4-2

 自分の芸を次代へ残そうと考えるようになったのはそんな、戦争が終わった頃だった。

 不思議なもので、日常的に命の危険に晒されていた戦時には全く思わなかったが、一応世の中が平和になった途端、〈またいつ危険が来るかわからん〉という恐れが湧いた。平和な時に、跡継ぎを残しておかなければ、落語はここで潰えてしまう――いや、それは建前の方の理由だ。

 本音はもっと身勝手で単純だ。

 自分の〈終わり〉を知って、焦ったのだ。

 戦争中はなりを潜めていた病が、気付けば体中に回っていた。俺は医者から「十年後は生きていない」と告げられた。十年なんてまだまだ先だと笑い飛ばす余裕は、俺にはなかった。真打になってから戦争を経てここまでで十年だった。襲名披露の日のことは、昨日のことのようにありありと思い出せた。

 医者には体の何カ所かを電化することを勧められたが、機械に生かされるのなんか真っ平だと突っぱねた。体が、たとえ一部だとしても機械になるということは、それは機械として生きるということだ。あの頃の俺はそう思っていたし、今でもそう思っている。古い人間だと言われても構わない。全身生身のままで生きる。そうでなければ、俺は、俺ではなくなってしまう気がするのだ。

 そう先までの未来がないとわかると、やはり人並みに悲しさが湧いた。だが、酒に溺れるほどのものではなかった。あと十年で何ができるか。そう考えられる程度には冷静さが残っていた。幼い頃から何度も死線を越えてきたせいで、自分の死というものに鈍感になっていたのかもしれない。

 依子は、普段は泪など見せない女だったが、さすがにこの時は泣いていた。思えば、二十も歳の離れた彼女を銀座のクラブで見初めたのは、彼女への気持ちも去ることながら、若い女とくっついて子供を残そうとどこかで考えていたからだった。それがいざ一緒になってみると、お互いそんな気持ちにはならず、二人の時間を安閑と過ごした。彼女はついに子供を欲しいと言ったことはなかったし、俺も子供を作りたいなどとは露も思っていない自分に気がついた。

 しかし、俺の中には漠然と、何かを残したいという気持ちがあった。

 それが何であるのかは、医者から人生の終点を知らされた時にようやく思い至った。

 芸を残したい。

 そんな、使命とも願望ともつかぬような想いだった。〈野望〉という言葉が一番しっくりくる。文化としての落語などどうでもいい。俺の芸を残したいと、率直に思った。俺の芸は俺が作り上げたものであり、唯一無二である。肉体が滅ぶのは仕方がないとしても、それと一緒に芸まで消えていくのは忍びない。そう想ったのだ。

 これが普通なら「弟子でもとるか」になるのだが、弟子を取って芸を仕込んだところで、その芸は弟子自身のものでしかない。俺が残したいのはあくまで、俺が積み上げてきた、俺自身の中にある〈芸〉なのだ。そこには他者によるアレンジも新たな解釈も必要なかった。

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