2-2

 そんなことがあったばかりとあって、酒を入れずに高座へ上がった。

 先日とは打って変わって、滞りなく一席終える。座布団を返し、めくりも捲る。形だけでいったらお手本通りの出来栄えだ。

 だが、満足感はない。パラパラとおざなりな拍手しか聞こえなかったせいだけではなかった。

 客の――こちらへ向けられた眼の少なさに、安心している自分に気付いたからだ。

 それで結局、悪い酒を呑む。いつものように、いつもの店で。

 俺はコップ酒を呷り、空にする。そのままコップをカウンターに突き出す。

「ママ、おかわり」

「もうその辺にしといたら?」

「ツケは払ったろ? まだ呑む分だって残ってる。ケチくせえこと言うなよ」俺のウォレット残高には久しぶりに0以外の数字が並んでいる。寄席のギャラもいくらか含まれているが、大半は姐さんからもらった小遣いだ。

 金を持っている客には逆らえぬらしく、ママは言われた通り酒を出す。一升瓶が俺の前に現れた。

 厚化粧が、酒を注ぎながら言う。

「今日、英数ちゃんは?」

「は? 知らねえよ」本当はメディアの仕事だと知っている。寄席からそのまま、あいつは放送局へと向かっていった。

 こんな場末の飲み屋に限らず、英数の人気は認めざるを得ない。寄席でもあいつを目当てに来る客も現れ始めたし、初めは金持ちのボンボンが高座に上がることに眉をひそめていた噺家連中にも、認めるようなことを言い出す人物が出てきた。曰く、最初は単なる先達のコピーだったのが、今では己の〈芸〉を身につけ始めている、とのこと。俺には英数の噺はいくら聞いても昔の名人たちの切り貼りにしか思えないし、ついでに言うと右の発言をした師匠の落語だってアーカイブに残る大昔の噺家の真似っこに見える。なにが己の〈芸〉だ。そんなもん、知ったような口を利くための方便でしかない。

 ママがスクリーンのチャンネルをザッピングし始めた。ニュース、プロレス、通信販売が画面を通り過ぎていく中で、唐突に着物姿の英数が現れた。

「あら、英数ちゃん」

 対談番組なのだろうか、奴はソファーに座って、背広の男と何やら話していた。俺はママからリモコンを奪い、音量を上げた。〈落語界に現れた期待の新星〉としてしてインタビューを受ける弟弟子の言葉を捕らえようと試みた。

 英数は、自分の出自には構わず入門を認めてくれた師匠に対する感謝を述べた。そこへ、ホストと思しき背広の男が、〈蝶腹亭全角〉襲名を狙っているのかと問う。

「いえいえ、僕には兄弟子がいますから。あの方を差し置いて、師匠の名は継げません」とでも言うのかと思ったが、英数は否定も肯定もしなかった。いや、否定をしない時点で、それは肯定したのと同じだった。

 英数が、全角の名を狙ってやがる。

 弟弟子に出し抜かれたことに対する焦りが湧くと同時に、人気と実力からいってあり得ない話でもないと納得している自分がいた。

 今の俺にできること。

 それは、ただただ、安酒を呷っては注ぎ呷っては注ぎを繰り返すことだけだった。そうして波立つ心を、どうにか静めようとした。

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