さよなら苺ちゃん
高殿アカリ
本編
同じ丈に揃えられたスカートを揺らして橙色に染まった廊下を駆け抜けた。
チープな香水の匂いとプチプラの化粧品で彩られたあたしたちの顔までお揃い。
かしましい声が響いて耳に痛い。
だけどそんな現実に蓋をして美味しいマカロンは半分こして食べるのだ。
所謂、女子高生とかそういう生き物でしょ?
だから、あたしたちも有り触れた親友同士だった。親友であるあたしがあの子の死ぬその瞬間を見届けるまではね。
あたしは彼女が自殺した場面を見ていた。だから法に則って関係各所へと連絡をした。なのに周りのみんなは最初ちっとも信じてくれなかった。
先生も苺のママも、クラスメイトたちもみんな同じ言葉を言うんだ。
「苺は自殺するような子じゃなかったよ」って。
それから次にあたしのことを変な目で見てくるんだ。猜疑心に満ちた目だった。
理由は分かってる。
あたしは苺みたいないい子ちゃんではないし、あたしの両親は未だに街中で問題ばかり起こしているようなクズ人間だし。苺に嫉妬するのはやめなよって散々言われてきた。
更にあたしは苺の死体の第一発見者だったから。それってつまり火サスで言うところの容疑者候補であったということでしょ?
だから厳つい顔をした刑事さんたちもあたしを一番に尋問した。事情聴取という名目ではあったけど。
古びたテーブルランプの電球を目の前に突きつけられることも無かったし、カツ丼も食べさせては貰えなかったけれど、あたしはあの日見た全てのことにきちんと答えた。
確かにあたしは優等生ではないけれど、かと言って問題児になれるほどの度胸もないのだ。
目の前に座る刑事が大人ぶった気味の悪い笑顔で問いかけ始める。
「君と野原苺さんの関係について教えてくれるかな。もちろん、言いたくないことは言わなくていいからね」
「苺とあたしは親友だった」
嘘つきな大人め。あたしが言いたくないことでも知りたいくせに。
「ありがとう。苺さんが死ぬ前、何かに悩んでいた様子はなかったかい?」
「ううん、いつもと同じ。あと言っておくけど苺は自殺したんじゃないよ」
ところで、それなりの理由がないと死んじゃダメなの?
刑事が不思議そうにこちらを見てくるのであたしは続けて答えた。
「あの子は記憶喪失になりたかったの。あたしはそれを手伝ってた。記憶喪失になる過程で死んじゃったから事故になるんじゃないの?」
「具体的にはどういったことをしてたんだい?」
「階段を転がり落ちたり、植木鉢を頭にぶつけてみたり。死にそうな場面は何度もあったよ」
この場面で「死んでもいいみたいだった」とか言うと苺は悲劇のヒロインになれるのかな。
「苺さんが記憶喪失になりたがっていたことを証明するものはある?」
「うん。ちゃんとスマホにも残ってるよ。未来の自分に向けて話すんだって言うから、あたしのスマホで動画を撮ってた」
「それ、見せてくれる?」
「うん、いいよ」
あたしは制服のポケットからスマホを取り出した。カメラロールを漁るとわりとすぐに動画は見つかった。
液晶画面の向こう側からあどけない笑顔であの子がこちらを見ていた。ぞっとするほどに甘く幼い笑顔だった。
『私、野原苺はこれから記憶喪失になります。その為に親友の鳳梨が手伝ってくれます。記憶喪失になった私、何か困ったことがあったら鳳梨を頼ってね!』
『えー、やだよー』
きゃっきゃと十代特有の笑い声が耳に痛い。そして唐突に映像は途切れた。その乱雑さがあたしたちらしいと思った。
「なるほど、ありがとう。……事件当日のことを聞かせてもらえるかな?」
刑事の鋭い眼光を受けながら、あたしは思考を巡らせた。
「えーっと、あの日は確か……」
あの日、苺は最後の挑戦をすると息巻いていた。
『鳳梨、私決めた!今日で確実に記憶喪失になる!』
『そう、頑張って』
『さては本気にしてないなぁ?』
『別にそんなことは無いけど』
『ま、いいや。私これから飛び降りる。そんで生き残ったら記憶喪失になれると思う』
『……生き残らなかったら?』
『死ぬだろうね』
『そ、んなの』
『ギャンブルだよ。私は最後にギャンブルに挑む!鳳梨、証人になってよ』
まるで悪戯が成功したみたいな笑顔でそう言ったあと、宣言通りあの子は挑んだ。で、負けた。
私はあの子の言う通り証人としてそれを見守っただけなのだ。
「助けようとは思わなかった?死ぬとは思わなかった?」
話が終わるや否や、刑事が少し責める口調であたしに聞いてきた。
「何、刑事さんまでそんなこと言うの?当たり前だけど死んで欲しくはなかったよ。でもあたしのエゴで苺のしたいことを止める理由にはならないとも思った。……はぁ、これだけの事で非常識扱いされるのは懲り懲りなんだけど」
十代で多かれ少なかれみんな非常識なんじゃないの。そういう生き物なんじゃないの。
あたしのため息混じりの言葉に刑事は少し冷静になったようだ。
「……最後に一つだけ聞かせてくれるかな?」
あたしは頷く。
「君は苺さんが記憶喪失になりたい理由を知っていたかい?」
「いいえ。知りたいとも思わなかった。理解し合えることだけが友達になれる条件ってわけでもないでしょ」
あたしの返答に刑事は口を噤んでいる。こちらの言い分を理解しようとしてくれているのかもしれないけど、そもそも相互理解なんてものを求めてはいない。
あたしは自分勝手に口を開き続けた。
「分かり合うことが出来ないからこそ、繋がりを持つことが可能なんだって信じてるんだよ。あたしは苺の周りにいる人達みたいに苺を理解しようとはしなかった。だから苺の特別になれた。それがあたしたちが親友であることの証明にもなるんじゃん。……あの子のことを何も知らないで!って苺のママにさっき頬を殴られたけど正直それはあたしの台詞じゃない?笑っちゃうよね。知ってるから何?人間同士の交流に知識量なんて必要なくない?」
そもそも人間同士分かり合えなきゃいけない、なんて誰が決めたよ。
それで事情聴取は終わった。
刑事も二度とこんな面倒臭い奴と面談なんてしたくないと思ったことだろう。
苺のママはあたしを殴ったことを多少なりとも後ろめたく感じていたのか、はたまた警察から注意でも受けたのか、以降あたしが不利益を被ることは無かった。
にわかには信じ難いが、苺のことを知っているみんなが「自殺するような子じゃなかった」って口を揃えて言うものだから、警察も事故として片付けた。
あの子が記憶喪失になりたかったことを誰がどこまで本気で信じているかは分からなかったけれど、こうしてあたしの悲願は達成されたのだった。
めでたしめでたし、ってね。
淡い夕方の光が放課後の教室を満たしていた。
苺が晴れやかな笑顔で窓枠に立っている。
「ねぇ知ってる?」
柔らかなあの子の声が耳に届く。もうこの声を聞くことも出来ないのだと唐突に気が付いて、あたしはなんだか愛しい気持ちになった。
それから唐突に苺の表情が固まって、なんだか変な様子だった。あたしの目に静まり返った放課後の教室が不気味に映る。
「どうかした?」
「……え?あ、あの、あなたは誰ですか?」
タチの悪いお巫山戯だと思った。だってそうでしょ。落ちる前に記憶喪失になるなんて聞いてない。
「ちょっとやめてよ。記憶喪失になる練習でもしてるわけ?」
泣き笑いみたいな声しか出せなかった。それを見て苺が「えへへ!びっくりした?」って言うんだ。きっとそうだよ。
だけど現実は違った。あの子はやっぱり困惑した表情のままに首を傾げている。
重たい沈黙が教室を支配していく。
「ははっ」
乾いた笑い声しか出なかった。昨日落とした植木鉢が原因?にしてもタイミング悪過ぎ。記憶喪失になりたかったことを説明するべき?
思考回路がぐるぐる回ってあたしの頭までおかしくなりそうだった。
だけど、あの子は何も言わない。文字通りまっさらな目であたしを見てくる。
あぁ本当に記憶失っちゃったんだね。
苺が戸惑ったまま突っ立っていたのが悪い。見知らぬ他者に無防備だったのが悪い。何より、あたしという馬鹿を友達にしたのがもう駄目。最初から駄目。理解しようとしない人間なんかを信用しちゃいけなかったんだよ。
対話なき関係は関係値すら与えられないんだから。
大したことの無い平凡な過去しかないくせに、やけにすっきりした表情をしていた。記憶の全てを精算したあの子を見て素直に嫉妬した。
ほんのちょっぴり、忘れられたことも悲しかったんだとも思う。
だから、あたしは苺の胸を押した。とんって押しただけで苺は真っ逆さまに堕ちてった。記憶喪失のあの子はとてもびっくりしていた。ざまぁみろ。
……ねぇ、あたしだけの親友を返してよ。
苺は誰の記憶にも残りたくないんだって言ってた。
みんなが苺を褒めるから。可愛いね、賢いね、良い子だね、優しいね、すごいね、上手だね。
みんなが苺を愛してた。だから彼女は記憶喪失になりたいんだって。
それを聞いた時、十代特有の自意識過剰だねって思ったよ。苺は認識していなかったかもしれないけれど、持ち上げられること自体には快感を得ていたはずだ。
わざわざ教室の隅にいたあたしまで苺の舞台に上がらされたんだから。
理解しようとしない人間が欲しかった?嘘つき。理解しようとしない人間と仲良くなれる「特別な自分」が欲しかったんでしょ。
でも良かったね。これで「特別な自分」になれたじゃん。
みんなに愛されて期待されて、そんでも自殺しちゃった可憐な女の子。みんなきっと忘れないよ。
あるいは真実が伝わるかもしれない。記憶喪失になりたくて失敗しちゃった可哀想な女の子ってね。
さよなら苺ちゃん、これでハッピーエンドだ。
苺には必ず絶対守ってくれるママがいて、あたしは事情聴取の後たった一人きりで警察署を出てきた。それが答えじゃんね。
さよなら苺ちゃん 高殿アカリ @akari_takadono
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