう愚痴を聞いたので、友達が離れる原因になったと誤解されたのかなと思った。

「その話を誰かにしたことある?」

「うん、同じように美佳がお母さんに言われたんで、今の話をしたことはあるよ」

 あっけらかんとしていう理央に、事情を理解できた私は言った。

「そういう話をあまりしない方がいいぞ。損をするのはお前だから」

 理央は不服そうな顔で黙っている。私は明日誤解を解くために、もう一度美鈴の母に電話することにした。

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