11. 初めての戦場、その前に-2

 

 石造りの広い砦内をシェーナの解説を聞きながらしばらく歩き、もの覚えのよいケイはすでに迷子にならないくらいの方向感覚を獲得していた。とはいえ、ルールや常識を知らないという自覚がある彼はしばらくシェーナとともに行動することに決めている。


 (ほんとに男がほかにいないなら、いろいろ気をつけないとな。シェーナと一緒にいれば安全か……?)


 歩きながらケイが内心でそう呟いていると、目的地である医療チームのエリアへと到着した。先にシェーナが様子を見に行き、ケイは一人で待機。ただ、ここまでほかの人とすれ違わなかったこともあり、帰ってきたシェーナの第一声に彼は納得してしまう。


 「―――医療チームのみんな、寝てた」


 「夜勤前みたいなもんだから仕方ないか……。シェーナは寝ておかなくていいのか?」


 「うん。大丈夫。ごはんつくってから呼び出されるまで、休んでた。それより、聞いてもいい? どうして残ったの?」


 案内をする間も気になっていたことなのか、未達成とはいえ一つの仕事を終えたタイミングでシェーナは食い気味にそう尋ねた。


 美しい翡翠の瞳にジッと見つめられたケイは正直に答える。冗談を交えながら。


 「……この世界のふざけた仕組みに腹が立って、俺も少しでも逆らってやりたいって思ったから、かな。いまのところは何もないけど、異世界人ってやつはすごい力をもってたりするらしいから何かできるんじゃないかって」


 「ふふっ。なに、それ」


 「まあ悪い方向に転がる可能性もあるから、そのときは許してくれ」


 「自意識過剰」


 「ははっ、そうかもな」


 お世話になっていた変人教授がオタクであったことから、ケイは異世界ものという作品ジャンルについてその概要をある程度知っていた。研究に行き詰まると教授が異世界に転生したいやら、チート能力で無双したいやら、よくわからないことを言っていたのを思い出したらしい。


 だからこそ、彼にも不安はあった。自分というイレギュラーな異分子が本来なら起こりえない災厄につながるのではないかと。可愛らしい笑顔でシェーナが言った通り自意識過剰だろうとケイも思っているが、教授という知識人はフィクションですらいろいろと考察する人間であった。


 『わかるかい? 異世界転生では本来その肉体で生きるはずだった存在の自我が失われているし、主人公が我々の世界の技術を広めて利益を得ることもその世界で世紀の発見をするはずだった人間を埋もれさせることにつながっているんだ。そして何より、力を持ったイレギュラーな存在は光であるのと同時に闇でもあって、それは本来ありえないはずの未来をもたらす可能性につながる可能性が高い。主人公の正義に従って助けられた、利益を得たという人間にとっては光。その逆の人間にとっては闇。強烈な光は人々を惑わせ、また深い闇も人々を狂わせる。つまり―――――』


 (よくわからなかったしホント変な人だったけど、もう少し詳しく考察聞いてみてもよかったかもなぁ……)


 お世話になった礼も言えず、進めていた研究も途中で放り出してしまったという罪悪感も生まれたが、あの人はきっとそこまで気にしないだろうと、年の割に老け込んだ教授の顔を思い出しながらケイはそう思った。


 過去へと思いをはせている彼の横で、シェーナが静かな表情に少しの安堵と期待をにじませながら小さく呟く。


 「でも、少しうれしい。その……私だけじゃないんだって、わかって」


 「俺でよければいつでも話は聞くからな。それくらいはさせてくれ」


 「うん……」


 喜色をわずかに滲ませて頷いたシェーナであったが少し気恥ずかしい気持ちになったのか、すぐにいつもの無表情に戻ってからケイへと向き直り、その小さな唇を動かす。


 「あ、そういえば……」


 「ん?」


 「医療チームに志願したの、私たちの身体目当て?」


 「誓ってそんな理由じゃないからなっ!?」


 とんでもない質問をされ、ケイは自身の名誉にかけて全力で否定した。しかしその必要はなかったらしい。分かりづらい微笑みを浮かべたシェーナが自身で否定したのだから。


 「うん、冗談。ルノが念話でそう伝えてきたけど、信じてないから」


 「……はぁ」


 やはり子供っぽい使徒様と、ケイのことをおもちゃのようにして遊んでいる感じのするシェーナ。戦場で命をかけて戦っている二人の息抜きになるならばこれくらいは、と思いつつもため息をついてしまうケイであった。


 「そういえば、ケイは休まなくて、いいの?」


 頭をかかえるようにため息をついた彼の姿を見て小さく首を傾げたシェーナは、多少気遣いが生まれたのか自分も聞かれたことを聞き返した。


 「ん、ああ。徹夜は慣れてるから心配はいらないさ」


 「それなら、いい。あと……えっと、話すの、うまくなった?」


 ただ、ケイが自信ありげに大丈夫だと答えたため、彼女の興味はすぐに別のところへ移り変わったらしい。先ほどから感じている最初との違いに。


 「言われてみれば確かに……。ルノたちと話し始めてからかもしれないけど、どういう理屈なのやら」


 「そっか。わからないならいい。それで、これからどうする? キッチン、行ってみる?」


 もっとも、そこまで興味があるわけでもなかったようだ。会話がスムーズで悪いことはないと考えたのだろう。


 「そうだな。案内たのむ」


 「うん」


 小さく頷いたシェーナが案内のため歩き始め、ケイは雑談をしながらそれについていくのであった。



 太陽がもうじき沈み切ろうかという逢魔が時。天にはすでに十二の星座が爛々と輝き、闇の訪れを待ち構えているようにも見受けられる。


 敵襲に備えるこの時間帯はこの日の戦い方を決める作戦会議の時間でもあるようで、この地の使徒二人以外に、おとめ座領、てんびん座領それぞれの戦闘班、医療班、連絡班などの代表者がいつもの天幕に集合していた。しかしこの場に必要な人物が一人、まだ到着していなかった。


 「――― シェーナが遅れるなんて、何やってるのかしら」


 「ケイさんのことを任せたのはルノですよ。それにシェーナの役割を考えれば作戦会議への参加もあまり意味がありません」


 一度天幕を出て二人になったルノとリラが周囲を見渡しながら言葉を交す。リラの言う役割だが、シェーナは遊撃班という一人しか班員のいない特殊な位置づけにあるということだ。自己判断で動けるというのは実力と信頼がある証拠に他ならない。


 ただ、ルノとしてはそんなシェーナだからこそ気になっているようだ。


 「でも医療班のみんなはケイに会ってないって言ってるわよ? あの子に任せた仕事の一つなのに」


 「そこまで気になるなら念話してみては? シェーナはともかくケイさんの気配は探知も簡単だと思いますけど」


 「そ、それもそうね……」


 これまでにこういった事態がなかったとはいえ、その方法に思い至らなかったことを少し恥ずかしそうにしつつ、ルノは探索系の白魔術を発動した。


 「って、もうすぐ近くにいるじゃない」


 そしてあっさりと間近に接近する気配を補足する。


 「……ルノ、遅れた。ごめん。食事の準備に、時間かかった」


 会議の邪魔になってはいけないと連絡をしなかったシェーナが到着早々に謝り、簡潔に理由を説明した。


 「すまん、俺が悪いんだ……ってルノ、なのか?」


 ケイもそれに続いたが、一度下げた頭を上げて視界にとらえた少女の姿を見て驚きの表情を浮かべる。先ほどまで見ていた生気が薄く今にも死んでしまいそうな雰囲気を微塵も感じさせない、圧倒的な存在感と活力を発する姿が、信じられなかったからだろうか。


 「なによ。何か言いたいことでもあるの?」


 驚愕で口やら目が開いているケイが何も言わなくなってしまったため、ルノはジト目でそう尋ねた。


 「いや、ただきれいだなって思って。ホントに夜は動けるんだな……」


 月の光を反射して輝く青髪はまるで広大な海のようであり、優しさと強さを秘めているように思われる。そしてその青が際立たせるのは、二つの赤い宝玉。ルビーのように輝く深紅の瞳に見つめられ、ケイは率直な感想を述べることしかできなかった。


 「ほ、褒めたって何もでないんだからっ!」


 「そんなつもりで言ってないけど……ってリラさん? なんか視線が痛いような」


 それが本心からの言葉だとわかってしまったルノは久方ぶりの褒め言葉に取り乱したが、ケイはそれよりもその横から感じる冷たい視線が気になって仕方ない。


 「気のせいでは? それよりも各班長が揃いましたので作戦会議を始めましょう」


 「……ケイ、大丈夫?」


 リラからの鋭い視線が自覚なく彼の顔色を悪くさせていたのか、二人の使徒様が先に天幕へと入ってからシェーナがケイを気に掛ける。


 「え、ああ。大丈夫だ。ありがとな、シェーナ」


 「ケイ係、だから」


 「……ああ、うん。これからもよろしく頼む」


 気遣いは嬉しい。しかしその「ケイ係」というのはどうにかならないのか、と思いながらも言い出せないケイは、多少ドヤ顔をしているようにも見えるシェーナに促されて天幕の中へと向かったのであった。

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