文房具の化け物
たもたも
文房具の化け物
中学校の教室に男の子が一人。殺風景な場所だった。画鋲はいくつか刺さっているが、何も掲示されていないコルクボード。黒板にはチョークの粉は一つもついていない。
午前八時に男の子が一人。初めて会うはずのクラスメイトは、何故か未だにやってこない。一人くらい来てたっていい時間帯なのに。後ろの物入れには、男の子の荷物がポツンと置かれているだけだ。
男の子は手持ち無沙汰になって、平べったい学校用カバンから筆箱を取り出した。開けるとペン立てのように自立するタイプだ。中には機能性重視のシンプルなシャープペンシルに、汚れが目立つ消しゴム。ヨレヨレの黒いケースは、角の部分が裂け始めている。全ての文房具を新しくしたいと思っていたけれど、男の子のお母さんは「まだ使えるから」と言って、新しい消しゴムをくれなかった。
文房具を机の上に綺麗に並べて、それを筆箱の中に戻す。それでもまだ誰も来ない。流石におかしいと感じた男の子は、立ち上がろうと机に手をかけた。その時だった。
ガララッ
教卓側の扉が開いて、一人の男性が入って来た。身長は男の子よりも低くてぽっちゃり体形。目元は長い前髪に覆われてよく見えなかった。男の子は挨拶をしようと思ったけれど、
「あっ……あのぅ……」
そんな男の子に目もくれず、入って来た男性は教卓へと歩みを進める。着ている服はジャージだ。段差を
正面を向いた男性を見て、男の子はあることに気が付いた。
「ガイセンジャー……」
ジャージにプリントされている柄に見覚えがあったのだ。三年前に放送されていた戦隊アニメの立ち絵。小学校で使っていた筆箱の柄と全く同じだ。お母さんにわがまま言って買ってもらったのを、今でも覚えている。
何者なんだろうか。男の子は不気味な雰囲気を感じたけれど、名前を聞いてみることにした。しかし、口を開く前に男性が話を始めた。
「ありがとう。僕を覚えていてくれて」
「……え?」
初めて会う男性に感謝の言葉をかけられる。しかも、涙が
「……うわぁぁああ!?」
男性のジャージのファスナーが一人でに下りて、中から人が出てきた。例えるならザリガニの脱皮のような感じ。
ずるずると這い出て来た人が、教卓の上に立って全体像を晒す。
それは、人の形を辛うじて保った化け物だった。赤と青のオッドアイ。右手の代わりに太い針、左手は肘の部分までが鉛筆が侵食していた。左足はハサミになっていて、動くたびにガシャガシャと不快な音を立てた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
バリエーションのない叫び声をあげて、男の子は物入側の扉に手をかけた。今すぐにでも逃げたい。その一心で力を込めても、扉は少しも動かなかった。
何度も何度も扉を開けようとする。化け物が緩慢な動きで男の子の方を向いた。鋭い眼光を浴びせられて男の子は
すると、化け物のオッドアイがにゅっと伸びて、鉛筆が生えてきたような形になった。そのまま男の子に向かって発射される。
ドゴッという鈍い音を立てて、扉に赤鉛筆と青鉛筆が突き刺さった。男の子の頬に赤い血が伝う。
「なっ……なんっ、なんでぇ……!」
痛む頬を手で押さえ、男の子は我慢していた涙を大量にこぼした。楽しみにしていたのに。中学校生活の始まりがこんな風になってしまったことに、悲しさで胸が張り裂けそうだった。
ひたすらに泣き続ける男の子に向かって、化け物は初めて口を開いた。
「「俺達の辛さが、お前に分かるか?」」
耳障りの悪い声だった。いくつもの声を合わせて出来たような不協和音が、男の子を苦しめる。苦悩に満ちた男の子の顔を見て、化け物は下卑た笑い声をあげた。
そしてその笑い声は、男の子の苦しみや悲しみを理不尽に対する怒りへと変えた。
(なんで……こんな目に遭わなくちゃならないんだ。なんで楽しみにしていた日に、学校の端っこでうずくまって泣いていなくちゃならないんだ!)
男の子は意を決して立ち上がる。
「なんっ……なんだよ、お前!」
声は震えていて、化け物の方を直視できていない。化け物はニヤリと歪んだ笑みを浮かべて、口を開いた。
「「ゴミだよ、お前にとってのね」」
再び目から赤と青の鉛筆が発射される。男の子は震える足に力を込めて左に飛んだ。グルンと一度前回り。ぎりぎりで回避出来て一安心、したところに二射目が撃ち込まれた。
「――ッ!」
一呼吸する間に、赤と青の鉛筆が眼前に迫っていた。避けられない、そう脳みそが判断した瞬間に目を閉じた。ボグッという音を立てて、鋭い痛みが走る。……そのはずだった。
「……あれ?」
覚悟した痛みがいつまで経っても来ない。恐る恐る目を開けると、目の前に一人の男が立っていた。
「だれ、ですか?」
男の子の声に反応して、男はくるりと振り返る。
「私は……消しゴムです。貴方様の、消しゴムです」
ダンディな声で呟く男は、くたびれた黒のスーツを羽織っていた。日に焼けた茶の肌には年齢を感じさせるしわが刻まれている。お腹に刺さっている赤と青の鉛筆を抜いて、脇に放り投げた。事態は依然呑み込めないが、男の子は救ってくれた消しゴムに感謝を述べた。
「ありがとう……消しゴムさん」
「当然のことをしたまでです。さあ、アイツらの目を覚まさせましょう」
大人の見た目で敬語を使われることに、男の子はむず痒い思いをした。
「あれは……何なんですか?」
「言葉にするのは難しいですが……文房具の悪い心の塊とでも言っておきましょうか」
消しゴムの不思議な答えに、男の子はさらなる質問を重ねようとしたが、それを遮ったのは
「「おっ……お前ぇ! やはり生き残っていたのか!! ……敵だ、お前は俺達の敵だァ!!」」
激昂する化け物。教卓から飛び降り、ハサミの足を一振りすると、周辺の机や椅子が吹き飛んだ。恐れおののく男の子を背に、消しゴムは毅然と言い返した。
「私は敵ではない」
「「黙れぇ!」」
オッドアイから何度目か分からない射撃が行われた。連射される赤と青の鉛筆を、消しゴムはひたすらに受け続ける。男の子は気が気ではなかった。消しゴムの背中は安心感のあるものだったが、いつまでも耐えられるわけがない。
(何とかして、こちらからも反撃をしないと……!)
そう思って体を少し動かすと、左の方で小さな物音がした。
音のする方を見ると、そこにあったのは男の子のシャープペンシル。機能性重視のシンプルなデザインだ。一つ違うのは、大きさが男の子の左腕と同じくらいのサイズになっているという事。
男の子はそれを手に取ると、直感的に使い方を理解した。服や紙に引っ掛けるクリップの部分が変形して引き金の形になった。これを引いて、芯を発射するのだろう。
「いい加減目を覚ませ」
「「うるせぇ! あいつは俺達を捨てたんだ!」」
消しゴムと化け物が激戦の中で言葉を交わす。
「俺は短くなったからといって捨てられた!」
化け物の声が急にクリアになる。今まで絡み合っていた複数の自我が、一時的に解けたのだ。
「鉛筆、お前は捨てられたのではない。寿命を全うしただけだ」
「じゃあ俺は、俺達はなんだ! デザインがダサいとかいう理由で、まだ使えるのに捨てられたぞ!」
「ハサミ、コンパス。お前たちのデザインは生まれた時から変わっていない。変わったのは主人の心だ。成長するんだよ。子供から、大人に向かって少しずつ」
「「……うるせぇ」」
男の子は消しゴムの後ろに隠れて機を
(どうしよう……でも、今しかない!)
化け物は消しゴムとの話し合いに夢中になっていて、赤と青の鉛筆を発射する間隔が広くなっている。防戦一方ではこちらに勝ち目はない。今が千載一遇のチャンスだ。
男の子は後ろの物入れの上に飛び乗って、シャープペンシルの先を化け物に向けた。そして、少しためらった後、引き金に力を込めた。
「いけない!」
男の子の行動に少し遅れて気が付いた消しゴムは、振り向いて制止の声をかけた。しかし、それは間に合わなかった。男の子はそのまま引き金を引き切った。先の尖った芯が凄まじい勢いで化け物めがけて飛んでいく。
当たるかと思われたその芯は、化け物の喉元数センチ先で動きを止めた。化け物が咄嗟に足のハサミで止めたのだ。
「「おい、見たか消しゴム。これがお前の主人だ。忘れてるんだよ! 用が済んだ俺達のことなんかなぁ!!」」
化け物は叫んで、物入れの上で立ちすくむ男の子に向かって跳躍した。男の子は引き金をもう一度引いたが、二度目の芯は出ない。一発限りだったようだ。
怒りに満ちた目で急接近する化け物に、男の子はただひたすらに恐怖した。
「うわあぁぁあああ!!」
叫んで、目を閉じる。視界が真っ暗になる直前、くたびれた黒のスーツが目に映った。
「「なんで……庇うんだよ」」
男の子を化け物から守るように立つ消しゴム。その胸には、化け物の右手の針が深く刺さっていた。
「私たちの……主人だからだ」
「消しゴムさんっ!」
男の子が悲痛な声をあげる。消しゴムは息も絶え絶えな様子だ。今までの赤青鉛筆攻撃とはわけが違うらしい。
「「いつかは捨てられるんだぞ、お前も」」
「……知ってるさ。それが私達の運命だ」
「「気に入らねぇんだよ、お前のその達観した物言いが! お前は捨てられる苦しみを知らないから言えるんだ!」」
化け物の左腕である鉛筆が、どす黒い光を
「「お前は敵だ! 俺達の
消しゴム越しに感じる威圧だけでも、男の子は震えあがってしまった。それでも、消しゴムは態度を変えることはなかった。
「違う。私はお前たちの敵ではない。私はお前たちが居てくれないと存在意義が生まれない。私は、お前たちの利便性を底上げできる。私たちは同士で、仲間で……そして、家族だ」
「「……うるせぇえええ!!」」
消しゴムの喉元に突き刺さる鉛筆。一度体がビクンと跳ねた後、消しゴムの目から生気が消えて、腕がだらんと下に垂れた。
化け物は右手の針を抜き、消しゴムが刺さる鉛筆を横に振った。消しゴムは抵抗することなく、机をなぎ倒しながら地面を滑る。
「「……邪魔は消えたな。次はお前だ」」
男の子は胸元を掴まれて、地面に叩きつけられた。肺の空気を全て吐き出したような気分になる。背中の痛みに悶えていると、首を挟むようにしてハサミが地面に刺さる。
「「言い残すことはあるか」」
鋭い視線を向けられて、体中の筋肉が萎縮する。男の子は泣き出したい気分になった。しかし、怖い気持ちをぐっと呑み込む。最後まで身を
「……家にあるのじゃ、嫌だからって、お母さんに買ってもらったんだ」
「「……あぁ?」」
「三年生の時にホームセンターで買ってもらった。赤色の持ち手で、切れ味抜群って書かれてた君が格好良かったから」
「「……やめろ」」
化け物が顔を歪める。地面に刺さるハサミが小刻みに揺れていた。
「コンパスは小学校で一斉に買ったから僕は選んでないけれど、一度もネジが緩んだりはしなかった。テストの時に凄く役に立ってくれたね。ありがとう」
「「……」」
いつの間にか、男の子の中から恐怖の感情は消えていた。代わりに、目から涙が
「鉛筆達だって、一番沢山使った文房具だよ。時々落としちゃって、芯が折れたこともあった。本当にごめんなさい。でも、とても書きやすかった。ほんとうに、ほんとうにありがとう」
「「がっ……あぁあああ!」」
化け物が苦しそうにもがく。ハサミが近くを離れたので、男の子はゆっくりと体を起こして、化け物の行く末を見守る。
すると、別の方向から掠れた声が聞こえてきた。
「私は、もう少しの間だけ主人の傍で役目を果たす。終わりに……しよう。私も直に、逝く」
喉に大きな穴が開いた消しゴムは、地面に突っ伏した状態で化け物を見つめていた。
「「あぁあ……あああああぁぁ!!」」
突如、化け物の体から光が弾けた。男の子は直視してしまってすぐに目を閉じたる。すると、体がふわりと宙に浮くような感覚に襲われた。平衡感覚がなくなったかと思えば、温かい何かに体が包まれていく。そして、耳元で掠れたダンディな声が聞こえて来た。
「私は嬉しかったです。誰かを守って存在証明が出来る機会なんて、一生訪れないと思っていましたから。そして、ありがとう。小さき主人よ。私は……いえ、私たちは、いつまでも貴方の成長を見守っています」
こちらこそありがとう
目は見えなかったが、男の子は目の前で優しく微笑む消しゴムの顔が見えた気がした。
**
中学校の教室に男の子が一人。新しい学校生活への期待に胸を膨らませ、クラスメイトがやってくるのを待っている。
午前七時半に男の子が一人。浮ついた気分を鎮めようと、おもむろに筆箱を開ける。中から古ぼけた消しゴムを取り出し、軽くこすって黒ずみを消した。普段はしない行動に、男の子は「相当暇なんだな、僕」と理由になっていない理由をつけた。
ガララッ
教卓側の扉が開く。男の子は何故か身構えてしまったが、すぐにその緊張を解くことになる。
「あっ……あのっ」
「あ! こんにちは。私は笹葉って言います!」
男の子に気づいた笹葉という女の子は、自己紹介をしてぺこりと小さくお辞儀をした。
新しい学校生活が始まる。
文房具の化け物 たもたも @hiiragiyosito
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます