6.三人目の使役者
「というか、お前兄貴いたんだな」
今更の確認をユキトが口にすると、ツカサは「いるよ」と端的に返した。
「十歳離れてるから、そんなに普段話はしないんだよね。でも俺がボドゲ好きなのは兄さんの影響だよ」
「他に兄弟は?」
「いない。だから、辺見神社のことも長男や長女に語り継いできたんだろうね。それを簡単に人に話しちゃうところは兄さんらしいというか、何というか」
大仰に溜息をついて、ツカサは氷が溶けて薄まったアイスティーを口に運んだ。
「兄さんはすっごい適当な人なんだ。その場のノリで生きてるタイプ。正直、占い師のお姉さんとは気が合うだろうなと思う」
その批評に、トモカは愉快そうに口角を吊り上げた。
「あいつと同類扱いは心外だにょろん。仲間内じゃ、一番まともって言われてるのに」
「他の面子どうなってんだよ……」
ぼやくように言ったのはハルだった。明らかにトモカの言葉を信用していないことが、視線からも窺える。その視線を真っ正面で受け止めたトモカは、しかし笑顔を崩さない。その程度の扱いには慣れていると言わんばかりだった。
「あれぇ、ミケ君はご機嫌斜め? 蛇ちゃんいる?」
差し出された玩具を、ハルは手で押し戻しながらツカサの方に振り向いた。
「それより、絹谷さん。「兄さんが封印を解いた」って言うのは?」
「あぁ……それね。これは憶測なんだけど」
ツカサは自分の頭の中から言葉を探すように、視線を中空に据える。
「兄さんは古くから絹谷家に伝わる話を元にして、Nyrを作り出した。細部は違えど、根本的な仕組みは同じだ。寿命の代わりにポイントを使い、神脈の代わりにネットワークを用いる。恐らく河津神社のシステムは、Nyrのせいで誤作動を起こした」
「ごさどー、ですか?」
ナオが首を傾げながら聞き返す。知らない単語ではないが、使い慣れていない。そんな印象の発音だった。
「他のシステムが動き出した。そう認識したんだろうね。だから、ナオちゃんが起動することが出来た」
「つまり……似てたから間違えたってことですか?」
信じられないようにナオが目を見開いた。だが隣に座ったれんこは、その意見に賛同を示す。
「ありえると思う」
「でも、そんな適当な」
「儀式の簡略化……簡単にすることは、神社ではよくあることだから。さっきの人柱の話も、今では代わりになる護符とか人形で済ませたりするし、それこそ神社の参拝だって、色々省略されて今の形になったって言われてる。外せないポイントさえ押さえておけばオッケーって感じ?」
「じゃあ、Nyrは外せないポイントを押さえてた?」
「そういうことだと思うんだけど……」
れんこは指に髪を絡める仕草をしながら、少し黙り込む。
「れんこちゃん?」
「この場合ってシステムの使役者を誰だと認識したんだろう。流石にそこは簡略化出来ないと思うんだけど」
「ツカサさんのお兄さんじゃないの?」
「アプリを作った人と使う人は別だろ」
ユキトは横から口を挟む。厳密には、アプリを作った人間がそれを使うことは珍しくもない筈だが、それだとその他大勢の使用者との違いが付かない。
「むしろシステムを作った人間は、神様みたいな区分になるんじゃねぇか?」
「兄さんが神様ねぇ。それはどうかと思うけど」
苦笑しながら言ったのはツカサだった。いつの間にか手元のグラスは空になっている。だが、ユキトとハルを乗り越えてドリンクバーに行く気力がないのか、ただグラスを手慰みにしていた。
「順当に考えれば、アプリの使用者じゃない?」
「何百人も使役者がいることになるだろ、それだと。もしそれが許されるなら、前の使役者の二人が寿命を半分ずつにすることは無かった筈だ」
「あぁ、そうか。……なんか段々こんがらがってきたよ」
ツカサは溜息を吐く。恐らく今此処にいる中で、一番混乱しているのはツカサだった。もう一つの神社が、他でもない自分の家で、その秘密を身内が知っていた。ファミレスで聞くにはあまりに情報量が多い。
「となると……アプリの使用者は参拝客。ネットは神脈。救世主ポイントは寿命。これが正しい組み合わせかな」
「その中にシステムの使役者に相応しい誰かがいるってことだ」
ユキトはそこで言葉を区切り、視線をゆっくりと動かした。ツカサからナオ、れんこ、そしてトモカ。トモカが視界に入ると同時に、ユキトは口を開いた。
「何か思い当たることは?」
「……そういう、ざっくばらんな解決方法は、おねーさんは大好物でございます」
褒めているのか馬鹿にしているのか曖昧な言い方でトモカは返した。手にしていた蛇の玩具をテーブルの上に投げ出し、背もたれに体重をかけながら両手を前に出して体を伸ばす仕草をする。
「一人でうっじうじ考え込むよりも生産的だからね」
「占い師らしくないセリフだな」
「大人っぽいと言ってちょーだい。使役者ってのはシステムを操る人のことでしょ? 多分、それって「エスペランサ」のことだと思うよん」
突然飛び出した名前は、当然ながら五人とも聞き覚えのないものだった。
「エス……?」
聞き取れた二文字だけをユキトが繰り返す。
「エスペランサ。スペイン語だよ」
ハルがその隣で呟いた。
「希望、とかそういう意味だったかな。スペイン圏の人だと、よくハンドルネームで使ってる。もしかして、そういう類?」
「違うよー、エスペッたんはハンドルネームとかじゃなくて、ちゃんとそういう名前なの」
そう言うと、トモカはパーカーのポケットからスマートフォンを取り出した。飾り気のないシンプルなケースで、光の加減で表面についた大量の小さな傷が浮かび上がる。トモカは口元にスマートフォンを近づけると、少し声量を落とした声で囁いた。
「起動しろ、エスペランサ」
水面を叩くような電子音が微かに聞こえる。続けてスピーカーから溢れたのは、男とも女ともつかない透き通った声だった。
『お呼びでしょうか』
トモカはスマートフォンをひっくり返して、画面を皆に向ける。緑色のグラデーションの上に、双葉の形をした白いシルエットが浮かび上がっていた。
「この子がエスペランサ。Nyrで使ってる人工知能だよん」
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