第8話
その夜、私は自室のベッドで横になり考え事をしておりました。枕を抱き、電灯の人工的な光に照らされながら。
『園芸部? 無かったと思うけれど』
生徒会に向かうという百合子さんと別れた後、エルダーの
これは一体どういうことか。園芸部がない? それではあの先輩は? そして何よりも。
「部活をやろうと思った私の心のときめきは……?」
手を伸ばして空を掴む。腕が光を遮り、私の顔に影を作る。手のひらのシルエットはぼやけて見えて、なんだか頼りない。そのまま腕をベッドに落とす。ぽすんと気の抜けた音が部屋に響きました。
「園芸部はともかく、あの先輩は確実に存在していた」
そう、それは間違いがない。
「明日もまた探してみよう」
私の呟きは微睡みに消え、私の意識は身体と一緒にベッドの深くへと沈んでいきました。
***
私の足は、翌日の放課後も旧校舎に向かっておりました。目的は勿論、土作りの君。名前も知らない、園芸部を名乗る謎多きお方です。
途中、生徒会は向かうと思しき百合子さんと、百合子さんにお小言を食らっている牡丹さんのお二人をお見かけしました。ひょうひょうとした様子でそれを躱しながら、牡丹さんはこちらに笑顔を向けてくださいました。牡丹さんにはどこか幼い子どものように自由な印象を覚えることもありますが、時折り見せる表情には、酸いも甘いも知り尽くした大人が滲む様も見てとれます。
軽く頭を下げて、私は土で一色の花壇へ向かいます。
「いた……!」
土作りの君が、今日はいました。初めて見た日と同じ、学園指定のジャージ姿で、タオルを首に掛けて、花壇をスコップで掘り起こしている真っ最中でした。
「あのう、すみません」
彼女は手を止め、私に目を向けました。色素の薄いその頬は赤く染まり、上目遣いに私を見ました。
「ええと、前もここで会った子だ。確か、鹿島さんだったかな」
覚えていてくださったようです。私はなんだか嬉しくなってしまい、強く大きく頷きました。
「何か用でも?」
早速本題です。聞きたいことはたくさんあります。存在しないはずの園芸部とは? 一人で全ての花壇を手入れしている? 園芸部を見学、入部はできる?
そして何よりも。
「お名前は何というのですか?」
※※※
「泉、
泉先輩は軽く頷いて肯定を示します。私は頭の中で、それに止まらず何度も口に出して反芻しておりました。宝物を慈しむように、そっと抱きしめるようにその名を呟いておりました。
あれよあれよと、堰を切ったかのような勢いでたくさんのお話をしてくれる泉先輩でした。一昨日の謎めいた印象は何処へやら、マイペースなところも覗きますが、実際のところは気さくな方のようです。
「それで、久留里ちゃんは園芸に興味でも?」
鹿島さん呼びから久留里ちゃんへの移行も大変スマートです。私史上最速の経験でした。
「園芸に興味がある、というよりも、一人で花壇を手入れしている泉先輩が何者なのかを気になっています」
泉先輩はふむふむと聞いています。
「この学校に園芸部はないとお聞きしましたが」
「うん、正式にはない。私が勝手に名乗って、勝手にやってるだけ。非合法組織のトップという訳」
「勝手に、というと」
「窓から見てたら花壇が寂しそうに見えたから」
一応許可はとってるよ、と、泉先輩は付け加えました。
「ぼぅっと外を見てたら先生が言ったんだ。花壇の手入れでもしてみないかって。特にやりたいわけではなかったけど、やることもなかったら始めてみただけなもので、私は知識もないただの素人」
少し自笑しながらそう言いました。そして、最後に私に問いかけてきました。
「貴女が興味を持った私はこんな人間です。それを聞いた貴女はどうするのかしら?」
「お手伝いしてもいいでしょうか」
自分でも意外なほど、するりとその発言が私の口から発せられました。泉先輩は少し驚いた様なお顔をしましたが、おそらく私はそれ以上でしょう。
これは部活動ではない、活動しているのも泉先輩のみ。私の新たな高校生活は本当にここでいいのでしょうか。そんな疑問は、今この場でも頭に大きく浮かびました。しかし、それらの壁など初めから存在しないかのように、泉先輩のお手伝いがしたいという気持ちが言葉になって通り抜けてきたのです。今日、今、初めてお話しした人なのに。
私はこれからの学校生活に胸のときめきが抑えられず、鼓動が早まることを感じました。
「こんなことに関わって、後悔するかもよ?」
「かまいません」
「じゃあ、私と貴女は、今をもって共犯者だ」
泉先輩は私に向かって手を差し出しました。共犯者、甘美な響き、これは一種の契約なのかもしれません。私は、白くてひ弱な彼女の手を取り、優しく握りました。
「ところで、昨日はお見かけしませんでしたが何か理由が?」
「今日やってみればわかるよ」
***
翌日。
「こういうことでしたか……」
私は全身を筋肉痛に蝕まれ、ベッドから立ち上がることすら出来ないでいるのでした。
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