07話.[食べられそうだ]

「美心ー……」

「はぁ……どうしたのよ?」


 今日はずっとこんな調子だった。

 彪葉はいつもうるさいからこんなのは意外だ。


「……あんたといると落ち着くわ」

「こっちを本を読んでいるだけだけどね」


 勝手に耳に触れて癒やされるのは結構だが理由を説明してほしい。

 橘と喧嘩したとか? その可能性は高そうだ。

 顔を合わせる度に出てくるのは悪口だから。

 なのに毎回来るんだからMなのか好きなのかとしか考えられない。


「なんで来ないのよ」

「寒いからよ、あまり得意じゃないの」


 これは本当のことだった。

 放課後まではどこに行っても誰かが盛り上がりを見せているから嫌なら自分で動くしかない。

 とにかく、静かにしてほしいという要求と、そんなことを言われずに友達と楽しみたいという要求はどっちも間違っていないから難しい。

 そして、学校に来て静かに大人しくしている人間なんて実際はほとんどいないため、我慢させられるのはこちらの方だ――なんて、上手く輪に入れないというだけなのに被害者ぶっているからいい評価は貰えないんだろうなと内で呟く。


「大西や橘はどう?」

「どうって、別に普通よ」

「仲良くできているの?」

「あんたは私の母親か! なにも問題ないわよ」


 それならどうしてここにいるのかという話だろう。

 ちなみにここ、教室ではなくあまり人が来ない側の階段だった。

 段差は正直に言ってかなり冷たいが、長く座っていたのもあって温くなってきてくれている。

 で、約束をしたわけではないのにこうして彼女がここにいるわけ。


「……ごめん、嘘ついた」

「嘘をついたぐらいで謝らなくていいわ」


 あたしなんて嘘に嘘を重ねているんだから。


「朝美と……喧嘩になったの」


 大西と? 止める側のあの子とそこまでになるなんて。


「……あんたのせいよ、あんたが距離を置いたりするから」

「それは知らないわよ、どうせ煽ったんでしょ」

「あんたはいらないって言っただけだし……」


 大西はそういうの嫌そうだもんな。

 誰かを仲間外れにするとか、悪口を言うとか、そういうのに耐えられないんだろう。

 彪葉はそこに足を踏み入れてしまった、少なくともあたしを貶すにしても場所を選ぶべきだったのだ。


「それはあんたが悪い、少なくとも大西の前ではやめなさい」

「なによ、朝美だけは味方をしてくれるって言いたいの?」

「違うわ、知っている人間を悪く言われたら嫌でしょ?」


 次は自分が選ばれるかもしれないと不安になるかもしれない。

 大体、自分は橘に悪く言われて嫌な気持ちになることをわかっているはずなのになにをやっているんだ、としか言いようがない。


「別にあんたがあたしのことを悪く言おうが構わないわ。でも、大西や橘と一緒にいたいなら空気を悪くするようなことはやめなさい」


 小学生でもわかることだ。

 自分がされて嫌なことはするなとよく言われたはずだ。

 もちろん人間だから破ってしまうときもあるだろうが、人間だからしょうがないと考えるのではなくちゃんと気をつけておくべきだ。


「……逃げている人間が言っても説得力がないわ」

「ならどこかに行けばいい、忘れればいいじゃない」


 別にいてくれなんて頼んでいるわけじゃない。

 空気を読んで違う場所にいてあげているくらいだぞ。


「言っておくけど、あんたになにかを言われてもなにも傷つかないわ」

「つ、強がってんじゃないわよ」

「強がってない、耳を触らせておけば大人しくなる人間相手にどうやって傷つけばいいと言うの? 知っているのなら教えてくれない?」


 本当に昔の生意気な自分と対面しているようで微妙な気持ちになる。

 彼女はまたここに逃げているくせにと言ってきた。

 あんただって逃げてきているじゃないと言ったらどこかに行ってしまったというのが流れ。


「どこかに行けばいいと言ったのはあたしか」


 片付けて帰ろうとしたら彼女が戻ってきて、


「ざまあみろ!」


 と、理不尽にこちらに水をぶっかけて走っていった。

 実はこれ、昔に自分も同じことをしたことがあるから責められない。

 幸いな点は本はもうしまってあったということだろう。

 

「拭かなきゃ」


 雑巾を持ってきて床を拭いていく。

 あんなんじゃこの先心配だ、煽られることなんて多くなるだろうし。

 つか律儀すぎ、わざわざぶっかけるために水を買うなよ。


「よし、帰るか」


 大西と喧嘩をして、あたしと喧嘩をして、つまり味方は橘だけということになるがどうなるのだろうか。

 橘だったら大西に謝れと言うだろうか? その際は一緒にいてやるからとかも言いそうだ。

 結局、あんな生き方をしていたら人が離れていくぞと教えてやりたい。

 本当に自分と似すぎてしまっている、それも普通に悪い方に。

 年上として年下が間違っているのなら正してやらなければならないものの、自分の言葉では届かないことはわかっている複雑さ。

 なので結局のところなにもできそうになかった。

 てか、仲直りしたければ勝手にやることだろう。

 自分が動くと逆効果になるとわかっているんだから余計なことはするなと帰路に就きながら何度もそう言い聞かせたのだった。




「浅野」


 顔を上げたら橘が目の前にいた。

 目だけでなんの用か聞いたら、


「こいつが謝りたいってさ」

 

 どうやら昨日のちびっ子を連れてきたみたいだ。

 自分を満足させるためだけの謝罪なんてしなくていいわ。

 って、言いたいところだけど面倒くさいことになるから黙っておく。

 うん、昔と比べれば自分も少しは大人になれたようだ。


「き、昨日は……ごめん」

「もうこれで終わり、いいでしょ?」

「……うん」


 謝るのなら大西に謝ればいいと思う。

 で、どうやらもう和解済みのようで彪葉だけ向こうへ行った。


「水をかけられたって聞いたぞ」

「しかも新品のね」


 おかげで冷たかった。

 帰るときは薄暗いのもあって風が強く影響したし。

 すぐにお風呂には入ったから風邪は引かなかった。


「浅野、戻ってこいよ」

「別に避けているわけではないわ」


 静かにいられないならあそこに拘る必要がないだけで。


「そんなにひとりじゃ怖いのか?」

「逆よ、ひとりでも平気ってことじゃない」

「そうじゃなくて、あそこにはひとりじゃ戻りづらいんだろ」


 あたしのイメージってどんどん変わる。

 なんでもわがままに振る舞うと捉えられることもあれば、ひとりじゃなにもできない人間だと捉えられることもあると。


「もしそうだと言ったらどうするの?」

「そうしたら手伝ってやる」

「で、また尻尾を掴むわけ?」

「そんなことはしない」

「ありがとう、けどいいわ」


 空気でいようとするのと実際に空気になるのは違う。

 いや、空気になるってなんだよって字面だけを見れば思う。

 けどあれだ、元来のプライドの高さってやつが足を引っ張っていた。

 中心人物になれないのであれば去ることの繰り返し。

 少しでも状況が変われば嫌になってリセットする心。

 そもそもあそこは大西と落ち着いて話せる場所だったんだ、それができなくなったのなら行かなくなるのは当然のこと。


「浅野、素直になれよ、大西といたいんだろ?」

「つ……かんでいるじゃない」


 やはりこの不快感を感じないようにとはできないようだ。

 風邪を引いた際のあの気持ち悪さを思い出して微妙な気分になる。


「お、おい……顔色が悪いぞ」

「……わかっているなら離しなさい」

「悪い……」


 だからってふたりに来ないでくれなんて言えない。

 つか、あの子の中にはそんな拘りがないのだから無理だ。

 もう違うんだ、1年前やこれまでとは。

 多くの人間と関わりがある中で大西はいい存在を見つけた。

 それはこの橘であり、これからは彪葉もそうなるかもしれない。


「大丈夫か?」


 大西から来いと言われないことがその証拠だろう。

 何故かはあたしがいなかろうと満たされているからだ。


「気持ちが悪いからちょっと廊下に行ってくるわ……」


 教室外のひんやりとした空気を吸ったら少しマシになった。


「浅野さん」

「ん……? ああ、大西か」


 やっぱり彼女が側にいてくれると落ち着く。

 来てくれたのもあってもっとマシになった。


「どうして最近は来てくれないんですか?」

「必要ないかと思ってね」

「私はそんなこと思っていません」


 独占……したいのかもしれない。

 こちらを必要としてくれる大西に安心していたのかも。


「もしかして……ふたりきりがいいんですか?」

「うん」

「えっ、ま、まさか即答されるとは思いませんでした……」


 あたしもここまで彼女のことを気に入っていたとは思わなかった。

 最初はただ同じ場所を利用する仲間というだけだったのに。

 1年間も一緒にいればこういうものなのだろうか?


「……それなら場所、変えます?」

「別にいいよ、あんたにとっては橘も彪葉ももう大切でしょ」


 誰かを優先するとかそういうことはしない。

 大西朝美とはそういう人間だ、あたしはそう考えている。


「そ、それなら19時ぐらいにあそこから帰るじゃないですか、その後ってどうですか……?」

「いや、あたしのわがままに付き合ってもらうわけには……」

「私があなたといたいって言ったら……どうしますか?」


 単純な人間なのか気持ち悪さはもうどこかに吹き飛んでいた。

 彼女はゆっくりとではあったが手を差し出してきた。


「これまでずっといてくれましたよね?」

「……あたしがあそこに行かなくなったのはさ、あそこであんたとふたりでゆっくり過ごせなくなっちゃったからだから」

「私も、毎日あそこであなたとゆっくりできることが好きでした」

「別に橘や彪葉が悪いわけじゃないわ」

「はい。でも、いまのままだと寂しいです」


 その後にこそこそ会うとか昔に戻ったみたいだな。

 あたしとしては彼女といられればそれでいいけど。

 どうせ早く家に帰っても手伝いとかはしないから、いや、しろよという話ではあるが、とにかくしないから問題はない。


「……あんたがいいなら」

「はいっ」

「も、戻るわよ」

「わかりましたっ」


 ふぅ、ここまで真っ直ぐに柔らかい表情を浮かべられると……。

 ま、まあいい、ひ、暇つぶしとして利用させてもらうだけだ。

 ……その後の時間は何故か彼女の後ろ姿をずっと見てしまっていた。

 

 

 

 約束の時間がやって来た。

 なんかそわそわして仕方がなかったから1度家に帰ってから出てきた形になる、おかしい、今日のあたしは特に。


「お、お待たせしました」

「いや……というかあんたの部屋でいいの?」

「はい、外は寒いですから」


 そう言いながら冬の間ずっとあそこで読書をした人間だけど。


「それより浅野さん、どうして名前呼びから戻してしまったんですか?」

「それはあんたが……変えないからじゃない」


 自分の方が必死こいているみたいな感じは嫌なんだ。

 本当に面倒くさい性格をしていると自分でも思う。


「だって、名前で呼べなんて言われていなかったので」

「……じゃあいいわよ」

「み、美心さんって呼べば戻してくれるんですよね?」


 言われていないのに名前で呼んだんだから真似してほしかった。

 よくわからない、頑固なのかそうではないのかが。


「朝美」

「美心さん」

「朝美」

「美心さんっ」


 ……馬鹿やっていないでこれで終わりにしよう。


「大丈夫でしたか? 昨日はお水をかけられたって聞きましたけど」

「うん、よく冷えていたけどね」


 もったいないことをする。

 そもそも蛇口をひねれば水が飲めるというのにどうしてボトルは120円もするんだろう、そこがおかしいと思う本当に。


「……私のせいなんです、すみませんでした」

「彪葉が他人を悪く言うのが悪い」

「嫌なんです、誰かが悪く言われているところを見るのは」


 だからついかっとなって怒鳴ってしまったと彼女は言った。

 正直に言ってあまり想像できなかったから怒ってくれと頼む。


「で、できませんよ……」

「なんで? あたしはあんたから離れないって言ったのに離れようとしたじゃない、罰を与えられるべきなんじゃないの?」

「……それなら手を握ります」

「はい」


 そしてよく見ると彼女は無表情なんかじゃない。

 耳や尻尾に表れるということもあるが、小さいながらもころころと表情が変わっていくのだ。

 自分といるときに楽しそうにしてくれていたら素直に嬉しいと言える。


「これは立派な罰ですよねっ」

「全然罰じゃない、寧ろ安心できて嬉しいわ」

「え……あ……」


 けど、1回目はそろそろ終わりかな。

 彼女だってご飯を食べたいだろうから帰らなければならない。

 いや、なんならこっちがお腹空いて食べたいから仕方がなかった。


「帰るわ、ありがとう」

「……まだいいじゃないですか」

「姉がご飯を作ってくれているから」

「そうですか……」


 あと彼女は寂しいとか悲しいという感情のときだけ表に出過ぎる。

 こんなの卑怯だろう、この状態で帰るなんてできない……。


「わかったわよ……。けど、いてあげるから先にご飯を食べてきなさい」

「わ、わかりましたっ」


 あーあ、嬉しそうにしちゃって。

 170後半のくせに彪葉みたいに感情を真っ直ぐ出しちゃってさ。

 姉に怒られるのは確定だけど……なんかどうでもいいな。

 仮にそうなってもそれをするだけの価値があったみたいな感じで。


「ただいまです!」

「はやっ」

「待ってもらうのは申し訳ないのでっ」


 とはいえ、できることは特にないんだよなあと。


「罰の続きですっ」

「じゃあ尻尾を握っててもいい?」

「ば、罰ですからね」


 んー、なんだこのシュールな絵面。

 片方は手を握っていて、片方は尻尾を握っていて。

 やはりというか自分のときとは違うらしく、表情がどんどんと……。


「ご飯、なんだった?」

「あ……冷しゃぶでした」

「おぉ、いつ食べても美味しいわよね」


 かけるものを変えるだけで色々な味で楽しめる。

 けど、できれば夏に食べたいものだろうか、あっさりしているし。


「み、美心さんのお家はどうなんでしょうかね」

「どうだろうね」


 姉は結構拘ってくれるから今日も美味しいのが食べられそうだ。

 そう考えたら物凄くお腹が空いてきて、すぐに音が鳴って恥ずかしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る