柊の予言はよく当たる

尾八原ジュージ

柊の予言はよく当たる

沢井さわいさんはきっと、寺本てらもとくんと付き合うと思うよ」


 それは中学三年の、六月の後半のことだった。教室の窓から見える桜並木が緑の葉を揺らしていた。

 クラスメイトのひいらぎは窓辺の席に腰かけ、たまたまそこにいたあたしにちらっと笑いかけて、それから突然そう言った。放課後の教室にはあたしと彼女のふたりしかいなかった。窓の外からは野球部のかけ声や、吹奏楽部のトランペットの音が小さく聞こえていた。

「え? 柊さん、何て言った?」

「沢井さんはきっと、寺本くんと付き合うと思うよ」

 柊は同じせりふを、そっくりそのまま繰り返した。逆光で顔が暗いけど、彼女は今日も美人で、同い年とは思えないくらい大人っぽく見えた。

 柊はいつもこんな感じの女の子だった。突然「明日英語の抜き打ち小テストがあると思うよ」とか「柴田先生、そろそろ結婚すると思うよ」とか言ったかと思えば、それがほぼ100%当たる。超能力なのか、観察眼が鋭いのかは知らないけれど、ついたあだ名は「予言者」。そしてクラスで一番の美少女だった。

 正直に言うと、あたしは柊が嫌いだ。いつも余裕があって落ち着いてるところとか、自分がみにくく見えるくらいきれいなところとか、とにかく色々なところが嫌いだった。でもそんなことはおくびにも出さずに、単なるクラスメイトとして付き合っていた。柊が何かしたわけでもないのにあたしが一方的に嫌ってみせたら、こっちが悪者になってしまうからだ。

 そしてもうひとつ正直に白状すると、あたしは実際、寺本くんのことが好きだった。

 一年からずっと同じクラスの寺本くんは、見た目から性格まであたしの好みにどストレートで、あたしはあっという間に彼のことを好きになった。でもだからといってすぐに告白できるような性格ではなかったあたしは、二年と三ヵ月をかけてだんだん距離を詰めていった。幸い去年、一緒に学園祭実行委員をやったのがきっかけで、それまでどうがんばってもただのクラスメイトだった距離が縮まって、「遊びにいくほどじゃないけどよく話す」くらいの仲になれた。来月はそんな彼と一緒に夏祭りに行く予定なのだ。もっとも他の友達も入れて五人で行くからデートではないけれど、あたしはこの機会をすごく重要なものだと思っていて、あわよくば告白してしまおうとまで思いつめていた。だから柊の予言は、あたしの心のど真ん中を見事に射抜いたということになる。

 あたしはかろうじて驚きと喜びを表情に出さず、ポーカーフェイスを保った。うまく隠したはずだ……と思う。とにかく表に出さないようにしたかった。なぜって、あたしは柊が嫌いだからだ。この子の思った通りになるのが、なんであれ癪だからだ。

「えーっ、そんなことあるかなぁ」

 あたしは笑いの混じった声で言った。「寺本くんって、うちのクラスの寺本くんでしょ?」

「そうだよ」

「うちら全然そんな感じじゃないんだけど」

 あたしの否定を受けて、てっきり食い下がってくるかと思ったら、柊は意外にも「そう?」と首を傾げただけだった。あたしは肩透かしを食ったような気がしながらも、わざと軽い調子で「そうだよー。もうやめてよ、寺本くんもきっと迷惑だって!」と続けた。

「そうかなぁ」

 柊の笑顔はまるで『不思議の国のアリス』のチェシャ猫みたいなニヤニヤ笑いに見えた。その顔を見ていると、なおさらあたしは「こいつの予言になんか従ってたまるか」という気持ちになってきた。

「とにかく寺本くんと付き合うとか、ないから!」

 もうこれ以上苛立ちを隠しながら彼女の顔を見ていられる気がしなかったので、あたしは通学カバンを勢いよく肩に担いだ。

「そろそろ行かなきゃ! じゃあね!」

「じゃあねー」

 柊はあたしに微笑みかけながら、ひらひらと手を振った。あたしもせいぜい嫌な奴に見えないように満面の笑みを浮かべ、彼女に手を振り返した。

 廊下には人がいなかった。一人で歩きながら、あたしは存分に仏頂面をした。

 予言者・柊。嫌な奴。あたしの持ってないものをいっぱい持ってる子。

(沢井さんはきっと、寺本くんと付き合うと思うよ)

 彼女の「予言」がもう一度頭の中に響いた。

 もしもあたしと寺本くんが付き合い始めたら、柊は自分の予言が当たったことに満足して、しめしめとほくそ笑んだりするのだろうか? もしもそうなったらと考えただけで、あたしは脳みそがねじ切れそうなくらい腹が立ってきた。

(絶対あの子の思った通りになんかならない。予言なんか外させてやる)

 荒っぽい足音を立てながら徒歩十分かけて帰宅する間、あたしはその決意を頭の中で何度も何度も繰り返していた。それでいっぱいいっぱいだった。

 だから「柊の予言を外す」とは、すなわち「あたしが失恋する」ことなのだと気付いたのは、家に帰って制服を脱いで着替え、一息ついた後だった。


 その夜一晩中あたしは悩んだ。柊の予言どおり寺本くんと付き合うことになるか、それともそうならないか。悩みに悩んだ。

 寺本くんのことを考えると胸がギュッと痛くなるけれど、柊のことを考えるとお腹の底から熱いものがこみ上げてきて、同時に頭の奥がグワーッとなる。ベッドの上で何度も寝返りを打ちながら、感情のパワーが全然違うな、とあたしは思った。そして、感じたままに行動することにした。

 次の日、あたしはママに塾の夏期講習の予定を増やしたいと相談した。ママは「意外ねぇ」とは言ったものの、ちょっと嬉しそうだった。やっぱり受験があるから、あたしの成績のことが特別気がかりなのだ。

 確か夏祭りの日は講習の枠が空いていたはずだ……と以前塾でチラッと予定表を見たあたしの記憶は正しく、めでたくあたしは夏期講習に滑り込み、夏祭りには行けなくなってしまった。

 もう引っ込みはつかなくなった。あたしは柊の予言を裏切ってやる。そのためなら何だってやってやる。たとえそれが失恋であっても。

 学校で夏祭りに行けなくなったことを謝ると、皆は「塾ならしょうがないよね」「受験だもんね」とあたしを慰めてくれた。柊に腹が立ったから、とは絶対に言えない雰囲気だった。

 寺本くんをちらっと見ると、唇を一文字に結んでなんだか難しい顔をしていた。

「残念だなぁ。ま、今度またみんなでどっか行こうよ」

 彼は難しい顔を続けながらもそう言い、あたしは「うん、ごめんね」と応えた。

 その時柊は同じ教室にいたので、あたしたちのやりとりを聞いていたはずだ。でも、彼女は何も言ってこなかった。「何で夏祭りに行くのやめたの?」とか「寺本くんに告白しなくていいの?」とか言ってくるんじゃないかと構えていたので、あたしはまた肩透かしを食ったような気になり、気持ちが少しだけズン、と落ちた。


 六月が終わり、期末テストが始まり、そして終わった。

 あたしの成績ははっきり言って最悪だった。それもそのはずで、自分からふいにしてしまった夏祭りのことが気になって、勉強どころではなかったのだ。ママはテスト結果を見て、「やっぱり講習入れといてよかったわね」とため息をつき、とても「やっぱり講習を休みたい」なんて言えるような状況ではなくなった。

 寺本くんは「今度またみんなでどっか行こうよ」なんて言っていたけど、その機会が本当に訪れるかどうかは怪しい。あたしたちは皆もれなく中学三年生で、部活動としては最後の夏だし、同時に高校受験を控えているしで結構忙しい。そんな中で二年と三ヵ月もかけてようやく「よく話す」程度にまで進展させた関係を、卒業までのたった九ヵ月で「付き合う」まで発展させる自信はあたしにはない。だからこそ、夏祭りという非日常の力を借りて、あわよくば告白しようなんて思っていたのだ。

 あれ以来、あたしは寺本くんとまともにしゃべってすらいなかった。これから失恋しようという相手なのだから当然のことだ。あたしの態度に彼は最初、とまどった顔を見せていたけれど、そのうち諦めたのかそんな様子もなくなった。

 このままの関係が卒業まで続けば、あたしたちの志望校はそれぞれ違うから、寺本くんとはきっと疎遠になってしまうだろう。あたしと彼が付き合う可能性はかなり低くなった。いっそ「ない」と断言してしまってもいいだろう。

 つまり、柊の予言は外れることになる。これはあたしが願っていた結末のはずだった。

 だけど最初のとてつもない怒りは日ごとに薄れていって、次第に後悔がつのっていった。あたしはなるべくそのことを考えないようにしながら過ごした。


 いよいよ夏祭りの前日の金曜日になった。

 といってもあたしにはまったく関係がない。明日は浴衣を着ていそいそと出かける日ではなく、ただ単に塾の夏期講習に参加するだけの日なのだから。だから勉強のことだけ考えていればいい……と思ってはいても頭はその通りに動いてくれなくて、あたしは一日中、着ずに終わった浴衣の柄のことや、他の女の子たちと屋台の間を練り歩く寺本くんのことばかり考えて過ごした。

 だからうっかりして、週末の課題が載っている数学の問題集を、教室の自分の机に忘れてしまったのだ。

 そのことにあたしが気づいたのは、家に帰った後のことだった。今から急いで戻れば下校時刻に間に合う。そう判断して、あたしは急いで学校に戻った。

 校舎は開いていたけれど、もう人気はほとんどなかった。教室に急いだあたしは、ドアにはめ込まれたガラス窓越しに、中に誰かがいるのを見つけた。

 それは柊と、寺本くんだった。

 こんな時間に、ふたりきりで何を話しているんだろう。

 周りの音がすーっと遠くなった。寺本くんはこっちに背中をむけているけれど、柊の顔はよく見えた。あの日みたいに窓辺の席に座って、きれいな笑顔を彼に向け、何か親しげに話しかけていた。

 あたしの目から突然、ぽたぽたっと涙がこぼれた。宿題は取りにいきたいけれど、どうしても教室のドアを開けることができなかった。

 そのとき、柊がこちらを見た。ガラス越しに確かに目があった。

 あたしは彼女に背中を向け、廊下を走り出した。

 早く家に帰りたかった。着替えて、好きな本でも読んで何か食べて、嫌なことなんか何にも考えないで過ごそうと思った。でも涙はまだぼろぼろこぼれていて、誰にも会わないように必死だった。何度か遠回りをしながらようやく昇降口にたどりつくと、下駄箱の前に人影があった。

 寺本くんだった。

「……なんでいるの」

 急いで涙をぬぐいながら、むくれた小さな子供みたいな声であたしが尋ねると、「柊さんが、すぐここに行けって言ったから」と彼は答えた。また柊か、とあたしは思ったけど、口には出さなかった。

「あのさ」と寺本くんが思い切ったように口を開いた。

「最近沢井さん、俺と話さないよね? 何かあった? 俺、何かしたかな」

「何もないけど……」と言いかけたあたしの目から、また涙がこぼれてきた。

 バカみたい、と思った。こんなみっともないところ、本当なら絶対に寺本くんには見せたくなかったのに。柊の予言のせいだ。あの子があんなこと言ったせいであたしはこんなことになったんだ。いや違う。みんなあたしのせいだ。夏祭りのことも、寺本くんにそっけなくしたのも、みんなあたしが決めて、やったことだから。バカはあたしだ。

 何も言えなくなったあたしに、寺本くんがもう一度「あのさ」と話しかけてきた。

「俺、沢井さんのことが好きなんだけど」

 それは思ったより強い声で、昇降口に一瞬だけど響いてから消えた。あたしはまだ汚い顔で泣いていた。

「ほんとは入学してからずっと気になってたんだけど、勇気がなくって……だから学園祭実行委員になってから話すようになって、嬉しかった。明日のこともずっと楽しみにしてたし」

「じゃあ、なんでさっぎ、柊と一緒にいだの?」

 汚い声であたしが尋ねると、寺本くんは「沢井さんのこと相談してた。ほら、柊さんって何かと鋭いから」と答えた。

「柊さん、俺と沢井さんは付き合うようになると思うよ、って言ってた。それから、だから早く昇降口に行きなよって」

 それから寺本くんはあたしに「俺と付き合ってください」と言ったけど、あたしはますます泣いてしまって、どうしても返事ができなかった。

 今あたしが「はい」と言ってしまったら、六月からずっと苦しんできたことは全部無駄になってしまう。柊の予言が当たってしまう。だから涙が止まった後も、どうしても「はい」という言葉は口に出せなかった。その日、寺本くんは仏頂面のあたしを、黙って家まで送ってくれた。

 あたしがパンパンに腫れた目をこすりながら、上の空で夏期講習に参加している間に、夏祭りと週末は終わった。

 月曜の朝に教室のドアを開けると、真っ先に寺本くんと目があった。あたしはその途端ぱっと耳が熱くなったし、彼も顔が真っ赤になった。

 柊は窓際の席に、相変わらず澄まして座っていた。「予言、当たったでしょ」とか「外れちゃったかなぁ」とかなんとか、ニヤニヤしながら言ってくるかと思ったけれど、やっぱり全然そんなことはなくって、あたしはまたまた肩透かしを食らったような気分だった。

 その日、あたしはまた寺本くんとふたりで下校した。学校が見えなくなってから、あたしたちは遠慮がちに、おそるおそる手を繋いだ。


 腐れ縁というものは恐ろしいもので、それから十年後、あたしと寺本くんの結婚披露宴の招待客の中には、ドレスアップしてまるで女優みたいにきれいな柊の姿があった。

「中学の頃はさ、柊の予言が当たるのがなんか悔しかったんだよね」

 高砂にやってきた彼女に、あたしはこっそり告白した。

 柊は中学の頃みたいに微笑むと、「きっとふたりは幸せになると思うよ」と言った。

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