10.善人ではない

 占い師の女は、両手の指同士を合わせて顔の前に置くと、その向こう側に自分の笑みを隠した。


「そうやって理論的に考えられる大学生もいいなって、おねーさんは思います」

「人が真剣に話しているときに、愉快犯的に引っ掻き回す大人に言われれば本望だ」


 嫌味に嫌味で応酬すれば、トモカは鼻で笑う仕草をした。


「お前らが頭使わないからだろ」


 エスペランサを起動した時と同じ、男のような言葉遣いになったトモカは、眼球だけを動かして全員を見た。


「システムが競合すれば互いの妨害を始めて、寿命が絡むと知ったらこれまでの行いを反省して、それが何になるんだよ。挙句の果てに人の言葉あそびに噛みついてたら苦労ねぇって」

「……状況ってものがあるじゃん」


 ハルがなんとか反論したが、トモカは軽く笑っただけだった。


「空気を読めって言うんだな。なるほど、頭を使うよりも空気を読むほうが優先か。私の性に合わないけど、まぁ年下に合わせるのも年上の懐の広さってやつだ」


 トモカは笑みを深めて、首を少し右に傾けた。そこにスイッチでもあるかのように、再び口調が切り替わる。


「で、君だけはおねーさんの言葉の意味に気がついたんでしょう?」

「さっき、散々話をはぐらかされたからな。あんたは「爆破」をバーチャルな空間で行えって言ってるんだろ。それも、Nyrの利益となるように」

「そういうことー」


 手を軽く叩いたトモカは、自分のスマートフォンを起動する。


「そろそろNyrも「イベント」が必要だと思ったんだよね。ほら、ソシャゲで期間限定イベントってあるじゃない。皆でダンジョンに突撃して素材を集めましょうとか、皆で力を合わせて魔王の命をゴリゴリ削りましょうとか」

「それに、祈願システムじゃ叶えられない願い事を使おうってことか」

「システムに神様の存在を誤認させるなら、難易度高いほうが良いと思うんだよね、おねーさんは」


 その考えには一理ある、とユキトも認めざるを得なかった。

 自分たちで叶えられる願い事などたかが知れている。例えば失くしたものを探すだとか、人助けをするだとか、せいぜいがそんな内容だろう。そしてその程度のことは、長い歴史の中で何度も起こっていた可能性が高い。システムに頼らずに簡単な願い事が叶っても、「神様がいる」と認めるには至らなかったと考えられる。


「そうだなぁ、例えばNyrに「悪の組織」のビルを作る。皆が救世主ポイントを稼ぐことで、そのビルを破壊出来る。破壊したら参加者全員にアイテムをプレゼント。そんなのどう?」

「でも実在のビルの名前を使ったら、問題になるんじゃないの?」


 ナオが不安そうに声を出した。高校生ともなれば、「固有名詞」を勝手に使うことの危険性も理解している。例えそれがありふれた名前であろうとも、許可なく使うことは許されない。

 だがその不安は、トモカによってあっさりと解消された。


「別に皆に見えるように使わなくてもいいんだもーん。プログラム……要するに内部で、「この建物はある人の願い事でぶっ壊すビルですよ」って説明書きでもしておけばいい。そうすれば問題にならないでしょ」

「そうか。エスペランサはプログラムを直接操作するから、イベント達成時には「特定のビルを爆破する」って動作になる」


 ハルが呟くように言うと、トモカは「せいかーい」と無邪気に拍手をした。寒々しいその音が席の周囲にだけ響く。店内に流れる曲や呼び出しベルの音ですぐに掻き消された。


「イベントが盛り上がれば課金勢も増えるし、ユーザも増えるかもしれない。ツバサに言えば、すぐに対応してくれると思うにょ」

「確かに、兄さんはそういうの好きそうだね」


 ツカサが同意を示す。


「問題は、イベントがうまく行くかだけど……」

「何言ってんの?」


 トモカが、純粋に驚いたような声を出した。ツカサの言った言葉に、心底驚いている様子で、少なくともそれは演技には見えなかった。


「盛り上げるのは君たちでしょ」

「え?」


 当然のように告げられて、ツカサが間の抜けた声を出す。


「自分たちの問題なんだから、自分たちで解決しなよ。まさかNyrに丸投げして、結果だけ待ってようとしたわけ? そういうの、おねーさんよくないと思う。うん、思います」

「自分たちって……、俺たちにNyrを使えって言ってるんですか」

「それ以外何があるのー? 言っておくけど、こっちは裏工作なんてしないからね」


 トモカは立ち上がると、テーブルの上の伝票を手に取った。そして、五人分の視線を受けていることに気がつくと、伝票を指に挟んでひらひらと揺らす。まるでそれが皆を鼓舞させるための旗であるかのように。だが、五人の目にはトモカの嘲笑にしか見えなかった。


「じゃあ、おねーさんはツバサたんに話つけてくるね。たまーに思い出したら応援してあげるから、頑張って盛り上げてちょうだい」


 アデュー、と言い残して占い師はその場を立ち去った。後に残された五人は、それぞれの仕草で溜息をつく。雨のせいだけではない、湿った重苦しい空気がその上に漂っていた。


「要するに」


 ユキトは疲労を感じながら口を開いた。


「爆破させたきゃ、俺たちが願い事を率先して叶えろってことだよな」

「まぁ……そうだろうね。そうすれば他のユーザへの呼び水になるってことじゃない?」


 同意を返すツカサも、どこか疲れた顔をしていた。この数時間、トモカに振り回されていたことに気付いてしまったのだろう。


「でも……やるしかないよね」


 向かいの席で、決意したように呟いたのはナオだった。隣のれんこも頷いている。


「そうしないと、いつまでも此処から離れられないし。ハル君も手伝ってくれる?」

「ここで断ったら、あの人と一緒だからね。手伝うよ」


 システム消滅のために照らされた一筋の光明。そこに多少、他人の思惑が絡んでいようとも、五人はその光を目指すしかなかった。

 決意を新たにして、五人は頷き合う。テーブルの上に忘れ去られた蛇の玩具だけが、彼らを見守っていた。


第五幕 終

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