珍雷の仇討ち 厠の巻
妻高 あきひと
珍雷の仇討ち 厠の巻
珍雷は寺の小僧。
実家は百姓だが子沢山、なので口減らしのために修行という名目でこの寺に小僧として預けられた。
和尚も良き人物で、珍雷は毎日陰ひなたなく働きながら修行もしている。
寺にはもう一人、先輩の小僧がいる。
珍電といい、珍雷より一つ年上だが、あれこれ教えてくれて面倒見がよく、二人は兄弟のように仲がいい。
寺の仕事は法事から掃除・お使いまであれこれとやることが多い。
檀家はさほど多くはないが、人が集まり頼れるのはお寺かお宮しかない時代で、不意の法事や相談事、行き倒れや旅人の不慮の事故、捨てられた骸の始末なども飛び込んでくる。
珍雷は今日も朝から忙しい。
ただ今朝はなぜか、いつもと違う。
庭を掃除していると、遠くのほうで群れになった烏が啼いている。
珍雷は何事かあったかと思ったが分かるはずもない。
しばらくすると、表で誰かが大声で叫んでいる。
出てみると近所に住む瓦屋の与助だ。
「与助さん、何事かありましたか」
「珍雷よ、大変じゃ、和尚はどこにおる」
「墓地に行っておりますが」
「珍雷よ珍電が侍に斬られた。和尚をすぐに呼んできてくれ、大変なことになった」
珍雷はおどろき、墓地に走って和尚を連れてきた。
珍電が斬られた、命は、珍雷は泣き顔になっている。
和尚も顔が青くなっている。
「珍雷や、お前も一緒に来い」
和尚は早足で歩きながら与助に問うた。
「珍電がなぜ斬られたのか」
「一部始終を見ていた魚の行商人からおおよそ聞いた。珍電が歩いていたところ、たまたま向こうから侍の三人組がやってきた。珍電はよけようとしたが、それを見た侍の一人がわざと珍電のほうにより、そして袖が触れたという。
珍電は小僧の姿じゃし普通なら詫びの一つですむのじゃが、相手が悪かった。
その侍というのが、いつもあの辺りで無礼を働く札付きの男じゃ。おまけに今日は博打で大負けして酒を飲んでいたそうじゃ。
そこへ珍電が通りかかったので、うっぷん晴らしに珍電にからんだのじゃろう。
珍電も最初は何度も詫びていたらしいが、その侍は相手が小僧と思うてなめたのじゃろうな、かさにかかって珍電を罵り、寺にも押しかけようとしたらしい。
おそらく銭目的じゃったのじゃろうの。
横にいた侍二人は
「もうよさんか、相手は小僧ではないか」
と止めた声を聞いて切れたのか、刀の柄に手をかけると居合のようにいきなり抜いたらしい。
珍電は一刀で倒れたという。
近所の者がムシロをもってきて遺骸をその上に移し、ゴザをかけてくれたそうじゃ。
わしゃたまたま屋根葺きで近くにおっての、騒ぎの声で見に行ったらゴザから出ている顔は珍電じゃないか、血の気がひいた。
わしがさっき見たときは役人や十手持ちが来て調べておった。
気の毒にの、なんの責も無いのに、珍電はまだ十二三ではないか」
「珍電の家にも知らせねば」
と和尚が言うと与助は
「遠くはないで、わしが知らせに行ってくる」
と走っていった。
和尚と珍雷が現場にいくと、騒然としていた。
すぐ近くには侍が三人立って黙って見ている。
一人の侍の小袖には血しぶきが飛んでいる。
そばにいたどこかの女房が和尚に言った。
「あいつがやったんですよ、あの血しぶき男だよ」
和尚はその男の前に行った。
「そなたか、あの者を斬り殺したのは、あれはいまだ子供であることは見れば分かろう。たかが袖が触れただけで、何というむごいことをしたのか。うぬはそれでも侍か、恥をしれ。どこの家中の者か、許さん」
横にいた役人や十手持ちたちが無理やり和尚を引き下がらせた。
珍雷は泣きながら侍を見ている。
侍も珍雷を見ているが、平気な顔をしているのみか、珍雷を怒るように見ている。
(なんてやつだ、あんなやつに珍電さんは殺されたのか)
誰が置いたのか線香が珍電のそばで煙をあげている。
珍電は薄く目を開けていたが、和尚が泣きながら目を閉じてやり、話しかけるように言った。
「お前を使いに行かせたのが間違いじゃった。悔やんでも悔やみきれぬ、すまぬ、すまぬ」
和尚は珍雷に指図しながら、珍電の腕を胸の前にもっていき、足をそろえてやった。
二人の袖や裾にも珍電の血がついた。
近所の者が荷車を押しながらもってきてくれた。
みなで珍電をムシロごと荷車に乗せ、上にゴザをかけた。
見ると斬った侍と他の二人はすでにいなくなっていた。
役人が詮議は改めてと言い、三人を帰したという。
おそらく罪らしい罪にはならず、罰も大したことはあるまいと誰もが思った。
珍雷にとって珍電は兄同然だった。
死人は見なれているが、さすがに珍電の死はこたえた。
珍雷や十手持ちたちが荷車を押して寺に向かっていると珍電の家族がやってきた。
辛いだけだ。
寺の本堂の横、松の木の下で珍電の作務衣を脱がすと腹から肩にかけて深い斬り傷があった。
無残のひと言だ。
珍雷は大泣きし始めた。
「珍雷よ、泣くでない。こうなった以上は浄土まで送ってやらねばならぬ。辛いのはわしも同じじゃ、しっかりせい」
言った和尚も涙声だ。
弔いは無事にすみ、珍電の身体は実家のそばの墓地に埋められた。
斬った侍はその後、番所の奥で詮議を受けた。
番所で詮議するのだから結果は最初から分かっている。
予想通り、侍はしばらく蟄居という蚊に刺されたくらいの罰で放免された。
斬られ損ではないか、と和尚も町役人も抗議をしたが、相手の侍の家は高禄で町人がどうこうできる相手ではない。
文句を言うどころか、逆に脅されて帰ってくる有様だ。
その後、詫びのつもりなのか、侍の家の中間が大層な銭を包んで珍電の家に届けに来たという。
しかし珍電の父親はその包みを
「お前さんに恨みはないが、こんなもの」
と言いながら中間に投げ返した。
中間は申し訳なさそうに銭を拾い、帰っていったという。
あれから二ヵ月が過ぎ、四十九日も無事にすんだ。
珍雷も最近はやっと珍電がいないことに慣れてきた。
寺も和尚も落ち着いてきている。
年が替われば珍電の代わりの小僧がやってくる。
珍雷より一つ下だ。
「珍雷よ、今度はお前が兄代わりになるのじゃ、しっかりせねばならんぞ」
「はい、頑張ります」
その頃だ。
あの侍がまた辺りをうろついているという噂が流れ始めた。
供にいる侍が今度は四人になっているという。
数で威勢を張ろうということかと、町の者も関係のない侍たちでさえも怒っている。
和尚も珍雷もすでに知っている。
和尚は何も言わないが、腹の中は分かる。
人一人をそれも子供を斬り殺してわずかな蟄居で放免され、今また町を仲間を増やして徘徊するとは、と誰でも怒る。
珍雷だって同じだ。
今も珍電の無残な姿を思い出し、我慢がならない。
さりとて訴えても門前払いは分かっている。
だが珍雷にはそれがまた許せない。
さりとて十一の子どもの珍雷にはどうすることも出来ない。
庭の紅葉が色づき始めた。
和尚が珍雷を呼んだ。
「珍雷よ、すまんが薬屋に行ってくれんか、ここのところ便通が悪くて気分がすぐれぬ。銭と書き付けを持たせるで、薬を持って帰ってくれ、くれぐれも侍には気をつけてな」
「はい、大丈夫です」
珍雷は多めの薬代を受け取り、頭陀袋に入れて寺を出た。
珍雷が薬屋にいる。
薬屋の手代が珍雷に薬の紙包みを渡しながら言った。
「これは粉薬です。便の出が悪いときは、この薬が一番効きます。どんな硬い便もすぐに効いて水のようにして流し出してくれます。書き付けの通り五回分五服入ってます。一回につき一服ですぞ、間違って飲み過ぎると効きすぎてえらいことになりますからな、そこのところはご住職にしっかりと伝えてください」
そんなに効くのか、と思いながら薬を頭陀袋に入れ、預かった銭で払って外へ出た。
珍雷は少し腹が減った。
見るとソバ屋がある。
(腹が減るだろうから銭を余分に渡しておく、何か食べてお帰り、と和尚さんは言ってた。ソバを食べて帰ろう)
暖簾をくぐって縁台に座った。
奥の座敷では侍が五人で酒を飲んでいる。
一人だけ茶碗酒を飲みながら大声を上げているやつがいる。
そいつが立ち上がって怒鳴った。
「おいっ、酒をもっと持ってこい」
珍雷はおどろいた。
(あいつじゃないか、珍電さんを斬ったやつだ)
珍雷の心臓が激しく動き始めた。
同時に珍電の無残な姿も思い出した。
珍雷の小さな胸に怒りがこみ上げてきた。
(珍電さんの仇を討ちたい。とはいっても刃物も使えないし)
無茶苦茶だが、子どもなりに必死で考えている。
思わず手元の頭陀袋を見た。
(ウンコの薬か・・)
珍雷の”武器”はこれだけだ。
(この薬をあいつに飲ませてやるか。でもバレたら絶対殺される。寺にも迷惑がかかるし、どうしよう・・・いや、やってやる。珍電さん、仏様、わたしを守ってください)
珍雷は薬の包みを二つ開いて二回分を一つにまとめた。
(こいつを二回分まとめてあいつに飲ませてやる)
酒が回って座敷がなおも騒々しくなってきた。
怖くなって他の客はみな出て行った。
残っているのは珍雷と、端っこで背中を向けている男の客だけだ。
店の使用人はソバをもってくると主人と一緒に奥に隠れてしまった。
連中はぐだぐだになって寝ているが、あいつはまだ飲んでいる。
珍雷は自分に言いきかせた。
(きっとそのときがくる。待つんだ、珍雷)
あいつは酒を入れた茶碗を前に置いてうつらうつらしているが、他の者は横になって寝ている。
今だと思ったのか、珍雷は薬の袋を手に持ってそっと座敷に近づいた。
あいつは真正面に座っている。
突然、あいつの頭ががくっと垂れた。
(あいつが寝た! 今だ、今しかない、珍電さんの仇を討つんだ)
珍雷は思わず般若心経をつぶやき始めた。
(マカハンニャハラミ・・・・ )
そばの男の足が邪魔だが、手をつき畳をいざりながらあいつの茶碗に近づいた。
南無・・ お客は来ないか、店の者に見られてないか、背を向けた男は何やら帳面を見て、珍雷には気づかないようだ。
(ええい、いけ、今だ珍雷)
珍雷は必死だ、ばれれば必ず殺される。
薬袋を開いた。
見ると酒が少ない。
もうやぶれかぶれだ、珍雷は茶碗に粉薬をバッと入れ、横にある徳利の酒をつぎ足し、指でかき回して思わずその指をなめた。
生まれて初めての酒の味だ。
珍雷の手が震え、顔に冷汗がたらたらと流れている。
珍雷はそのまま座敷を下りて縁台に戻った。
(このまま様子を見なきゃならない。身体が震えてら)
しばらくするとあいつは目を開けた。
前の茶碗を見ているが、珍雷の身体はまだ震えている。
子供だもの、当たり前だ。
すると侍の一人がいきなり起き上がった。
店を見回し、珍雷と目が合った。
珍雷は身体が固まり、背中に冷たいものが走った。
その侍が珍雷を見ながら言った。
「おい、そろそろ帰ろうじゃないか」
声を聞いてあいつが目を覚ました。
他の者もよろよろ起き始めた。
あいつは目の前の茶碗を手にもってじっと見ている。
うう~とうなっているのが聞こえてくる。
そして言った。
「そうじゃの、帰ってまた飲むとしよう」
珍雷は泣きたくなった。
(もう飲まないのか)
するとあいつは
「では最後の一杯じゃ」
と言うや、薬の入った茶碗を手に取り一気に飲みほした。
珍雷は縁台に顔を沈めて笑いをこらえた。
(飲んだ、あいつが飲んだ)
連中が帰り支度を始め、中の一人が店の奥に向けて叫んだ。
「帰るぞ、いくらじゃ、安うしとけよ」
店の者があわてて出てきて勘定を始めた。
あいつはよろよろと立ち上がった。
酔っているのか、薬が効いたのか、様子がおかしい。
珍雷は必死であいつを見つめている。
するとあいつはウウ、アアー ウウ~とうなりながら突然叫んだ。
「厠はどこじゃ、どこか厠は、どこじゃ」
勘定していた店の者が厠を指さすと、あいつは刀を鞘ごと抜いて横に置き、懐から懐紙を取り出しながら裸足で厠へ駆け込んだ。
よほど我慢ができなかったのだろう。
(効いたな、珍電さん効きましたよ、和尚さんの薬)
珍雷はのびて冷たくなったソバを食べている。
すると厠からバリバリ、ベリッ、ドボッとものすごく大きな音がして悲鳴が上がった。
「ウワ~アア~ 誰かおらんか、誰ぞ来い、助けてくれ~」
何が起きたか、珍雷も店の者も侍たちもみな分かった。
便所の床下は大きな甕(かめ)を埋めた便壺になっている。
よくあるのだが、その床下が抜けることがある。
あいつは、便所の床が抜けて便壺に落ちたのだ。
もう全身が糞尿まみれだろう。
(珍電さん見てるよね、あいつが便壺に落ちたよ)
珍雷は笑いをこらえながら、ソバ代を払って外に出た。
店の中では何人もが大声で叫んでいる。
大騒ぎになっているようだ。
珍雷は笑いをこらえながら、向かいの路地からソバ屋を見ている。
「ひと月は臭いが抜けんな。店には悪いことをしたけど、しかし便壺に落ちるとは思わなかった。きっと仏様のオマケじゃな。『仏様、珍雷は罪を犯しました』お許しください」
すると、あの背中を向けていた男がソバ屋からあわてて飛び出てきた。
珍雷を見ると大笑いしながら近寄ってきた。
「いや~小僧さん、あの侍の野郎、厠の床を抜いたのみか便壺に落ちやがって、くせえのなんの、中は大騒動だわ」
男を見て珍雷は固まった。
珍電が斬られたとき、遺骸の始末を助けてくれたあの十手持ちだ。
「おや、お前さんあんときの小僧さんじゃねえか、オレを覚えてるか」
「ああ、どうもあのときはお世話に」
「いいってことよ、アンタもそば屋にいたのかい、落ちた奴を知ってるよな」
珍雷はウソはつけないと思い正直に答えた。
「はい、珍電さんを斬ったお侍です」
「そうだよな、あいつは前から性悪で有名でな、何かしでかしやがると思ってしばらく前からそれとなく見張ってんだ。でも便壺に落ちやがるとはな ハハハ ざまあみろだよ」
珍雷は分かった、
(この人は総てを見ていたんだ)
「ソバ屋はしばらく商売にはなるまい。でもあいつの家は大名並みの格だ。なのに息子が酒飲んで便壺に落ちて糞まみれでは家の大恥だ。間違いなく口封じも含めてソバ屋にも近所にも相応のことをするに違いない。
アンタも面白いものが見れたな、あの小僧さんもあの世で笑っているに違いねえよ」
珍雷が何をしたかは言わない。
「小僧さんよ、もう会うこともねえだろうけど、しっかり頑張って早く寺持ちになりな、じゃあな、達者でな」
十手持ちは笑いながら手を振り、町に消えていった。
珍雷は後ろ姿に頭を下げながら、自分の無茶を思い返し、そして気がついた。
(しまった、和尚さんの薬が足らなくなった)
戻って買い足そうと思ったが銭が足らない。
「正直に言うか、それとも落としたというか、ウソついても和尚さんには分かるだろうな、うん、決めた、正直に言おう」
あくる日、用事で檀家にいく和尚の後ろを珍雷が風呂敷包みを持ち、ニコニコ笑いながら歩いていた。
和尚も機嫌がいい。
何かいいことでもあったのかい、と近くにいた百姓が声をかけていた。
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