9. 決めた道


 『――― ケイってバカなの?』


 「……はい?」


 静寂の中、窓から差し込む日差しを視界に入れて目をしかめていたケイは、この部屋の主である少女からいきなり失礼なことを言われ、視線をそちらへと移しながら疑問の意を示す。


 ただ、その声は彼女自身の口から発せられたものではない。白魔術と呼ばれるこの世界の力によって脳内に響いたものであった。


 その奇妙な感覚に慣れてきているケイは平然とした様子で、けれどわずかに目を細めて、ベッドの上に寝ている少女、ルノの声を待つ。


 『だって戦う力もないのにわざわざ戦場に残るとか言うから』


 呆れたようにも、楽しそうにも感じられる音がケイの頭に届いた。それは確かな事実であり、彼自身が一番わかっている。しかし、ルノと同じ使徒であるリラへとケイが頼んだことは、決して戦場で戦うということではない。ちなみにリラは昼食の準備で席を外している。


 「さっきも言いましたけど、俺は戦うために残るわけじゃありません。戦場での力は武力だけじゃないですから」


 『医術は確かに大切な力ではあるけど……異世界の技術がこの世界でも使えると思ってるの?』


 わかりづらい言い回しだったかなと我ながら感じていたケイだが、ルノはきちんと言葉の意図を理解したらしい。そのことにホッとする間もなく、本人にその気はなくても意地悪な問いを投げかけられたケイは困り顔になってしどろもどろに答えるしかない。


 「そ、それはわかりませんけど、自分にできることがしたいというか……なんというか」


 『……アタシたちのために何かしてくれようとしてくれるのは嬉しいけどさ、どうして命を危険にさらしてまで見ず知らずの世界の人間にそこまでするの?』


 「どうして、と言われても……」


 先ほどとは異なって真剣みを帯びた声音で問われ、ケイはまた言いよどむ。答えはあるはずなのに何故かはっきりと口に出せないというおかしな状態で黙ってしまい、部屋に落ちた静寂が彼を孤独にしようとしていた。


 『あっ! もしかして誰かに惚れちゃったとか?』


 しかし空っぽの頭に響いた能天気な声がケイを我に返す。


 「はぁ……。違いますよ。リラさんも気にしていましたけど、自分は年下好きではないので」


 焦点を青髪の美少女へと合わせ、彼はため息をつきながら先ほどリラにかけられた言葉を思い出した。


 『ワタシがいない隙を狙ってルノに手を出したら……わかっていますね?』


 (こんな状態の女の子に手を出すなんて真似するわけないだろ……。そもそも魔術が使えてる時点で返り討ちに合うのは目に見えてるし……)


 『えっ!? ケイって何歳なの?』


 無用な心配だと考えているケイの頭に、今度は驚きの色が強い声が響いてきた。何をそんなに驚いているのだろうかと思いつつも、その反応から実年齢より若く思われていたであろうことはケイにも容易に推測できる。


 「21ですけど……いくつだと?」


 『……同じくらいか下だと思ってた。うーん、話した感じとか声の感じとか、年が近い気するし……。敬語だし、シェーナの報告もそんな感じだったし! あー、でもまあ確かに考え方とかは大人かも? 』


 ルノ自身の身体は微動だにしていないものの、もし普通に会話をしていたなら戸惑った表情や忙しい仕草をしているに違いない。そんなことを思いつつ、ケイは特に広げる必要のないこの話題を打ち切ることにした。


 「……この話はこのくらいにしましょう。それよりも、ここに残る件についてはまだ承諾をいただいていないので、この先どうなるかわからないんですよね。ルノさんは反対ですか?」


 『ううん。好きにしたらいいかなって。だって面白そうだし。あ、そうだ。アタシが契約してあげる。リラは迷ってるみたいだし、早い者勝ちってことで』


 思い付きでそう提案してくるルノに、ケイはため息をつきそうになるのを抑えながら確認する。


 「何をさせるつもりですか?」


 『別におかしなことは頼まないって。ただ異世界の話を聞かせてほしいだけ。最期の思い出にね。そのあとはリラ……いやシェーナにこの力ごとケイのことも引き継いで貰おうかな』


 頭に響いた”最期”という音を聞き、ケイの心臓が小さく跳ね上がった。目の前の少女は表情を変えていないが、どのような顔をしているのか彼には想像できた。これまでに何度も見てきたからこそ。


 「……そういうこと言うの、やめてください。その、いろいろと思い出すので」


 『それはケイの事情で、アタシには関係ないでしょ。そもそもケイの過去のことなんて何も知らないし、勝手に誰かと重ねないで』


 不機嫌なことがよく伝わってくる主張を聞いたケイは確かに独りよがりな考え方だったと反省しつつも、そうあってほしくはないという過去と同様の思いを捨てきることができず、それを口に出そうとして―――。


 「すみません。でも、その……いや、なんでもないです」


 かろうじて飲み込んだ。


 しかし、会話相手は彼にとって未知の力を操る使徒様である。


 『やっぱりケイは優しいのね。諦めの言葉は人を弱くするから、とか思ってたくせにこの生活を長く続けることの辛さを想像してはぐらかすなんて』


 「……やっぱり心読んでますよね?」


 『ハハッ、なんかこういうの新鮮! ……うん、だからケイにだけ言っとく。さっきも少しだけ伝えたけど、この世界の神様について。あと、アタシの独り言も』


 面と向かっていたなら年相応の魅力的な笑顔の花が咲いていただろうという明るい声が頭に響いたかと思うと、多少の間があって真剣なトーンで言葉を紡ぎだしたルノ。リラと話をしていた時にルノが介入してきた件、この場の本題であることは間違いなさそうだと彼は姿勢を正す。


 いまさらか、と思わないでもなかったようだが、ルノの声に含まれるその真剣さが緩い考えを断ち切っていた。


 「……聞かせてください。それくらいは、できるので」


 『うん。これはアタシの感覚的なもので、ほかの使徒がどう感じているかは分かんないけどね。きっと太陽神様はもう天にいらっしゃらないわ。身体の機能を失うたびに思うの。これは捧げてるんじゃない。奪われてるんだって』


 「……」


 『何代か前までの使徒はここまで短命じゃなかったらしいの。何十年間も戦った使徒が記録上には存在するし。まあ領地の拡大とともに戦線も広がってるから単純には比較できないけどね。でもちょうど戦線の拡大が止まった時期から、使徒の世代交代は著しく早まってきてる。アタシはその時期に太陽神様がこの地を絶ったんじゃないかって予想してるけど、本当のことは誰にもわからないしどうでもいいわ。力を与えられた使徒は戦うしかないんだから』


 「ほんと、俺が異世界人だから話せる内容ですね」


 ルノが語った彼女の推測を聞き、ケイが返答に選んだのはなんとも軽い雰囲気の言葉であった。しかし彼の手は強く握られ、小さく震えている。


 『あはは……その通り。リラなんかが聞いたら卒倒しちゃうかも』


 その内心に渦巻く感情を悟っているからなのか、ルノはケイのペースに合わせて小さく声だけで笑った。


 「それはそれで見てみたいですね」


 『うん、確かに!』


 お互いに思うことはあれど、二人はそれを口には出さなかった。ケイの心情を読み取れるルノが、彼の思いを知ってどのように感じたのか。


 頭に響く声という情報だけでは、それを推し量ることなど到底不可能であった。


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