その道にひそむもの

作楽シン

第1話

 前までわたしが前に住んでた街には、こんなとこなかった。


 木ばっかりで家が建ってない道なんかなかったし、かと思ったらどこまでも塀が続くようなとこもなかった。

 最初見たときお寺かと思ったら民家だった。通学路に田んぼがあることもなかったし、外灯がほとんどないような山道もなかった。

 全然人が通らないような道もなかった。


 中学二年生の二学期の変な時期。

 親の転勤でど田舎に転校することになった。最初は都会から来た転校生をみんなおもしろがってたけど、私はそもそも華やかなタイプじゃない。話し上手でもないから、みんなにすぐ飽きられてしまった。

 たまに話し方が生意気とからかわれたりはするものの、無視してたらそれも飽きてたようだった。部活に入るのも微妙な時期だし、誰とも特別仲良くなれず、別に無視されるわけでもなく、もてあまされた感じになった。

 土地勘もなくて、一緒に帰る友達もいないわたしは、帰り道を色々かえてみたりして退屈をまぎらわせていた。


 今日は昨日気になったあのルートで帰ってみよう、考えながら学校を出て歩いていた。小さい山みたいなのをいつも迂回して帰るけど、小道があるのに昨日気がついて、明日はこっちからにしようと思っていたんだった。


「あ、矢口さん」

 信号待ちしていたら、声をかけられた。田舎だって信号くらいはあるのだ。

 顔を向けると、メガネをかけて、髪をひとつに結んだ制服姿の少女がいた。

 誰さんだったかな。見覚えはある。クラスメイトだ。はじめにワーッと話しかけてきたグループではなかった。

 名前を思い出せない、というか、多分知らない。突然話しかけられて、わたしはびっくりして、正直に言ってしまった。


「あのごめんね名前、思い出せなくて」

「あ、そうだよね。自己紹介したことないし。斉藤マコだよ」

 笑って教えてくれたのに今更動揺して、早口で、「あ、そうだ斉藤さんだよね、忘れてた!」と応えた。知らなかったんだけど。

「斉藤さんの家こっちなの? 同じ方向だね」

 何を言ったらいいか分からなくて、急いで続けた。

「うん、こっちをずっとまっすぐ」

「あ、じゃあ途中まで一緒かな」

「そうなんだ! こっち方面の子あんまり知らなくて、なんか嬉しい」

 嬉しい、と言われて舞い上がった。


 信号の色が変わって、わたしたちは一緒に歩き出した。

 それから、今日の授業のこと、先生の言い間違いのこと、当たり障りのないことをしゃべりながら一緒に歩いた。

 だんだん話題がなくなってくる。目についたものを口にしてみるけど、続かない。

 何が好きかとかハマってるかとかまで踏み込めない、もっと話したいような、話題がなくてつらいような、この子だって迷惑なんじゃないかなとか考えちゃう居心地の悪さ。

 しばらく歩いたところにある信号を渡って、耐えられずに思い切って言った。


「わたし、こっちから帰るね」

 斉藤さんはびっくりした顔をした。それから、怯えた顔になった。

「脇山道とおるの?」

「え、あ、うん、昨日みつけて。こっちから近そうだし」

「そうなんだ……」

 なんとなく端切れ悪く口籠ごもった。気を悪くしちゃったかな、あからさまに避けたみたいに思われたかな、と不安になった。別に斉藤さんが嫌なわけじゃない、どうしたらいいか分からない自分が嫌なんだ。

 斉藤さんは視線を足元でうろうろさせてから、思い切ったように言った。


「ねえ、矢口さん。あの……暗いし。遠くてもこっちのほうが」

 そう言ってくれて、わたしは嬉しいのか恥ずかしいのかわからない感情で何故かカッと赤くなった。

 迷惑じゃなかったかも。一緒にいてもいいやって思ってくれてるかも。思ったけど、なんとなく引っ込みつかなかった。単純に義務感で言ってるのかもしれない、空気読めって思われてるかもしれない。


「大丈夫だよ! 暗いくらいがスリルあるし!」

「あ、うん、でもほら、痴漢とかさ……」

 こんな誰もいなさそうな道で痴漢出るかな、いや、人がいないから出るんじゃん、でもそもそも人通ってないし……とぐるぐるした。わたしたち以外に今道を歩いてる人もほとんどいない。

「大丈夫! 大丈夫! わたしなんか襲われないよ!」

 なぜか卑屈になって言ってしまった。

 斉藤さんは、まだ何か迷ってるようだった。

 

「あの……この道のこと、誰かに聞いた?」

「えっ」

 わたしの反応で、斉藤さんはますます暗い顔になった。

「あのね、変な話なんだけど、ここ通るとき、絶対に振り返らないでね」

「え、なんで?」

 真面目な顔で変なことを言われてわたしは変な声が出た。


「家がずっとない道があるんだけど。昼間はまだいいんだけど、あそこ日が沈んだ後は絶対に振り返っちゃだめだから。特に一人のときは」

「えっ、そんなの後ろから呼び止められたり、後ろで事故がおきてたりしたらどうすればいいの? 一方通行じゃないよね、どっち向きに歩いててもだめなの?」

「事故なんてそうそうおきないよ! とにかく気をつけてね」 

 あきれた感じで斉藤さんが言う。失敗した、と思った。

「ものの例えだよ!」

「変わってる」

 前の学校でもよく言われた。自分では変なことを言ってるつもりなんかないのに。失敗した。

 ますます恥ずかしくなって、わたしは、「じゃあ行くから!」と手を振った。


「どうしてもってときは、振り返らないで後ろ向きに歩くんだよ。見たらだめ」

「わかった!」

「あのさ……あの……」

 斉藤さんはまだ何かを言いかけた。

「気をつけてね」

 顔も声も暗い。さっき話してたときはあんなに笑ってたのに。沈んでいく夕日の影になってるからだ。

 またね、とわたしは手を振った。



 坂道は車一台が通り抜けられるくらいの幅しかなくて、家がだんだん少なくなった。やたら長い塀があったり、今度は鬱蒼とした木ばっかりになったり。

 登ってる間に夕日はどんどん木の向こうに沈んでいって、あたりは暗くなった。

 急に風まで冷たくなっています、しかも地面のアスファルトが途切れた。車が通れない幅になって、家がまったくなくなった。


 あれ、ここ道路だよね? と不安になる。

 失敗した。斉藤さんの言うことを聞くんだった。外灯が気まぐれにしかなくて、こんな暗い道は、前の街にはなかった。

 奇妙にしずかで、時々何かの動物がガサガサと木を揺らす。何かが飛んでいる。鳥なはずがない、コウモリだ。

 どうしよう、引き返そうか。思ったけれど、斉藤さんの言葉を思い出す。


 絶対に振り返っちゃだめ。


 引き返すのも振り返るのに含まれるんだろうか。なんでかわからないけど、暗くてしずかで、空気が重い。

 一人で肝試しみたいなことになって、ものすごく後悔した。

 斉藤さんが変なことを言うからだ。だから余計にこわくなっちゃったんだ。

 どうしよう。思いながら、わたしはローファーの足元だけを見て、ひたすら前に進んだ。不意に爪先が小石を蹴り飛ばした、時だった。


 おーい、おーい。


 後ろから呼ぶ声がした。

 びくりと肩が震える。びっくりしすぎて、一人なのに恥ずかしくなった。

 知らない声だ。私を呼んでるわけじゃない。多分。

 なんだ、普通にみんな通るんじゃん! 思いながら、少し大股で進む。


 おーい、おーい。


 さっきより声が近づいて、わたしはもっと肩がはねた。どんどん早歩きになる。

 今の、男の人の声だったかな。

 わたしはポケットの防犯ベルの存在を確かめる。わたしなんか痴漢にあったりしないって言ったのに、お母さんに持たされてたものだった。

 痴漢が怖いときとかは、時々後ろを振り返ったりして、警戒してる素振りを見せたほうがいいと何かで見た。

 だけど、振り返ったらだめだって、さっき。


「ちょっと、待ってよ!」

 もっと近くからまた声がした。

 え、おかあさん? ふと速度がゆるむ。恐くて寒くて、知ってる声にホッとした。なんてタイミング、おかあさんすごい!

 とにかくひとりでいたくなくて、わたしは振り返り――かけた。

 でも、お母さんがこんなとこにいるのおかしい。こんな学校の帰り道の、それも本来の道じゃないところ。わたしに用事があったにしたって、こんなところ来るわけない。

 振り返っちゃだめ、と言われた言葉をまた思い出して、ゾクリと寒気が襲ってきた。


「ねえ助けて! 助けて!」

 お母さんの声が叫ぶ。さっきよりも近かった。

 どうしよう。わたしは泣きそうになった。どうしよう、お母さんだったらどうしよう。――お母さんじゃなかったらどうしよう。

 事故なんてそんなに起こらないって斉藤さんは言ったけど、事故って急に起こるものじゃないの?

 いざっていうときは、前を向いたまま後退ればいいって言ってたけど、そんなこと言ってる場合じゃないような、大変なことが起こってるのかもしれない。でも、お母さんがなんでこんなところにいるの?


「ねえ」


 また声がする。真後ろ。吐息がかかりそうなくらい。すぐ近く。

 ――斉藤さんの声。


 息が喉の奥に貼り付く。

 甲高くて細い音が出ただけで悲鳴なんか出ない。わたしはとにかく走り出した。頭は真っ白だったのに、体が本能で動いてるみたいだった。


「待ってよ」

 斉藤さんの声が追いかけてくる。

 それでもわたしは走った。足がもつれて転んでも、振り返らないで走った。

 斉藤さんはこんなところにいない。この道を追いかけてきたりしてない。


 もしかしたら、あんな顔をしてあんな忠告してくれたけど、ただのイタズラで、明日クラスで馬鹿にされるのかも、とも思ったけど。

 でも、違う。

 斉藤さんはそんな子じゃないように見えたし。わたしが全然知らないだけで、もしかしたら騙されてるのかも知れないけど。でも、もしそうだとしても。

 ――ぜったい、ちがう。

 だって、後ろを追いかけてくる足音がしない。


「矢口さん!」

 また声がした。わたしを呼んでる。私の名前を。

 前から。

 返事、していいんだっけ。分からなくなった。

 わたしは必死で走った。道はすぐアスファルトになって、広くなった。前が明るい。


「矢口さん! 大丈夫!?」

 坂道の下、外灯のそばに、メガネの制服の少女がいた。肩で息をしている。後ろからも前からも同じ声がするのに。

 涙が出るくらいホッとした。



「斉藤さん、どうしてここにいるの!?」

 ものすごい勢いで走って、わたしはそのまま斉藤さんに抱きついた。いきなり止まれなかったのもあったし、とにかく恐かった。何かにしがみつきたかった。

「やっぱりもっとちゃんと止めるか、一緒に行けば良かったと思って。ごめんね」

 そうだったんだ。斉藤さんをちょっと疑ったことを後悔した。

 斉藤さんの体温があったかくて、わたしは自分がとにかく冷えきってたのに気がついた。


「大丈夫? 震えてない? 何かあった?」

 斉藤さんはわたしを迷惑がったりしなかった。だけど、声が怯えてるのにわたしは気付いた。

 斉藤さんは知ってるんだ、あれのこと。――多分、この町の人は知ってるんだ。

 自分の体験したことを思い出して、またゾッとした。口にするのも恐かった。

 わたしは斉藤さんを話して、薄ら笑いを浮かべた。

「え、何、なんのこと? 大丈夫だよ」

 声が震えてしまった。恐い思いを打ち消すように、今度は勢いよく言った。

「暗くて恐かっただけ!」

 あはは、と無理矢理笑う。斉藤さんは、ホッとしたように言った。

「矢口さん変わってるよね」

 よく言われる、とわたしはまた無理矢理笑う。

「わたしこそごめんね、話してたのに、途中で変なとこ曲がったりして」

 いいよ、と斉藤さんは笑う。帰ろう、こっちもうちょっと道一緒だよね、と言ってくれた。

 それから、ビックリしたように言う。


「ねえ、膝、大丈夫?」

 言われて気がついた。転んですりむいた膝が、血まみれで真っ赤になっていた。気付いた途端、ものすごく痛い。

 うわーっとわたしはわざと大きな声を出す。やっとなんだか恐いのが抜けてきた。

「大丈夫、家帰ってからなんとかする」

「えー血まみれで歩くの!?」

 矢口さんはあきれ顔で笑った。わたしたちはどちらからともなく歩き出す。わたしはそのまま、なるべくさりげなく言った。

「ねえ斉藤さん、あした、一緒に帰ろう」

 いいよ、と斉藤さんは明るく答えてくれた。



 ――ねえ、ここ何がいるの? 何があったの? わたしはどうなるところだったの?

 聞きたかったけど、聞けなかった。


 あれが、どこまでも追いかけてきそうで。

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