第6話

「はてさてどうしたものか」


 私は一人悩んでおりました。旧校舎裏、低く、深く、橙色の西日が差す古いベンチで、私は悩んでおりました。

 百合子さん達とのお食事会も無事に終わり、午後からは部活動の見学会が開催されております。とはいえ中学の時分より帰宅部を貫いたこの身がゆえ、私は大いに悩むことと相なるのです。

 志望校を決められなかった当時に想いを馳せます。あの頃は、虚な気分に心が揺蕩い、精神が疲弊する毎日でした。百合子さんというきっかけがなければ、今の私はきっとこの場に立っていることもないのでしょう。


「今回も何か、そういうきっかけの一つでもあればなあ」


 ため息と、ぼやきを一つ。所在なげに足を揺らして、肩を竦めます。


『石橋を叩いても不安が拭えず、誰かが安全に渡るのを見てから渡り始める子』


 これは小学生の頃、担任の先生が私を端的に表した言葉です。良く言えば慎重、悪く言えば臆病。そして何よりも、自ら動き出すことを良しとしない私の性分を見事に示しているのです。

 人となりはそう変わるものでもなく、この性格は今でも私に内包され、高校受験も、まさに本日も、私を悩ますシロモノなのでございます。


 相花ちゃんは小学高の頃よりずぅっと剣道をやってきたとのこと。迷いなく淀みなく、早々に剣道場へと足を運んでしまっていました。私と違って、立派なことです。相花ちゃんが気になりこっそり道場を覗いて、剣道部員達の奇声と熱気にたじろいで逃げ帰って来たのは内緒のお話。


「何だか眠くなってきてしまった」


 思えば朝から怒涛の一日。疲れたこの身が柔らかな陽気に照らされているのです、睡魔に襲われても仕方がないというもの。しかし校内といえど、屋外で眠ってしまうのは良くないでしょうか。暴漢に襲われても仕方がないというものかもしれません。

 など、など、と考えはするものの、私の意識は、まどろみ、うたた寝の世界へ、足を、踏み入れて、いくの、でし、た。


 ***


 ちょっぴりの肌寒さと、ほんのりとした土の匂いに、私の意識は覚醒を覚えました。

 低く遠くまで照らす橙色の西日は、私の身体を芯までは暖めてくれず。冷えた指先はお尻の下に、体温を与えます。

 そして掘り返したような土の匂い。湿った、長い間光を浴びていなかった黒い土。ツン、と鼻にきますがそこまで不快には感じませんでした。

 なぜ突然に土の香りが漂っているのだろうか、と重いまぶたをゆっくりと開きます。


 そこでは、一人の女生徒が花壇をスコップで掘り起こし、土作りに勤しむ様相が観察できました。

 えんじ色のジャージ、色から察するに二年生の先輩です。そのきゃしゃな手足は、タオルを首から下げた作業ルックとは何だかアンバランス。所々がはねた癖っ毛に、大きな丸い眼鏡、生白い肌の色は彼女の虚弱さを示しているようにも見えて、どこかちぐはぐな印象を見受けました。


 ーーなぜか、胸に高鳴りを覚えたのです。


 その印象は、私の意識を持っていってしまいました。私の視線は、彼女の一挙手一投足から離せなくなったのです。一見ひ弱に見える彼女に庇護欲が刺激されたのか、それともハラハラと心配しているのか。私は、私がよくわかりませんでした。


 じっ、と私は彼女を見ていました。ふと、彼女と目が合いました。彼女は、口を開きました。


「……園芸部を、見学?」

「園芸部……ですか?」

「たぶん、そのつもり」


 息を切らし、上気した頬に透き通った汗が通っています。パタパタとジャージの胸元から風を送る彼女の様に、同性ながら私は思わずドキリと感じてしまいました。

 しかし、何やら歯切れの悪い回答。たぶん? 一体いかなる意味を持つものでしょうか。


「貴女は新入生、よね?」

「はい、鹿島久留里くるりと申します」

「そう、はじめまして」


 そう言うと、先輩は再び土作りを再開しました。

 見学、していくべきなのでしょうか。辺りを見回してみますと、他に部員は見当たりません。旧校舎中庭の花壇は大変に広く見受けられます。校舎の端から端まで、レンガによって区画を作られたエリアが続いているのです。さらに旧校舎と新校舎を挟んだ中間あたりにも、立派な円形の花壇が鎮座しています。それらはどれも荒廃としていて、数年間は放って置かれた様子です。

 まさか彼女お一人で全てを手入れしている訳ではないと思いますが、些か不安を覚えてしまいます。


「あの」


 ノーリアクション。先輩は黙々と、粛々とスコップで土を掘り返し続けています。お名前は? 他の部員さんは? などなど聞きたいことが沢山あるのですが、如何ともし難いこの状況。


「また、ここに来てもいいですか?」


 ノーリアクション再び。お邪魔なのかな、今日はこの場を立ち去ることとしました。

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