第6話 見つけた!
園田へのインタビューの要点メモと、録音を許可してもらったICレコーダーを遥香に渡し、ディクテーションとメモとの整合確認をお願いした。
相変わらず遥香は特に理由を尋ねることなく作業に取り掛かる。遥香が作業している時間を利用して、もう一度佐山の資料に目を通す。
佐山はTECG開発部門では一目置かれた存在だったようだ。部長職へも何度もノミネートされているが、本人の現場に残りたいという意思が尊重されて、課長職に留まっていた。高倉無線への転籍も、当時の高倉無線の社長が自ら指名して実現している。
これらの経歴を見る限り、佐山が会社に対して不満を持っていたとは思えなかった。謎の解明に光が見えたと思ったが、また灯りのない道に戻った気がした。
どちらにしても、会ってみないと真実は見えない。結果を恐れず前進あるのみだ。遥香が昨日の結果を資料にしてくれた。礼を言って資料を受け取り、鞄の中に無造作に放り込んだ。
「行ってきます」と、遥香に声をかけ編纂室のドアを開けた。
まだ十一時半だが新検見川について、昼食を取りながら遥香のまとめてくれた資料を、ゆっくりと確認するつもりだ。
水道橋の駅から新検見川駅まで総武線で一本だ。乗り換えはないが時間は五○分ぐらいかかるので、電車の中で遥香の纏めた資料を取り出す。相変わらず隙のない資料だ。
いつもながらこれだけ仕事のできる人が、なぜ社史編纂室にいるのか、助かるのだがそれ以上に不思議な気がする。
遥香は園田順平のいくつかのキーワードから、「見切り」、「成果主義」、「開発テーマへの固執→退職」をピックアップして並べていた。そして、業界紙に掲載された大川社長の「技術者とは」という記事が、参考資料として挿入してあった。
私はその記事のある部分に目を止めた。
――経営者の技術開発への関与とは忍耐である。技術開発の本質とは、理想とする結果に行きつくまでは、決して妥協することなく追い求める中にある。しかし最近はそうした姿勢は影を潜め、技術者でない者が勝手に開発結果を予想して容赦なく終止符を打つ。経営者が目先の利益を追いかけて安易な投資に走り、大きな損失を受けたバブル崩壊のつけを技術投資に押し付け、改革と称する改悪に走る傾向に拍車がかかっている。こんな時期だからこそ、トップが個々の技術開発に進退をかけるぐらいの気構えが必要だが、現状を見ているとそのような経営者は日本にはいなくなり、ベンチャー気質の強い米国と差が開くばかりのように思える。半端なトップの浅い判断による開発打ち切りが、優秀な技術者を退職に追い込み貴重な人材を失わせていることを、この紙面を借りて警告する。
私は驚いた。昨日の園田の意見とまったく同じものだった。だが園田は卒業以来一度しか大川社長に会ってないと言っていた。
裏でつながってない限り、意見交換する時間などなかったはずだ。それならば、同じ考えに至る強烈な体験を二人が同時にしたということだ。そしてその舞台は高倉電機でもおかしくない。高倉電機の歴史の陰に隠れたところで、二人が同じ考えに至る事件があったのだ。
私が思索にふけっていると、電車は新検見川に着いた。慌てて資料を鞄にしまい、電車を降りた。
改札を抜けて駅近くの蕎麦屋に入った。注文した天ざる蕎麦は更科蕎麦の特徴である甘みと、しっかりしたのど越しを示し、期待以上に美味かった。
満足しながら佐山の資料をもう一度確認する。
園田と大川が同じ意見に至った事件は、佐山が当事者の可能性がある。なぜなら、これまでのキーワードである「大川社長の同級生」、「処遇的には不遇」、「高倉電機の技術者」、「反成果主義」、「定年前の退職」などに関連する者はもう佐山しかいない。
しかし、何度も読み返した資料からは、それを決定づける、あるいは匂わせる材料は出てこなかった。
それでも会って話せば隠れた事実が出てくるかもしれない。気を取り直して最後のトライをするために佐山邸に向かった。
佐山邸では主人の敏夫が自ら出迎えに出てくれてリビングに案内してくれた。二人のお子さんは既に独立して一緒に住んでいないということだった。
今日は奥さんも午後からホットヨガに出かけ、近所の主婦仲間とお茶して帰るということで、夕方まで不在であった。
佐山自身も週三日間は近隣の大学の公開講座で講師を務め、主として無線技術の技術史を教えているということだった。
話しの中に佐山家の幸せで充実した日々が窺える。
「今更高倉電機の人間がリタイアした私を訪ねて来るなんて驚いたよ。今日はどういったご用件かな?」
さすが生粋の技術者は前置きなく本題を聞いてくる。私は変に駆け引きしても通じない相手と理解し、直球をぶつけることにした。
「ある業界紙で大川電機の大川社長の記事を見つけ、こういった傾向が我が社にもあるのではないかと気になり、大川社長の同級生である佐山さんをお訪ねした次第です」
そう言って、遥香が印刷してくれた資料を佐山に見せる。佐山は一通り黙読してから、資料を私に戻して言った。
「この記事なら知っている。最初に読んだときは大川君ならではの内容だと思ったよ。的を得た話の展開に感服したものだ。ところで、何でこの記事のようなことが、高倉電機にもあるんじゃないかと思ったんだね」
何と答えるか少しだけ迷ったが、園田に言ったのと同じ理由を話した。
「実は私の住んでいる町の知り合いに大川電機の技術者がいるのですが、彼の話だと大川社長は理由は分からないが、うちの開発姿勢を嫌っておられる様なんです。そこでこの記事を見つけて、どうしても理由が知りたくなりました」
「ふむ。そういうことか。しかしこの記事に書かれたことは、どの企業にも言えることではないか。ゲイツのような技術者上がりの経営者は、今の日本には数少ない」
やはり一般論として流された。手掛かりはないのか。早速戦意を喪失しそうになる。
「だが、優秀な技術者を退職に追い込むという件に似た話は、高倉にもあったな。他社にもあるとは思うが」
佐山の一言が私の眼前に光を灯した。
「ど、どんなことがあったんですか?」
「一九九三年はバブルが崩壊して開発体制が大幅に縮小された年だった。私と同じ東京工業大学出身の女性技術者が、開発プロジェクトの打ち切りに抗議して退職したんだ」
女性技術者? 後輩か?
「佐山さんの先輩か、後輩ですか?」
「いや同級生だよ」
遥香の調査に漏れはないはずだ。何かの間違いではないか……
「佐山さんの同級生は園田さんだけではないですか?」
「ああ、入社年のことを言ってるんだね」
佐山は笑って説明してくれた。
「実は私や園田は、彼女に比べると技術に対する造詣も情熱も低くて、大学を卒業してすぐに就職したが、彼女は東大の大学院に進んで、博士号を取ってしばらく研究室に残ったんだよ。その当時は今と違って理系学生でも大学院に進まない方が多かったからな。彼女は珍しかったんじゃないかな」
院卒か、盲点だった。それならば入社年は二~三年遅れるはずだ。
「彼女はそのまま大学に残って、教授の道を進みたかったようなのだが、お父さんが倒れる不幸があって、経済的な理由で就職を選んだ。それでも技術に対する情熱は強く、同様に経営者の勉強をするために、大学に残らなかった大川君とも気があって、よく会っていたと聞いている」
ピースがつながった。はやる気持ちを静めながら私は聞いた。
「どんな経緯だったんですか?」
「彼女の技術知識、技術者マインド全てが一級品で、入社以来数々の製品開発でキーマンを務め、当時の高倉将司社長からも目を掛けられていた。そして新型ページャ開発では責任者に抜擢された」
「ページャ?」
聞き慣れない言葉だった。
「ああ、日本ではポケベルと呼ばれている。今はないが、当時は手軽な通信機器として女子高生を中心に大ヒットした商品だった」
ポケベルか、それなら自分も使ったことがある。確か二〇〇七年にサービスが終了したはずだ。
「彼女はページャによるイノベーションを考えていた。その当時数字しか送れないページャーに今のスマートフォンのようなタッチパネルを付けて、メール専用端末として世に送り出そうとしたんだ。通話機能のない携帯電話だな」
確かに先進的だ。携帯電話のメールサービスが開始されたのは、記憶だと一九九七年だから、メールの携帯端末としては恐ろしく先を言ってる。それに今のスマホ使用を見ても、明らかにコミュニケーションは音声からテキストに移行している。
「かなり先進的な発想をする人だったんですね」
「そうだ。彼女は優秀だった。しかもテキストだけじゃなくて、彼女はカメラ機能もページャーに持たせようとしていた。もちろん伝送速度が遅いから、かなり小さな画像に成るが、それでもイメージを加えることで、利用シーンは倍増する。あのまま研究を続けていれば、今のタブレット端末の市場は高倉が中心になっていたかもしれない」
それは凄いことだった。タブレット端末とスマートフォンが今のコンピュータ業界を牽引していることは間違いない。それが当時普及していたポケベルから進化していけば、この市場をもっと早く形成し、それを独占する機会を得る可能性があった。
「ところが、バブル崩壊と言う経営が震撼するような事態が起きた。これは国内的にはリーマンショックの比ではない経営的打撃だった」
「それでプロジェクト中止になったんですか」
「そうだ。彼女はこれは大きな機会損失だと言った。だが景気後退から本社の経理部や営業部がプロジェクト継続に反対した。だが高倉社長は最後まで迷っていた」
「結局どうなったんですか?」
「当時営業第一部長だった有永が裏で画策して引導を渡したんだ」
「有永専務!」
とんでもない名前が出てきた。
「有永は入社が遅かった彼女の同期入社で文系の出世頭だった。若かったし、高倉源治専務の覚えも良かったから、もしかしたら一族以外の初めてのサラリーマン社長かと言われたものだ」
その話は聞いたことがある。そういう実績十分の有永専務が、七年前に三歳年下で平取だった高階さんに社長レースで負けたのは、社内では大どんでん返しだと話題になったものだ。高倉将志は経営者としての最後の決断として、後継者には今の利益の源泉よりも、グローバル企業を形作れる可能性を選んだのだ。
「なぜ、有永専務はそんな動きをしたのですか?」
「当時不況を乗り切る手段として高倉將志は営業強化より製品開発強化を重視するんじゃないかという憶測があった。有永は彼女が社長レースの最大のライバルになる危険を排除するために、プロジェクト潰しの根回し工作に暗躍したのだろう」
なんてくだらない理由だ。そこで踏ん張っていれば今頃TECGはIT界のトヨタ、米国におけるアップルになっていた可能性があったのに。
「ところで彼女はそんなにすごい人だったのですか?」
「バブル崩壊前までは、日本企業は世界のリーディングカンパニーになると誰もが思っていた。だからこそ、米国の伝説になっているゲイツやジョブスのような技術の分かる経営者が欲しかった。その意味では彼女はそう成る資質を十分に持っていた。先を見通す目は群を抜いていたしな」
ゲイツやジョブス並みとは大変な賛辞だ。
「それなら高階さんを社長に抜擢したように、高倉将志にはそういうことを見通す目が有ったんじゃないですか?」
私の言葉に佐山はフッと笑って視線を下に逸らした。
「分かってないな。当時の経済的な喪失感は生半可な神経では正常な判断はできない。高倉將志もそういう意味では所詮下積みのないお坊ちゃんだよ」
「……」
「そこに有永は付け込んだ。そのころ強固な関係にあった量販店を活用し、短期サイクルで名ばかりの新技術を織り込んだ製品を売り切っていく、ヒット&アウエー戦略を打ち出した。そのために宣伝コストを増大させ、その他のコストの大幅カットを進言した。その中で最も大食らいの技術開発コストは目の敵にされたんだ」
確かにバブル崩壊以後、TECGの製品発表サイクルは判で押したように三カ月サイクルになった。
「その同期の女性はその後どうしたんですか?」
「辞めたよ」
「辞めた後は、今はどこにいるんですか?」
「もういない。自殺したんだ」
自殺……言葉が出なかった。
「彼女は開発に人生の全てを捧げていた。その当時四十代の半場だったが、結婚もせず研究一筋だった。辞めた後、何社か開発継続をできる会社を探していたようだが見つからなかった。日本はアメリカのようなエンジェル的な投資家もいないからな」
――開発者とはそこまで人生を賭ける者なのか!
私は凄まじい執念に戦慄を覚えた。
「大川社長にも相談しなかったんですか?」
佐山は一層深い闇を瞳に宿した。
「大川電機も再建途上だったし、何よりも大川電機自体がそれほどの総合商品を開発できる企業ではなかった。それに大川君は特に彼女と親しかった。大学時代は二人とも真面目だったので、深い仲ではないと思うが、おそらく付き合っていたと思うよ。なぜ自分のところに相談に来てくれなかったのかと嘆いていたが、そんな関係が邪魔したとも思う」
もの悲しい思いが胸に拡がってゆく。愛する者を失うことは、自分には他の者以上に理解できる。何か憎む対象が欲しくなる。傷付いた心を奮い立たせるために……
帰りがけに佐山に言われた。
「星野さん、あなたも悲しみを抱えているようだね。話を聞いてる様子を見て、別の悲しみが体を覆っているように見えたよ。でもあなたはこうやって元気に生きている。あなたに技術者の思いは分からないだろうけど、傷ついた者の悲しみに向き合って癒すことはできるんじゃないかな」
その言葉を聞いて、無性に大川社長に会いたくなった。そして彼の呪縛を解いてあげたいと思った。少なくとも今彼は間違った判断をしようとしている。それは彼の悲しみをより大きくするだけだ。たった今、私は心の底からこの案件を解決しようと決意した。
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