四章 

 僕は、彼の手を握った。

 僕と接触していないと一緒に瞬間移動はできないからだ。彼は何か言っていたけど、あえて聞こえないふりをしていた。

 その方が楽しくなりそうだから。

「ここはやっぱり外せないじゃない?」

 僕たちは、富士山の山頂に瞬間移動してきた。

 人間の富士山崇拝はすごいと聞いている。

 僕からしたら他の山と変わらない気がするけど、人間は『富士山』に縁起や運気を担がせ、さらには信仰の対象にまでしている。

 いつもならそんな考えをもちながら何かを見るのだけど、今回は何も考えず純粋に景色を見てみることにした。

 目の前には、いつもは空高くにある雲があり、切れることなく遠くまでずっと広がっている。

 「きれい」という言葉ではとても表しきれないほどの美があった。

「本当に瞬間移動してきちゃった」

 一方、彼は震えながら、そう言っていた。ちなみにこの震えはきっと怖がっているのではなく、喜んでいる。

 それぐらいなら、彼のことが僕でもわかるようになってきた。

「まさか、また僕のこと疑っていた?」

 冗談交じりにそう言った。

「もしかして怒っている? 死神ちゃんを疑ってはいなかったよ。でも人間は瞬間移動なんてできないから。いや、そんなことより、きれいすぎるよ!」

 感動しすぎて、いつもより早口になっている彼がおもしろくて、僕は自然と笑っていた。

 彼は「やっと笑ってくれたね」と安心した顔を僕に向けてきた。

「笑う?」

「だって、死神ちゃん全然笑わないのだもん。何が起きてもいつも真顔だし」

「それは……」

 僕は、次の言葉がすぐに浮かばなかった。

「それは何? 仕事だから?? そんなに常に全力にならなくていいのだよ。手を抜いていいのだよ。死神ちゃんは真面目すぎる! もっと生きるのを楽しんでいいのだから」

 彼がそっと僕の肩に手を乗せた。

 彼の言葉が心にすっと落ちた。まるで救いのようだと思った。僕は死神という仕事に縛られてすぎていたのかもしれない。

 一方で、胸が痛くなった。

 肩からは彼の熱が伝わってきている。

 その熱が、僕が最近ずっともやもやしていた気持ちの正体を教えてくれた。

 僕は、彼のことが好きなのだ。

「そろそろ次の場所にいくよ」

 僕は彼への思いを隠すかのように、そう言った。

「はーい」と明るい声が返ってきた。

「次は、華厳の滝だよ」

 僕は今度も、見ると癒されて元気が出るようなところを選んだ。 

 それにせっかくの瞬間移動なのだから、人間が一日ではなかなか行くことが不可能なところに連れていきたかった。

「もう少しだけ近くで見てみようよー」

 彼はグッと腕を組んできた。これもきっとあまりにも興奮しているからだろう。

 今回は振り払わずにいられた。

 でも、胸ではうるさいぐらいに音が鳴り続いている。

「あっ、癒しの効果もあるらしいよ」

 そんな僕の心の中がばれていないか心配になった。

「そうなの? じゃあ死神ちゃん、今からすごく集中して滝を見て」

「えっ、集中して?」

「いいから早く」

「わかったよ」

しばらくして「どう?」と彼は突然僕の視界に入ってきた。

 彼の顔がこんなに近くにあることが今までにあっただろうか。僕は思いを隠す自信がなくなってきた。

「いや、あっ、どうって?」

「癒された?」

「うーん、美しいなあと心が少し温かい気持ちになったかな」

「それが『癒し』だよ。よかったー」

 彼はなぜかまたホッとした顔をしていた。

「何がよかったの?」

 僕は彼がどんなことを考えているか知りたくなった。

「だって死神ちゃんは、今まで人間からきつい暴力的な言葉をたくさん言われてきたでしょ? 死神ちゃんにこそ、癒しが必要なのだよ」

「僕に癒しか。そんなこと考えたことなかったよ」

「やっぱりー。もっと自分を大事にしなきゃダメだよ。辛いことやストレスって自分でも気づかないうちに心にたまっていくのだよ」

 僕はその言葉になんと返していいかわからなかった。

 彼の言葉が心に響いたというより、苦しくなった。

 彼は死を告げられてから、一言も自分の身を案じる言葉を言っていないから。

 自分が死ぬことが平気な人間なんているはずがない。

 そんな状況にありながら、僕のことまで心配してくれている。

 涙が出てきそうになった。

 でも今は楽しいことをしにきているのだから、僕が涙を見せるわけにはいかないとなんとか堪えることができた。

「ねぇ、次はどこ?」

 彼はいつものようにかわいらしい笑顔を見せてきた。

「秘密だよ」 

「えー、いつも着く前に言ってくれてもいいのに」

「秘密の方が、着いた時の感動が大きいからダメです」

 僕たちは二人で見つめ合い、笑いあった。

 この時間がずっと続けばいいなと思った。たとえ夢や幻だとしてもいい。彼との時間が永遠に続けばいいのに。

 そんな風に僕が思うのは、彼を思う気持ちからくるだけものではない。

 僕が、彼に死を告げる時がもうすぐなのだ。

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