5. 砦内部と使徒との出会い
「戦争中にしては静かだと思っていたけど、まったく人の姿もないし……。これはいったいどういうことなんだ?」
城壁の門をくぐりその内部へと足を踏み入れたケイが、隣を歩くシェーナに尋ねた最初の質問。それはこの砦について何も知らない人間なら真っ先に気になる部分に違いないものだった。
門とは名ばかりの開けっ広げ状態なのに門番のような存在もおらず、その内部にも人の気配がまったくないのだから。存在するのはいくつかの家のような建物と、小規模な城らしき建造物くらいで、非常に見通しのいい光景が広がっている。
外から見た城壁はケイの視力ではどこまで続いているのか分からないほどの規模で、おそらくは都市部を中心として大きな円を形成しているのだろうと想像することしか彼にはできなかった。しかし、門をくぐって左右に目を凝らすと、まるで区画を分けているかのような壁が遥か遠くにそびえ立っていることが分かり、この全体の構造として扇状になっていることが読み取れる。
冷静にそんな分析をしつつもあまりに静かすぎることが気になったケイの質問に対し、見慣れた景色を意識するはずのないシェーナが歩みを止めることなく簡潔に答える。
「戦いは夜だけだから。それに、ここに配置されてる人数自体がかなり少ない」
「……最前線なのに?」
戦場で最も過酷な場所なのに人が少ないというのは、ケイの常識からすれば矛盾していることだった。夜だけの戦いというのもよく分からなかった彼だが、まずはそのことに驚いたようである。
声音から戸惑いを感じ取ったシェーナだが、この状況が当たり前の彼女はケイが何に戸惑っているのか分からない。そのせいかこてっと小さく首を傾げつつの返答となった。
「? だからこそ。他の領地も少人数で編成されてる。使徒様の邪魔にならないように」
「じゃあシェーナはすごいんだな。その少数に選ばれるんだから」
その使徒様とやらはどれだけの戦闘力を有しているのか。シェーナの力を目の当たりにしているケイはその理由を聞いて背筋が凍る思いであったものの、それを表情には出さず隣を歩く美少女を褒めた。
「まあ、そうかも。でも私は、あんな風には……」
しかしそれは彼女にとって嬉しいことではなかったらしい。わずかに陰ったシェーナの顔色を見て、ケイはそのことを察した。ただ、そこから何かを恐れているような空気を感じ取ってしまっては、彼としても放っておけない。
「シェーナ?」
「……なんでもない。そうこう言ってる間に、到着した。私は夜まで休むから、あとは使徒様のご指示に従って」
簡素な街並みの中で最も大きな建造物の中、広い廊下を進んで一室の扉の前へと到着したところで、シェーナは何かから逃げるように少しだけ早口でケイへとそう告げた。追及されたくない、独りになりたいという意思を感じさせる声音と、その暗い翡翠色の瞳で。
「……わかった」
ここまでで無表情がシェーナのデフォルトだと分かっているケイは余計なことをしないことに決めた。何も知らない初対面の人間が踏み込んではいけないことだと、否が応でも理解させられたから。
重たい空気もあって神妙な面持ちで頷いたケイだが、それはシェーナの一言で軽くなった。いや、吹き飛んだといってもいい。
「そういえばここ、女性の寝室だから。気を付けて」
「は?」
空気と言葉のギャップやらまさかの発言にポカンとした表情で口を開いているケイ。それを見るシェーナの瞳は宝石のように美しく輝き、ブロンドの長髪もその輝きを増している。
「ふふっ、やっぱりケイは面白い。……バイバイ」
「……」
楽しそうな笑顔と、少しだけ悲し気な微笑。そのギャップに思わず見惚れてしまいそうになったケイだが、ここで独りになるのはマズいという警報が脳内に鳴り響いて我に返った。
「……ちょっ、待って! シェーナさんっ!?」
しかし時すでに遅し。シェーナは聞く耳持たず、颯爽とどこかへ去ってしまっている。
「はぁ……。一人でいったいどうしろと……?」
扉の前に呆然と立ち尽くし、いじけたようにため息をついて愚痴を零すケイ。これまでに異性の寝室など入ったことのない彼だが、その扉をノックする勇気すら持てないのは情けないと言わざるを得ないだろう。いかなる事情があるにしても。
「―――あの、もしかしてあなたがシェーナの言っていた異世界からの迷子さんでしょうか?」
どうすることもできず扉の前で立ち尽くしていた彼に、背後から優しく温かい声がかけられた。バッと振り向いたケイの視界に、神秘的なオーラを纏った美少女の姿が映る。
シェーナよりは年上だが彼よりも年下くらいだろう。けれどどこか母性を感じてしまうのは自分が救いを求めているからに違いないと、ケイはそう自身に言い聞かせた。
「は、はい! ケイと申します。宜しくお願いします。それで、あの……」
「あ、ワタシはリラといいます。ケイさんの様子から察するに、シェーナがルノ、ここの部屋の主に取り次がないまま行ってしまった、というところですか?」
救いの手を差し伸べられ嬉しそうに名乗ったケイだが、次の瞬間には頼ってもいいのだろうかという逡巡で困り顔になってしまう。そんな様子を見て微笑んだ美少女はリラと名乗り、シェーナという少女をよく理解しているのか見事な推察を述べた。
そんなリラの外見だが、一つに結ばれ肩の前へと流された白銀の長髪、アメジストのように輝く紫色の大きな瞳、メリハリのある女性らしい肢体が大人びた印象を与えている。服装はシェーナと同じだが、色合いや装飾がところどころ異なっている。特に違うのが、胸部のふくらみの上にある紋章だ。
(そういえば、シェーナの紋章もこの紋章もどこかで見たことある気がする……。シェーナが魔法みたいなの使うときにも同じような紋様の光が浮かび上がってたけど、どこでみたんだっけなぁ)
そこまで考えたところで、このままじろじろと視線を向けたまま黙っているのは失礼だと気づいたケイはリラという少女へと言葉を返し、そのまま一つの確認事項について尋ねる。
「はい……。ところで、ルノ様という方が使徒様ということでよろしいのでしょうか?」
「ええ。シェーナにとっての使徒様はそうですね」
「?」
ところが要領を得ない回答をされ、ケイは戸惑った。彼が頭に疑問符を浮かべていると、リラは楽しげな笑みを見せながら補足説明を加えた。
「実はワタシも、その使徒様なんです。ルノやシェーナとは別の領地の、ですけど」
「……? すみません。まだ何も知らなくて意味がよく分からず……」
ただ、補足された内容を消化する知識が今のケイには残念ながらありはしない。これまでの情報からなんとなく彼の頭の中では情報が繋がりそうではあったが、慣れない言語を言葉にしていることもあり上手くつながることはなかった。
申し訳なさそうに謝罪されたリラは魅力的な笑顔を見せながらその小さな唇を開く。
「そうでしたね。とりあえずルノと一緒にお話しをしましょうか。いろいろと説明も必要でしょうし、そこでケイさんの処遇についても決めたいと思います。異世界からの客人というのは前例もありませんし、こちらとしてもどうすればいいのか分からないので、至らない部分があるかもしれませんけど……」
しかし、彼女の笑顔も多少困ったものへと変化していった。おそらくこの場の責任者である使徒の一人として自分という異分子をどのように扱うのか決めかねているのだろうと、ケイは客観的にそう考えながら返答と疑問を口に出す。
「いえ。自分がイレギュラーな存在だという自覚はありますし、戦時中ということも聞いているので。それであの、自分から言うのもおかしいですけど、身元不明の不審者を拘束もせず部屋に入れていいのですか?」
「シェーナから報告を受けていますから。コケコルドン程度に怯え、白魔術を見たことがなく、星座の加護もない。平和なところから来た無力で面白い青年だと」
コケコルドンという名前を聞いてあの赤白の鳥を思い出し、ケイはあやうく吹き出しそうになりながらも必死に表情を取り繕った。もっとも、その後に重要そうな情報が含まれていたためにその努力はそれほど長く維持する必要もなかったようだが。
とはいえ、シェーナらしい報告だとも彼は思った。多少馬鹿にした感じがまさに。
「どことなく悪意が感じられるのは気のせいですかね……。あれ、でもリラさんはシェーナの直属の上官というわけではないのでは?」
ため息をつきそうな雰囲気で呟いたケイだったが、そこで一つの疑問に思い至った。先程リラは自分を別の領地の使徒であり、シェーナにとっての使徒様はルノという人物だと言ったのに、シェーナ本人から報告を受けているような口ぶりであったのは何故かと。二人に報告していてもおかしくはないが、ケイはどういうわけかその点が気になって仕方ない。
それに対して返答するリラの表情はどこか固く、悲しみを伴っているようだった。
「……部屋の中に入れば分かります。ルノ、入りますよ」
「……? 失礼します」
部屋の主からの返事を待たずに扉を開けるような人物ではないと、短い会話の中でリラを評価していたケイは多少の意外感を覚えつつも、緊張感が高まっていく空気の変化を察知して気を引き締め直しながら使徒様の背中に続く。
そしてもう一人の使徒、ルノという少女の姿を見て大切な人の幻影を見た彼は、ただただ絶句してその場に立ち尽くすのだった。
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