13. 星と影
暗い夜空の中、地上から数百メートル上空にて。風を操り宙を舞う少女シェーナは、自身の腰に抱き着いて怯えている情けない青年ケイへとため息交じりに声をかける。
「ケイ、そろそろ慣れた?」
「……まあ、うん。大丈夫だ」
「そう。それなら離れて」
言葉とは裏腹に震える声音に気づいたシェーナだが、本人が大丈夫と言うのなら心配する必要はないと考えたようで、彼女は作り物めいた無表情でケイを突き放した。
「や、やっぱり手とか繋いでくれないか……?」
しかし、頼りないこの男はやはり大丈夫ではなかったようだ。いや、本人からすれば飛んでいる状態に慣れてある程度大丈夫にはなっているのかもしれない。すなわちシェーナの考える『大丈夫』とケイのそれに差異があっただけ、なのだろう。
「いいけど……プライドとかないの?」
ケイのことを任されているシェーナとしてはここで無理をさせておかしな行動を起こされても困る。そのため手を繋いであげるくらいならばお安い御用であったが、あまりに情けないその様子に、シェーナは呆れを隠さず尋ねた。
「そんなものは前の世界に置いてきた(ほかにもいろいろ、な……)」
「……はぁ。もうすぐ日没だから、それまで我慢して。そのあとは状況見ながら地上で戦うから。そのあとの移動も、緊急のとき以外は飛ばない」
即答の裏にあった心情に気づかなかったシェーナがため息をつきながらケイの手を握り、抑揚の小さい声で色々と配慮した決定を伝えた。
やわらかいその温もりに優しさを感じ、ケイは自身のうちにある恐怖が緩和されていることに気づいて感謝を言葉にする。
「ありがとな、シェーナ。……って、あれ? もうとっくに日没過ぎてるんじゃないか? 暗いし」
「日没の判断基準は、太陽が月の塔の頂上から見えなくなるまで……らしい。けど、星の輝きが変わるから、それでわかる」
落ち着きを取り戻したケイはようやく現状を把握できるようになったらしく、ふと生じた疑問を続けて口に出した。シェーナは多少曖昧ながらもそれに答えたが、月の塔と呼ばれる場所を知らないケイはすぐに別の質問へと移る。
「へぇ……。星っていえば、どうしてところどころ点滅してるんだ? 色もなんか俺の知ってるのと違うし……」
昨夜は全体像しか見ておらず元いた世界との違いにまで気が回らなかったものの、よくよく見れば彼の知っているものとは幾分か異なっていることがはっきりと分かったようだ。
「星の色は、各星座固有。おとめ座は青色、てんびん座は銀色。点滅は、使徒様たちの状態。力への代償を捧げれば捧げるほど割合が高くなって、全部そうなると一回全部が消えて……死ぬ」
「……ルノの限界はほんとにすぐそこなんだな」
「あと一回、新月を乗り越えられるかどうか、だと思う」
「そうか……」
構成するほとんどの星が点滅している青色のおとめ座。遠くない最期へ向けた煌めきはあまりに儚い。
自身の命が可視化されているという現状がどれほどの影響を使徒である少女たちの心に与えているのか、ケイはそれを想像して湧き上がってくる激情を必死に抑えた。
しかしながら、彼の視界に広がった夜空へと浮かぶ十二星座にはおとめ座以上に点滅している星の割合が高い星座も存在していて、ルノよりもさらに酷い状態で戦っている使徒の存在を意識してしまったケイは平静を保てなくなりそうだった。
(あれは……いて座か。なんだろうな、あの星を見ていると……)
ただ、その緑色に輝く星々たちを見つめている間に謎の安心感を覚えてしまったケイは、スッとその荒ぶった心が静まっていくのを感じた。
とはいえ、このまま星を眺めていては再び無力さや怒りによって心が支配されるだけだと理解したケイは、いったん視線を下へと向ける。すると頼りになる少女の服装が少々気になった。暗い話題ばかりでも苦しいだけであり、空気を変えるためにもケイはその目に留まった点を尋ねる。
思いもよらない方向へと話が進むことなど知らずに。
「ところでシェーナ、その格好で飛ぶのは大丈夫なのか?」
「スカートってこと?」
視線と状況からケイの言いたいことを理解したシェーナが小さく首をかしげながら無表情で聞き返した。
「まあ、そうだな」
「……ケイのえっち」
表情を変えずにそう呟いたシェーナ。突拍子のない展開にケイは思わずツッコミを入れる。
「なんでそうなるっ!?」
「さっきから視線を感じる。それに、腰に抱き着いてるときも鼻息が荒かった……気がする」
「えぇ……」
「あと、朝飛んだときにもたぶんスカートの中のぞかれてた……と思う」
「……」
色のない表情から繰り出される言いがかりの数々に、ケイは頭をかかえながら沈黙するしかない。心情が読みづらいため本気なのか冗談なのかわからないが、もしほかの人間に聞かれれば追放は免れないだろう、いや下手すると命も危ないかもしれない、とケイは思った。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、シェーナの口撃はまだ続く。
「ほかにも、お風呂上がりに感じた視線がいやらしかった。あ、それと今繋いでる手がなんか湿ってて気持ち悪い」
言いがかりというかもはやただの悪口になりつつあるのだが、ようやくここでシェーナの口角がわずかに上がってきていることにケイは気づいた。
「なぁシェーナ。俺が困るところ見て楽しんでるだろ……」
「うん」
「……はぁ」
小さな微笑みとともに言い訳もない即答をもらい、ケイは深いため息を吐き出す。その安堵と呆れを含んだ重たい空気は、先ほどの暗く苦い空気を確かに消し去っているように、ケイには思えた。
なんとなく弛緩した雰囲気になったのも束の間、夜空の様子の変化に気が付いたシェーナが緊張感を取り戻した声音で呟く。
「そうこう言ってるうちに、日没」
「……確かに星が明るくなったな」
輝きを増した色とりどりの星座たち。それが示すのは日没、そして影の軍勢の出現である。
恐怖から真下を見ることのできないケイの横で敵の出現ポイントを確認し、シェーナは初期戦闘地点を定めた。
「うーん。まずはあの辺かな」
そう小さく呟くと魔術の出力を上げ、一気に急降下。
「って! はやいはやい! シェーナさん!?」
再び低い姿勢になって腰へと抱き着いてきた情けない護衛対象が叫んでいるのを聞きつつ、小さく微笑んだ少女は意識を集中させるのだった。
「――― 死ぬかと思った……」
「私は面白かったから、満足。とりあえずケイは後ろで見てて。そろそろ来ると思うから」
膝をついて久しぶりに感じる地面の上でダウンしかけているケイを背後にかばいつつ、城壁の外側方向へと向き直るシェーナ。その背中に不安の色はなく、守られているケイは自分でも不思議なくらいに落ち着いていた。
「影の軍勢、か」
「そう。今夜は弱いのばっかりだけど」
「それでも気をつけてな」
「うん。ケイのこと、ちゃんと守るから安心して。弱いって言ったけど、ケイよりは強いし。あ、それと絶対敵に触らないで。ソルラ持ってないケイは、簡単に浸食されると思う。まあソルラがなければ狙われないとも思うけど」
首だけ振り向いたシェーナはわずかにやる気を感じさせる表情をしつつ、途中から真剣な声音になって一つの注意事項を護衛対象へと伝えた。
「……浸食?」
「闇に飲まれるってこと。……きた。<光ノ剣>」
詳しく説明する前に、敵の存在を察知したシェーナが白魔術を発動してその手に光り輝く剣を顕現させる。突如として高まった緊張感に、要領を得ない様子のケイも黙って息をのむしかない。
臨戦態勢に入ったシェーナの前方へと視線を向けたケイが見たのは、すべての光を吸収してしまいそうなくらいの暗黒色をした、動物型のシルエットであった。オオカミ、クマ、シカ、その他多数。スピードに差はあるが、お互いには見向きもせずただひたすらに突進してきている。
ソルラを有する敵、シェーナのもとへ向かって。
「……あれが、影の軍勢か。知ってる動物の影にも見えるけど……ってあれ? なんか明るいな――――――って、なんだこれ?」
敵の姿はともかく、その数には威圧感があり、これで一番楽な日なのかと内心で驚いていたケイだが、ふと背後を照らす光に気づいて振り向くと、そこには半月が出現していた。
円状の国土全体を覆い囲む巨大なドーム状の光。それには神聖かつ圧倒的な存在感があり、闇を拒む障壁のようだとケイは直感で理解する。そこに敵の先頭集団を光剣で薙ぎ払っているシェーナが念話魔術で説明を付け加えた。
『私たちが突破されたときの、最後の防壁。央都の『月巫女≪つきみこ≫』様の力。国土全体を覆う、対軍結界』
「……すごいな。まるで月みたいだ」
月巫女という存在は気になったが、ケイはその圧倒的力を有する結界に感嘆を漏らすことしかできない。
そうこうしているうちに、次々と出現している影の軍勢の集団が最前線へと足を踏み入れる。広範囲にわたる波状突撃。すべてが自分のもとへ向かってきているとはいえ、剣だけではもはやすべてに対処することはできそうにない。
しかし、一人で戦うシェーナに焦る様子はなく、淡々と近づいてきた敵を切り裂きながら華麗に戦場を舞っている。
「これが破られたら、本当に終わり。だから―――」
小さく呟く彼女の右手の甲が青く光り、おとめ座を象った青の星紋が輝きながら浮かび上がった。
「<光剣旋舞>」
夜の空に舞い上がる、幾千もの光剣。
「雑魚相手に触れさせるわけには、いかない」
力のこもった呟きを合図に、夜空に浮かぶ星々が流星群となって影の軍勢へと降り注ぎ―――――。
「……すげぇ」
視界に存在していた暗黒の影、そのすべてが一瞬で消失。光の剣に囲まれたシェーナただ一人だけがその場に立っていた。
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