8760時間+5分間の片想い

飴月

水谷くんと相楽さんは、想えなかったのに

 


 24時間×365日=8760時間。


 これが、私が隼人はやとのことを想い続けた時間だ。


 余裕だった。あまりに余裕だった。来る日も来る日も飽きずに、ずっと彼に集中して、彼だけを想って、この1年間を生きてきた。


 勿論寝ている間は考えられていたかは分からないし、彼のことを考えていた時間は、実際にはもう少し少ないかもしれないけど。


 でも、きっと夢の中でだって、ずっと彼を想っていたと思う。少なくとも、起きている間はずっと彼のことを考えているほどだった私がそう言うんだから、間違いないはずだ。


 すると、そんな思考を断ち切るように、手に持っていたスマートフォンが震える。彼が乗っている飛行機の到着時間5分前を知らせる通知だった。時間を忘れないようにと、昨日の私が念のために設定しておいたのだ。



「まぁ、まだあと5分間追加で隼人を想わなきゃいけないみたいだけど」



 私は溜息に溶かすように言葉を吐いて、雲一つない青空を見上げた。


 あと5分で、彼が私の隣に帰ってくる。


 1年前、突然海外に飛び立ってしまった、マイペースで気まぐれで、誰よりも愛おしい彼が。


 せっかくだからあと5分間、彼との思い出を遡ってみても悪くない。逆に考えたら、あと5分間しかないのだ。彼のことを手繰り寄せるように、彼に想いを伝える準備を整えるために、今まで以上に彼のことを強く想ってみせようじゃないか。



「……よし!」



 私は自分に気合いを入れるように、パチンと自分の頬を叩き、彼と初めて話した時のことを思い出していた。












「人が、人のことを連続で想い続けられる時間って何時間だと思う?」



 ぼんやりと授業を聞いていた彼は、英語の授業のペアワーク中に、いきなりそう言い出した。


 元々クラスでは不思議ちゃん枠な彼だったので驚くこともなかったが、周りが英語を話している中で遠慮なく日本語を話してきたあたりに彼のマイペースさが出ているなぁ、と感心したのを今でも覚えている。



「さぁ……? てゆーか今、そんなこと話す時間じゃないし。地球環境について英語で意見を言い合う時間だし」


「……相楽さがらさんは本当にそんなこと話し合いたいの?」


「…………そう見える?」


「そう見えないから、ちょっと考えてたことを聞いてみたんだけど。相楽さんはどう思う?」



 どう思うと言われても、別にどうとも思わない。正直に言えば、地球環境について英語で意見を言うのと同じくらい興味がない。どちらかと言えば勉強になるぶん、英語を話している方がいい。


 しかし、高校生ってやつは人間関係が大事だ。それに、この状況で話を別方向に持っていくのは相当に難しいだろう。


 そう考えた私は少し笑ってその言葉を飲み込み、ふと思いついたことを口にした。



「多分、5分も無理なんじゃない。その人だけに集中して生きるなんて、おとぎ話の世界の話じゃん」


「……なんで? なんで、そう思ったの」



 想像以上の食いつきだった。私の言葉を聞いた彼は、蘭々と目を輝かせて私のことを真っ直ぐに見つめていた。言葉の続きを促す彼があまりに真剣だったから、口からこぼれ落ちるように、彼からの質問への答えが口をついて出た。



「だって、この世界には魅力的なものが多すぎるでしょ。その人だけに集中出来るほど暇じゃないし。多分可愛い猫とかみたら、すぐそっちのこと想っちゃうし」


「……最高」


「は?」


「相楽さん、マジ最高!! 俺も、俺もそう思ったの! やっぱあの小説のヒロインがおかしいんだよな!!!」



 彼はそう叫んで、天然でさえなければ十分ありだった、と私の親友に言わしめた顔に満面の笑みを浮かべていた。そのあまりの興奮ぶりに、先生も同級生も一瞬でこちらを向く。ザクザクと突き刺さる視線が痛い。痛すぎる。



「あぁああ、もう! 水谷くん、ちょっと静かにしてくれない!?」



 私はしきりに、「相楽さん最高」だの「分かってる」だの「ソウルメイト」だのと叫んでいる彼の口を押さえて黙らせた。


 彼は何故、と問うような視線を私に向けたが、これ以上は私の心がもたない。それに、忘れていたが今は英語の授業であって、現代文の授業ではないのだ。


 ふと周りを見渡すと、先生とバッチリ目が合った。き、気まずい……! 


 そんな私を見てきょとんとした顔をしている彼の後から、口角だけを上げた、鬼教師と有名な英語の先生が近づいてくる。



「……相楽さん、水谷くん。あとで生徒指導室まで来てください」


「「…………はい」」



 あぁ、終わりだ。命日だ。この先生に呼ばれて、無事に進路指導室から生還出来た者はほぼいない。


 案の定、私達はたっぷり怒られて反省文を書かされることになった。辛い。辛すぎる。それに今日は、とっても大切な予定がある日だったのに。


 しかし、不幸中の幸いと言うべきなのか、思わぬ収穫もあった。



「待って、水谷くんもなぎさ先生のファンなの!?」


「おうよ。それはもう大ファン。全部初版で持ってるぐらい大ファン」


「マジで!? 私もなんだけど!!!」



 なんとビックリ、水谷くんも、私が推しに推しまくっているマイナー作家さんのファンだという、とびっきりの共通点が見つかったのである。


 彼が興奮して「あの小説がおかしい!」みたいなことを叫んでいたことを思い出し、何の小説なのかを聞いたのだ。生半可な答えだったら、私の大切な予定を壊したことを一生恨むつもりで。


 すると返ってきたのは、好きな作家さんの最新刊の結末が気に入らなさすぎて、それが普通なのかどうかを確かめたかったという答えだった。そして、興味本位でその作品のタイトルを聞いて──心臓が止まりかけた。



「マイナーな作家さんのだから知ってるか分かんないけど……『24時間の片思い』って作品」



 だなんて、彼が言うものだから。


 その作品は、私がようやく昨日、ネット通販で手に入れて今日読む予定だった作品である。そして大切な予定とは勿論、その作品に全ての神経を注いで読むことでだった。


 しかし、呆然としている私に気づかないように、彼はスラスラと言葉を続けた。



「24時間で記憶を無くしちゃうヒロインが主人公に恋をして、死ぬほど想って、忘れて、また次の日に恋をするの繰り返しなんだけどさ。最後は、24時間よりももっと、貴方を想いたいって言ってその病を克服する話なの。良かったよ? 良かったんだよ。終わり方は良かったし、納得出来た。でも、本当に1人の人間をそんなに想えるのかって……どうしたの、相楽さん」


「……あぁああぁあ!?!? すごいネタバレ! 最低!! 最低だよ、水谷くん!!!」



 避ける間もなく、遠慮のないネタバレが被弾した。


 心の底から湧いてくる感情を抑えきれずに、水谷くんの背中をバシバシと叩く。ひどい。私の楽しみを返せ!!



「私も!! 私も好きなんですけど!!! 家に帰ったら、結末を知っちゃったその本が届いてるんですけど、1ヶ月前から予約してたんですけど!?」



 あぁ、泣きそうだ。いや、泣いた。本当に、私がどれだけ楽しみにしていたと!?


 急に暴れ出した私をなだめるように背中をさすり、彼は私に公園でもう少し話すことを提案した。おそらく、通行人の邪魔になると考えたのだろう。


 今になって考えると、その考えは正解だったと断言出来る。それほど、会話がエスカレートして大声にならざるをえないほど、私達の気は合いすぎたのだ。


 まずは渚先生の著作語りから始まり、ネタバレした件についての償いや、理想のヒロイン像についてを、私達は日が暮れるまで語り尽くした。そして、最後は笑顔で連絡先を交換して別れた。


 ネタバレされたことは許していないが、それと引き換えに同士を得たと思えば許せなくもないこともないかもしれない。それぐらい、彼と私は似ていた。


 それはまず、本の趣味から始まり。



「この本、オススメだよ」


「知ってる、読んだ。最高に好きだった」



 喫茶店で頼む飲み物も。



「ミルクティー1つ」


「……私も」


「相楽さん、ブラック飲んでそうなのに」


「水谷くんこそ、ミルクセーキの顔してるよ」



 さらには感性まで。



「ところで同士の相楽さんに質問です。あのヒロイン、許せましたか」


「許せなかったね、本当に。マジで。最後のセリフさえなければ懲役5年だったけど、あれで終身刑が確定したよね」


「ですよね!? 俺もそう思う。何が、貴方にはもっと素敵な人がいますだよ! 最初から主人公にはお前しかいないんだよーッ!!」



 勿論、仲良くなるのに時間がかかるはずもなく、すぐに、結花ゆか隼人はやとと下の名前で呼び始めた。


 そんな私達をカップル扱いする人は多かったけれど、本人達の認識では間違いなく友人通しだったのだ。距離が近いだけの、ただの友達。


 その関係が劇的に変わったのは、ちょうど1年前の春だった。



「俺さぁ、明日海外に引っ越すんだよね」


「……はぁ?」



 何の前触れもなく、隼人はそんなことを言い出してきた。歯切れ悪く喋る彼を問い詰めると、両親が海外勤務になって、ついていくことになったそうだ。



「…………何でもっと早く言わなかったの」


「……言ったら、結花とこんな風に話せなくなる気がして」


「は!? バカなの!? もっと早く知れてたら、もっと有効に春休み使えてたわ!!」



 本当に、馬鹿だ。大馬鹿ものだ。泣きたいのはこっちなのに、なんでそんなに泣き出しそうな顔をしてるんだ。


 渚先生の作品の、聖地巡礼だって行ってないでしょ。まだまだ語り尽くしてないでしょ。


 言葉にならない代わりに、涙がボロボロ出てくる。そんな私の背中を、私よりも泣いている隼人がさすっていた。しかも、「1年後には帰ってくるから!!」と叫びながら。


 それを聞いた瞬間、涙がピタッと止まったものである。そういうのは早く言え。てっきりこっちは、今生の別れぐらいの気持ちでいた。


 だって、海外だ。私の声なんて、到底届かないような距離の場所だ。話したいことを全て分かってくれた彼がいるには、あまりに遠すぎる距離だと思ったから。私から離れすぎだと、思ったから。


 そのため、今度は私が励ます側になって、必死に隼人の背中をさすった。すると隼人は、喉を絞ったような声で、こんなことを言い出したのだ。



「だって1年間って、8640時間だよ! 5分でさえ、1人の人を想えない俺達が、1年も人のこと想えるわけないじゃん!!」


「…………」


「結花、絶対俺のことすぐ忘れちゃうじゃん!! どうせ可愛い猫とか見たら、俺のことなんてすぐ忘れるんでしょ!?」


「……何それ、私に1年間想って欲しいの?」


「あぁ、そうだね!! めちゃくちゃ想って欲しいね! 逆に結花は、俺が結花のこと忘れてもいいの!?」


「よくない、けど」



 けど、けど。だって私達、そーゆー人じゃなかったじゃん。恋愛ドラマは苦手なタイプで、人のこと想うの無理なタイプじゃん。


 なんなら5分すら難しくて、すぐに別の人に気を取られちゃうタイプでしょ。


 普段の私なら冷静にこう言えたのに、なんだかおかしいテンションで、最初に出会った公園で、夕陽に照らされながら泣いている隼人が、めちゃくちゃ綺麗に見えて。


 意味が分からないほど愛おしかったから、その瞬間、不変だと思っていた友情は恋に変わったのだ。1年間、想えるような存在に変わったのだ。


 それはきっと、隼人も同じだった。


 私達はそっと手を繋いで、並んで狭いベンチに座った。隼人は夕陽のせいなのか、緊張のせいなのかは分からないが、真っ赤に染めた顔で決意したように呟いた



「俺、8640時間ずっと、結花のこと想うからさ」


「……うん」


「結花も、俺のこと想ってて」


「…………頑張る」



 付き合おうとか、好きだとかは言わなかった。


 多分、とっておこうと思ったのだ。お互いが、人にあまり関心を持てない私達が、来年まで想い続けられた時のために。


 そもそも、想い続けられるだろうか。手を広げても、走っても届かない距離で。苦しい時に、駆けつけられない距離で。


 私達はその後、一言も話さずに帰った。手に残った彼のぬくもりだけが本物な気がして、別れた後もずっと見つめていた。


 翌日の見送りには行かなかった。見送りに行ったら、海外に行くのなんてやめて、そばに居てって叫んでしまいそうだったから。


 でもそれは、昨日まで友人だと思っていたくせに、欲張りな話だ。我儘な話だ。


 正直、自分で自分に自信が無かった。それぐらい、想えるような人に出会ってこなかったから。


 だから、毎日目が覚めるたびに怖くて、悲しくて、寒かった。彼が残してくれたぬくもりは、とっくに何処かへいってしまった。


 それなのに隼人は、全く私の中から出て行くことがなかったのだ。


 素敵な本を読んだ。彼に薦めたくなった。


 美味しいものを食べた。彼にも分けてあげたくなった。


 面白い話を聞いた。彼とも共有したかった。


 さらに極め付けは、可愛い猫を見たとき。彼と一緒に見たいと思ったのだ。彼と、愛おしみながら眺める方が、ずっとずっと好きだと思った。


 そんなこんなで、あまりにあっさりと1年間が過ぎた。時折彼から届く手紙にはいつも、その季節の写真と、『まだ余裕』の文字があった。


 それに、『私も余裕だよ』と書いて送った。メッセージアプリがあるのに態々手紙を続けていたのはきっと、2人とも、自分のことを考えながら相手が手紙を書いてくれている時間が好きだったのだと思う。



 そしてあっさり、彼が日本に帰ってくる日がきた。それが今日だ。



 よし。5分間という制限付きだったにも関わらず、しっかり想えたじゃないか。流石、8640時間を乗り越えた猛者わたしは伊達じゃない。



「わっ!?」



 そんなことをしみじみと思っていると、いきなり視界が真っ暗になる。おそらく、目を手で覆われたのだろう。でも、ちっとも怖く無かった。そのぬくもりには、覚えがあった。



「待った?」


「それはもう」


「だよな、悪い」



 ちっとも悪いなんて想っていなさそうな軽い調子の声は、間違いなく彼だった。



「ここに来てくれたってことは、結花も想い続けてくれたの? 俺、猫に勝てた?」



 彼は私の目隠しをやめて言葉を続けた。開けた視界に、ヘラリと不安そうに涙目で笑う彼が見えた。自分で聞いておいて、泣きそうな顔しないで欲しい。だって、そんなの。



「圧勝に決まってるでしょ。8640時間と5分間、死ぬほど想ってやったわ」



 私の言葉を聞いて、嬉しそうに目を見開く彼が愛おしくて仕方がない。その様子を見て、私はあの日、彼の横顔が夕焼けに染まっていなくても好きになっていたと思った。私が恋をしたのは、彼のこの笑顔そのものだ。



「私、想像以上に隼人のこと好きだったみたい。あの小説のヒロインにだって、負けるつもりないぐらいね!」



 私がそう告げると、彼は私の大好きな笑顔で笑って、私の手をそっと握る。



「時差があるから俺の勝ち。俺の方が絶対長く、結花のこと想ってた」



 その笑顔を愛おしく感じながら、一生死ぬまで、本当の勝負がつくまで、彼を想い続けたいと思ったのだ。


 私と彼の唇が、惹かれ合うように自然と重なる。


 合計8640時間越えの恋が、今始まった。

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8760時間+5分間の片想い 飴月 @ametsuki

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