7.順番と確率

「冗談だろ?」


 憂鬱な呟きが喫茶店の床に落ちてから数秒後、まるでそれが跳ね返って耳に入ってきたかのように、ツカサが顔を上げた。


「なーにを大袈裟な。濡れると数が増えたり、力が出なくなるわけじゃないでしょ」

「だからって好き好んで出ていくような天気でもねぇだろ」

「いずれは出なきゃいけないんだから、諦めなって。ハル君なんて、この雨の中お仕事に行ってたよ」

「あぁ、あの眼帯の?」


 確かに店内には姿は見えなかった。少し離れた場所にあるカウンターのところでは、マスターが黒いベストに包まれた背を丸め、備品の手入れをしているのが見える。


「そういえば前に見たときも、外から何か抱えて入ってきてたな」

「あれは単にお使いじゃない? この店、いくつかの会社とかと契約してて、珈琲のデリバリーしてるらしいんだよね。その注文を集めに行ったんだよ」

「今どき、わざわざ注文聞きに行くのか? メールとかで済みそうだけどな」

「逆にそのスタイルがウケてるんだってさ。何事にも商売のチャンスってあるもんだね」


 ツカサはマスターには聞こえないように声量を落としながら言う。決して悪口を言っているわけではないが、店のビジネススタイルを聞こえる距離で批評するのはマナーが悪い。


「それにハル君、ゲームばっかりで体鈍ってるって自分で言ってたし、運動代わりでもあるんじゃない?」

「運動不足だからデリバリー始めたわけじゃないだろ。それだとなんか……」


 ユキトは上手い表現が思いつかずに眉を寄せる。すかさずナオが口を挟んだ。


「因果関係」

「それだ。因果関係が逆になってる」

「そんなこと俺に言われてもなぁ。卵が先か鶏が先か、みたいなこと?」

「多分違う」


 ユキトは否定を返したが、そこでふと自分の言葉に引っ掛かりを覚えた。頭の中で今までの会話が再生され、いくつかの単語が蘇る。曖昧なそれらは、しかし明確な輪郭を持たないまま結合し、一つの仮説となってユキトの胸の内に落ちてきた。


「……あ?」

「どうしたの、ユキちゃん。雨が嫌ならナオが行こうか?」


 幼馴染の申し出に対して、ユキトは首を横に振った。

 胸の中を占める疑問と仮説は、まだ明確な形を持たない。それは所謂情報の寄せ集めに過ぎないからであり、ユキトが口に出してくれるのを待っているかのようだった。


「……本当にその順番で合ってるのか?」

「え?」


 唐突な言葉に対して、ナオが目を瞬かせた。だがユキトはそちらには目もくれずに、テーブルに置かれた自分の珈琲を見つめる。


「占いの森に来た客が、縁結神社に来てお参りをする。美鳥れんこはその内容を確認してから、Nyrを見て同じ願い事を探す。順番がおかしい」

「何が」


 自分の考えを否定されたツカサが、少し不機嫌な表情で返した。


「そりゃちょっと回りくどいけど、巫女さんが願い事を選別するには妥当な線でしょ」

「本気の願い事を抱えた人間が」


 ユキトは右の人差し指を立てながら口を開いた。相手が黙ったのを確認してから中指も立てる。


「Nyrに封筒を投稿して、占いの森に来て、神社にお参りをした。全部の条件に合致する人間が毎日何人も見つかるもんなのか? 一つ一つの確率を組み合わせていったら、物凄く低くなると思うぞ」


 ツカサの仮説は、どれか一つでも欠ければ成立しない。それぞれの事象は発生頻度が多いように見えるが、全て組み合わさるとなると、一気に確率が下がる。

 例えば、今日みたいな天候だと、そもそも客の数自体が少なくなる。そこから更に願い事を選別していくと、最終的に使えるものは一個か二個だろう。下手をすれば一個も残らない可能性もある。そんな運任せな作戦を採用するとは、ユキトにはどうしても思えなかった。


「……確かに」


 ツカサは一言呟いてから、苦いものを口元に浮かべた。


「俺の仮説が間違ってたってことか。ちょっと逸ったねぇ」

「いや、間違いは間違いでも、Nyrを向こうが使っているっていうのは良い線だと思う。というか、こういうミスリードを狙ってたような……」


 だがユキトはその推測を口にするのは止めた。それを突き詰めたところで意味はあまりない。それよりも、胸の中にあるモヤモヤとしたものを、早く吐き出してしまいたかった。


「縁結神社に行くために『占いの森』に行く客っていると思うか?」

「それは……いないんじゃないかな。あくまで占いが一次目的だろうから」

「客を神社に向かわせるには、どうしたらいいと思う?」


 ユキトの問いに対して、ツカサは少し考え込んでから口を開いた。


「占い師が……参拝を薦める」

「多分それが確実だろうな。で、その客を占いの森に招き入れるにはどうする?」


 一瞬、静寂が流れた。窓の外の雨音が沈黙を埋めるように激しく鳴る。ユキトは相手の言葉を待たず、ただ仮説を言語化する作業に徹した。


「ナオ、占いの森に行った時のこと覚えてるか」

「うん、覚えてるよ」

「有名な占い師がいるって言ってただろ」

「えーっと、「Tomo」のこと?」


 ナオは少し自信のない口調で言う。正直、ユキトは占い師の名前自体にさほど興味はなかった。


「それ、どこで知った?」

「どこって……」


 ナオは思い出そうとするように首を傾げたが、自分の右手を見ると、「あっ」と声を出した。そして、握っていたスマートフォンの画面をユキトの方へ向けた。


「これで見たの!」


 画面にはNyrが表示されている。だがナオが左手で示したのは画面にいくつも置かれている封筒ではなく、その一番下のエリアだった。ネットの広告バーが表示されるエリアに、紫を基調とした妖しげなデザインが載っている。『恋愛成就させたいなら……』という思わせぶりなキャッチコピーと共に、ナオが言った占い師の名前が添えられていた。

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