6. 二人の使徒
甘い香りの漂う、個人の部屋としては非常に広い城内の一室。静寂に満たされた空間には最低限の家具しかなく、まるで死期を悟って身辺整理をしたかのようにも思われる。
そんな物寂しい室内で最も大きいベッドの上に、使徒と呼ばれる存在の一人であるルノという少女はいた。
年の頃は入室したリラと同じで十七、八歳くらいだろうか。しかし、ベッドの上で眠っているように見えるルノからは年相応の覇気や活力といったものが感じられず、既に息を引き取っているのではないかと錯覚してしまうほどに彼女は弱々しかった。
広大な海のように白いシーツの上で広がった青の長髪も艶めきに乏しく、白い肌や紅色の唇にもハリがない。そして美しく整った顔だからこそ、よりいっそう人形じみた印象を持たせている。
(なんだよ、これ……。どうして、こんな……)
その様子に対して強烈な既視感を抱いたケイは、リラに続いてベッド横の椅子へと腰かけた。呆然自失のまま、自分が何をしているのかも分からずに。
「ルノ、彼がシェーナの言っていたケイさんです。ワタシの所見でも害意や悪意、影の気配は確認されませんでした。右手に星紋もありませんし、異世界から迷い込んだという話はありえない話でもないと思います」
隣でボーっとルノを見つめているケイをよそに、リラは早速会話を開始した。瞼を閉じたままの大切な仲間へと。内容はケイにとって重要なものであったが、今の彼にはまったく届いていない。
『そっか。ありがと、リラ。あとごめんね、アタシがこんなんだから』
しかし、眠っているように見えた使徒様にはその綺麗な声がきちんと聞こえていたようで、普通の会話と変わらずすぐに返答があった。ただ、ルノの唇は僅かほどもウドいていない。彼女の機械的な声は二人の脳に直接響いている。
これによってケイは我に返ったが、心のうちに渦巻く暗い気持ちはいまだ強く残ったままで、おそらく魔術によるものだろうと直感で理解しただけで大きな反応は見せなかった。
リラの方は慣れているのでそのことに今更驚きはしない。優しい声音で話しかけながら、彼女はそっとルノの手を握る。
「それは言わない約束ですよ。力のことはなしにしても、ワタシはルノと一緒にいたいですし、そのときまで隣にいると決めているんですから」
『うん。ありがと。本題に戻るけど、アタシの方でも調べた感じ脅威はゼロみたいだし、彼は都市部に送ってあげるってことでいいわね』
ベッドの上に寝ている状態でどのようにして調べたのか、それを尋ねる声は二人から上がらなかった。リラはルノの力を知っているためだが、ケイはその思いつめた表情の裏で何を考えているのか読み取らせない。そのため、二人の少女の会話は何にも遮られることなく続いていく。
「危険性がなければそうすると事前に決めていましたし、異論はありません。ですがまずは色々と説明が必要だと思われるので、この後ワタシの方でしておきますね。それから街の方へお送りするということにしましょう」
『お願いするわ。……まあでもその前に、ケイだっけ。アタシに何かあるの? 今の姿をジッと見られるのはアタシでも少し恥ずかしいんだけど……』
ただ、当事者のケイが今のまま放っておかれるということはなかった。ここまで瞼を上げた様子のないルノは感覚で視線を感じ取ったらしく、脳内に響く仮想の声には年相応の少女らしい気恥ずかしさと若干の不満が含まれている。
「ルノが可愛いから見惚れている……という感じではありませんね」
ベッドの上のルノから視線を外して訝し気な目をケイへと向けたリラであったが、彼の様子から予想した理由ではないことを確信して自身の言葉を否定した。
そこからしばらくの静寂があり、ようやくケイが震える声を抑えながら口を開く。
「……あの、聞きたいことがあるのですが宜しいでしょうか?」
『なに?』
何も言わず静かに待っていたルノだが、反応の速さからするとじれったい思いをしていたのかもしれない。
「この頭の中に響く声は白魔術、によるものですか?」
『ええ。その通りよ』
「それでは、どうして魔術を使って会話をしておられるのですか?」
『声が出せないから』
「……ずっと瞼を閉じられているのは、どうしてでしょうか」
『目が見えないのに開けてもしかたないでしょ』
「……ベッドの上で寝たまま、なのは――――」
『左腕と両脚が動かないからジッとしてるだけ。それで、ケイはどうしてそんなに苦しそうなの? 顔は見えないけど分かるのよ? アタシには』
ためらいをもって尋ねられた問いに簡潔な回答をためらいなく答えるルノに対し、ケイはその返答を聞くたびに声のトーンを落としていった。
当然彼の様子は周囲にも伝わっていたが、ルノは特に気にした様子も気に掛ける様子もなく疑問を口にした。まるで他人事のように。
そのことに顔をしかめながらも、ケイは素直に理由を答える。
「大切な人と重なって見えたから、です」
『そう。だから同情して憐れんでくれてるのね。でも使徒はみんなこんな感じだし、治ることもないんだから気に病むだけ無駄よ。代替わりしたばかりのリラはまだ何も捧げてないから今は大丈夫だけど……戦い続けていればいずれこうなるわ』
「え? それはどういう……?」
ニュアンスだけは即座に分かっても、使い慣れていない言語の意味を正確に推し量ることは難しい。本人の能力もあってだいぶ慣れてきているとはいっても、長い説明をされては詳細まで分かりようがなかった。
ただ、重要な内容が話されていることは確かであり、ケイには気になる部分が多々あったらしい。それらを口に出そうとした彼であったが、その前にリラがストップをかけた。ルノに対して。
「詳しいお話はワタシから。ルノはそろそろ<念話>を切ってください。最近はよく使っていますけど、もともと不得意な術なんですから。夜に備えてソルアは温存しないといけません」
『えぇー。今は敵も弱い時期だし、候補星のみんなだけでも戦えるんだからいいじゃん。ケイは本当に異世界人っぽいし、最期にいろいろ話聞いてみたいのよね』
「……はぁ。分かりました。でもそれは私の説明が終わってからです。ケイさんが困惑したままではお話できませんから」
『うん、ありがと。それじゃ任せるわね』
「それではケイさん。何からお話ししましょうか」
置いてきぼりを食らっているケイを他所に、仲のいい姉妹のような会話を繰り広げる使徒様二人。その言葉のなかには無視できない重要な単語も多数含まれていたが、だからこそケイはとっさの質問に上手く答えられない。
「……いろいろと聞きたいことがありすぎて何からお話してもらえばいいのかわかりません」
「では最初にこの大陸のことからお話ししますね。少々長くなるかと思いますけど、お付き合い願います。まずは―――――」
優しい微笑みで困り顔のケイを気遣ったリラがその小さな唇を開きゆっくりと説明を始める。
二人が質問と返答を繰り返す間、ベッドの上にいたルノは本当に眠っているかのように静かで、けれど同時にどこか楽しげな表情をしているようでもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます