5.攻略法

 階段の遥か下から、複数の声が聞こえる。会話の内容までは聞き取れない。あくまで、声を察知できる程度だった。『占いの森』が営業を始めてから既に一時間が経過している。そろそろ誰かが参拝に来てもおかしくない。

 れんこは社の左右に張られた布の影で、システムを起動する。そこには現在「実行中」の願い事が羅列されていた。手付かずの願い事の中には、赤文字になっている物もある。赤は実行不可を示すものだと、れんこは早々に悟っていたが、それ以上考えたことはなかった。本当の意味に気がついたのはハルである。


「やっぱり消えないね、赤い願い事」


 床に座ってスマートフォンを弄っていたハルが、れんこの視線を追って呟く。


「本人が取り下げない限りは無理ってことかな」

「多分ね。どうせ叶えようがないんだから、表示されたままでも良いんだけど」


 れんこはそう言いながら、リストを少し離れた場所に遠ざける。そして空いたスペースに群青区の地図を展開した。駅を中心とした一帯の俯瞰図。その右上には「52」と数字が表示されていた。


「河津神社と縁結神社。どちらにも願い事をした場合は叶えることが出来ない。ハル君、よく気がついたよね」

「あの神社の絵馬に、赤い願い事と同じ内容が書いてあったからね。まさに溺れるものを藁をも掴むってやつ? いや、欲張った結果願いが叶わないんだから、二兎追うものは一兎も得ずかな」


 ハルはおかしそうに体を揺らして笑う。その上機嫌の理由が、今の会話だけでないことをれんこは知っていた。システムを展開させたまま、視線をそちらへと向ける。


「河津神社の人たちは、ハル君のトラップに気がつくかな?」

「わかりやすいトラップほど、人は嵌るもんだよ。きっと今頃、Nyrでお願い事探しの真っ最中じゃない?」


 ハルは床に置いていたコンビニのビニール袋に手を伸ばす。雨に濡れた袋の中から、同じく濡れた箱を取り出した。紙製の箱には、中に入っているビスケットの絵が、少々誇張気味に描かれている。「シュレーディンガーのにゃんこ」と可愛らしい字体で商品名が書かれ、その文字の上で複数の猫が寛いでいた。


「食べる?」

「うん」


 れんこが頷いて手を出すと、箱の中から取り出された猫型のビスケットが数枚置かれた。噂では他の形のビスケットもあるらしい。だが、商品名が記す通り、存在するかしないかは不明である。


「Nyrのことは前に絹谷さんたちに言ってるからね。思いつくのは容易いはずだ」


 ビスケットを一口かじったハルが、暇つぶしとばかりに言葉を紡ぐ。まだ誰も神社に来る気配はない。


「でもオレが美鳥さんと繋がってるとは知らないからね。それが罠だとは気が付かない。あのアプリの封筒の中に、願い事があるって思い込む」

「それが誘導されたことにも気が付かずに?」

「自分で見つけた解決策……というか攻略法? それに固執する人って多いんだよ。まぁ多くの場合は、錯覚なんだけどね。一人で見つけられる程度の攻略法なんて、他の人も思いついてる」


 白い歯がビスケットを噛み砕いた。小さなカケラが床に溢れる。れんこはそれを一瞥したが、自分の足元にも同じようなカケラが散っているのに気がついて、潔く諦めた。どうせこの神社では、掃除と猫の世話ぐらいしかすることがない。その猫とて、今は外の雨を嫌がって社の中に引きこもっていて、当分は放っておいて良さそうだった。


「美鳥さん、頼んだお願い事はちゃんと投稿したよね?」

「当たり前でしょ。こう見えて、真面目なんだから」


 れんこは自分のスマートフォンを取り出して、Nyrを起動する。自分の投稿内容を確認出来る画面に切り替え、その内容を相手に見せた。


「これでいいんでしょ?」

「告白系の願い事があれば、きっとそれに食いつく。ゲームだってそうだよ。向こうのミスを誘発するには、向こうの判断を鈍らせるような美味しい餌を用意しなきゃいけない」

「それ、ハル君の攻略法?」


 まさか、とハルは大袈裟に首を左右に振った。


「定石ってやつだよ」

「定石ねぇ。ということは向こうも気付きやすいんじゃない?」

「そこは賭けだね。まぁオレとしては、賭けに負けても損はないから気楽だよ」


 ハルは手に持っていたビスケットを全て食べ終わってしまうと、残念そうな顔をして立ち上がった。


「そろそろ下の人たちに御用聞きする時間だ」


 御用聞き、という少々古めかしい言い回しは、神社の中ではよく似合う。

 ハルは喫茶店の仕事の手伝いとして、このビルで働く占い師やスタッフ相手にオーダーを取り、昼過ぎぐらいにまとめて配達に来る。れんことハルが知り合ったのも、それが縁だった。


「美鳥さんも何かいる?」

「アイスカフェオレ」

「了解」


 ハルはわざとらしく「カフェオレいっちょおー」と言いながらスマートフォンのリスト帳にそれを打ち込む。れんこはその姿に思わず含み笑いをした。


「……何?」

「ハル君って、変わってるよね。そう言われない?」

「美鳥さんよりマシだよ」


 肯定でも否定でもない言葉を返して、ハルは階段のほうに向かう。小生意気な少年のように見えて、実は気配りの出来るタイプであることを、れんこは短い付き合いながら知っていた。カフェオレだって、最初の数回支払ったきり、金を受け取ってもらったことはない。相談料だの雑談費だの、いろいろな口実を付けては、いつも無理矢理カフェオレを渡してくる。恐らく今日みたいな日は、雨宿り代になると思われた。


「雨降ってるから気をつけてね」

「わかってるよ」


 階段を降りる音と共に、返事があった。れんこはそれに満足して口角を持ち上げる。


「さてと……掃除でもしようかな」


 今日も平穏な一日になることを願いながら、れんこは掃除用具入れの方へと足を向けた。

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