第12話 躍進

 四月は日本の企業にとってスタートの月となる。日本の多くのBtoB企業は官庁の予算消費のペースに合わせて、第四四半期に業績を上げるタイプが多い。マラソンで言えば終盤追い込み型だ。しかしこのタイプは、相手の投資タイミングに合わせて営業するので、世の中全体の景気に左右されやすい。

 その点、高倉電機はコンシューマビジネスから成長した企業だけに、四月~最初のボーナス時期となる六月までに勝負を賭ける。つまり新商品の発表時期は無理やりにでも四月に持って来ることが多い。今では売り上げの七割は法人相手となっていながら、上期に成果をあげることに拘った。

 腑抜けていたとはいえ、それは私の身体に叩き込まれており、出社と同時に無意識の内に四月モードに切り替わった。

 私は最も信頼できる部下である吉木を呼び、自分の留守中の成果の確認に入った。

「ところで、三濃商事金属事業部のコンペは提案書審査をパスしたんだな」

「とは言っても書類審査ですから山場はこれからです」

 そう言いながらも吉木の顔は誇らしげだ。

 三濃商事は日本でも屈指の総合商社で、金属事業部だけでその売り上げは、中堅の総合電機メーカーに匹敵する。

 そんな商社のガリバーが、昨年の秋から、事業部内コミュニケーションを目的にした、システム提案コンペを始めていた。

 私は今年のメイン案件として、吉木と二人でこのコンペに関わっていた。

 思えば職場内コミュニケーションの活性化に、天下の三濃商事が他社にシステム提案を求めて来るとは時代も変わったものだ。


 コミュニケーション、それはいつの時代もマネジメントの最重要テーマであった。

 世代間ギャップ、職種間ギャップ、そして個人の性格に起因するコンフリクト、これらを克服するために、企業は研修を組み、イベントを開催し、ときには評価要素にさえ取り込んだ。

 しかし現代のコミュニケーションの難しさは、これまで日本企業が直面したものとはけた違いのリスクを孕んでいる

 こんな例がある。

 グローバル化が進んで、ビジネスワードとして『ナイス・ツー・ハブ』という言葉が多用されるようになった。もちろんグローバルな環境で仕事をしてきた者が持ち込んだ言葉だ。

 この言葉が実は曲者で、国内ビジネスで実績を上げてきた者は、タスクの分類において、ナイス・ツー・ハブと聞くと、『やった方がいいもの』と捉える。つまり基本的に実施するタスクに加えて、差別化を図るために行う必須のタスクなのである。

 ところが、グローバルビジネスで鍛えられた者は、タスクの中では重要性がワンランク下がるタスクと捉え、リソースに余裕があれば行うタスクと捉える。だからこのタスクが実行されることはまずない。


 私は吉木と共に、三濃商事の案件に取り組むにあたって、どこに付加価値を置くかを徹底的に話し合った。

 その過程を経て、最後に出した結論が即効性だった。

 他社の提案の枠組みはだいたい見えている。

 SNSを応用したナレッジ共有と、コミュニケーション手法に関する研修をセットにした商品提供だ。

 差別化の鍵はナレッジ共有システムのインタフェースの簡便さと、研修講師にどれだけネームバリューのあるコンサルタントを用意できるかだ。

 この提案の欠点は即効性に欠ける点である。

 ユーザーは使い物に成るまで辛抱強くシステムにナレッジをため込まなければならないし、研修講師の示す手法が有効な場面を体験し体得するまで、修羅場を何度も潜り抜けねばならない。

 そんな辛抱強いユーザーは皆無なので、高い買い物をした割には、効果が出ないことが多い。

 だいたい、多様性を理解するために、人間をマルチコミュニケーションできるように鍛える発想に無理がある。私に女子高生とのコミュニケーションを成立しろと言っているようなものだ。

 だから、システム側にその機能を持たせ、発信した人間によって、受け手側が正しく意図をキャッチできるように翻訳してやればいいのである。

 加えて、インターフェースもキーボドなどナンセンス極まりなく、基本は音声で取り込む。しかもクラウドの利点をフルに活かして、デバイスはスマホにする。

 そこまでは二人で考え、私が理沙の事件で不在の間に、吉木が実現性のある提案にブラッシュアップし、本提案までこぎつけたのだ。

 正に天才吉木の面目躍如である。


「提案説明会は二週間後です。星野さんが間に合ってホントに良かった」

 吉木が上司への絶対的な信頼感を示す中で、私は直感のような閃きが走った。

「この案件はこれから最後までお前がやってみろよ」

 ネットワークまで含めると、提案総額五億円の案件である。

「何言ってるんですか」

 吉木は驚いて即座に私の言葉を否定した。

「三億の案件ですよ。それに最初から提案作成をリードしたのは星野さんじゃないですか」

「しかし今はお前を中心に回っている。相手の受けだってお前の方がいいはずだ。俺はサポートに回るよ」

 これは本音だ。吉木の方が圧倒的に見た目がいいし、英語の発音だって正確だ。

 私が本気で言ってることが分り、吉木の顔つきが険しくなった。

「なぜ、今回そう思うのですか? もしかして奥さんの事故が原因ですか」

「そうじゃない。前からそうするべきだと考えてたんだ。今の時代、役職上位者が仕事をリードするなんてナンセンスだ。もうこの案件は吉木が第一人者なんだから、成果も総取りで行くべきだ」

 吉木は急展開に戸惑って黙ってしまった。全面拒否ではないが、不安からか「YES」という答えを出せずにいる。

「考えてみろ、お前も今年で三三才だ。来年には管理職の声もかかる。今回の案件を自分の実績にして、TECGのニューリーダーとしてデビューすればいい」

「そうは言っても五億の案件です。それに三濃商事で水平展開されれば、百億の案件に成る可能性もある。私ごときのキャリアのために使っていいものじゃない」

 普段冷静な吉木の顔が真っ赤になっていた。

「そんなことはない。受注すればいい話だ」

 吉木はまた沈黙して考え込んだ。ここはじっくりと急かすことなく吉木の反応を待った。

「分かりました。自信があるわけではないですが、私は星野さんの部下ですから、指示を信じてやるのみです」


 丸の内線本郷三丁目駅で下車し春日通りを西に向かい、本郷小学校に向かう通りを北進して三分ほど歩くと、目的のマンションが見えた。

 この三階に吉木が紹介してくれたゲーム会社「レッドマース」がある。


 今回の提案の成否のポイントは、間違いなくトランレーターとなるAIエンジンだ。

 それをどうするか吉木に質問すると、即答された。

「私の知り合いのゲーム会社に製造委託します」

 私は一瞬反応できなかった。


 ゲーム会社、確かにそれは日本で最後に残ったと言える最強プログラマー集団である。

 可能な限りコンパクトなサイズでハードウェアを制御する技術や、マニュアルを読まなくても直感で操作できるUIを創る感性、グラフィックの鮮やかさなど、全てが今回のプロジェクトで欲しているものだ。

 それにも増して優秀なのが、短期間で次々に製品を市場に送り込むことができるプログラム工房の優秀さだ。中でもデバッグ技術に関しては世界を見渡しても抜き出ている。

 かって日本のプログラム製造技術は世界的に見てもトップ水準にあった。だが、主たる事業分野がシステムインテグレーションへ移行していく中で、天才的なプログラマーは次々と姿を消し、目指す者も少なくなっていった。

 最早日本にはゲーム業界しか、純粋に道を究めるプログラマーは存在しないと言っても過言ではない。

 しかし、優秀な反面あまりにも趣味性に走りすぎるとして、TECGのようなビジネス支援系のソフトを作る会社では、暗黙的に協業はタブーとなっている。


「下請け法の対象会社になるんじゃないか。それにデューデリ審査にも引っかかりそうだ」


 物品の製造・修理委託及び政令で定める情報成果物・役務提供委託の場合、依頼元になる会社の資本金が三億円以上だと、依頼先の会社の資本金が三億円以下の場合下請法の対象会社となる。そうなると支払期限を始めとした様々な制約が発生し、公正取引委員会の監視対象と成る。

 TECGの場合はこうした付き合いを嫌う場合が多い。

 また、この規模の案件だと発注額も軽く一千万円を超えるため、購買部門を通して審査が必要となる。審査の一つにデューデリジェンスと呼ばれる企業の健全性調査が実施され、そこに引っかかると発注に制限がかかる。

 いずれにしても、製品提案を作るより先に社内手続に追われることになる。


「既に購買には内々に一社指定での発注会社として打診をしています。ソフト部門の担当課長からは、新規事業対象として専門性をアピールする申請を出すように言われています」

 鮮やかな手際だった。頭の中で絵を描けても実際に行動に移せる人間は少ない。

 やはり吉木はその数少ない貴重な人材の一人だと確信した。

「となるとやはり専務の意向か……」

 国内営業のトップである専務の有永は、純然たる高倉営業の継承者だ。精力的に客先を訪問し築き上げた信頼関係を土台に、機能性に優れたTECGの最新製品を高い利益率を保ったまま売り込んでいく。正に王道を行く営業スタイルだった。

 そんな有永から見れば、顧客ニーズを優先して、プライスダウンのために他社製品も組み込んだ提案を行うことは邪道であり、決して認められない考え方であろう。

 しかし、肝心の差別化できる新製品が自社から出なくなってきている。一部の専門的なパーツメーカーだけが差別化できる製品をパーツとして供給し、TECGはそれらのパーツを組み合わせて商品とする、まるでプラモデルのような組み立て屋になりつつある。

 こんな時代に自社製品に拘る有永のような営業スタイルは、市場に受け入れられ難くなっている。もちろん経営者として有永はそれを自覚はしているが、心の底では否定の感情が滲み出る。

 そんな中で利益を度外視した価格設定、ゲーム屋と協業という冒険、全てが有永の反対を呼び込む予感がする。

「はい、そこを突破できれば、絶対にこの案件ものにできると思います」

 それでも吉木はめげていない。この案件の未来に及ぼす成功のシナリオが彼を勇気づけている。

「星野さん、私の友人との協業を担当してくれませんか?」

 吉木は本案件のリーダーだ。これは私に対する指示だった。

「一度、その友人に会わせてくれないか。やはり人物を知らないと俺自身熱意を持って有永さんを説得できる自信がない」

 それは本音だった。国立大理学部から営業という少しばかり変わった経歴の吉木と違い、純粋文系人間である私にはゲーム業界に知人はいない。

 会ったこともない人間を第三者に信頼させる、まるで詐欺師のような技は自分にはない。

「もちろんです。面白い女ですからきっと星野さんも気に入ると思います。何しろ大学時代から天才ハッカーと呼ばれてましたから。経歴だって、スタンフォードの大学院を出て、向こうでベンチャービジネスプログラムに乗って、AIプログラムを売りまくった実績があります」

 女性だったのか……すっかり男だと思っていただけに肩透かしを食らわされた感じだ。それでも、女だてらに天才ハッカーと呼ばれ、本場のベンチャー業界で成功した経歴には、強い興味が湧いた。


 オートロックのインターフォンで部屋番号をプッシュする。やや時間を置いてハスキーな女の声がした。

「レッドマースです。ご用件をお話しください」

「十一時に高橋様にお約束頂いたTECGの星野と申します」

「あっ、ご苦労様です。今開けます」

 言葉が終わらぬうちに自動ドアが開いた。エントランスに進み奥のエレベーターに乗り込む。三階の目的の部屋の前に着くともう一度インターフォンの呼び鈴を押す。

「開いてますよ~」と、スピーカーから先ほどと同じ女の声がした。

 ドアを開けると私の自宅と似たような玄関が現れ、その先にショートカットの毛先に寝癖がついた背の高い女が、ジーパンにトレーナー姿で立っていた。

「星野さんがお見えになると聞いたので、今日は頑張って九時に起きました。でも先ほど力尽きて机で寝てしまいました」

 そう言ってぺろりと舌を出して微笑む。なかなか素敵な笑顔だが、初対面の場でこの型破りな挨拶には面喰った。

 応接室に案内される。外観で見た通り普通のマンションの一室だから、ベッドを運べばすぐに寝室になりそうな部屋だ。中にはダイニングテーブルとチェアが置いてあった。女が名刺を出してくる。名刺には「CEO 高橋奈保」と書いてあった。

「CEOと言っても社員は六人なんですけどね」

「このオフィス、SOHOって言うんですか、初めて見ました」

「あ、初めてですか、じゃあ奥も見てみます」

 そう言って奈保は楽しそうに奥の部屋に私を導いた。途中トイレとバスルームがあり、ここはホントに普通のマンションなんだと改めて思わされる。

 奥の作業部屋は二○畳以上はありそうな広い部屋に机が六つ置いてあり、三人の男が仕事をしていた。

「マキとナオミチは?」

 奈保が三人に聞いた。

「まだ休憩室で寝ています」

 一番近くの男がモニターから目を離さずに答える。

「今、スマホ向けゲームの新作を作っていて、ほとんどここに泊まってるんですよ。風呂もベッドもあるから便利なんです」

 どうやらここは労基法も安衛法も無関係の世界らしい。

「ひどいでしょう。星野さんのような大きな会社から見たら魔界のようでしょう」

 魔界という言葉がゲーム会社らしい。星野は再びカルチャーショックを感じながら元の部屋に戻る。だが不快な感じはしない。

「吉木君から仕事の内容は聞いています。御社がうちと組みたいと本気で思うなら、私は受けてみたいと思っています」

 奈保は挨拶もそこそこにズバリ核心に触れてきた。

「今までとまったく分野が違うのに、どうして受ける気になったんですか?」

 そこは最も聞きたい部分だった。

 私は仕事のでき不向きは、仕事に対するモチベーションが大きく左右すると考えている。来る前はどうやって聞こうかいろいろ考えていたが、ざっくばらんな奈保の話し方のおかげで、スムーズに口に出すことができた。

「私もうちのメンバーも最初はやる気なんてなかったんですよ。おっしゃる通り畑違いですから。でも吉木君の一言でみんなすっかりやる気になったんです」

「吉木は何て言ったんですか?」

 この明らかに異質な世界の人たちをその気にさせた、吉木の言葉に興味が惹かれた。

「国内のビジネスソフト業界は創造性において大きく後退している。従事している人間もイノベーションの本当の意味をはき違えている。本当のモノづくりの凄さを示してもらえないか。これはゲーム業界のビジネスへの侵略だって言ったんです」

 てっきり会社のステータスが上がるとか、高額な開発費用の提示だと思ったので肩透かしを食らった気分だ。ピンとこない顔をしている私に奈保は続けた。

「これってまさに私たちのモチベーションそのものなんです。常に新しい分野に技術力一つで喧嘩をしかける。楽しいですよ。それにAIは実は私の十八番(おはこ)で、アメリカで散々鍛えられて、今でも研究チームとは親交があります」

「安定は嫌いですか」

「そりゃそうですよ」

 分からないんですかという顔つきで奈保が私を不思議そうに見る。

「吉木君の話だと、安定路線を追ってばかりで、新規事業を否定する専務さんがいるんでしょう。そういう人の鼻を明かしたいというのが本音ですけど」

 奈保はニヤリと笑って、舌をペロッと出した。

――そんな話もしてたんだ

 何となく腹に落ちた気がした。彼女たちは常にチャレンジャーなんだ。だから究極のゲームを求めて開発する。

 強い敵がいれば、それを打倒することに燃える。正に今回の仕事を頼むには絶好の相手だった。

 それから予定していた一時間をはるかに超えて三時間も話して、それでも話し足りないと感じながらレッドマースを後にした。帰り道は足取りが軽い。承認さえされれば、今までにない商品を提供できる予感に心が躍った。

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