4. 砦とご機嫌


 「これは……砦、か?」


 「……?」


 思わずそう呟いてしまったケイの言葉は日本語で、シェーナはちょこんと首を傾げている。そんな彼女としては自分が暮らしている場所なわけだが、そこはケイが驚いた通りのまさに砦と言って差し支えない外観をしていた。


 遠方から視認した時にはその造りまで観察する余裕がなかったケイも、近づくにつれて伝わってくるどこか張り詰めた空気を感じ取らざるを得ない。頑丈そうな石の城壁には無数の傷跡があり、今二人が歩く地面にも大きく陥没したところや、ケイには何が起きてどうしたらそうなるのかという状態のところが散見される。


 「あの怪物たちが襲ってきてるのか? それともどこか別の国と戦争しているのか……?」


 先程漫画やアニメで見かける魔法のようなものによって怪獣が瞬殺される様を見たことで、なんとなく物騒な世界であることを予想していたケイ。彼はシェーナの後ろでぶつぶつと呟きながらチラッと宙に浮く巨大な鳥の死体を一瞥した。


 「……戦争の方が現実的、だよなぁ」


 小さな独り言の意味を理解したわけではないが、なんとなくその空気からケイが疑問に思っていることを察したシェーナは、ふと立ち止まって後ろを歩く青年へと振り返ってその小さな口を開く。


 「ケイ。あなたの国では戦争、なかった?」


 しかし問われた当人の視線は地面の方に向かっていて、思考の海に潜っているせいか彼女の美しい声も耳に届いていない。そのくせ前には進んでいるため、ケイはそのままシェーナを追い越した。


 「……むぅ。<氷ノ壁>」


 乏しい表情へと不満げな色を宿したシェーナは、右手をかざして実力行使に出る。いくつかの青い光点が右手の甲で輝き、次の瞬間には下を向いて歩くケイを取り囲む形で、分厚く大きな氷の板が形成された。


 その結果、当然のごとくケイは固く冷たい氷へと衝突することになる。それほど速く歩いていなかったことは彼にとって不幸中の幸いだったのかもしれない。


 ゴツッ!


 「――― いたっ!? つめたっ!? って、なんだこれ!?」


 痛みと冷たさによってハッと我に返ったケイが周囲を見渡すと、無表情の中にムスッとした様子を少しだけ混ぜたシェーナが、透き通った氷の壁の向こうから冷ややかな視線を送っている。そうかと思うと、いつの間にか表情を無にした彼女が凍えるような声音で物騒なことを言い放った。


 「無視するから、閉じ込めた。考え事したいなら、ずっとしてればいい。凍え死ぬまで」


 「シェ、シェーナさんっ!?」


 日本では冬に入ろうかという感じの気候で、彼の知っているものより明らかに冷たい物理法則を無視した氷にほぼゼロ距離で取り囲まれれば、生物はどうしたって命の危機を感じずにはいられない。


 突然命の危機に見舞われ、ケイは素っ頓狂な声を上げることしかできなかった。それが面白かったのかシェーナは魅力的な微笑を一瞬だけ見せ、彼に背中を向けて歩き出す。巨大な鳥を操っている風で運びつつ、牢獄にも思える氷の壁をそのままにして。


 「冗談。でも面白いから、ちょっとそこで待ってて。この食料、置いてくる」


 「え? あの、どこまで? ちょっ、待って! このままだと死ぬから!」


 待つ側としては死刑宣告とも捉えられる言葉を残し、門らしきところから城壁の内部へと入っていくシェーナ。その華奢な背中に向けて叫ぶケイの声は、四方を取り囲む氷の壁に反響するだけだった。



 それから数十分後、ようやくケイのもとへと戻ってきたシェーナは、自身が作り出した氷の檻の中で体育座りの状態になって固まっている人型のオブジェを目の当たりにして大きな翡翠の瞳を瞬かせる。


 しかし、それを気にしていないのか見なかったことにしたのか、彼女は特に気にする素振りもなくソレへと話しかけた。


 「おまたせ。反省した?」


 「……」


 返事がない。よく見なくても言葉を出せる状況ではないことなど自明の理だが、シェーナは小さく首を横に傾けながら右手に意識を集中させて氷の壁を消したかと思うと、そのまま別の力を解放する。


 「やりすぎた? うーん。<炎玉>」


 こぶし大ほどの青い火の玉が十個ほど、ゆらゆらと浮かび上がりながらケイの周囲を取り囲んだ。そして一つ一つが大きな熱量を有したそれらはシェーナの意思で徐々に氷の人型オブジェへと近づいていき……。


 「―――― あっつ!! こげるこげるっ!」


 日本語の叫び声がその場に響いた。


 それもそのはず。容易に氷が融解し、生じた水があっという間に水蒸気へと変わるほどの熱量で、それが近づくだけならまだしも、いろいろと術者によって制御された火の玉がそのまま肌に触れてしまっているのだから。


 とはいえ、きちんと手加減しているシェーナからすればケイは一人で忙しく騒いでいるエンターテイナーのようなものだ。クスっと小さく微笑みながら、地面を転がる年上の男の様子を楽しそうに眺めている。


 「なに言ってるか分からない。けど、ケイは面白い」


 「こっちはまったく面白くないって……」


 これまでよりわずかに明るい声で褒められたのか貶されたのか分からない言葉を貰い、ケイは地べたに座って苦笑交じりに返事を返すのが限界だった。先程からの出来事もあり敬意が抜けたのか、口調は多少ぞんざいなモノになってはいたが。


 「ここではケイみたいな人、珍しいから。楽しいこともほとんどないし、私も久しぶりに笑った」


 「……それは戦争が、原因か?」


 しかし、その後に続いた言葉を聞けば、真剣な表情にならざるを得ない。躊躇があったのか少し間を開けてから尋ねた彼の声は、わずかに震えているようであった。


 「うん。まあそう。ぜったいに終わらない、私たちの日常」


 「……」


 一番多く見せる無表情のまま、シェーナは特に雰囲気を変えることなく答えた。言葉の通りそれが日常で、それを当然のことだと思っているような彼女の声音に、命のやり取りとは無縁の世界で生きてきたケイは言葉を失って呆然とすることしかできない。


 その様子を見て勘違いをしたのか、シェーナはケイのことを多少心配しているような声音で言葉を紡いだ。


 「ケイはたぶん大丈夫。戦う力なさそうだし、ここに置いておかれることも、たぶんない」


 「……ここは、戦場の、最前線、なのか?」


 ただ、その言葉からケイが読み取ったのは一つの事実。戦える者がこの場に置かれ、シェーナもここで戦っているということ。使い慣れない言語をゆっくりと言葉にしたケイは、自身でも分からない感情のまま、目の前に立つ可憐な少女を見つめながら表情を歪めた。


 「? うん。そのうちの一つ。詳しくは使徒様から、聞いて。さっきの間に話は通しておいた。ついてきて」


 「分かった」


 向けられた表情と感情が理解できなかったシェーナは再びちょこんと首を傾げてから拙い彼の質問に対して答え、背後に振り返って城壁の内部へと向かって歩き出す。


 前を歩くその小さな背中を、ケイは苦しそうに見つめながら歩くことしかできなかった。



 まもなく『使徒様』から聞かされるこの世界の残酷な現実が、彼にとって一つの終わりと始まりになることなど、このときは誰にも想像できていなかったに違いない。


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